第20話:その男の真意


「はい、これでどう?」

「……うん。さっきまでより、随分楽になったよ」


 正直、ソフィアが何をしたか良く分かっていなかった。

 ただ、ベッドで横になった俺の身体を確かめるように触れて。

 それから一言二言、小さく何かを唱えただけ。

 恐らくは「聖なる言葉」という奴だと思う。

 昨日は戦う相手だったから、あまりじっくり観察はできなかったけど。


「ありがとう、ソフィアさん」

「別に礼は良いわ。ただ、一応忠告はしておくけど。

 貴方、私が助けなかったら死んでた可能性あるからね」

 

 ……うん、それは分かっていた。

 本の受け取った時も、「三回目は死ぬ覚悟で」と言われていた。

 甘い見積もりでその線を踏み越えて、このザマだ。

 ベッドから少し離れ、ソフィアは椅子を一つ引っ張る。

 遠慮なしに腰を下ろしてから、彼女は大きく息を吐いた。


「訓練もしてない素人が、無理な魔術行使を連続。

 身体中の霊脈レイラインがズタボロで、私以外じゃ治せなかったでしょう。

 そっちの悪魔なんて、動かない貴方に縋りつこうとするばかりだし」

「……助けてくれた事には感謝しているけどね。

 そもそもが、そっちが喧嘩を売って来たのが原因だぞ。

 まさか忘れたとは言わないだろう?」

 

 ミサキは変わらず俺の傍にいた。

 もう抱き着いてはいないけど、腕は掴んだままだった。

 テウルギアの画面を見たら、ソフィアを睨んでる姿が映ってるんだろうな。


「……そうね。私も必要と判断した上での事だから。

 謝りはしないけど、責任がこっちにあるのは認めましょうか」

「いや、これは俺の自業自得だから。

 別にソフィアさんが責任を感じる必要は……」


 一応口を挟んでみたら、ギロリと睨まれてしまった。

 やっぱりソフィアは呆れの混じったため息を吐き出した。


「それは当然。貴方が大人しくしてれば、此処まで面倒にはならなかったわよ」

「面倒を引っ張って来たのは君の方だろう?」

「しつこい悪魔ね、少しは黙ったら?」


 空気が軋んだ気がした。

 ……これは、あまり良くない流れなのでは?

 仲裁しようにも、多分諍いの原因である俺が何を言うべきか。

 下手なことを口に出したら、それはそれで火に油な気がしてならない。

 とはいえ、放っておくわけにも……。


「――ま、落ち着き給えよマスター。

 矛を収めると決めたのは君の方なんだ、そうだろう?」


 そう言って、新たな人物が部屋の外から入って来た。

 驚く俺に対して、彼女は軽く手を振ってみせた。


「やぁ、少年。目が覚めたようで何よりだよ。

 しかしアレだな。君は大人しい顔して随分な暴れ馬だね。

 昨日の押し倒されたマスターの顔はなかなかの見物……」

「オロバス、貴女は余計な事は言わなくて良い。周囲に異常は?」


 苛立たしげな様子で、ソフィアはその相手に睨んだ。

 馬の耳に尻尾を揺らした男装の美女。

 テウルギアを通していないけど、それは間違いなくオロバスの姿だった。


「問題ないよ、特に見張ってるような奴もいなかった。

 それよりマスター、カナデ少年がビックリした顔をしているよ」

「……昨日も言ったと思うけど、私は悪魔契約者テウルギストじゃない。

 同じくオロバスも、正式にはテウルギアの悪魔ではないの。

 『神の法下』にその名と存在を刻んだソロモンの悪魔。

 だから制限はあるけど、物質世界で実体を持つ事も出来る……って。

 いきなり言っても理解できないわよね」

 

