第19話:再び、赤い夢


 そして俺は、赤い夢を見る。

 燃えているから赤いのか、血が流れているから赤いのか。

 何も分からず、目覚めたら消える泡沫。

 けど、今は何故か。

 忘れてしまうはずの夢が、よりハッキリと見えている。

 赤い、真っ赤な、俺は知っているはずの光景。

 今まで失ってしまっていた、朱く沈んだ過去の形。


「何故だ……!!」


 叫んでいるのは、一人の壮年の男性。

 覚えている、誠司おじさんだ。

 怪我をしているのか、格好はボロボロな上に血塗れだ。

 頬に残る涙の痕は、もう乾いていた。

 既に、流す涙は一滴も残っていないようで。


「何故だ、何故、奴らはこんな事を……ッ!」


 嘆くおじさんのすぐ目の前には、死体が横たわっていた。

 二人分の男女の亡骸。その顔や姿は、よく見えない。

 見えないけれど、不思議とすぐに分かった。

 それが俺の、両親の死体であると。

 死んでいるのはその二人だけじゃない。

 血に沈み、赤く燃える世界。

 凄惨極まりないその場所には、他にも沢山の死体があった。

 一体、何人の人間が命を落としたのか。

 その地獄で生存しているのは、おじさん以外には一人だけ。

 無力なまま、父母の亡骸の傍に倒れる俺だけだった。


「理由なんて、大した事じゃない」


 そして、あと一人。「彼女」は生存者ではなかった。

 燃える炎を背に、俺の前に黒い少女が立っていた。

 ……その少女は、肉眼では見えないはずだ。

 「今の」俺はそれを知っているけど、その時の俺は何も知らない。

 死にかけているから、悪魔の姿が見えているのか。

 赤い輝きが表情に影を落として、顔だけはちゃんと見えなかった。


「貴方はわざわざ、食事をすることに特別な理由を求める?

 

 ――それだけ、奴らにとってはそれだけだ」

 

 それはあまりにも、無情に過ぎる言葉だった。

 ここで死んでしまった誰もが。

 単に運悪く、腹を減らした肉食獣の群れに出くわしてしまった。

 だからその大半が食い散らかされて、屍として地面に転がっている。

 それは……それは、あまりにも……。


「……ふざけるなよ」


 俯いたまま、おじさんは低く唸る。

 怒りに震える拳を握り締め。憎悪の炎で涸れた眼を、黒い少女に向けた。


「ふざけるなよ、何だそれはっ!!

 そんなものは獣の、いや畜生の理屈だろう!!

 飢えて、生きるためにやむを得ず――なんて、そんな理由ですらないんだぞ!」

「そうだとも。貴方の言う通り。

 ここにいる誰も殺されて良い道理はなかった。

 けど、奴らは不条理で欲深い。思いつくままに殺しても、悪魔は理の外にいる。

 貴方が幾ら憤ろうとも、人ではその罪は裁けない」

「ッ……!!」


 返答は冷たく、触れれば切れる刃のようで。

 おじさんは固く握った拳を、躊躇いなく地面に叩きつける。

 何度も、何度も。

 倒れたままの俺は、それを見ていた。黒い少女も同じく。


「……■■■」


 少女が何かを言ったが、俺は聞き取れなかった。

 ただ、おじさんは拳をピタリと止める。

 強く殴りつけたせいで、指は折れて血に染まっていた。


「それを、お前が口にするな」

 

 怒り、哀しみ、それ以外の感情全てがが混ざり過ぎて掠れた声。

 言葉そのものには、強い拒絶が含まれていた。


「……分かったよ、今のは私が悪かった。

 それより、貴方はこれからどうするつもりかな」

「分かっていて聞いてるだろう」

「意思確認は必要だよ。私と貴方はもう契約したんだから」

「……そうだな。あぁ、その通りだ」

 

