第31話:次はない

 

「無茶し過ぎ」

「はい」


 改めて言われると反論の余地もない。

 ソフィアの治療も終わり、何とか動ける程度に回復した。

 さっきまでは痛くてどうしようもなかったけど。

 今は身を興して、どうにか自力で立ち上がれる程度にはなった。

 ソフィアの凄さを改めて実感する。


「私がいなかったら間違いなく死んでたからね? それはちゃんと分かってる?」

「いやホント、ありがとう御座いました」


 全く言う通りなので、心の底から感謝するしかない。

 ただミサキの方は。


「ちょっと、ソフィア。君だってカナデのおかげで呪いが解けたんだから。

 そこはお互い様で流すべきじゃないかい?」

「それについては当然感謝してるわよ。

 さっきもお礼を言ったじゃない。けど、それとこれとは話が別でしょう?」

「何が別なんだよ、ウン?」

「まあまあ」


 戦いが終わったばかりなのに、そんな喧嘩するのは良くない。

 流石に今の状態で巻き込まれたらホントに死にそうだ。

 怪我が概ね治ったとはいえ……。


「……っと」


 少しだけ、足元がふらつきかけた。幸い転んだりはしなかったけど。


「カナデ? 大丈夫?」

「あぁ、大丈夫。ありがとう、ミサキ」


 言い合いを即中断し、ミサキは俺の傍にぴったりとくっつく。

 接触の許可は出してるので、温もりがダイレクトに伝わってきた。

 ソフィアは難しい顔で俺の方を見て。


「……悪いけど、左目の方は……」

「あぁ」


 怪我の大半はソフィアが治療してくれた。

 ただ、視界は未だに欠けたままだ。


「ありがとう、でも大丈夫。マモンのショップなら治せるはずだから。

 それに、このぐらいはまだ想定の範囲内……痛いっ!?」

「ナチュラルに欠損をコストに含めるんじゃないわよ……!」

「コラ、ソフィア! なんでカナデを蹴ったんだ!」


 向こう脛を思い切り爪先で打ち抜かれた。

 ちょっと洒落にならないぐらい痛くて、思わずその場に蹲ってしまう。

 頭上では女子二人がぎゃあぎゃあとバトルを開始しそうな状況だ。


「仲が良いのは麗しいけれど、そのぐらいにしておきなよ?」

「誰が!」「仲が良いって!?」

「ホラ、息ぴったりじゃないか」


 ハハハと、二人分の殺意をオロバスは爽やかに受け流す。

 この辺り、年長者的な余裕が滲み出ていた。


「それより、こっちの彼はどうするんだい?」


 そう言って指差すのは、床に座り込んだ男。

 牙噛は苦虫をかみ潰した顔をしながらも、大人しく俺たちを睨みつけていた。

 オロバスが目を光らせてる限り、反撃の機会はない。

 それを理解しているようで、牙噛からは戦意は感じられない。


「さっさと殺せよ。それとも痛めつけるのが趣味か?」


 観念したからと言って、性根まで鳴りを潜めてはいないようだ。

 こちらを睨みながら、牙噛は嫌らしく笑った。

 半ば反射的にミサキが動こうとするけど、それは手で制した。


「カナデ……」

「牙噛はもう戦えない。

 今も、嫌がらせに挑発してきただけ。こっちから殴っても仕方ないよ」

「……チッ」


 牙噛は不快げに舌打ち一つ。

 こちらは気にせず、睨んで来る目を真っ向から睨み返す。

 負けた相手に怯む理由もない。

 ほんの少しだけ、牙噛は気圧されたように身動ぎをした。


「お前は殺さない。けど《魔宴》の勝者の権利は行使させて貰う。百万だ」

「あん? なんだ、それっぽっちか?」

「いや、百万円だけ残してそれ以外は全部こちらが貰う。

 財産と、後は新規にテウルギアの契約アカウントを作る権利も」

「…………チッ」


 《魔宴》に勝った者は、負けた者から好きに奪うことができる。

 それが金銭であれ、権利であれ。

 敗者に拒否する権利はなく、ただ受け入れるしかない。

 言葉を告げたすぐ後に、スマホから響く通知音。

 懐から取り出してテウルギアのアプリを起動する。

 画面上に表示された幾つかのメッセージ。

 今の発言が正式に「権利の行使」として実行されたようだった。

 牙噛の所有する資金も、俺の持っている銀行口座に移動したらしい。

 どういう理屈で行われたかはまったく不明だけど。

 今後、牙噛が新たなテウルギアのアカウントを作成できない旨も通知されていた。

 一先ずはこれで良いだろう。


「……へっ、殺さずに放置かよ。まぁ良いぜ、命あっての物種だからな。

 けどよ、ガキ。お前覚悟しとけよ?」

「本当に口の減らない男ね。この状況で負け惜しみとか」

「ハンッ! 何とでも言えよ。

 殺し合いの世界で、敵を殺す覚悟がないってのはどうしようもない弱みだ。

 今回は偶々そっちに運が向いただけだ。次は絶対に俺が勝つ!

 テメェの甘さを心底後悔させてやるよ。

 身包み剥がされようが、『餌』なんぞそこら中に転がってんだ!

