第30話:決着



 ……失敗した。

 掠れかけた思考の片隅で自分のミスを省みる。

 ベールの《異戒律》。

 睨んだモノを別の物質に変えてしまう魔眼。

 既に変換したモノはもう一度は変えられないと、そう思い込んでしまった。

 恐らく、こちらが勘違いする事まで含めて相手の戦術だった。

 実際は、あの視線は対象を任意選択できるのだろう。

 周りを囲む悪魔たちを、鏡に変換してからの最大威力の魔眼投射。

 正直、ダメだと思ったけど……。


「……カナデ」

「っ……み、さき……?」

「良かった、ちゃんと生きてるね」


 間近に見えるのは、微笑むミサキの顔。

 ARグラスが破損していないのは、不幸中の幸いだった。

 身体を動かそうとして、酷い痛みに邪魔される。

 そういえば、視界も普段に比べて幾らか狭い気もする。

 ……これは、片眼をやられたか。


「――躊躇いなく身を呈して契約者を庇うとはな。

 良い主従じゃねぇか、感動したぜ」

「アハハ! ホント、ワタシはそこまでやれる気がしないなぁ」

「そこは嘘でも言っておけよ。いやダメか、お前の《領界》の中だからな」

「そうですよ? ここでは真実以外許されませーん」


 ゲラゲラと笑うベールの声。嘲る敵を、視界の隅に捉える。

 牙噛も明らかに自分の勝利を確信した顔だ。

 無事な左の目を動かす。俺を正面から抱きかかえるミサキ。

 その身体は、多分俺なんかより酷い有り様だ。

 見える範囲でも、背中から胴体が半分近く抉れている。

 足元には、もとはミサキの血肉だった砂金がうず高く積もっていた。


「即死しときゃ楽だったのに、無駄に足掻いたのが仇になったねぇ」

「言ってやるなよベール。

 そら、可哀想じゃねぇか。とっととトドメを刺してやれよ」

「はいはーい、キバガミはお優しいねぇ」


 冗談めかした言葉と共に、周囲で影が蠢く。

 下級悪魔が三体。

 良く見れば、鏡に変えられた悪魔たちは砕けて散らばっていた。

 残る手駒をけしかけて、牙噛とベールは動かない。

 特に牙噛は、自分の手で俺を殺したがっていたはずだけど。

 どうやら、ネズミの最後の抵抗を警戒しているようだ。

 ベールの魔眼でトドメを刺しに来ないのは、これ以上の消耗を嫌ったか。


「っ……ミサキ」

「分かってる」


 か細い声にも、ミサキはしっかりと頷く。

 彼女自身も身体が半分崩れているのに、少しも弱った様子を見せない。

 俺も、そんな彼女に応えないと。


「後は、予定通りだ」

「あぁ。そのためにも主命オーダーを、ご主人様」

「……


 交わす言葉はそれだけで十分だった。

 末期の会話とでも判断したか、牙噛とベールは動かない。

 間もなく下級悪魔たちの爪が命に届く。

 その前に。


「ッ……」


 ミサキの手が顔に触れ、ARグラスを外す。

 途端に彼女の顔も姿も見えなくなり、不安が微かに湧き上がる。

 目には見えない、けれど肌には熱が触れた。

 多分、ミサキが俺の顔を両手で挟み込んでいる。

 それから濡れた感触が右目の辺りをなぞった。

 痛みはない。

 微かに聞こえるのは、硬い何かを齧る音。

 こくりと喉が鳴った。


「――


 耳元で囁く声の後、ARグラスが元の位置に戻る。

 欠けた視界の中。

 先ず見えたのは、唇を舌で舐めるミサキだった。

 そして、次の瞬間。


「さぁ、すぐに終わらせよう」


 目の前からミサキの姿が消えた。

 同時に、迫りつつあった下級悪魔三体がびくりと震える。

 首から上が無くなった彼らは、糸の切れた人形そのままに崩れ落ちた。

 何が起こったのか、半分になった目ではまるで見えない。

 それは相手も似たようなもので。


「オイ、なんだ今の!」

「ッ、キバガミ! とりあえず下がって――!?」


 混乱する契約者にベールは警告を発する。

 発しながら、その身体が派手に吹き飛ばされた。

 ミサキだ。変わらず格好はボロボロのまま。

 けれど魔眼で崩れたはずの身体は、その大半が再生を果たしていた。

 あり得ないと、ベールは空洞の眼を見開く。


「そんな、どうやって……!?」

「それはもう、美味しいモノを食べましたから」


 そう応えて、ミサキは笑う。

 急激な強化に戸惑いながら、牙噛が動けない俺を見る。

 そして、気が付いたようだ。


「テメェ、ガキの目玉を……!」

「わざわざ『価値』の高い純金に変えてくれてありがとう。

 おかげで一気に腹に溜まったよ」

「ッ、そんなの、所詮は一時凌ぎだろ!

