第29話:悪魔か人か


 十匹を超える下級悪魔の群れ。

 暗闇の瞳を輝かせる第七階位の上級悪魔ベール。

 その契約者で、ショップでの肉体改造で人間を逸脱した牙噛。

 他の手下連中は全員ソフィアとオロバスが引き受けてくれている。

 俺たちが対処すべきは目の前だけだ。


「ブッ殺す!! おい、ベール!!」

「はいはーい! ほーら、気合入れて殺っちまえよお前たち!」

 

 主人である牙噛の一声。

 それに従い、ベールは笑いながら指先で宙をなぞる。

 操られるまま、下級悪魔たちはミサキに向けて殺到していく。

 相手の狙いは明白だ。

 悪魔であるミサキを抑え込み、無防備になった俺を殺す。

 改造済の牙噛と違って俺は生身の人間。

 銃の対策はしていても、悪魔の力に晒されたら死ぬしかない。

 だから俺は――。


「馬鹿が、自棄になったか!」


 こちらの取った行動を牙噛が嘲る。

 まぁ、当然と言えば当然。

 今も悪魔が寄せて、それと格闘しているミサキの傍に寄ったんだ。

 当たり前のように悪魔たちは近付く俺の方を見る。

 刺すような敵意に、粘り付くような欲望。

 悪意を持った獣の視線、それも複数。

 怯みそうな心を抑え、俺はコートの内側を探る。

 用意していた小瓶を一本取り出したら、それを下級悪魔に向けて投げ付けた。

 瓶に入った液体を、複数の悪魔が頭から引っ被った――その瞬間。


『――――――ッ!?』

「っ、何……?」


 ジュゥと焼ける音がして、液体を被った悪魔たちが苦痛に悶えた。

 予想外の結果を見たことで、牙噛も少なからず驚いたようだ。

 投げた小瓶に入っていたのは、ソフィアの手で「聖別」された聖水だ。

 そういう「聖なるもの」は悪魔に対して効果がある。

 今も、まるで焼けた油でも浴びたみたいに怯ませることが出来た。

 そしてミサキは、そんな大きな隙は見逃さない。


「ふっ――!」


 右手の牙が閃き、悶絶していた下級悪魔の首が抉れる。

 更に別の二匹も、首ではないが腕や胴の一部を牙で引き裂く。

 数の差はそう簡単には覆せない。

 けど、ミサキの強さなら問題はないはずだと。


「カナデ!」

「ッ、《加速》!!」


 楽観的に思考した直後、ミサキが鋭く警告の声を発した。

 反射で唱えたのは魔導書への音声入力。

 頭の奥に刺さる痛みを感じながら、全力で床を蹴り飛ばす。

 一瞬遅れて、さっきまで俺の頭があった空間を何かが貫いた。


「牙噛……!」

「逃がすかよォ!!」


 牙噛の異様に筋肉が隆起した腕。

 その手から伸びた鋭い爪が、俺の命を引き裂こうとしていた。

 呪文の行使は、昼間に怪我人の治療で一回。

 そして今の身体強化の術で二回目だ。

 使える呪文は、反動の小さい初歩的な物ならギリギリあと一回。

 それが俺の限界値だ。


「やらせない……!」


 阻もうとしてくる雑魚を薙ぎ倒し、ミサキが両手を広げる。

 手のひらの口から、灰色の煙が勢い良く噴き出す。

 煙幕は瞬く間に広がり、俺たちの周囲を覆い尽くそうとする。

 こっちはARグラスに温度感知機能がある。

 学校の時と同じく、こっちは煙の中でも問題無く……。


「それ見るのはもう二回目なんだよねェ!」


 煙の向こうから響くのは悪魔ベールの笑い声。

 そして灰色の煙が、いきなりキラキラとした輝く金の靄へと変化した。

 これは――いや、そうか……!

 

「《異戒律》……!」

「多分だけど、その手の口で『食べたモノ』を吐き出せるって感じ?

 面白い《異戒律》だけどさぁ、そう同じ手は食わないよ!

 これをこうして――こうだ!」

 

 ベールの魔眼が煙を全て金色の粒子へと変えてしまう。

 直後に聞こえた声に合わせ、煌めく靄が一気に周囲に散っていく。

 変換した物質を操作する力で、あっという間に視界が晴れてしまった。

 そして牙噛の動きも迅速だった。


「ガキの事を気にし過ぎだな、お前」


 狙ったのは、俺ではなくミサキ。

 煙が対処された直後、僅かな隙を牙嚙は見逃さなかった。

 こちらも自分を守るために身構えていて、反応が遅れてしまった。


「そら、防いでみろよ」


 言いながら、牙噛はミサキに何かを投げた。

 小さい、手のひらサイズの物体。丸い石かボールに見えたが――違った。

 牙噛が投げたのは手榴弾だった。

 「理」の外の存在である悪魔に、普通の銃弾とかは効かない。

 手榴弾みたいな爆弾も例外ではないはず。

 ミサキにとっては脅威じゃない。けど、近い距離にいる俺は?


