第22話:獣の如き男



 ソフィアの背を追いながら、俺は懐を探ってあるモノを取り出す。

 それは一見すると眼鏡……というより、サングラスのように見える。

 普通よりフレームはゴツくて、透明なレンズも少し分厚い。

 それを掛けたら、弦の一部に指で触れた。

 すると、レンズ越しに見える景色が僅かに変化する。


「私が見えてるかな?」

「あぁ、見えてるよ。大丈夫」


 俺から見て斜め右辺り、そこには軽やかに走るミサキの姿があった。

 本来なら肉眼では見えず、テウルギアのカメラでなければ悪魔は確認できない。

 そのため、普通はいちいちスマホを構える必要があるのだけど。


「ARグラスだったかしら。世の中には色んな物があるわね」


 呆れと感心が半分ずつぐらいなソフィアの言葉。

 これもまた、ショップから回収したおじさんの装備の一つだ。

 テウルギアの入ったスマホと連携し、レンズ上にAR表示が行えるデバイス。

 これを使えばスマホを構えずとも、悪魔の姿が確認できる。

 しかしこんな高性能なモノ、少なくとも一般には出回ってなさそうだけど……。


「誠司は手段を選ばない奴だったからね」

「……その一言でなんとなく察したよ」 


 おじさんには感謝しかないが、ちょっとコメントに困る。

 このARグラスは一応予備もあるけど、普通では手に入らない貴重品だ。

 大事にし過ぎては本末転倒だけど、取り扱いには注意しよう。


「馬鹿言ってないで、気配が近いわ」


 授業中の教室から視線を感じつつも、俺たちは一階の廊下を駆け抜ける。

 そして、「ソイツ」は現れた。

 恐らく他の生徒たちには、突然廊下の窓が割れたようにしか見えなかったろう。

 けど、特殊なレンズを通してハッキリと捉える。

 校庭の方から勢いよく飛び込んで来た、真っ黒い獣の姿を。

 炎と煙を牙の隙間からこぼす異形は、間違いなく悪魔だった。


「――ま、お話にならないぐらい雑魚だけどね」


 嘲りの声とは逆に、その身のこなしはあくまで華麗に。

 ソフィアの前方に現れたオロバスは、手にした剣を一閃する。

 あっさりと悪魔の首が切り飛ばされた。


「流石!」

「まだ来るから、油断しないで!」


 こちらの称賛に、ソフィアは鋭く警戒の声を発した。

 他の窓も次々と割れて、更に複数の獣が校舎内に入り込む。

 形は様々だが、さっきのと強さは大差ない。


「確かにこれぐらい、私たちなら物の数じゃない」


 笑うミサキの言葉通り。

 獣たちは炎の塊を吐き出すが、黒い少女は避けずに突っ込む。

 手袋を外した両手。

 まず左手を横に払えば、悪魔の炎は火の粉も残さず消え去る。

 そのまま一瞬で間合いを潰すと、今度は右手。

 大きな動作で振り抜くと、手のひらの牙に獣の首がもぎ取られた。

 飛び込んで来た数は五匹。その内三匹が、今の攻撃で床に転がった。

 残る二匹は怯む事なく襲い掛かってくる――が。


「残念、見えてるよ」


 既に間合いを詰めていたオロバス。

 未来を見通すその眼からは逃れられない。

 刃が閃くと、二匹分の首もあっさりと床に落ちる。


「さて、怪我はないかなマスター?」

「見ての通りよ。そんな事より警戒を続けて」


 ざわりと、校内の空気がざわつく。

 教室側の窓から覗き込む生徒や、廊下に出てくる教師の姿もある。

 ……これは、あまり良くない流れでは。


「カナデ、割れたガラスは踏まないように気を付けて」

「あぁ、それは大丈夫だけど……」


 大量のガラスが散乱した廊下、そこに立っているのは俺たちだけ。

 傍から見ると、悪戯で窓を割って回ったように見えなくもない。

 案の定、険しい顔をした教師が何人かこちら近付いて来た。


「おい、そこの二人! 一体これは何の騒ぎだ!?」


 怒鳴っているのは確か、生徒指導の先生だ。

 柔道部の顧問でもある厳つい身体を、わざと大きく揺らしながら。

 無遠慮にやって来た男性教師を、ソフィアは睨みつけて。


「伏せなさい!!」

 