 傷は塞いだようだけど、それぐらい――っ!?」


 ベールの声は最後まで続かなかった。

 右手が容赦なく、その細い首を掴んでいる。

 全力でもがいているようだけど、ミサキの身体はビクともしなかった。


「チッ……!」


 まともに戦えば不利だと、牙噛は素早く判断したようだった。

 だから俺の方を抑えようと。


「あぁ、コレは返すよ」


 動く寸前に、牙噛は炎と衝撃に吹き飛ばされた。

 少し前の攻防で、ミサキが飲み込んだ手榴弾の爆発。

 それを左手の口から吐き出したのだ。

 直撃した牙噛は声もなく床の上を転げる。

 注意が逸れた瞬間、ベールは真っ黒い両目を開いた。

 《異戒律》。

 その暗黒の双眸が捉えたものを変換する魔眼投射。

 当然防げるタイミングではなく、ミサキはその視線をモロに浴びて――。


「っ、なんで……!?」

「お前より、今の私が圧倒的に強いから。それ以外の理由がある?」


 効いていない。

 いや、露出した肌の表面は微かに変化はしている。

 けどそれだけだ。あれだけ散々血肉を削られたベールの魔眼。

 それを直撃しながら、ミサキは平然と笑っていた。


「……お前はさっき、私に聞いたね。

 悪魔なのか、人間なのかって」

「ッ……?」


 掴む右手から逃れようと足掻き続けるベール。

 不意の問いかけの意味が分からず、訝しげに表情を歪める。

 対するミサキは満面の笑顔だ。

 ただ、その眼だけはまったく笑っていなかった。


「私は悪魔だよ、だ。

 大事なカナデの一部に、お前が散々けしかけた悪魔ども。

 沢山食べたからね、強いに決まってる。理解できたかな?」

「悪魔を……食べる?」


 理解できない。

 ベールの顔に、はじめて恐怖の色が滲んだ。


「ま、さか、悪魔の『価値』を直接……?

 い、いや、あり得ない!!

 そんな《異戒律》を持つ悪魔、存在するワケが……!!」

「今、お前の目の前にいるのに?」


 笑うミサキ。右手からは嫌な音が聞こえて来た。

 青褪めた悪魔に対し、彼女は処刑の言葉を告げた。


「待っ――」


 命乞いを口にする暇もなく。

 肉と骨が潰れる、重く濡れた音が響いた。

 首を半ば以上食い千切られても、ベールは血を流すことはなかった。


「ぁ――――」


 断末魔の悲鳴もなく。

 微かに呻く声だけを漏らして、悪魔の身体は灰になって崩れ去る。

 後には何も残らない。

 ベールと呼ばれた悪魔がいた痕跡さえも。


「……終わっ、た、かな……?」

「カナデ……!」


 完全に悪魔が消え去った事を確認して、俺は吐き出すように呟く。

 すると、ミサキが慌てて此方に駆け寄る。

 身体は……やっぱり動かない。

 今更ながら無くなった右目も痛くなってきた。

 これはちょっと、マズいかも。


「カナデ、しっかりして。すぐに手当てを」

「っ……後ろ……!」


 動けない俺を助け起こそうとするミサキ。

 その背後に立つ影。牙噛だ。

 先程の爆発のせいか、身体の半分近くが酷く焼けただれている。

 気を失って然るべき重傷だが、牙噛は意識を保っていた。

 その手には、最初に使っていたのとは異なる拳銃が握られている。

 銃口はブレなく、俺の方に向けて。


「くたばれ」


 憎悪と憤怒で煮え滾った声で吐き捨てた。

 俺の声に反応したミサキが振り向くが、間に合うか。

 知覚する時間の流れが急激に遅くなる。

 これが走馬灯かと、迫る死を予感して――。


「往生際が悪い」


 した直後に、強制的に中断された。

 銃を構えた牙噛の側頭部に、容赦なく叩き込まれる爪先。

 抵抗の余地など微塵もなかった。


「ぐ、ぇ……ッ!?」


 悪魔に近い肉体は、銃弾ですら弾いてみせた。

 しかし打ち込まれた蹴りは、一発で牙噛を昏倒させる。

 倒れ伏したのを確認した上での見事な残心。

 完全に動かないと判断してから、ソフィアは改めて俺たちを見た。


「無事――ではないわね」

「何とか、生きてるよ」

「……ありがとう、今のは本当に助かった」


 流石のミサキも、今回ばかりは素直に礼を口にした。

 本当に今のは危なかった。


「敵を倒しても最後まで気を抜かない事ね。ほら、治療してあげるから」

「頼むよ。このままだと危ない」

「ええ、見れば分かるから」


 ……どうやら俺は、自分が思った以上にヤバい状態らしい。

 と、上からオロバスもひょいっと覗き込んで来た。


「やぁ少年。どうやら生きてるみたいだね、安心したよ」

「そっち……は……?」

「喋らせないで、オロバス。

 他の奴らなら私たちで叩きのめしたから、心配しないで良いわ」


 取り巻きも、相当な数がいたはずだけど。

 それをソフィアとオロバスの二人だけで倒し切ってしまったと。

 やっぱり凄いな、本当に。


「……貴方たちこそ、良く勝てたわね。

 ありがとう、おかげで私の呪いも解けたわ」


 礼を口にするソフィアの右手。

 それはキラキラとした宝石ではなく、ちゃんと生身の手だ。

 ミサキがベールを仕留めた事で《異戒律》の呪いも消えたようだ。


「貴方の身体も、呪いは消えてるから大丈夫よ。

 ちょっと拙い傷もあるけど、命に別状はないから」

「……カナデ」


 動けない俺の手に、ミサキの手が重なる。

 伝わる熱は痛みを和らげてくれるような、そんな気もして。


「私たちの勝ちだよ」


 ミサキの言葉を聞いて、ようやく実感が湧いて来た。

 倒れた牙噛は動かず、契約悪魔のベールの姿もどこにもない。

 下級悪魔たちも消えて、取り巻きも全てソフィアが叩きのめした。

 戦いは、終わったんだ。

 この夜の《魔宴》を乗り越えた。

 微笑むミサキに笑い返し、俺はようやく安堵の息を漏らした。

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