第23話:二人の決意


 校舎内に乾いた音が響く。

 それはついさっき聞いたものと同じ、銃声だった。


「ミサキ……!」

「分かってる」


 普段は歩くべき廊下を、全力で走る。

 逃げ惑う生徒たちと何人もすれ違いながら。

 そして見えたのは、およそ学校には似つかわしくないチンピラ風の男。

 手には銃を持ち、足元には血を流して倒れる生徒もいる。

 その傍に、黒い人型の影に似た悪魔の姿もあった。


「やりたい放題だね、胸くそ悪い」


 吐き捨てるミサキ。俺もまったく同じ気分だ。

 チンピラは目の前の獲物に夢中で、走ってくるこちらに気付いていない。

 しかし悪魔の方は、より強い気配を持つミサキを察知していた。

 悪魔は唸る声を上げ、自分の契約者に警告するが。


「遅いよ」


 呟いて、彼女は一息で加速する。

 唸る悪魔に対して、右手を軽く振り上げて――。


「はい、おしまい」


 撫でるような一撃で、呆気なくその首が食い千切られた。

 首をもがれた悪魔はそのまま絶命し、速やかに塵となって崩れ去る。

 今消えた悪魔の星の数は三つ。

 やはり下級悪魔ぐらいは彼女の敵ではなかった。


「なっ……! 嘘だろ、俺の悪魔が!?」


 契約悪魔の突然の消滅。

 それを目にしたチンピラは完全に混乱しているようだった。

 動揺し、走って来る俺の存在は目に入っていない。

 少しでも冷静さを取り戻し、手にした銃をこっちに向けて来たら。

 脳裏を掠める恐怖を噛み殺して、俺は躊躇わずに突っ込む。

 合わせて、自分の背中の方へと右手を回した。

 腰の裏に隠していた黒い警棒。

 それを引き抜くと、即座にチンピラへ向けて叩きつける。

 手元にあるスイッチも躊躇いなく押し込んだ。


「ぐえっ!?」


 カエルの潰れたような悲鳴、とはまさにこの事だろう。

 電気警棒スタンロッドの一撃を受け、男は無様に崩れ落ちる。

 倒れた男の手元からこぼれた拳銃も、忘れず蹴り飛ばす。


「――お見事、良い手際だ」


 すぐ傍で見ていたミサキの称賛に、軽く手を上げて応える。

 時間としてはほんの十秒と少し。

 俺たちは、一組の悪魔契約者を無力化した。


「楽勝だったね」

「あぁ、でもまだ他にもいるだろう?」

「とりあえず、別の場所にいる悪魔の気配はあと三つほどだね」

「……あのキバガミって男、部下はそんなにいないのかな?」


 もしくは、最初にけしかけて来た弱い悪魔の契約者しかいないのか。

 現状では何とも言えない。


「出し惜しみをしてるのかな? もしくは、まだ別の場所で控えてる可能性もある。

 できるだけ手早く、そうだろう?」

「ん。ミサキの言う通りだ」


 考えるのは良い。けど手足も同時に動かさなければ。

 これはソフィアにも散々叩き込まれた事だ。

 ……足元、倒れている生徒に目を向ける。

 大半が手足にガラス片などで傷を受けている程度。

 気を失っているし、多少の血も流れてはいたが、命に別状はない。

 けれど、一人だけ。


「うぅ……っ」


 意識を失えず、呻き声を上げる男子生徒。

 銃で撃たれたのか、彼の足からはかなりの量の血が流れていた。

 廊下には小さな赤い水溜りができるほど傷。

 ……多分、すぐに手当をしなければ間に合わない。


「カナデ」

「……大丈夫」


 傷を塞ぐ手段は、ある。おじさんから引き継いだ魔導書。

 アレなら怪我を治療する術も記載されているはず。

 しかし、未だに術の反動は重いため使用するのも二回が限度。

 加えてその回数の内でも、身体にかかる負担は決して無視はできない。

 魔導書での治療はリスクが大きい。

 そう、あくまで「俺の受けるリスク」が大きいだけだ。


「傷の治療を。負担の軽い簡易式で」


 音声認識で、魔導書アプリに魔術の発動を要請する。

 弾は完全に貫通して、傷口に残っていないのは不幸中の幸いだ。

 俺が選択したのは、あくまで傷を塞いで出血を止める程度。

 それより高度な治療は、負荷を考えると流石に使用できなかった。


「……よし。後は人を呼んでくる。もう少しだけ頑張って」


 痛みで朦朧としている彼。

 名前は知らないし、顔も見覚えがあるかどうかぐらいだ。

 そんな彼にそれだけ告げて、俺はその場を離れる。

 術を使った反動で、頭に刺すような痛みが走った。

 たった一度だけ、応急処置の術を使った程度でこのザマだ。

 今回は一人だけだから良かった。

 けど同じ状態の人間が複数――あるいは、もっと重傷だったら?

