第21話:浸食される日常


 ……自分で言った事には、責任を持たなくちゃいけない。

 それはまったく当たり前の話だ。

 自分に嘘を吐くような人間は、必ず他の誰かにも嘘を吐くようになる。

 卑怯者に堕することは、臆病者になるより恐ろしい。

 臆病なだけなら、いずれ奮起できる時が来るかもしれない。

 追い詰められれば、ネズミでも猫に噛みつくように。

 けれど、卑怯者は魂の腐敗だ。

 一度安易で短絡的な方法に手を出せば、また同じ事を繰り返す。

 気付いた時には、もう手足の末端から壊死するように取り返しがつかなくなる。

 俺はそんな、卑怯者に落ちる事が何よりも恐ろしかった。

 だからこそ一度自分で口にした事は、必ず責任を負うと決めていた。

 ――まぁつまり、何が言いたいかというと。


「死にそう……!」

「カナデはよく頑張ってると、私は思うよ?」


 午前中の学校、その休憩時間。

 口からゲロった弱音に対し、スマホからミサキの優しい言葉が響いた。

 ――ソフィアと話をしてから、今日で五日。

 彼女が治療してくれたのもあり、翌日には身体を動かせるぐらい回復した。

 だから、その日からソフィアは俺の望む通りにしてくれた。

 戦い方を知りたい。

 運が良かったとか、そんな偶然で乗り越えて行くのにも限界がある。

 相手のソフィアが優しかったから、あの夜は助かった。

 けどその次は? 幸運に期待するだけではあまりに怠惰だ。

 戦う事を選んだ以上は、そんな事ではダメだ。

 そう考えて、俺はソフィアとミサキに頭を下げた。

 二人とも快諾してくれたのは、本当にありがたい話だった。

 ただ、問題があったとするなら。


「教えるのは構わないわ。

 これから先、貴方が戦うつもりなら協力関係になるわけだし。

 ただ、これだけは最初に言っておくわね?

 ――私、そういうのは厳しくやる方だから」

 

 覚悟はしておいてね、と。

 ソフィアはとびっきりの笑顔で言ってきた。

 そして次の日から、その宣言通りにしてくれたのだった。


「情けない格好してるわね、日野くん?」

「ハイ」


 今日もソフィア=アグリッピナは美しかった。

 そして、最近は普通に学校でも話しかけてくれるようになった。

 それは良い。

 ただちょっと、その度に教室がザワつくのは勘弁して欲しい。

 彼女自身はまったく気にしていない様子だけど。


「……なんかここ数日、日野とソフィアさん距離が近くないか?」

「いやいや気のせいだろ。だって日野だぜ?」

「悪い奴じゃないしむしろ良い奴だけど、存在感が空気な日野だぜ?」

「誰もそこまで言ってなくないか」

「いやでも実際どうなんだ? あの二人、なんか接点あったっけ?」


 ……本当に勘弁して欲しい。

 あと存在感が空気って酷い言われようだ。

 それが聞こえてたか、ソフィアは何か笑ってるし。


「気にする必要はないわよ、日野くん」

「いや、こう見えて繊細なんですよ」

「本当に繊細な人は、命懸けの特攻なんかできないわよ」


 ダメだ、口で勝てる気がしない。

 机に突っ伏すと、スマホからミサキの方が口を挟んだ。


「ソフィア、カナデをイジメるつもりなら見過ごせないよ?」

「別にイジメてはないでしょう。訓練だったらして上げてるけどね」

「ひたすらボコボコに追い回してるだけじゃないかっ」

 

 俺がソフィアにして貰っている「訓練」。

 内容そのものは、ミサキが言った内容で概ね間違っていない。


『今から、死なない程度には加減した攻撃を仕掛けるから。

 逃げても良いから兎に角耐えなさい』


 人払いを済ませた夜の公園で。

 「戦い方を教える」と、その訓練前にソフィアが語った言葉だ。


『契約者同士の戦いで一番重要なのは、契約者が死なない事。

 悪魔同士はよほど位階の格差がない限り、そう簡単に負けはしない。

 けど生身の人間は別』


 それを聞いた時、俺はショップのオーナーの話を思い出していた。

 人間は脆いから、銃でちょっと撃つだけでも容易く死ぬ。

 銃弾を防ぐぐらいは基本だと、ソフィアもまた似た事を言った。

 とはいえ、言葉にするほど簡単な話でもない。

 ミサキと契約した以外は、俺は殆ど一般人と大差ない身だ。

 それに対して、ソフィアは軽く笑って。


『だから、先ずは慣れましょうか。

 銃口か、それに類する危険に晒されても迷わず動けるように』


 言葉の響きは優しげだったが、実行された事はひたすらえげつなかった。

 最低限の「死なない程度」というラインだけ守って、後は容赦のよの字もない。

 あっという間にボロクズにされたが、それはすぐに治療を施してくれた。

 聖なる言葉をソフィアの唇が紡げば、多少の傷は一瞬で塞がる。

 まさに魔法のような力だった。


『これは神聖なものだから、魔法と一緒にしないで欲しいわね』


 とは言うけれど、素人的に違いは分からない。

 なんにせよ、おかけで負傷は気にせずボコボコにされたわけだ。

 いや、頼んだのは俺の方だから、扱いについては何も文句はない。


「……けど、死なない程度と言いつつ、割と死にそうなんですが」

「私は手加減してるから。それでもし万一があっても自己責任でしょう?

 まぁ、仮にそうなっても直後なら蘇生してあげるから」

「そんな事もできるんだなぁ……」


 もう凄いとしか言いようがない。

 しかしミサキは、今の言葉は特にお気に召さなかったらしい。

 空気にピリピリとした感じが混ざり始める。


「ホント、随分と過保護な悪魔ね?

