第6話:世界の真実


「この男も悪魔契約者テウルギストだったようだね」

 

 どうにか落ち着いたが、死体をまともに直視するのは難しかった。

 誰にも気付かれる事なく、野晒しにされていた何処かの誰か。

 悪魔であるミサキは、一切物怖じする事なくその亡骸を調べていた。

 そして彼女は、何かを摘まみ上げながらそう言ったのだ。

 

「そう、なのか?」

「あぁ。ほら、これを見て」

 

 ミサキが拾ったのはスマートフォンだった。

 本体に大きな亀裂が入っており、完全に壊れているようだ。

 

「他の契約者との戦いに負けたんだろうね。

 で、テウルギアのアプリが入ったスマートフォンを破壊された」

「……負けたから、この人は死んだと?」

「正確には、負けてスマートフォンを破壊されたせいだね。

 契約アカウントとの繋がりを失えば、その人間は契約者の資格を失う。

 そうなったら、不履行の代価として悪魔に魂を奪われる。

 それがテウルギアとの契約だからね」

 

 涼しい夜なのに、嫌な汗がこぼれた。

 テウルギアの契約アカウント。手にしたスマホを意識せずにはいられない。

 もし、これが壊されてしまったら、俺も。

 

「……大分、理解が及んできたみたいだね。カナデ」


 笑っているのは、少女の姿をした悪魔。

 もし俺が同じ事になったのなら、彼女が俺の魂を喰ってしまうのか。

 実際にそうするのか、流石に聞くのは躊躇われる。

 落ち着いたはずの精神がまた乱れそうだ。

 

「コイツは悪魔に魂を奪われた。

 魂の『価値』を喰われたから、この男の存在は理の『外』に消えた。

 だから誰にも見えないし、気付かれない。

 普通の人間は、理の『内』の事しか知覚できない」


 まぁ、偶に「外れた奴」は見たり聞いたりできるのだけど、と。

 小さく呟きながら、ミサキは死体の傍から離れる。

 俺は震えそうな手を抑えたまま、カメラを彼女に向けていた。

 現実にはいない少女が、仮想の世界で笑っている。

 何が真実で、何が虚構なのか。

 意識すらした事のない境界線が、酷く曖昧なモノに思えてしまう。

 自分が正気である自信さえ無くなってしまいそうだ。

 

「カナデ」

 

 耳元で囁く、甘く優しい少女の声。

 それは脳髄に染みる毒だ。

 

「ほんの少し前まで、君は普通の人間だった。

 悪魔の実在を知らず、世界の理に『外』があるなんて夢にも思わない。

 けど、もう分かったはずだ。君はテウルギアの悪魔である私と契約した。

 『価値』を喰われた男の死体が見えたのも、その影響だね。

 今の君には、『本当の事』を覆い隠す暗幕を取り払えるはずだ」

「…………それは」

 

 ミサキが何の事を言っているのか、分かってしまった。

 理解は、熱病のように脳髄の奥から広がる。

 まだ新しい住宅街で、妙に空き家が多い理由。

 空き家だと思っていた家には、誰かがちゃんと住んでいたんだ。

 いつの間にか消えてしまっていただけで。

 教室に並んだ机に、妙に虫食いが多いのもそうだ。

 いたはずなんだ。顔も名前も浮かんでこない学友が。

 それが何人いて、どんな人間だったのか。

 僅かな残滓すら俺の中には残っていないけど。


「カナデ」

 

 口元を手で押さえ、嘔吐感を何とか抑え込んだ。

 吐き出したい。けど、吐き出したって楽にならない。

 気遣うミサキの声が、繰り返し俺の名前を呼ぶ。

 それを心地良いと思ってしまうのは、果たして罪であるのか。


「……ミサキ」

「なんだい?」

「俺が――俺だけが、あの家で暮らしているのは……」


 聞くなと、理性が真っ赤になるほどの警告を発している。

 それでも聞かずにはいられない。

 境界線はもう曖昧になった。だから、ハッキリさせなくちゃならなかった。


「俺の両親は――悪魔に、殺されてるのか?」

「そうだよ」

 

 嘘も誤魔化しもなく、悪魔は真実だけを口にした。

 画面の中で、赤い瞳が真っ直ぐに俺を見ている。

 今度は、吐き気はしなかった。


「君の両親は、悪魔の争いに巻き込まれて殺された。

 魂の『価値』を喰われたから、その死すら認識できなくなった。

 それが真実だよ、カナデ」

 

 何故、父も母もいないのか。

 その「いない」という事実に、何も感じていなかったのか。

 ミサキの言葉こそが真実だった。

 悪魔に殺され、食われて、この世界から消えてしまった。

 だから俺は、違和感すら覚える事はなかったんだ。


「なんで、そんな事……っ」

「理由なんて明白だ。テウルギアの悪魔と契約者は、魔王となる為に争ってる。

 この街の現状を認識できただろう?

