第5話:夜の散歩


 世界の真実。なんて胡散臭いワードだ。

 スピリチュアルに、怪しげなカルトの勧誘。

 現代で、創作以外に聞くケースはそれぐらいだろう。

 眉に唾でも付けたくなる話だ。


「良い夜だね、カナデ」


 誰もいない、街灯の光が照らす夜の道。

 人の気配はなく、道を歩いているのは俺だけだ。

 誰もいないはずの夜。けれど彼女は、確かにそこにいるのだ。

 スマホから流れてくる声に導かれ、俺は正面にカメラを向ける。

 画面の中には、微笑みながら歩くミサキの姿があった。


「前見て歩けよ」

「問題ないさ、私は悪魔だからね」


 こっちを見ながら歩く少女。星はなく、月は雲に隠れている。

 白い電灯の光の中に、彼女の姿は鮮やかなまでに黒かった。

 夜がそのまま人の形を取ったような。

 セーラー服というありきたりな格好が、逆に非現実感を強調している。


「……本当に、ミサキは悪魔なのか?」


 出会った――いや、遭遇したばかりの怪奇。「悪魔」を自称する少女。

 そんな彼女に誘われて、暗い夜を散歩している。

 頭がおかしくなったと言われたら、何一つ否定できない。


「疑り深いね。まぁ、仕方のない事だろうけど」


 ミサキは笑っていた。

 その表情に一抹の寂しさを見たのは、俺の気のせいだろうか?


 「君は多くを忘れてしまっている。だから疑うのは仕方がない」 

 「……家を出る前も言ってたけど。俺が忘れてるって、何の話だ?」

 

 別に物忘れが激しいとか、そんな事はないはずだ。

 毎夜見る赤い夢を、覚えていないだけで。

 

「繰り返しになるけど、テウルギアはゲームなんかじゃない。

 このアプリで契約する悪魔は、本物の悪魔だ。

 まぁ、何を根拠に『本物』と表現するかは議論の余地があるかもしれないけどね」


 囁く声は、夜に吹く風みたいだ。

 AR表示された画面の中で、ミサキは夜道を進む。

 単なる住宅街の小道。おかしな事は、俺と彼女以外は何もない。

 それなのに、心臓に針が刺さったみたいな不安が消えない。

 怖い。理由もなく、俺は夜を怖がっている。

 ミサキの声がなかったら、その場で泣き叫んでいたかもしれない。


「テウルギアの目的は悪魔を育てる事。

 そして悪魔は最高位階である『魔王』になる事を目指す」

「魔王?」

「そう、魔王。テウルギアに定められた十ある悪魔の位階。

 その頂点である第十階位だ」


 いい感じに語ってくれているが、やっぱり胡散臭い。

 魔王云々は、利用規約で読んだ覚えがある。


「契約した悪魔が魔王になれば、契約者はあらゆる願いが叶えられる。

 それはおよそ不可能なことなんてない。言葉通り『あらゆる願い』だ」

「まるで御伽噺だな」


 ピンとは来ないが、本物の悪魔とかは流石にもう否定し辛い。

 もう十分に、ミサキによって不可解なものを見せられてる。

 彼女は一体、この上で何を見せようと……。


「真偽はどうあれ。

 テウルギアが世にばら撒かれてから、もう何年も争いは行われてる。

 悪魔契約者テウルギスト同士のね。この街だって例外じゃない」

「……え?」

 

 悪魔契約者同士の争い。それが、この街でも行われてる?


「そんな馬鹿なと思ったかな?

 戦ってるような連中がいれば、普通気が付かないはずがないって」

「そ、そりゃそうだろ?」

「君は、テウルギアのアプリ越しでしか私が見えてないのに?」

「……それは」

「悪魔はこの世の理の『外側』の存在なんだ。

 だから私たちは、自力でこの世界にある物に干渉する事も難しい」

 

 画面の中。微笑むミサキは、俺のすぐ傍まで近づく。

 熱を感じるはずもないのに。

 隣に彼女がいるという実感が熱を帯びる。

 心臓の鼓動が、普段より僅かに早い。


「そして、『外側』の存在である悪魔に『価値』を喰われるとね。

 喰われた物は『外側』に取り込まれ、

「は?」

 

 認識、されなくなる?

