第4話:ミサキ
本当に良く出来たゲームだ。
ゲームのキャラに、こんな人間みたいに喋らせるなんて凄い技術だ。
無邪気にそう思えたなら、どれだけ良かったか。
このゲームは、明らかにおかしい。
「テウルギア……っと」
リビングの椅子に座って、スマホを操作する。
おじさんの物ではなく、自分の持っているスマホの方だ。
前者は今、とりあえずテーブルの上に置いている。
スマホの電源もテウルギアも、起動した状態のままだ。
「知りたい事があるなら、私が答えてあげるよ?」
「いや、先ずは自分で調べてみたいんで」
「勤勉だなぁ」
愛らしい少女の声が、置かれたスマホから聞こえてくる。
カメラは下向きなので、画面は真っ暗だ。
だから例の黒い少女――ミサキと名乗った、自称悪魔少女の姿も見えない。
ただ、声の調子からなんとなく分かってしまった。
もし今、テウルギアで俺の方を撮影したら。
彼女が背中から、こちらのスマホ画面を覗き込んでいるだろうと。
スピーカーから聞こえる声は、耳元で囁かれてるように近い。
気が散りそうなのを必死に堪えながら検索すると……。
「あった、公式ホームページ」
見つけたページを、早速開いてみる。
画面には、アプリを開いた時と同じ悪魔の祭壇が映し出された。
それは良い、肝心なゲームの情報だが。
「うーん……」
書かれているのは、事前知識に毛が生えた程度の内容だった。
契約した一体の悪魔を育成するゲーム。
AR機能を使った収集要素の他、成長した悪魔とコミュニケーションも取れる。
悪魔を育てるにはポイントが必要で、これはカメラで収集する事が可能。
ただしそれだけでの育成は困難。
だから課金やプレイヤー同士の対戦などで、より多くのポイントが得られる。
ポイント――通称「AP」は、育成以外にも様々な使い道がある。
それは主にショップでの買い物や、悪魔への「お願い」で消費される、と。
とりあえず基本的な事は分かった。
悪魔には十の階級があり、成長が一定に達すると上の階級に変化する事も。
現在の階級はアプリ上に表示される星の数で分かる事も。
実にゲーム的で分かりやすい。だからこそ、余計に謎が深まる。
「ゲームに見せかけているだけだよ」
耳元で囁かれた気がして、心臓が跳ねた。
音源は、スマホのスピーカーのはず。振り返ったとしても、背後には誰もいない。
這い上るような恐怖が、身体の芯を冷たくしていく。
「これは本当に悪魔と契約するためのアプリだ。
嘘は書かれていないし、全部真実に他ならない」
「いや、そんな馬鹿な話が……」
「あるんだよ、カナデ。さ、誠司のスマホを手に取って。
何も知らない君に、私がレクチャーしてあげよう」
「れ、レクチャーって、一体何を……?」
戸惑いはするが、何故かミサキの言葉に逆らう気力はまるでなかった。
理解不能な事象を前に、恐れているのは間違いないのに。
……言われた通りにスマホを構えれば、画面にまたミサキの姿が映る。
ちゃんと見ている事が分かると、彼女は満足げに笑った。
「宜しい。何事も百聞は一見に如かずと言うからね。
口で説明するより、実際に見て貰った方が格段に早く理解できるだろう?」
「いや待って、何する気だ?」
「んー、そうだね」
不安げな俺とは真逆に、ミサキは実に機嫌良さげだ。
果たして何をそんなに喜んでいるのか。
と、少女の視線があるものを見つけていた。
「買い物袋?」
「ん、あぁ。学校帰りのスーパーで、ちょっと足りない物とか買って来たんだ」
「なるほど、献立は?」
「カレーの予定だな」
「カレーかぁ、悪くないね」
何か思いついた表情でミサキは頷く。
それから画面の中で、床に置いた買い物袋を指差した。
「材料はこの中?」
「や、ある程度は家にあるもので作るつもりだった」
「そうか。ならちょっと使わせて貰って良いかな?」
「……なんて?」
「だから、カレーを作ってあげようって話だよ。
君の許可なしには出来ないんだから、素直に頷きなさい」
話の流れが上手く掴めないが。
どうやらこの自称悪魔のミサキさんは、俺にカレーを作ってくれるらしい。
いや、どうやって?