「ッ、お前……!!」


 俺を狙うと見せてミサキの隙を狙い。

 その実、ミサキに近い場所にいた俺を手榴弾の爆発に巻き込む。

 咄嗟のこと過ぎて、俺はまともに動けない。

 焦りを浮かべた顔で、ミサキは右の手を破裂寸前の手榴弾に伸ばす。

 爆発の衝撃を感じたのは、本当に一瞬の事だった。

 周囲に撒き散らされるはずだった熱と破片。

 それらを間一髪、広がり切る前にミサキが右手で丸呑みしたのだ。

 ギリギリで助かった――なんて、思う暇もなく。


「魔眼投射ァ!」


 ふざけたベールの声が響いた。

 手榴弾の爆発を抑えた直後のミサキ。

 彼女に対し、《異戒律》の視線が容赦なく襲い掛かる。

 左手の牙で減衰させる暇もない。

 ミサキの服の一部が崩れ、更にその下に肌まで金の砂に変わって削り取られる。

 間違いなく、これまでで一番のダメージだった。


「この、ぐらい……!」

「ウッソ、直撃したのにまだ耐えるとか!」

「手ぬるいぞベール! 捧げる供物ならまだ幾らでもある!

 そのまま休まず押し込め!」


 罵声に近い指示を飛ばす牙噛。

 意識はほんの僅かに俺から外れている。

 だったら……!


「チッ……!」


 懐から纏めて取り出した二本の小瓶。

 その蓋を開き、俺を狙う下級悪魔も含めて一気に中身を浴びせかける。

 牙噛も顔や腕に浴び、その肌が音を立てて焼けつく。

 改造済の牙噛の身体は、やはり悪魔のモノに近いようだ。

 与えた傷は軽く火傷した程度――だが。


「こんなチンケな聖水なんぞ、大した事……っ?」


 嘲ろうとした牙噛の表情が僅かに歪んだ。

 気付いたところで遅い。


「《 》」


 唱えた呪文の効果はその言葉通り。

 至近距離、かつ目の見えている可燃物に火を点ける。

 ただそれだけの呪文だから受ける反動も小さい。

 呪文の目標としたのは、たった今牙噛に浴びせた瓶の中身。

 ソフィアの手で聖別を施されたモノ。

 但しそれは水ではなく、ガソリンだった。


「ぐぉッ……!?」


 聖別されたガソリンと魔法の火種。

 銃弾ですら平然と弾く牙噛でも流石に堪えたようだ。

 同じく浴びていた下級悪魔も数匹が火に巻かれる。


「捧げる!!」


 手にした指輪を纏めて供物に捧げた。

 傷付いたミサキに少しでも多くの「価値」を注ぐ。

 瞬間、彼女の動きが加速する。

 右手の牙が焼かれている最中の下級悪魔を大きく削り取った。

 バリ、とかボリッ、とか。

 手のひらから悲惨な音を響かせて、ミサキは笑う。


「ありがとう、まだまだ戦えるよ――!」


 数は減っても、まだ悪魔の群れは半分近く残っている。

 ゾンビか何かのように襲って来るソイツらを、ミサキは全力で蹴り飛ばす。


「おらキバガミぃ! こっちも負けてらんないぞぉ!」

「クソッ、うぜェんだよ……!」


 顔に未だ残る炎を払い、牙噛は唸り声を上げる。

 焼けた契約者の顔面を見て、ベールはゲラゲラと笑っていた。

 笑いながら、暗い空洞の眼を俺の方に向けてくる。

 牙噛の下げた鎖から、複数の宝石が砕け散るのが見えた。


「そう何度も……!!」


 視線に対し、ミサキが左手を割り込ませる。

 《異戒律》の魔力は牙で砕かれ、俺のところまでは届かない。

 ミサキは指先の一部が砂に変わって削れるが、表情一つ変えなかった。

 その様子に、ベールはより大声で笑い出す。


「アハハハハ! すっごいなぁ、ホント凄い!

 こんなに何度もワタシの眼に耐える奴なんて初めて!」


 笑う声をミサキは聞き流す。

 牙噛はまだ先ほどのダメージが残っているのか。

 顔を抑えたまま動かず、指の隙間からこちらの様子を窺うだけ。

 俺は残った聖水をばら撒き、こっちに寄って来る下級悪魔を牽制する。

 暴れるミサキには近寄り過ぎず、けれど離れすぎない距離で。


「しっかし、どうにも気になってるんだけどさぁ」

「……ホント無駄口が多いね」

「まぁまぁ、きっと今日でお別れだし!