 理解できていない俺の顔を、ミサキが覗き込む。

 

「意味が分からない? だったらやっぱり、百聞は一見に如かずかな」

 

 ミサキは笑う。それは実に楽しそうな笑顔だった。

 まるで、悪魔のような微笑みだった。


「ほら――丁度良いとこに転がってた」

「え?」

 

 彼女が指を差した方。釣られて、そちらを見た。

 白い街灯の光だけが照らし出す暗い道。

 その道で、車の通りも人の行き来もない狭い一角。

 誰かが倒れていた。距離があるので、詳細には確認できない。

 ただスーツ姿の人間であることは間違いなさそうだった。


「ちょっと、アンタ!」


 声を張り上げ、俺は倒れた誰かのところへ急ぐ。

 時間的に酔っぱらいか?

 人の少ない住宅街とはいえ、車の往来がないわけじゃない。

 轢き逃げとかなら、急いで救急車を――。


「死んでるよ」


 駆け寄って、すぐに気付いた。

 死んでる。言われなくとも見れば分かる。

 だって、ほら、これ。微妙に腐り出して。


「ッ――――!?」


 口から出たのが悲鳴か。

 それとも食べたばかりのカレーなのか。

 分からない。この夜の事が、何一つ分からない。

 だっておかしいだろ。

 なんでこんな道の真ん中に、人間の死体なんて転がってるんだ?


「死後数日ぐらいかな?

 大分涼しくなってきたとはいえ、昼間は陽射しも強い。

 真夏よりはマシでも、腐敗するのが早いな」


 俺は死体の傍で腰を抜かしていた。

 手に握ったままのスマホからは、変わらずミサキの声がする。

 恐る恐る、震える手でカメラを遺体に向けた。

 しゃがみこんだミサキが、そのレンズを覗いていた。

 画面を半ば埋める、赤い瞳の輝き。

 それは、ミサキが悪魔であると確信させるには十分過ぎた。


「怖がらなくて良いよ、カナデ」


 間違いなく、恐ろしい存在であるはずなのに。

 語りかける声だけは、甘く蕩けるように優しかった。

 目には見えず、触れた感触もしない指先が。

 そっと頬を掠めた気がした。


「それより、早く救急車……いや、警察を……!」

「どうして?」

「どうして、って。死体がこんな場所にあるんだぞ!?」

「こんな場所っていうのは、どういう場所だい?

 カナデ、落ち着いて見てみるんだ」

「は……?」

 

 言われるまで、まるで気が付かなかった。

 夜中だから、というのもある。

 こんな暗くなってから外に出る事なんてないから、分からなかった。

 この道は、良く知っている道だ。

 

「そう、使

 今朝も通ったし、昨日もその前も通ってるはずだ」

「……ぅ、ぁ」

 

 何故。この死体は、最低でも数日は放置されているはずだ。

 それだったら、何故、どうして。

 

「分かるだろう、カナデ」

 

 囁く声が、酷く近くに感じる。

 

「少なくとも数日。君は、この死体の横を通り過ぎていたんだ。

 今この瞬間まで、何も知らずにね――?」

 

 悪魔の声は、優しく甘い。

 耳から脳髄へと入り込んで、芯から絡みついて来るような。

 こわい。おそろしい。

 見える範囲に外傷はない。

 だけど命の火が消えてしまった、虚ろな眼が。

 俺のことを、見ている気がして。

 

「カナデ」

 

 悪魔が呼んでいる、俺の名前を。

 その恐ろしさに従って、拒絶するべきだ。

 そのはずなのに。

 

「命じて欲しい。私が、君に触れる事を許す――と」

 

 ミサキが何故、そんな事を言い出したのか。

 混乱して頭の動きが停止していた俺には分からなかった。

 

「さぁ、カナデ」

「……いい。分かった。触っても、良い」

「ありがとう」

 

 スマホを確認する余裕もない。俺の手を、温かな感触が包み込んだ。

 肉眼では、やっぱり何も見えなかった。

 ただその温もりから、ミサキが俺の手を握ってる事は分かった。

 血の気の失せてしまった指先に感じるもの。

 それは悪魔である事が信じられなくなるような、優しい熱。

 

「大丈夫だよ、カナデ。私がいる。

 君が落ち着くまで、こうして手を握っているから」

「っ……」

 

 何かを言おうとしたけど、上手く行かなかった。

 せめて、泣き出しそうな一線だけは堪えて。

 俺はただ、見えない彼女の手に縋りついていた。

 見上げた夜空には、変わらず星の一つさえ浮かんでいなかった。

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