「どうしたんだいカナデ。カレー、食べたくないのかな?」
「あ、いや、作って貰えるもんなら作って貰いたいですけど……」
ゲーム画面の中にいる彼女に、そんなことが出来るのか?
半信半疑に頷く俺に、ミサキは笑う。
「
歌うようにそう言って、黒い手袋をつけた彼女の手が伸びてくる。
スマホの画面だと分かり難いが、買い物袋を拾おうとしてるようだ。
いや、そんな事をしても――。
「…………は?」
浮かび上がった。俺の見ている前で、買い物袋が。
慌ててスマホの画面を確認する。
そこには、片手に袋を下げたミサキの姿があった。
……そんな馬鹿な。
呆然とする俺を余所に、ミサキは袋と共に画面の外に消える。
現実に目を向ければ、浮かぶ買い物袋はキッチンに移動していた。
アプリの方でもそちらを確認。
そこには袋の中身を漁り、更に冷蔵庫の中身を確認するミサキの姿が。
なお言うまでもなく、現実では怪奇現象全開だ。
ホラー映画でのポルターガイストとか、大体あんな感じだった。
「うん、特に配置は変わってないね。だったらやりやすいな」
などと、何か気になる事を呟きながら。
画面の中のミサキは、実に手慣れた様子でカレーを作り始めた。
肉眼で見ると野菜を刻む浮遊包丁とか。
大分正気が削られる光景なため、画面の方に集中する。
手際よく、かなり手慣れた様子で。
自称悪魔のミサキは、あれよあれよとカレーを調理していく。
そこだけ見れば、可愛い彼女が手料理を作ってくれているみたいで……。
「……いやいや」
冷静になれ、惑わされるな。
相手は自ら悪魔を名乗る謎のゲームキャラで、しかもガチめな怪奇現象だ。
むしろなんで俺はここまで冷静なのか。
いや、驚いてるしビビってるのは間違いないんだけど。
「もうすぐ出来るから、あと少し待って欲しい」
「あ、うん」
明らかに人外であるはずなのに、普通の女の子みたいに言われると。
こっちもどうしたら良いのか分からなくなる。
まぁ、出てくるカレーがヤバい代物である可能性は十分にあった。
最低限の警戒はしておくべきで……。
「……美味い」
「だろう?」
お出しされたカレーは大変美味なものだった。
ジャガイモや人参、大きめに切った豚肉。
急ぎで用意したためか、煮込みが若干甘くはある。
けど、それぐらいは気にならない美味しさだ。
「変なモノは入ってないから安心するといい」
「ぶっ」
いきなりドストレートに言われて、思わず咽てしまった。
いや、確かに考えなかったわけじゃないですけどねぇ……!
軽く咳き込んでから、俺は水をぐいっと飲んだ。
カレー自体は大して辛くはないが、やはりスパイシーなので水は欲しい。
一息吐いた俺を、画面の中で彼女が見ていた。
「とはいえ、悪魔の中にはそういう手を使う輩もいる。
私は君にそんな真似をする事はあり得ないけど。
手段として警戒しておく必要はあると思うよ?」
「そ、そうか」
一体何の話をしてるか、イマイチ分からんけど。
気にせず、カレーを食べようとしたところで……。
「じゃあ、そろそろご褒美を貰わないと」
「ご褒美」
え、何ですか。
やっぱり悪魔だから魂とか取られるんでしょうか。
もしや俺の命はカレー一杯分なの?