 そうだな、例えば――」

「……次?」


 更に何かを言おうとした牙噛。

 俺は目を逸らさず、その言葉を遮った。


、牙噛。お前にとっての次はない」

「ハァ? なに言ってやがる。

 お子様にゃ大人の汚さって奴が理解できねェだろうがな。

 新しい悪魔と契約できなくたってな、やり方なんて幾らでもあるんだぜ?」

「……そう信じられるのなら、そうすれば良いさ」


 俺は牙噛に対して、正面からそう告げる。

 何も分かっていない男に向けて、俺は言葉を続けた。


「殺す覚悟がない? 安易な手段ばかりで思考を止める奴と一緒にするなよ。

 人殺しなんて、覚悟を決めてやる事か。

 俺はそんなの御免だ。

 だから俺は、お前の事は殺さない。

 お前なんかをわざわざ殺してやるもんかよ」


 本当に、くだらない考えに心底腹が立つ。


「お前は負けて、俺たちが勝った。

 今夜の結果はそれが全てだ。

 ――だから、お前が言うところの『次』なんて無いんだ」


 語る言葉の意味の、全てを理解はしていないだろうけど。

 それでも牙噛は口を閉ざした。

 歯を軋ませ、憎悪に燃える眼で睨んではいる。

 ただこれ以上言葉を重ねても、惨めな負け犬になり下がるだけと悟ったようだ。

 ……とっくに手遅れだろうけど、それ以上は言わないでおく。

 今の言葉も実際は言う必要のないものだ。

 頭に血が上りすぎて、我慢できなくなってしまった。


「カナデ」

「ん、大丈夫。ありがとう」


 気遣うミサキに笑みで応える。

 後はもう用はないと、俺は牙噛に背を向けた。

 ソフィアはまだ動かず、床に座り込んだままの牙噛を見ていた。


「日野くん、本当に良いのね?」

「……あぁ」


 何が、とは聞かなかった。

 牙噛を生かしたまま放置する事――ではない。

 きっと彼女も、俺と同じ事に気付いてる。

 だからこそ、「本当に良いのか?」と確認してくれた。

 その気遣いは、正直ありがたかった。


「分かってる。だから、問題ないよ」

「……そう。貴方がそう言うなら、これ以上は何も言わないけど」

「ありがとう、ソフィア」

「礼を言われる意味が分からないわね」

「ちょっと、そこは素直に受け取っておくところじゃない?」

「アンタってホントに面倒臭い女ね?? 何言っても気に入らないの??」


 うん、また空気がバチバチ言い出した。

 そんな急に喧嘩をスタートされるとこっちも対処が間に合わないんですけど。

 取っ組み合いになりそうな女子二人の間に割って入りながら。

 俺たちはそのまま、単なる廃ビルに戻ったフロアを後にして……。


「……人は殺さない、ね」


 立ち去る間際に、牙噛が呟く。

 それもまた、つい口から漏れた負け惜しみだったのかもしれない。


「じゃあ、?」


 足を止めて、けれど。

 返す言葉はすぐには出て来なかった。

 ……正直に言うなら、悪魔の死にそれほど罪悪感は覚えなかった。

 多分、悪魔が人間から見れば大きく「外れた」存在だと。

 本能的に理解しているのかもしれない。

 その上で、俺は牙噛の言葉に即答はできなかった。

 悪魔は人とは異なる。

 だったら、今傍らにいるミサキは?

 仮に彼女が死んだとして、「人じゃないから」と割り切れる?

 ――それは、きっと無理だ。

 考えるまでもなく、そんな単純な話じゃない。

 牙噛の契約悪魔だったベール。

 俺たちにとっては恐ろしい敵で、契約者だった牙噛にとってはどうだったのか。

 分からないし、それは俺が聞くべき事でもなかった。

 だから、俺は。


「……お悔みを」

「は?」

「俺たちが殺すことになった、あの悪魔。彼女の死に、お悔やみを」


 それを牙噛への別れの言葉とした。

 憐れみを侮辱と取ったか、牙噛は激昂した顔で立ち上がる。

 けど、それ以上は動かない。

 オロバスとミサキが睨んでいる。

 もう何もできない男だけを残して、俺たちはその場を去った。


「……日野くん」

「なに?」

「さっきのは、挑発? それとも散々言われた事への意趣返し?」

「いや」


 念のために聞いてみた、という具合のソフィアの言葉に。

 俺は小さく首を横に振った。

 本当にそんなつもりは全くなかった。


「悪魔を殺しても構わないかは、分からない。

 分からないけど、俺たちは戦うしかなかったし、殺すしかなかった。

 それだけは間違いなくて、誤魔化したくはなかったんだ」

「……良く分からないところで真面目ね、貴方」

「そうかな」


 正直、自分でも何が言いたいのか良く分からない。

 良く分からないなりに出たのが、さっきの言葉だった。


「――カナデが納得できたのなら、私はそれで良いと思うよ」


 右側から俺の顔を覗き込んで、ミサキは微笑む。


「本当に良く頑張ったからね。

 酷く疲れてるだろうし、今日も添い寝をしてあげようか?」

「今日も……?」

「おやおや、大人しそうなのは顔だけなのかな少年?」

「いやいや」


 いきなり変な空気にしないで欲しい。

 とはいえ、疲れてるのは間違いなかった。

 空腹も感じるけれど、それ以上に身体が休息を欲していた。

 長く短い夜は終わる。

 このまま朝が訪れてしまう前に。


「……帰ろうか、皆」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る