 うん、良く分からない。

 何せテウルギアや悪魔の事も、まだ素人同然だ。

 俺よりずっと色々知ってるだろうソフィアは、難しい顔を見せる。

 椅子の背もたれに体重をかけながら、軽く足を組む。

 ……女子がする恰好としては、こう、色々思うところもあるけど。

 口には出さず、視線を僅かに上向ける事で対処する。

 ミサキに掴まれてる腕に何故か圧力を感じるが、気のせいと思っておこう。


「日野くん?」

「あっはい」

「……まだボーっとしてるんだったら、話はもう少しぐらい後でも良いけど」

「いや、大丈夫。大丈夫」


 どうやら本調子ではないと、気を使われてしまったようだ。

 態度こそ厳しいが、やはりソフィアは優しい。

 口に出すと色んな角度から物理的に殴られそうなので、思うだけに留める。

 俺の返答に、やや疑わしそうな眼を向けてから。


「……まぁ、それなら良いわ。

 じゃあ、改めてお話をしましょうか。

 貴方も聞きたい事は相応にあるでしょうし」

「お願いします。正直、何も知らないに等しいと思うけど」

「その辺、契約悪魔がもうちょっと説明するところじゃない?」

「いちいち一言多いな、君は」


 ミサキさんはどうか落ち着いて。

 目で見えない相手を宥めるというのも、何だかおかしな感じだ。


「二日前って事は、そっちの悪魔と契約したのもその時なの?」

「うん、おじさんから譲って貰ったスマートフォン。

 その中に、テウルギアのアプリが入っていて……」

「その契約アカウントを貴方が引き継いだと、そういうわけね。

 ……そのおじさんっていうのは、清澄 誠司で間違いない?」

「間違いないよ」

「そう……」


 おじさんの名前を確認すると、ソフィアはまた難しい顔をした。

 視線がチラリと、俺の方から外れる。

 多分、ミサキの表情とかを確認したんだろう。


「……日野くんは、スモーカーって名前は聞いたことある?」

「スモーカー? 確か、昨日もそんなこと言ってた覚えはあるけど……」

「知らないと。そっちの悪魔は当然知ってるわよね?」

「……誠司の事を、他の契約者どもはそんな名前で呼んでるって事ぐらいは」


 問われて、不承不承ながらミサキはそう答える。

 ソフィアは小さく呟いてから、忌々しげに舌打ちをした。

 学校でのお嬢様的な様子しか知らない身としては、いちいちギャップが凄い。


「完全にハメられたわね。忌々しい燻し屋め」

「善意の協力者を、そう悪く言うものではないよ。マスター」

「相手はもう意識不明の病人で、直接文句も言えないんだから。

 このぐらいの愚痴は多めに見なさいよ」

「……あの、ソフィアさん?」

「私はね、日野くん。貴方の監視と警護のために学校に潜り込んでたのよ」


 また衝撃的なことを言われた気がする。

 学校に潜り込んでいた? その目的が、俺の監視と警護?

 まったく意味が分かっていない俺に、ソフィアは言葉を続けた。


「私が所属する聖堂騎士団は、まぁいわゆる悪魔祓いの集団。

 必ずしも悪魔相手だけじゃないけど、概ねその認識で問題はないから。

 ……詳細な説明は省くけど、清澄 誠司は私たちのパトロンの一人。

 ここ数年の話だけど、彼の名前で相当な額を援助して貰ってた」


 悪魔祓いの組織。

 目覚める前に見た夢の情景を思い出す。

 家族を奪った悪魔への復讐を誓う、あの日の誠司おじさんの姿。

 そのために悪魔祓いに資金援助する、というのは納得のいく行動だ。


「その清澄氏から、直接依頼が入ったのよ。

 『悪魔災害の被害を受けた甥を、気付かれぬよう守って欲しい』って」

「それで、ソフィアさんが?」

「ええ。その時にね。

 貴方が過去にテウルギアが起こした悪魔災害に巻き込まれたって知ったわ」

「…………」

「言わなくて良いし、思い出したくないならそれでいいから。

 私たちとしても、清澄氏は重要なパトロンだった。

 その後、程なくして彼が倒れた報せも受けたわ。

 依頼の報酬は寄付という形で振り込まれていたし、断る理由もなかった」


 だから色々と手間暇をかけて、「学校の同級生」という形で潜り込んだのだ、と。

 ……おじさんが倒れた前後から動いた、という事は。

 ソフィアが学校に来たのは、まだごく最近の話という事になる。

 俺の中ではずっと同級生ぐらいの感覚だけど。


「当然、入り込む際に周囲の記憶とかそういうのは全部操作したから。

 あとはオロバスの力も使ってね」

「ボクの得意分野だからね、任せてくれたまえよ」


 オロバスは実に悪魔らしい、蠱惑的な笑みを浮かべてみせた。

 またミサキが警戒音を発しているが、どうか落ち着いて欲しい。


「……話は前後するけど、私たちにはスモーカーと名乗る協力者がいたの。

 テウルギアを使う悪魔契約者――そうとしか分からない相手だったけどね」

「それも、おじさんの事なんだよね?」

「私がそうと気付いたのは、つい昨日の事よ。

 そこの悪魔がそれっぽい事を口にしてたから察したの。

 スモーカーは秘密主義者で、正体については私たちも把握してなかった。

 ……仮にも協力者なのにって、今そう思ったでしょう?