 凄まじい大音声で叫び返した。

 空気が震えるその声に、強烈な「圧力」が込められている。

 横で聞いていただけの俺はどうにか耐えられた。

 しかし正面から直で浴びた男性教師は……。


「ひっ……!?」


 見た目に似合わない情けない声を上げて、勢いよく地に這いつくばる。

 ガラス片が顔や腕に刺さるが気にした様子もない。

 教師がうつ伏せに倒れた直後。


「カナデっ!」


 ミサキの警告。空気が破裂する音と、金属が弾かれる耳障りな響き。

 それらはほぼ同時に起こった。


「反応が遅いわよ、日野くん」

「悪い……っ」


 こちらを背に庇う形で立つソフィア。その腕には微かに煙がたなびいていた。

 今の音からして、まさか……。


「――ハッ、流石にそんぐらいの対策はしてるか」


 笑う男の声。ガラス片を踏む嫌な音ともに、ソイツは廊下の向こうから現れた。

 背の高い、如何にも派手なチンピラめいた格好の男。

 サングラスに隠れた眼には、欲望と戦意でギラつく光が揺れている。

 右手に握る黒い塊は、間違いなく拳銃だ。

 無造作に構えると、即座に何度も銃爪ひきがねを引く。

 連続する銃声に、ソフィアはまったく怯まなかった。

 撃ち込まれた銃弾は全て、制服に小さな焦げ跡を付けるだけに終わる。

 床に転がった弾を、ソフィアは爪先で蹴飛ばして。


「無駄玉を使ったわね、チンピラ。ところで銃刀法って知ってる?」

「悪いが興味ないんだよ、お嬢ちゃん。それよりちょいと聞きたい事があるんだ」

「聞きたいこと?」

「あぁ、大した事じゃあないが――」


 サングラスの下、獣にも似た眼光が俺たちを射抜く。

 人間の眼差しとは到底思えない。

 この数日でソフィアに慣らされてなかったら、気を失っていたかも。

 それでも怯みかけた俺の背に、形のないミサキの手が触れた。

 大丈夫、このぐらいは平気だ。

 臆した様子を見せない俺たちに、男は笑みを深める。


「――お前らのどっちが燻し屋スモーカーだ?