 此処はある悪魔契約者の縄張りで、随分と食い物にされてる」

 

 食い物。それは正に言葉通りの意味で。

 

「……本当は、誠司がケリを付ける予定だったんだけどね」

「っ……おじさんが……?」

 

 耳慣れた名前が出た事で、はたと気付く。

 元々はミサキの契約者は誠司おじさんだったはずだ。

 彼女自身も最初の時にそう言っていた。

 それは、つまり。


「おじさんも、悪魔同士の戦いに――」

「オイ」


 ミサキに問いただそうとした、丁度その時。

 野太く、ガラの悪い男の声が響いた。明らかに俺に向けられた恫喝の言葉。

 振り向けば、街灯の光の下で如何にもな恰好の男が立っていた。

 目つきは悪く、不摂生の影響か顔色と人相も極めて良くない。

 ぱっと見は四十ぐらいに見えるけど、実際はもっと若いかもしれない。

 金色に染めた髪はボサボサ。

 派手な柄のシャツとズボンも、お世辞にも衛生的とは言えない。

 見かけたら即座に距離を置きたくなる、ゴロツキのチンピラ。

 そんな男が、暗い感情に濁った目で俺を見ていた。

 

「オイ、ガキ。てめェに言ってんだよ、聞いてンのか? あッ?」

 

 ……どうして、この手の人種は無駄に攻撃的なんだろう。

 理解しがたい野生動物にでも出くわした気分だ。

 思わず後ずさる俺に対し、チンピラは聞えよがしに舌打ちをする。


「学生の身分でよぉ、こんな真夜中に死体漁りか?

 最近のガキは随分と教育が良いみてェだなぁ、オイ」

「……いや、俺はもう帰るん、で……?」


 ちょっと待て。このチンピラ、今なんて言った?

 目を合わせず立ち去ろうとしたが、思わず足を止めてしまった。

 コイツ、悪魔に殺された死体が見えてる……!?

 殆ど反射的に、俺はチンピラの方に視線を向けてしまった。

 笑っていた。間抜けが引っ掛かったと。

 喜色満面の笑顔が、言葉にせずともそう物語っている。


「なんだよ、

「カナデ、下がって!!」


 スマホから響くミサキからの警告。

 頭で考えるよりも早く、俺は地面を蹴った。

 チンピラの男は動かない。下衆な笑みを浮かべて立っているだけ。

 他には何もない――そのはずなのに。


「熱……っ!?」


 まるで、間近で炎が燃えたみたいに。

 肌を焼く熱気を、俺は間違いなく感じていた。

 火の気なんてどこにも見当たらない。

 にも関わらず、道路に横たわっていた死体が燃え上がった。

 

「カメラをあいつに向けて! 急いで!」

 

 動揺を抑え、言われるままスマホのカメラをチンピラに向ける。

 画面に映し出されたのはチンピラと、その隣。

 肉眼では見えない、揺らめく炎があった。

 炎……いや、それは――。


「なんだ、コイツ……?」


 燃える黒い人影としか表現しようのない「何か」。

 厚みのない、ペラペラとした影が地面の上に立っている。

 その全身は赤く燃えているのに、チンピラはまるで熱を感じていないようだ。

 

「ハハハハっ! やっぱり契約者かよ!

 しかもこんな素人臭い奴とか、大当たりじゃねェか!」

 

 燃える影を従えて、チンピラはゲラゲラと笑い出す。


「お前も……!」

「あぁそうさ、悪魔契約者テウルギストだ。

 分かるか? ホントに分かってんのか?

 喧嘩もした事なさそうな面して、ガキがうろつくのが悪いんだぜ?」


 チンピラの手にはゴテゴテと飾られたスマートフォン。

 カメラのレンズは俺と、俺の傍にいる彼女を捉えているはず。

 口元をより大きく歪ませて、チンピラは笑う。

 

「オレは最高にツいてるぜ。

 まさかこんな、殺して下さいと言わんばかりの獲物に出くわすなんてなぁ」

 

 良心とか道徳とかを、ごっそりとこそぎ落とした顔。

 名前も知らないチンピラは、さも当然のように殺意を語った。


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