 ちょっとぐらいはコミュりたくなるでしょ?」

「こっちは忙しいんだけど」


 ミサキの言う通り、彼女は雑魚の対処で忙しい。

 戯言に付き合う理由はどこにも――。

 

「で、ミサキちゃんで良かったよね? 君さぁ、なんか変な匂いがしない?」

「……私はこれでもレディなんだけど」

「奇遇だねェ、ワタシもおんなじだ! まぁ悪魔だし、そこはどーでも良いけどさ!

 で、今の話だけどねぇ?」


 ……一体、あの悪魔は何が言いたいんだ?

 聞くべきではないのに、どうしても意識を引かれてしまう。


「最初は気付かなかったけどね。

 こうして相対したらちょっと感じるようになったんだよ。

 ――ほら、ワタシは眼がこんな状態だから鼻の方は利くのさ」


 ケラケラと笑って、ベールは自分の鼻を指差した。

 応える必要はない。聞く必要もない。

 ただ無視スルーして、群れる雑魚の対処に集中すべきだ。

 牙噛は動かず、ベールは戯言を吐くばかり。


「ミサキちゃんって――なんか、

 色は黒いけど、傷から血も流れてるし。どうにもおかしいんだよねぇ?

 悪魔って血は流れないんだけど、そっちの少年は気付いてた?」


 戯言だ。無視すれば良い。

 今はそんなこと、何も関係ないんだ。


「ミサキちゃんって、ホントにテウルギアの悪魔なの?

 実際には違うんじゃ――」

「仮に、お前が想像している通りだとして」


 堪え切れなくなった。

 そう苛立つ空気を醸しながら、ミサキは声を荒げる。

 乱暴に振り下ろした右手の牙が、下級悪魔の頭を抉り取った。

 俺は何も言えなかった。

 ベールの戯言の意味を理解し切れない。


「それで? それを知ってお前はどうしたいの?」

「アッハハハハハ! いやぁ別に?

 そんな難しいこと考えてなかったなぁ。これはホント!」

「だったら今の戯言に何の意味が?」

「無いよ? ないない!!」


 ……思わずこっちがビックリしそうな大声で。

 ベールは叫ぶみたいに否定する。

 さっきの言葉だけでなく、何もかもが無意味だと言うみたいに。


「無いけどさぁ、気になるし愉しいじゃん?

 ワタシはね、そういう悪魔ヤツなんだよ。

 キラキラしたモノも、ドロドロしたモノも。

 この空っぽの両眼よりずっと素敵なら、ワタシはなんだって好きなだけ!」


 見た目通りの少女みたいに、ベールは笑ってみせた。

 きっとそれは本心からの笑みで。

 だからこそとても純粋で、とても邪悪だった。

 単なる一時の享楽のために、目の前にあるモノは何でも使い潰す。

 このベールという女はそういう悪魔だった。

 無邪気で邪悪な微笑みで、少女の形をした悪魔は首を傾げる。


「だからさぁ、教えてよミサキちゃん。

 貴女は悪魔なの? それともまさか人間?」

「答える必要がある?」

「これから契約者の彼も死んじゃって、ミサキちゃんとはお別れだしさぁ。

 その前に出来れば教えて欲しいなぁ」

「戯言も度が過ぎると流石にイラついて来るよ」


 言葉通り、ミサキは完全にキレていた。

 あまり良くない状態だが、どう諫めようかと。


「……良いぞ、ベール」


 動かずにいた牙噛がぽつりと呟く。

 ……意識を向けていないわけじゃなかった。

 けど、ベールの話とミサキの怒り。

 蠢く下級悪魔たちの動きに遮られ、良く見えていなかった。

 牙噛の手には、いつの間にかスマホが握られている。

 端末を直接取り出して、何かの操作を。


「――アハッ」

「……!」


 

 牙噛が行ったのは課金の操作だ。

 ベールがアレコレと話しかけたのも、こっちの注意を逸らすため。

 これまで以上に暗黒の双眸が大きく見開かれている。

 ヤバい――!!


「カナデ、私の後ろに!!」


 周囲の悪魔たちを力技で吹き飛ばして。

 左手をベールに掲げるように向けて、ミサキは俺を背に庇う。

 彼女が耐えられるよう、残る指輪を供物として砕いたが。


「はい、残念賞」


 ベールの笑う声と共に、背筋が凍った。

 渾身の魔眼が襲って来ると身構えた、その直後。

 変化が起こったのは、俺たちではなく周りの下級悪魔たちだった。

 黒々とした表皮が一瞬にしてキラキラとした光沢を帯びる。

 それは、まるで鏡のような。


「一年分の『売上』丸ごとだ。

 サービスだガキども、精々景気よく死んでくれや」


 そう牙噛が嘲ると同時に。

 放たれたベールの《異戒律》。

 鏡の塊と化した悪魔たちは、丁度俺とミサキを取り囲む形で。

 無数に分裂・反射した魔眼の視線が四方から押し寄せた。

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