 それが今にも目の前に現れない保証はない。

 頭痛を奥歯で噛み潰して、次の気配を目指すミサキを追う。

 ……同じ治療は、使えて後一度。それ以上は見捨てるしかない。

 認められずとも、それが最善の行動だ。


「クソッ……!」


 罵ったのは理不尽な運命か、不甲斐ない自分自身か。

 少し呼吸を深くして、熱と痛みに埋め尽くされそうな頭を冷やそうと試みる。

 ――必要以上に悲観的になるな。

 分かってはいても、マイナスの思考はなかなか消えない。


「……さっきの動き、なかなか上手く行ったね?」


 そんな俺を気遣ってか、ミサキは穏やかに語りかけてきた。

 ……うん、切り替えよう。

 やれる事を、やるしかないんだ。

 未熟で力の足りない俺に、できる事はまだ少ないとしてもだ。


「うん、動くタイミングとかはもっと考える必要があるけど。

 おじさんとは、上手くやってたんだろ?」

「そうだね。それでも、最初の頃は色々チグハグだったよ。

 ……誠司も、私の《異戒律》をどう使うのかは頭を捻ってたな。

 今の君みたいに、ウンウンと言いながらね」


 軽く笑いながら、口の開いた手のひらを軽く振って見せる。

 ミサキの能力――《異戒律》については、俺の方も詳細は聞いていた。

 以前の戦いで、オロバスは彼女の《異戒律》をこう分析していた。

 右手の牙で形ある物を、左手の牙で形のない物を砕く力だと。

 その分析は八割がたは正解だった。

 彼女の力は単純シンプルだが、本質はそこじゃない。

 そして単純だからこそ、それを使う者次第で幾らでも応用が利くモノだ。


「私は器用でもないし、頭の良い方でもないから。

 基本、力任せに振り回すぐらいしかできないんだ。」

「確かに、それだけでも十分過ぎるぐらいに強いからね」


 《異戒律》――それと、彼女も有していると分かった《領界レルム》。

 上位階級の悪魔が有する世界を捻じ曲げる力。

 それらを有するミサキは強い。

 オロバスや、キバガミが従えている契約悪魔のベール。

 彼らと比較してもまったく遜色はないはずだ。


「……本当は、私が全部何とか出来れば良かったんだけどね」


 次の標的を目指しながら、ミサキは小さく呟く。

 

「ただ、やっぱり私は頭の回る方じゃない。

 結局オロバス相手に不覚を取って、カナデに無茶をさせてしまった」

「ミサキ、それは……」

「だからね、私も反省したんだよ。

 一人で何とかするんじゃなく、君と二人で戦うべきだってね」


 一瞬、言葉に詰まってしまった。

 まったくもって彼女の言う通りだと思ったからだ。

 さっきも、俺はつい自分一人で考え込んでしまった。

 俺は未熟で力が足りず、出来る事はまだ少ないかもしれない。

 それでも、傍にはミサキがいてくれる。

 ソフィアだって、頼れば力を貸してくれるはずだ。

 オロバスは――正直、勘定に入れて良いか分からないけど。


「……ありがとう、ミサキ」

「今のはお礼を言われるタイミングだったかな?」


 向こうからすれば、唐突に出た感謝の言葉だ。

 クスクスと笑われると、微妙に恥ずかしくなってしまう。

 けど、ミサキの方も嬉しそうに笑って。


「ちょっとは荷物が軽くなったかな? お互いに、背負い過ぎは良くないね」

「まったくだ、痛感してる」


 本当にそう思う。

 そして話をしている間に、廊下をうろつく暴漢の姿を捉えた。

 傍には影に似た悪魔の姿も見える。


「――私は、私にやれる事しかできない。

 だからカナデ。君は私の事を、私以上に上手く使って欲しい。

 それが悪魔契約者テウルギストとして、君がやるべき事だよ」

「あぁ」

 

 ミサキは強い悪魔だ。

 その力をどう活用するのか、俺自身もどう動くのが最善なのか。

 

「考えるよ。俺はミサキほどは戦えないから。その分だけ、君のためにも考える」

「頼もしい言葉だね」


 そう言ったミサキの顔は、ほんの少し照れているようで。

 角度的にチラっと見えただけなので、気のせいかもしれないけど。

 うろついていた暴漢は、一人目と同じ手順で瞬殺する。

 ……正直に言えば、殆ど手応えはない。

 最低限、戦力を分断さえ出来れば良いという意図か?

 間違いなく言えるのは、あのキバガミという男は容易い相手じゃないはずだ。


「カナデ?」

「……残る気配は二つ、で合ってる?」

「あぁ。後はソフィアたちのいる方だけだよ、感じるのは」

「残りも、可能な限り早く片付けよう。

 出来るだけ急いで、ソフィアの方に加勢したい」


 ソフィアたちの実力は分かっているし、信頼もしてる。

 それと同じかそれ以上に、キバガミとその契約悪魔を警戒しているだけで。


「……まぁ、ソフィアには借りもあるしね。

 カナデがそう望むのなら、こっちも是非はないよ」

「ありがとう。ただ、闇雲に横槍を突っ込むのも却って危ないと思う。

 だから、少し考えてる事があるんだ」

「良いね、聞くよ。実行するのは私だろうしね」


 実際、今考えているのはミサキの能力あっての作戦だ。

 残る契約者を殴り倒しに向かいながら、口頭で簡単に説明する。

 作戦と、そう呼べるほど上等ではないかもしれない。

 仮に正解でなくとも、それが自分に出来る最善だと信じた。


「――良いね、悪くない。

 後はソフィアとオロバスが、私たちが行くまで頑張れるかだね。

 こればかりは悪魔の私でも祈るしかないよ」

「大丈夫だよ、絶対に」


 そう、大丈夫だ。

 俺の不安が杞憂で終わる可能性だって十分にあるんだ。

 ただ、そうでない危険を潰すために。

 俺とミサキは全力で廊下を走る。

 ――これ以上、あんな連中に勝手はさせない。

 言葉にしない決意を胸に秘めて、次の標的のもとへ駆けて行く。

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