 あぁ、無理に答えなくても良い。どうあれ獲物である事に違いはねぇんだ」

「ふふっ、良いねぇ。楽しそうじゃないか、キバガミ」


 男――キバガミとは別に、聞こえてくるのは少女の声。

 遊びに弾んだ童女めいた言葉。

 キバガミの背後から、印象そのままな少女が姿を見せた。

 両目の瞼が閉じられている事と、髪の色が角度によって変化する事。

 それ以外は単なる年下の女の子に見える、が。

 レンズ上の表示が、その正体を正確に伝えてくる。

 悪魔の位階を示す星の数が、全部で七つ。


「上級悪魔……!」

「牙噛 弦哉。最低限の礼儀として名乗っておいてやるよ」

「ワタシは彼の契約悪魔のベールだ。ヨロシクねぇ」


 獰猛な笑みを見せるキバガミと、ケラケラと笑う悪魔ベール。

 纏う空気は、以前に出会ったチンピラとは桁違いだ。

 或いは、ソフィアにも匹敵するんじゃ……。


「白昼堂々と学校を襲うような輩が、礼儀だのとちゃんちゃら可笑しいわね」


 放つ言葉は刃よりも鋭い。

 横顔から伺える怒りは激しく、キバガミを睨みつける。


「ハハッ! 良いねぇ、お嬢ちゃん。悪くない目だ、なかなかにそそるぜ」

「ソフィア=アグリッピナ。

 こっちもせめてもの礼儀として、名前ぐらいは教えてあげるわ」


 ……間違いなく、ソフィアはキバガミの意識を自分に向けさせてる。

 相手を強敵と判断したからだ。

 なら俺は、俺のやれる事をやらなければ。

 まず事態を飲み込めずに固まった先生を、こっちで何とか引っ張りこむ。

 可哀想だけど、この場にいては巻き込まれるだけだ。


「先生、早く他の生徒たちを避難させて下さい」

「ひ、日野か? お前、いやあの不審者、い、今拳銃を……!」

「事情を話してる余裕はないんで、どうか急いで下さい!」


 混乱してるところに、強く叫ぶ。

 びくりと震えた教師の眼に、僅かだけど理性の光が戻った。

 近くの教室では既にパニックになった生徒たちが騒ぎ始めている。

 そちらは先生たちの方で何とかして貰わないと。


「わ、分かった……!」

「お願いします、俺たちは大丈夫ですから」


 先生はふらつきながらも立ち上がる。

 これで一先ずは良いだろう。

 俺は改めて、キバガミの方に視線を向けた。

 ソフィアと睨み合っている――と、そう思っていたが。


「余裕なこったな。

 悪魔契約者テウルギストがそこらのカスの心配か?」


 ニヤニヤと笑いながら、男は無造作に佇んでいた。

 動く気配もなく、ソフィアも精々視界の端に収めている程度。

 ……てっきり、戦う気満々だと考えていたけど。

 その態度に違和感を覚えたか、ソフィアは表情を更に険しくした。


「ふざけてるの、お前。それとも今更足でも竦んだ?」

「あんまり大人をからかうもんじゃねぇなぁ、お嬢ちゃん。

 まぁ強気な女は嫌いじゃないがね」

「私はお前みたいな軽薄なクズは大嫌いだけどね」

「釣れねぇなぁ、傷付くぜ」


 心底愉快そうに笑うキバガミ。

 何か罠があるのかと、警戒が先に立つが……。


「……カナデ」

「? なに、ミサキ」


 その一言で、場の空気が凍り付いた。


「っ、それは……」

「――チッ、鼻の利く奴がいたか」


 笑ったまま、残念とキバガミら舌打ちを一つ。

 既に雑魚は一掃して、目の前にはキバガミとその契約悪魔の二人だけ。

 もし、他に悪魔の気配が現れたとしたら。


「まさか、お前……!」

「どうやらこの学校にいる悪魔契約者は、お前ら二人だけみたいだな。

 だったらもう良いだろ」


 キバガミは満面の笑みで言い放つ。


 騒ぎになっちまったし、ついでに狩り場にしちまおうってな。

 どうだ、お前らも混ざってみるか?」

 

 それは、あまりにも外道な言葉だった。

 物のついでに殺すと、キバガミはあっさり口にした。

 罪悪感も良心の呵責も何もない。

 ただ「その方が効率が良い」と、呆気なく他人の命を踏み躙る。

 こんな奴が……いや、こんな奴だからこそ。

 今までどれほど、この街をムチャクチャにして来たんだ……!


「落ち着いて、カナデ」


 囁く声は、優しく冷たい。

 沸騰しかけた頭の中を落ち着かせてくれた。


「ここでキレて冷静さを失うのは良くない。あのチンピラの思う壷だよ。

 それよりも、今貴方のやるべき事を考えて」

「……あぁ、ありがとう。ミサキ」


 頷く。彼女の言う通りだ。

 今俺がやるべき事。悩む余地はないと、すぐに声を上げる。


「ソフィア!」

「ええ、コイツは私に任せなさい!」

「ありがとう、頼んだ!!」


 ソフィアも俺と同じ事を考えてくれたらしい。

 このまま二人で戦えば、キバガミは間違いなく時間稼ぎに出る。

 焦れば焦っただけ、相手の思惑に嵌りこんでしまいかねない。

 逆に二手に別れる事も、あの男の想定通りではあるだろう。

 一対一なら勝てると、その自信がなければわざわざ姿を見せたりはしないはずだ。


「一人なら勝てるだとか、思い上がってるんでしょうけどね!

 すぐに自分が馬鹿だったって思い知らせてあげる!!」

「ハッハッハッハッ!! いいねェ、是非思い知らせてくれよ!!」

「……どっちもケダモノみたい」


 呆れたミサキの声は、とりあえず流しておく。


「急ごう。校舎内の悪魔の位置を探り出して欲しい」

「良いとも、カナデのお願いならすぐにでも」


 微笑み、俺の行く先を導くためにミサキは跳んだ。

 ……ソフィアとオロバスのコンビは強い。

 キバガミの相手をするのは、俺たちよりもあっちの方が適任だ。

 けど、敵の能力もまた未知数。

 幾らソフィアでも確実に勝てる保証はどこにもない。

 だから今、俺がやるべき事は。


「雑魚を片付けて、急いで戻ってくる……!」

「気合十分だね、カナデ」


 くすりと笑って、ミサキの指が走る俺の頬に触れてきた。

 悪魔である彼女の動きは、まるで重力を感じさせない。

 羽のような足取りで進む少女。

 浮かべた笑みは、優しさと頼もしさを同時に感じさせてくれた。


「大丈夫、君ならできるよ。

 ――なんと言っても、私がついてるんだからね」

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