 しかもそれが大口のパトロンだったとか、分からない方がおかしいって」

「いや、別にそんな事は」

「悪いけど、ウチは慢性的な人手不足なの。

 人知れず社会を守る影の掃除人だなんて言えば聞こえは良いけど。

 言っちゃえば裏稼業だし、そもそも悪魔を従えるには才能と鍛錬が不可欠。

 こんなんで大規模な組織が維持できるわけないでしょう?

 前線で実働可能な人員なんて、私含めて二十人もいないんだから」


 ……これはもしかして、愚痴を聞かされているんだろうか。

 強烈な不満を露わにしながら、ソフィアの言葉は止まらない。


「だから多少怪しかろうが、こっち側に立ってくれる戦力は貴重だったのよ。

 ……それがテウルギアの悪魔契約者、となると猶更ね」

「テウルギアを自分の意思で使う奴なんて、基本ロクデナシばかりだからね」

「癪だけど、そっちの悪魔の言う通り。

 あの忌々しいアプリが各地で流行り出してから、悪魔災害は増加の一途。

 そういった『裏』に対応する組織は聖堂騎士団だけじゃない。

 けど、これまで僅かにしかなかった事象が何十倍にも膨れ上がった。

 そんなの対応できると思う?」


 考えるまでもなく不可能だ。

 仮に月に一件程度だった事故が、いきなり二百や三百に増えたとしたら。

 そんなのはどんな組織だって対応できる気がしない。

 対処が後手後手に回ってしまっているのは、俺でも想像がつく。

 でなければ、この街のような惨状が放置されてるわけがない。


「……兎も角、スモーカーは胡散臭いけど優秀な協力者だった。

 私も数える程度だけど、同じ現場で戦った事があるわ。

 強力な上級悪魔を従えた契約者が相手でも、彼は確実に仕留めた」


 思い出すのは、ショップで見た装備の数々。

 アレらを駆使して、おじさんはどんな戦いをして来たのか。


「清澄 誠司は、私に日野くんの警護を依頼した。

 同時に、自分の契約アカウントを貴方が引き継ぐようにもしていた。

 ……悪魔災害にあった貴方から悪魔の気配がしたら。

 それを私が認識したら、どう動くのかも当然想定していたでしょうね」


 ソフィアは忌々しそうに呟いた。

 何故、おじさんがそのように状況を作ったのかは何となく想像がつく。


「……俺から悪魔の影響を排除しようとするソフィアさんと戦って。

 何もできずに負けるのであればそれまで。

 けどもし、俺が本職の悪魔祓いの君相手にも戦えるようなら……」

「どうするべきか、貴方は貴方の意思で選ぶ権利を得る。

 立場上は味方の相手を利用するとか、どんだけ性格が悪いんだか」

「誠司はそういう奴だよ」


 正直、それについては擁護が難しい。

 ソフィアの後ろで、オロバスは楽しそうに笑っていた。


「それを知った上で、相手の思惑に乗っかってあげるマスターは優しいねぇ。

 昨夜だってそうだろう?

 『素人相手に不覚を取った上、寝込みを襲う真似はできない』とか。

 あのまま契約アカウントを奪うことだって出来たのに、治療までして」

「黙りなさいオロバス」


 その一言で、オロバスの口は強制的に封じられた。

 あんなことも出来るのかと、アプリ頼りの俺としては感心する他ない。

 と、ソフィアは酷く真剣な眼で俺の方を見た。


「日野くん。私としては、貴方はその契約アカウントを放棄するべきだと思ってる」


 それはそれで当然の判断だ。

 腕に触れているだろうミサキの手に、半ば無意識に指を置く。


「……けど、油断していたとはいえ貴方は私相手にも良い線まで行ったわ。

 ええ、あくまで素人相手だと油断していたせいだけど」

「分かってる、大丈夫」


 彼女がその気なら、真っ先に俺を制圧すれば終わりだったはず。

 だからソフィアの言うことは正しい。

 それを認めると、彼女の方も満足そうに頷いた。


「分かっていれば良いわ。

 ……その上で、貴方に選択する権利を認めるわ。

 貴方自身の勇戦と、無二の協力者だった男の意思を尊重してね」

「……カナデ」


 僅かに不安の混じった声で、ミサキが俺の名前を呼んだ。

 選ぶ権利。誰に強制されるでもなく、自分の意思で決めて良いと。

 答えはもう定まっている。

 その上で、言っておくべき事があった。


「ミサキ。それにソフィアさん。

 二人に、どうしても頼みたい事があるんだ」

「? カナデの頼みなら、何でも聞いてあげるつもりだけど……」

「……私もって、一体なに?」


 訝しむ二人に対して、俺は痛む身体を何とか動かす。

 頭を下げて、ただ一言。


「俺に、戦い方を教えて欲しい」


 選んだ上でその先へと進むために、それはどうしても必要な事だった。

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