契約召喚テウルギア ー少年と少女の悪魔戦争―
駄天使
序章:悪魔と踊る夜
夜の街は静寂と喧騒を同時に孕んでいた。
星は無く白々と浮かぶ月だけが、その無慈悲な美しさを見せつけている。
闇が吹き溜まる街の影で、それを見上げる者はいない。
街灯の微かな明かりの下に、誘われた虫のように群がる人々。
路地裏に集まっている人間は、年齢も格好もバラバラだ。
ただ一つ、彼らに共通している事。
それは全員一様に、スマートフォンのカメラを構えている事だった。
その視線の先にあるものは。
「ガアァァァ――ッ!!」
夜陰を揺さぶる獣の咆哮と、大地を砕く轟音。
月と街灯の光を受けて浮かび上がるのは、恐るべき怪物の姿だった。
見た目は甲冑を纏った騎士に似ている。
しかし四肢のサイズは、まともな人体と比較すると酷く
頭の高さが電柱を上回る、人間では決してあり得ない巨体。
丸太より太い腕で振り回すのは、一本の鉄槌だった。
一撃が打ち込まれる度に、アスファルトに無残な傷痕を刻みつける。
「グオォォ――ッ!!」
「殺れ! そのままぶっ殺しちまえ!」
怪物の後方で叫ぶ一人の男。
やはりスマートフォンを掲げ持つ、中肉中背のサラリーマン風の男。
いや、「風」ではなく男は正真正銘ただのサラリーマンだ。
中年に差し掛かる歳の、何処にでもいる平凡な男性。
それが今、あり得ざる光景を前に熱狂していた。
「さっさと殺せ! おい、ちょっと手温いぞ!」
「オイ押すなよ、押すなって! ぶっ殺されてぇのか!?」
「場外乱闘ならもっと離れてやれよ!」
集まった野次馬たちも、暴れ回る怪物へと思う様に罵声を垂れ流す。
現実から完全に乖離した世界。
だが、これを単なる通行人が見ても、目にするのは何もない場所に集まって騒ぎ立てる不審な集団だけだ。
暴れ回る怪物の姿など何処にもいない。では怪物はいないのか?
彼らは、単に薬物の幻覚に酔う狂人に過ぎないのか?
――否、それは否だ。
常人の目は怪物を映すことはない。
なんなら騒ぐ彼らも、肉眼で見ているわけではなかった。
全員が掲げ持つスマートフォン。
そのカメラを通じて映し出される画面の中。
四角く区切られた映像は、暴れ回る怪物の姿を捉えていた。
虚構の内でしか見えない怪物。
けれど、画面に映る怪物が鉄槌を振り下ろせば。
「良いぞ! 力任せでも押し込めばこっちのもんだ!」
実際に、路面が音を立てて拉げる。
それを見たサラリーマンは叫声を響かせた。
現実と虚構の境は曖昧で、そこに集う人間たちの理性と狂気もまた曖昧になる。
そんな中で。
「――それで?」
荒れ狂う暴風の如き鉄槌。
それを掻い潜り、夜の風と舞い踊る影。
影の正体は、一人の少女だった。
黒く長い髪を靡かせ、同じく黒いセーラー服を纏った美しい娘。
見た者を惑わせる化性の美が形を成したような、そんな少女だった。
身体はどこも細く、軽く押しただけでも折れてしまいそうだ。
しかし彼女は、岩も容易く砕く暴力を鼻で笑い飛ばす。
「ガァァァ!!」
「単純な力押しばかり、芸が無いね」
艶やかな微笑みに含まれる嘲りの毒。
真っ向から侮辱された事に腹を立てたか、怪物は猛り狂う。
黒い少女の頭上から、渾身の力で鉄槌を振り下ろす。
それに対して、驚くことに少女は足を止めた。
か細い右腕を軽く掲げてみせて――。
「――まぁ、私も得意なんだけど。力押し」
受け止めた。
子供が振り回す棒切れを掴み取る気軽さで。
衝撃に足元の地面は砕けるが、少女は平然としていた。
涼しげな顔で、片手で鉄槌の一撃を防いでいた。
「なッ……!?」
「そら、驚いてる暇がある?」
あまりの光景にサラリーマンの男は絶句する。
少女は鉄槌を掴んだまま、ぐっと腕に力を入れたようだった。
怪物もまた、太い腕を膨張させて抗おうとした。
が――か細い少女の腕が、怪物の巨体をあっさり持ち上げた。
「そら!!」
「ギァッ!?」
持ち上げて、すぐさま地面に叩きつける。
当然、一度や二度では済ませない。
鉄槌を手放さない怪物を、更に何度も力任せに振り回す。
その無茶苦茶な光景に、距野次馬たちは大いに沸き上がった。
「すげぇな、マジかよアレ!」
「あんな強いとか、やっぱ噂は本当だったんだな!」
「噂って、やっぱアレのことだよな」
「知らずに来てる奴なんていねぇだろ」
噂と、野次馬たちは口々に繰り返す。
――曰く、この街を縄張りにしている「
それが誰であれ、挑まれたなら《