 契約者は大事でしょうけど、限度があるんじゃないの?」

「そっちこそ、カナデからの頼みとはいえ節度を持って欲しいんだけど?」

「節度? 悪魔が節度って言ったの?

 ちょっとおかしいって、言った自分で思わないの?」

「人間の方が悪魔よりタチが悪いなんて、それこそ良くある話じゃないか」

「二人とも落ち着いて」


 ピリピリがあっという間にバチバチになってしまった。

 一応間に入ろうとするが、逆に挟み潰されそうだ。

 空気の変化に気付いたようで、周りはまた違う意味でざわつき始める。

 残念ながら、ミサキの声は普通の人間には聞こえない。

 つまり今、俺たちの状況を傍から見ると……。


「なんか、ソフィアさんと日野くんの雰囲気おかしくない?」

「まさかとは思うけど……痴話喧嘩、とか?」

「いやいやそんなまさかぁ!」


 ……これである。

 流石にちょっと頭が痛くなってきた。

 ソフィアは良いだろうけど、俺としては日常の空気は大事にしたい。

 仲裁するのが無理なら、少し話題を変えてみよう。


「えー、ミサキもありがとう。

 おじさんがどう戦ってたかとか、教えてくれて」

「ん……まぁ、それはね。

 聞かれたのなら、ちゃんと教えないと」


 微妙に恥じらうというか、照れたように応えるミサキ。

 スパルタ式訓練をソフィアから受ける傍ら。

 彼女の方からは、おじさんと一緒に戦っていた時の話を聞いていた。

 加えて、ミサキが具体的にどんな能力を持っているのかも。

 それらを確認した上で、俺がどういう風に戦うべきかを模索する。

 おじさん自身も、ミサキと契約する前までは単なる一般人。

 スタート地点は俺と変わらないはずだ。

 実際、ミサキから聞いた話はかなり参考になった。


「生兵法は大怪我の基。そこは忘れないように」

「あぁ、それは勿論」


 釘を刺すソフィアの言葉に、俺は素直に頷いた。

 戦い方一つ取っても、それをただ闇雲に実践すれば良いわけじゃない。

 どういう状況で、どのように扱うのか。

 一つ一つ考えた上で、「手札」は適切に出す必要がある。

 経験も何もかも足りない俺に出来るのは、考え続けることだけだ。


「……誠司だって、最初から上手く行ったわけじゃない。

 君なら大丈夫だよ、カナデ」

「ん。ありがとう、ミサキ」


 ミサキの声は優しく、自然と笑みがこぼれる。

 横で聞いているソフィアの方は、軽く肩を竦めてみせて。


「上手く行かなかったけど次がある――なんて。

 命懸けの戦いでは、そうある事じゃない。

 それは日野くんも身に染みているでしょう?」

「あぁ、痛いほどにね」

「忘れたわけじゃないなら結構。

 どんな状況でも思考を止めないのは貴方の長所だけど。

 考え込んでたせいで足が止まるようじゃ意味がない。

 死の危険が鼻先を掠めても、身体も頭も両方動かし続ける。

 そこまでやれて『ようやく』だからね」


 厳しい言葉だ。

 厳しいけれど、だからこその気遣いも感じられる。

 それは多分、ソフィアなりの優しさなんだろう。

 深くツッコむと罵倒されそうだから、口には出さないでおく。


「……だからって、連日ボコボコにするのはやりすぎじゃない?」

「あら、また同じ話のループ?

 大体、実戦に備えるのに『やりすぎ』なんて言葉あるの?

 常に万全で戦える状況とも限らないんだから。

 適度に追い詰めておくのは必要な事よ。

 その状態でも問題無く戦えるよう、ちゃんと慣れておかないと」

「正論ばかりじゃ人間関係傷つけるだけって教わらなかったのかな?」

「悪魔が『人間』関係とか、なかなか面白い冗談じゃない」


 話を逸らしたはずが、また空気がバチバチし始めた。

 この二人、どうにも致命的に相性が悪い気がする……!

 いっそオロバスでも良いから助け船が欲しいが、今のところ反応は無し。

 多分、面白がって見物に回ってるなあの馬耳。


「ちょっと、二人とも」


 そろそろ休憩時間も終わる。

 開始のチャイムが鳴り出す前に、一度落ち着いて欲しいと。

 意を決して、俺が口を挟んだ瞬間。


「…………」

「……これは」


 ミサキもソフィアも、示し合わせたように言い合いを中断した。

 さっきまでとは一転して、その表情には強い緊張感が漂っている。

 何が起こったのか。

 分からず首を傾げる俺に、沈黙していたミサキが声を発した。

 それは現状をたった一言で理解させる言葉だった。

 

「は?」

「しかも複数。真っ昼間から最悪極まりないわね」


 怒りと嫌悪に整った顔をほんの少し歪めて、ソフィアは吐き捨てる。

 学生の雰囲気はかなぐり捨てて、既に臨戦態勢だ。


「カナデ、私たちはどうする?」

「行こう」


 立ち上がり、ミサキの声を聞きながらスマートフォンを懐にしまう。

 迷う理由は欠片もなかった。

 そのタイミングで、授業の再開を告げるチャイムが鳴り響く。

 休憩で緩んでいた教室の空気が動き出す。

 異変はまだ起こっていないが、恐らく時間の問題だ。


「あれ、ソフィアさん?」

「おい日野、何処に行くんだ?」


 クラスメイトや教師の声。今はそれに応えている暇はない。


「授業、サボっちゃって良いの?」

「良いも悪いもないだろ、それ」


 躊躇なく教室を飛び出したソフィアの背中を追いながら。

 分かり切った問いに、俺は苦笑いを返しておいた。

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