 悪魔と結ぶ、魂の契約。

 赤く沈んだ地獄の渦中で、おじさんはその手を取る。

 もう二度と涙の流れない眼に燃えるのは、復讐の黒い炎だった。


「悪魔を、それを利用して私欲を満たす屑ども。

 俺は許さない。俺から家族を――この子から全て奪った連中を、絶対に許さない……!」


 憎悪で煮え滾った声。

 けど、横たわる俺に触れる手だけは、ほんの少し優しかった。

 その温もりが、無性に悲しい。

 もう一つ、少女の細い手も俺に触れた……触れようとした。

 けれどその指先は、自分の意思だけでは何も掴めない。

 契約者であるおじさんは、何も言わなかった。


「……彼は?」

「巻き込む事はできない。最低限、一人でも生きられるように環境を整える。

 ……戦うのは、俺とお前だけで十分だ」

「そうだね。私も同じ意見だよ。

 だけどこの先で貴方が倒れ、これ以上は戦えなくなったなら。

 その時はどうするつもりなんだい?」

「…………そうなったら、選ぶのはカナデの意思であるべきだ。

 それまでは、この子には何も知らせん。

 何もかも忘れて生きられるなら、それが一番だ」

「エゴだと思わないかな、それは。

 幼い子供を、何一つ分からないまま放り出す気だ。残酷だよ」

「血の道に沈むような事を、幼い甥に付き合わせられるかよ。文句があるか」

「いいや。それが貴方の決定なら、私はそれに従うだけだよ」


 少女は笑っていた。逆におじさんは、険しい顔のままだ。


「もし。もし、俺に万が一があった場合は――お前を、この子に託す。頼めるか」

「――そんな事は、確認するまでもないよ」


 ……間もなく、赤い夢は終わる。目覚めが近い。

 起きてもきっと忘れる事のない、夢の一幕。

 その最後は、少女の言葉だった。


「私は■■■の願いを喰った悪魔だ。

 悪魔は結んだ契約を、決して違える事はない」


 響く声は、まるで歌のようで。

 赤い夢は遠のき、意識は現実に引き戻される。

 そして――。


「…………」


 目覚めると、そこには見慣れた自室の天井があった。

 まだ身体は重く、すぐには起き上がれそうにない。

 一応、試してはみるけど……。


「ッ……!」


 身体が捻れたみたいな痛みが走り、断念せざるを得なかった。

 ベッドに不自由な身を沈めて、大きく息を吐く。

 半端に閉じたカーテンの向こうには、朝の光が見える。

 ……俺は結局、どうなったのか。

 夢の記憶と現実の記憶がゴチャ混ぜになって、はっきりしない。


「……カナデ?」


 それは夢で聞いた声だった。

 けれど、今のは夢から響いたわけじゃない。

 枕元に置かれたスマホから、少女が俺の名を呼んだ。

 ミサキ……あぁ、そうだ。そうだった。

 俺はソフィアとオロバスに、負けて、それで……!


「っ、ミサキ、大丈……ッ、痛……!」

「無理に動いたらダメだ。私より、君の方がよほど大丈夫じゃないんだ」


 どうやら、ミサキの言う通りらしい。

 無理に動こうとするだけで手足がバラバラになりそうだ。

 首から上は……うん、そのぐらいは大丈夫。

 辛うじて見えるスマホ画面には、今の時刻が表示されている。

 時間はもう九時を回っていた。


「遅刻だぁ……」

「それ、今心配すること?」

「一応無遅刻無欠席だったんですよ……」

「どの道、その状態じゃ学校なんて行けないよ」


 はい。ベッドから起きる以前に、上体を起こす難易度がヤバい。

 立って歩くなんて到底無理そうだ。


「介護されるぐらいのお年寄りって、こんな感じなのかな……?」

「君は図太いのかバカなのか。地味に判断が難しいな」


 ミサキは可愛らしい声で笑った。

 バカなつもりはあまりないんだが、正直自信はない。

 結局、捨て身の作戦までしくじってしまった。

 ……あぁ、そうだ。

 あれからどうなったのか、ミサキに確認しないと。


「カナデ」


 こちらから何か言う前に、先にミサキが声をかけてきた。

 どうにか首を動かし、スマホの方を見た。


「君に触れたいんだけど、構わないかな?

