第24話 小岩井莉乃は見られたい

 小岩井莉乃はこれまで、恋愛をした事がない。


 彼女は顔が小さく脚は長い。

 スタイルも抜群で出るべきところは出て、引っ込むべきところは慎ましい。


 そんな彼女を同級生や先輩、後輩の男子が放っておくはずもなく、月に2度は交際を申し込まれている。

 だが、莉乃はそれを全て断っていた。


 理由は実にシンプルなもので、「同世代の男子が子供っぽく見えて恋愛対象にならない」という、この年頃の乙女が抱きがちな価値観からだった。

 10代後半の女子が抱きがちと言えば、もう1つある。


 少し年上の男性がやたらとステキに見えるお年頃である。


 ただ、莉乃は考え方がしっかりしており、そこらを歩いている大学生や会社員にはなびかない。

 そもそも恋愛に興味がなかったというのが、彼女を恋から遠ざける1番大きな要因かもしれなかった。


 そう、ほんの数週間前までは。

 小岩井莉乃は、恋をしていた。


 生まれて初めての恋である。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「壮馬さーん! お疲れさまですー。飲み物買ってきましたよー」

「ええっ!? そんな、悪いですよ! 莉乃さんはまだ高校生なのに! いくらでしたか?」


「いいんですよー! あたし、こう見えてお金には余裕のある女子高生なのでー。アルバイトしてますしー。だから、気持ちよく奢らせてくださいよー」

「ぐっ……。これは難しいですね! 莉乃さんに気持ちよくなってもらいたいですが、それだと俺の年長者としての倫理観が……!!」


 莉乃は「ふふっ」と笑って、「じゃあ、こうしましょう!」と指を振った。


「壮馬さんがあたしに飲み物をご馳走してくれると言うのはどうですかー? それでしたら、あたしも嬉しいですし、壮馬さんも納得なのではー」

「本当だ! すごいなぁ、莉乃さんは! じゃあ、自動販売機まで行きましょう! この辺りにあるんですか?」


 莉乃は「あっちの建物に自動販売機コーナーがありましたよー」と言って、壮馬の手を引いていく。


「莉乃さん。俺さっき野菜を切ったまま手を洗っていないので、あまり強く握られると匂いが移るかもしれませんよ」

「壮馬さんってそーゆうとこありますよねー。気遣い上手と言うか、過保護と言うかー」


「そうですか? 自分ではよく分かりません! いや、それよりも莉乃さんの手に青臭い匂いが!!」

「あははっ。別に平気ですよー? むしろ、キャンプっぽくてそれも良きですー」


 そんな事を話していると、2人は自動販売機の並んでいる場所に到着した。


「では、ここは俺が。莉乃さんって好きな飲み物ありますか?」

「んふふー。当ててみてください!」


 基本的に、女子から仕掛けて来る「じゃあ当ててみて」問題は、男サイドの勝率が極めて低い場合が一般的である。

 莉乃のように、ある程度の範囲を絞って聞いてくれるのは良心的。


 ひどい場合は「今、私が何考えてるか当ててみて」などと言う、無限に広がる宇宙を思い浮かべたくなるようなノーヒントクイズを出す乙女もいる。


 だが、沖田壮馬を舐めてはいけない。


 彼は人の良いところを見つけるのが得意であり、転じて人の行動をよく観察している。

 それは、日常のこんな他愛のないシーンでも活きるのである。



「カルピスでしょう? もっと言えば、カルピスソーダ!」

「へっ? ど、どうして分かったんですかー!?」



 沖田壮馬、大人の男の余裕を見せる貫録勝ちを決めた。

 攻め手のつもりだった莉乃が、一気に守勢に回る事になる。


「何度か莉乃さんのお宅にお邪魔している時に見かけまして。覚えていたんですよ。それに、日菜さんは炭酸が飲めないじゃないですか。それなのに飲みかけのカルピスソーダがテーブルに置いてあったので」


「むーっ。壮馬さん、ズルいですー。なんか、大人の男の人って感じですー」

「実は俺、大人の男なんですよ。はい、カルピスソーダ」


 莉乃の計画では慌てる壮馬を見る事が出来るはずだったのに、気付けば軽くあしらわれている。

 彼女は頬を膨らませて、不満そうに飲み物を受け取った。


「……壮馬さん、見て下さいよー! 今日のあたしの服! どーですか! JKの生足ですよ!」

「これは貴重なものを、ありがとうございます。しかし、虫刺されが気になるので、後で虫よけスプレーかけさせてください!!」



「あのー。壮馬さんって僧侶か何かですかー?」

「ええっ!? 会社員ですよ!」



 莉乃がそう思うのも無理はない。

 モデルのような女子高生の生足を見た感想が「虫刺されに気を付けよう」なのだから、「この人に欲求はあるのだろうか」と不安になる気持ちも分かる。


 それを察した壮馬は、少し気まずそうに頭をかいた。

 続けて、「これは内緒ですよ」と言った。


「俺、自分にとって大事な人は、何て言うんですかね。性的な視線? そういう目で見ることができないんですよ。自分でもまずいなとは思っているんですが、これがなかなか頑固なもので……」


 頬を膨らませていた莉乃の顔が、一気に明るくなった。


「そうなんですかー!! それって、あたし以外の人は知ってますかー!?」

「誰にも言った事ないですよ。あれ、よく考えたら、どうして俺はこんなカミングアウトを莉乃さんにしてるんでしょう。すみません、気持ち悪いですよね」


「んふふー。いえいえー。嬉しいです! なんだか、壮馬さんとまた1つ仲良くなれた気がするのでー! あの、壮馬さん。じゃあ、あたしで練習しませんかー?」

「練習、ですか?」


「はい! あたしの事、いっぱい見て下さい! それでもし、変な気持ちになったら教えてください! それって、あたしが特別の中でもさらに特別になったって事ですもんね?」

「いや、はは……。これは参ったなぁ。莉乃さん、女の子がそんな事を言っちゃダメですよ」


 莉乃はにっこり笑って言った。


「誰にでもこんな事を言うわけないじゃないですかー! 壮馬さんだけ、ですよ?」


 壮馬は珍しく答えに窮して、結局もう一度「これは参った」と呟いた。

 ちょうど飲み物もなくなったところで、2人は河川敷に戻る事にした。


 小岩井莉乃は恋をしている。

 相手は強敵、ライバルも強敵。


 だけど彼女は前しか向かない。

 大切な初めての恋を、悔いのないものにするために。

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