そうでなくとも、この辺りで無法を働く契約者は絶対に見逃さない。
その都市伝説にも等しい噂の名は――。
「
立ち込める白煙と共に現れる狩人。
悪魔を殺す悪魔。
どこまでが真実で、どこまでが虚構か。
数日ほど前から、ネットの暗部でも出回っている情報。
それは『燻し屋の《魔宴》が行われる』という一文と共に添えられた一枚の写真。
何処かの街の裏路地としか分からない風景。
それだけを手掛かりに集まってきた、有象無象の悪魔契約者たち。
彼らは心から待ち望んでいた。
踊る黒い少女の悪魔――その契約者である白い恐怖が現れるのを。
「さて――そろそろ良いか」
呟く少女の声は、野次馬の耳には届かない。
鉄槌ごと怪物を地に投げ落とし、少女はそっと手を離す。
踊るようなステップを踏めば、周りに白い煙が広がり始めた。
「糞っ、なんだこりゃ……!?」
視界を塗り潰す白煙の壁。
サラリーマン――いや、鉄槌の悪魔の契約者である男は狼狽する。
何も見えない状態に動揺はしても、戦意はそう簡単には萎えないようだ。
苛立たしげに地面を蹴飛ばして。
「おい、ノロマめ! 何してる! こんな煙、さっさとお前の力で――」
役に立たない契約悪魔を罵った、その瞬間。
無意味な罵声が途切れ、男の身体が一度大きく痙攣した。
意識を夜空の彼方に吹き飛ばされた男は、そのまま煙の中に崩れ落ちる。
愚かな悪魔契約者は、最後まで気付かなかった。
狩人は煙と共に現れると、噂で知っていたはずなのに。
「…………」
倒れた男の背後に、白い影が立っていた。
正確には、フード付のロングコートを纏った人物。
顔は隠れているため表情は見えず、性別すら不明瞭。
白コートは慣れた動作で、手に持っていた警棒を袖の下に隠した。
後には気絶した男と、その傍らに立つ白い人影という構図だけが残る。
「オイ、あれを見ろよ……!」
夜風にさらわれて、煙は徐々に薄れる。
そして野次馬たちはその光景を目にするのだ。
合わせて、黒い少女の方も。
「――はい、こちらもおしまい」
首をもぎ取られた怪物の亡骸。
それを見せつけた上で、少女は一礼してみせた。
沸き上がる歓声が、夜の空気を震わせる。
結果を見れば鎧袖一触。
煙と共に現れた噂の人物に、観衆の興奮は最高潮に達していた。
「燻し屋! 本当にいたのかよ!」
「暫く前に行方不明になったって話は嘘かよ!」
「いやいや、あの程度の悪魔なら俺でも勝てるよ。時間かけ過ぎだって」
「だったらこの場で挑んでみろよカス」
「…………」
その様子を白コート――《
集まった
大半は下級悪魔と契約しただけの有象無象に過ぎないだろう。
「高位の悪魔を連れてる奴も、数人ほど混じってるね」
「そうでないと、わざわざ宣伝した意味がない」
囁く少女に、《燻し屋》は頷き返した。
噂話を信じて、身の程知らずにも名乗りを上げた挑戦者。
《燻し屋》にとっては時折現れる愚か者だが、今回は都合良く利用させて貰った。
《魔宴》の日時と場所をネットに流したのは、他ならぬ《燻し屋》自身。
未だに「縄張り」の近隣に潜む悪魔契約者たち。
これを釣り出すための「実験」を兼ねた
結果は――存外悪くない。
雑魚ばかりでなく、大物も引っ掛かったのなら重畳だ。
「彼女から連絡も来たから、そろそろ始めよう。一人も逃がしたくはない」
「このぐらい、私たちだけで十分だと思うけどね?」
「あちらは善意で手伝ってくれてるんだから、文句は無しだ」
「ご主人様がそう言うのなら仕方ない」
わざとらしいため息一つ。
そんな少女の態度に、《燻し屋》は少しだけ笑って。
「いつも助けられてるし、感謝もしてる。それじゃご不満かな?」
「おや――ご主人様は悪魔の手綱の取り方を良く心得ていらっしゃるようで。
流石は百戦錬磨と名高い《燻し屋》だ!」
「煽てても何も出せないからな」
笑う。笑いながら、《燻し屋》は呼吸を整えた。
祭りの余韻に獲物たちは浮かれている。
その中には、牙を隠して潜む獣も混ざっていると理解して。
一つの例外もなく、この一夜で終わらせる覚悟を決めた。
「さぁ、好きなだけ喰い散らかしてくれ」
「あぁ、
開戦の合図に、少女は悪魔のように微笑んだ。
茶番劇は幕を閉じ、本命の宴が間もなく始まる。
悪魔と人間。
現実と虚構。
朝が訪れるまでの、長く短い夜の宴。
――今宵も誰かの夢がまた、赤く染まる。
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