 おじいちゃんなら介護は必要だろう?」

「あぁ、うん。それは勿論――」

 

 言い終わるよりも早く。

 見えない腕に、思い切り抱きしめられていた。

 強く、けれど壊れ物を扱うみたいに慎重に。

 身体の痛みも、この瞬間だけは何処かに吹き飛んでいた。


「ミサキ……?」

「……まったく、無茶し過ぎだよ。

 私が悪魔でなかったら、寿命が縮んでいるところだ」

「ごめん」


 無茶した自覚はあるので、それについては謝るしかない。

 スマホを構えることも出来ないので、ミサキがどんな顔をしてるのか。

 もしかしたら、泣いているのかもしれない。

 きっと、彼女はそれについては触れられたくないだろうから。

 俺は黙って、見えない腕に身を預ける。


「ホントにごめん。

 限界のラインを見誤った。ギリギリ行けると思ったんだけど……」

「……謝るところはそこじゃないんだけどなぁ」


 大真面目に言ったら、困った風に笑われてしまった。

 抱き締めたまま、ミサキはため息を吐く。


「だから、ショップは開かせたくなかったんだよ。

 誠司の装備を貰ったら、どんな無茶するか分からないって。

 そんな気がしたんだけど、大当たりだったね」

「やっぱり、そういう理由だったんだ」

「そうだとも。あの店主が曲者で警戒してるのも事実だから、嘘は言ってないよ」

 

 確かに、あのオーナーはお付き合いするには厄介そうな相手だった。

 まぁ、付き合いやすい悪魔なんてのがそもそもいるか分からないけど。

 そういう意味ではミサキは……どうだろうな。

 付き合いやすいかと言うと、割と気難しい部分がある気がする。

 まだ契約して二日ぐらいだし、ハッキリとは言えないが。


「妙なこと考えてないかい?」

「いやそんな事は決して。痛い痛い痛い」

「痛くしてるからね。ちょっとぐらい痛い目を見て反省しなさい」


 軽くサバ折りを決められても、今の俺に逃げる術はない。

 お仕置き代わりに軽く締め上げられる。

 流石は悪魔のパワーだ。女の子の細腕でも、十分以上に地獄を味わえる。


「出来れば、ああいう真似は二度として欲しくはないんだけどね。

 君、そういうの聞く気ないだろう?」

「同じミスは繰り返さないよう心がけます……!」

「またやるって言ってるも同然じゃないか、ソレ」


 それはもう、時と場合によるとしか。

 俺の答えはミサキのお気に召さなかったらしい。

 解放してくれる様子もなく、締め付けはそのまま続行されてしまう。

 ……見えない、悪魔であるミサキの姿は目では見えない。

 けど、接触はしているわけなので、こう。

 色々と困るんだけど、そんな事は流石に口には……!


「――もしもし?」

「はい?」


 葛藤渦巻く頭の中に、冷たい声が飛び込んで来た。

 一体、いつからそこに立っていたのか。

 部屋の扉を開けて、壁にもたれる形で佇んでいる少女。

 ソフィア=アグリッピナだ。

 見慣れた制服でも、昨夜見た黒ずくめでもない。

 動きやすそうな私服姿で、ソフィアは俺たちを眺めていた。

 ……心なしか視線の温度も低い気がする。


「あの、ソフィアさん?」

「どうやら元気そうで良かったわ。

 あぁ、欠席の連絡は私の方で何とかしておいたから。

 学校の方は心配しなくて良いわ」

「あ、はい。助かります」

 

 我ながら、凄い馬鹿っぽい返事をした気がする。

 言われたソフィアも、こめかみに軽く指を当ててため息を吐いた。

 物凄く呆れられたっぽいな。


「……まぁ良いわ。

 意識が戻ったのなら、私の方とも少しお話をしましょうか?」


 話をする気がないようなら、この場で殴り倒すと。

 言外に込められた意図は極めて明確だった。

 俺を抱き締めた状態で、ミサキは低い唸りを漏らす。

 昨日の今日だし気持ちは分かるが、今は落ち着いて欲しい。

 ソフィアは「話をしたい」と言ってるんだから。


「……分かった。ただちょっと、ベッドからまだ起き上がれないんだ。

 申し訳ないけど、このままで構わないかな?」

「ええ。ついでに治療もしてあげるから、感謝しなさい」


 口調は冷淡だけど、微妙な優しさも感じる気がする。

 ソフィアが近付いても、ミサキは俺を離そうとはしない。

 このまま何事もなく、平和的な話し合いで済めば良いんだけど。

 身動きも満足にできない以上、俺は祈る以外にはどうしようもなかった。

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