「んっ」
若干腰が引けてる俺に、ミサキは軽く口を開けた。
これからお前を食うという意思表示かと思ったが、どうも違うらしい。
困惑してると、彼女はカレーとスプーンをそれぞれ指差す。
最後に、開けた自分の口を示した。
「……食べさせろと?」
「早くしたまえよ、顎が疲れるだろう?」
「悪魔でも顎って疲れるんだ……」
見た目普通に女の子だしな、ウン。
しかし女子相手にあーんで食べさせろってのは、なかなかハードルが高い。
それが初対面で、かつ現実側に存在しない相手だ。
カメラを手に取り、画面を確認しながらスプーンを近付ける。
ミサキは餌を待つひな鳥みたいな顔だ。
……普通に考えたら、カレーの乗ったスプーンは何もない空間を過ぎるだけ。
そうならなければおかしい。
「――うん。我ながら良い味だ」
おかしいはずなのに。
スプーンで掬ったカレーは、綺麗になくなっていた。
画面の中では、ミサキが食べさせたばかりのカレーを美味そうに頬張っている。
いや、本当におかしいだろ。そろそろ頭もおかしくなりそうだ。
「とまぁ、私がゲームのキャラじゃない事は分かって貰えたと思う」
語る声は、楽しそうにカレーを作っていた少女のまま。
人に見えるだけの「何か」であるミサキは、柔らかく微笑んでいた。
「悪魔は契約者の許可がない限りは、物質世界に自力では干渉できない。
だから命令を貰い、行動する分の『価値』を消費する必要がある」
「価値……? 価値って、どういう意味なんだ?」
「価値は価値だよ、そのままさ。
あらゆるモノには『価値』があり、悪魔はそれを餌にする。
悪魔が魂を対価に要求するのは、それが特に高い『価値』を持つためさ」
ちなみに、と。
ミサキは画面の端っこを指差してみせた。
「さっき、君にカレーを食べさせて貰った事で『価値』が増えてると思う」
「……ホントだ、増えてる。千ポイントぐらい」
「安いなぁ。まぁ焼け石に水でも無駄じゃないか」
良く分からんが、ゲームならポイントの稼ぎは重要だろう。
しかし、あれだけの事で何でそれなりにポイントが増えたんだ?
そんな疑問を察してか、ミサキは軽く笑った。
「この辺、ちゃんと説明すると大変だからね。
要するにモノの価値っていうのは、それを見る者の主観でも変化する。
今のご褒美は、私の主観ではなかなか良い物だったから。
その分だけ捧げられた際に『価値』が重くなったんだ」
「なる、ほど……?」
まぁ、「価値」とやらが変動するぐらいは理解できた。
「重要なのは三つだよ、カナデ。
一つ、テウルギアで契約するのは本物の悪魔だ。
一つ、悪魔は契約者の命令がなければ物理的には何もできない。
一つ、悪魔を動かすには『価値』が必要。
私の場合、事情があって三つ目はそれほど重要じゃないけどね」
この話だけ聞いたなら、単なる与太と笑い飛ばせたのに。
俺は悪魔がどうこうってのが真実だと、そう思い始めていた。
いやでも、そんな馬鹿な話が本当に……。
「ふむ――どうやら、まだ疑ってるみたいだね?」
「っ……!」
囁く声。濡れた吐息が、唇に触れた錯覚。
カメラの範囲外なのでちゃんと見ることは出来ないが。
きっと、ミサキは俺の目の前にいる。
いないはずの相手の熱を、俺はどうしようもなく感じていた。
「……よし」
と、ミサキは何か思いついたらしい。
彼女はまた、アプリの画面越しに俺の顔を覗き込んで来た。
「散歩にでも行かないかな? 食後に丁度良いはずだよ」
「散歩?」
カレーの次は散歩か。外はかなり暗くなっている。
こんな中を、他人には姿の見えない悪魔っ子と二人で散歩?
色んな意味で大丈夫なのか、それは。
「そう怖がらなくても良いよ、私がついてる」
「い、いや、恐がってるワケじゃないけどな」
「何があっても、私は君を守るよ。
少々危険はあるだろうけど、私がいるから大丈夫だ」
語る声には、有無を言わさぬ自信に満ちていた。
そんな風に間近で囁かれたら、抵抗できるワケがない。
素直に頷く以外の選択肢は綺麗に潰されてしまった。
「必要なことだよ、カナデ。
君が忘れてしまった世界の真実。
暗幕の下に隠されたものを、私がきちんと教えてあげよう」
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