第14話:邂逅
「奪い取った物は『価値』が低くなる、っていう話は今朝方したと思う」
穏やかな時間は、あっという間に過ぎ去る。
何事もなく学校の授業を終え、帰り道に少しばかりの買い物も済ませた。
変わらないはずの、けれど変わり果てていた日々。
日が沈んだ後は、また夜が来る。悪魔が潜む夜の時間が。
「あの時は簡単な説明で済ませてしまったけどね。
もう少し詳しく言えば、それは主観による『価値』の変動が関わって来る」
「なんか、そんな話も昨日聞いた気がするな」
街灯の白い光。その明かりだけを頼りに、人気のない夜道を行く。
昨夜と同じように、俺とミサキの二人で。
目では見えない彼女の姿を、スマホの画面に映し出す。
「良く覚えていたね。いや、説明したい事が多くてね。
話すにしてもこんなぶつ切りで申し訳なく思うよ」
「それは別に気にしないけど」
仮に一気に詰め込まれても、それを覚えきれる自信も無し。
必要に応じて説明してくれるなら、それが一番だろう。
「で、主観で『価値』が変わるって話。
一応聞いたけど、イマイチピンっと来ないんだよな」
「だろうね。私も、説明の仕方がちょっと拙かったと反省してるよ」
率直な感想に、ミサキは苦笑いで応えた。
いや、単に俺の理解力が足りないだけだと思う。
状況そのものは、完全に散歩ついでの雑談だ。
……いつ契約者とその悪魔が襲って来るかも分からない。
その緊張は拭いされないまま話を続ける。
「例えば、ここに一つの宝石があったとしよう。
それは本物のダイヤで、当然市場ではそれなりの値が付く代物だ」
「ふんふん」
「だけど、君はこのダイヤを『偽物のガラス玉』だと聞かされた。
そして君には宝石の真贋を見分ける目なんかない。
言った相手が鑑定士だなんて名乗った日には、絶対信じるんじゃないかい?」
「……まぁ、信じるかな。信じそう」
暗に騙されやすいと言われてるような気がするけど、今は置いておく。
「その時点で、『本物のダイヤ』は君の主観では『偽物のダイヤ』になる。
君はそれを『本物のダイヤ』の値段で売ろうと思うかい?」
「……無い、な。多分無い」
「乱暴に言ってしまえば、それが主観による『価値』の変化だ。
それが本物のダイヤである以上、ダイヤ自体が持つ『価値』は変わらない。
けど捧げる側の『主観』ではそれは偽物の『価値』しかない。
だからその分だけ、本来持ってるはずの『価値』が目減りしてしまうんだよ」
「……なるほど。何となく分かった気がする」
俺の返事に、ミサキは満足げに頷いた。
「ほら、映画や演劇の元ネタになるような昔話の類では定番だろう?
愛しい人の命を対価に、悪魔と契約を結ぶ――なんてのは」
「定番……なのかな?」
「少なくとも珍しくはないかな。別に対象は悪魔でなく神様とかでも同じさ。
娘、親、或いは恋人――生贄は捧げる者にとって縁深く、近しい者ほど良い。
後は捧げられる側の『好み』もある。
神様の生贄は穢れなき生娘とか、こっちもこっちで定番じゃないかい?」
「あ、あぁ。ウン、そうかも」
そんな美少女顔で、サラっと生娘だとか言わんで欲しい。
こっちの反応に対して、ミサキは不思議そうに首を傾げた。
「今の説明はちょっと分かり辛かったかな?」
「いやいや、そんな事ない。大丈夫、良く分かったから」
「そう? まぁそういう意味だと、カナデの『生活費一年分』は重かったね。
間違いなく金額以上の『価値』はあったよ。
学生の身分である君にとっては、比喩でも何でもなく命の値段だ」
「我ながら良い捨て身だったと思ってる」
「褒められた事じゃないからね?」
はい、スイマセン。割と本気で怒ってるのは、画面越しでも伝わって来た。
じろっと睨んでから、ミサキはやや呆れ気味にため息を吐く。
「……まぁ、アレは私の力不足もあるからね。
褒められた事じゃないけど、そう強くも怒れないかな」
「流石に何度もやりたい無茶ではないかな」
「頼むよ。アレだけの大金を使うのは、実際『命を削る』に等しいんだ。
悪魔に捧げる『価値』としては十二分だけど。
そうそうやってたらカナデの身が持たないからね」
なんて、夜道を歩きながら言葉を交わす。
ミサキを見ながら話をすると、必然テウルギアの画面を見る形になる。
その時、ふと画面端にまだ触れてないアイコンがある事に気付いた。
何だろう、この金ぴかの扉みたいなのは。
「なぁミサキ、このアイコンって何だ?」
「ん? ――あぁ。それは『ショップ』のアイコンだよ」
「あぁ、ショップか」
言われてみればそんな雰囲気のアイコンだ。
ゲーム内ショップまであるとか、ホントにぱっと見はソシャゲそのものだ。
何気なく触ろうと指を伸ばすが……。
「待って、カナデ」
ミサキに何故か止められてしまった。
画面内に見える表情は、妙に難しいもので。
「……それはまだ、君は触らない方がいい」
「どうして?」
「説明が難しい……いや、別に難しくはないのだけど……」
多分、これまでで一番渋い顔をしている。
ショップなら、普通はプレイする上で役に立つアイテムが購入できる場所のはず。
課金とかも、ショップでゲーム内通貨を買う形式も多い。
普通に考えれば、攻略していくのに必須なはずだ。
首を傾げてる俺を見て、ミサキは慎重に口を開いた。
「恐らく、カナデが想像している通り。
そのショップでは様々な物を購入することができる。
支払いは『価値』から変換したポイントが基本。
ただ『店主』の趣味で、貴金属系は直接取引に使える。
後者の場合はサービスしてくれる場合もある」
「何か、その説明からすると……」
「あぁ、そうだよ」
こっちが言い終えるより早く、彼女は頷く。
「ショップを管理しているのは悪魔だ。
テウルギアでの争いには直接関わらない、中立な立場のね」
「……そんなポジションの悪魔もいるんだな」
いや、考えてみれば当然か。
ゲームアプリなんだから、運営サイドの悪魔がいたっておかしくはない。
「私も、テウルギアの運営については詳しく知らない。
明確に運営側で、かつプレイヤーである契約者と関わりを持ってる悪魔。
ショップの『店主』以外には、今のところ確認できてないね」
「なるほど。……けどなんで、俺は触らない方が良いんだ?」
「タチの悪い悪魔だから、以外の説明は必要?」
「もうちょっと詳しく聞きたい」
「……兎に角、タチの悪い悪魔なんだよ。
さっき言った通り、運営側だから基本的には契約者には中立だ。
誰であれ、不利益を与えない限りは客として扱ってくれる」
「不利益、って言うと……」
「悪魔が強くなってくると、勘違いした契約者も出てくるんだ。
自分はもう無敵で、何も恐れる必要はないってね。
ショップで強盗しようとする奴も、稀にだけどいるんだよ」
「……それは、また」
ゲーム内ショップで強盗とか、前代未聞すぎる。
いやしかし、普通ショップなんて表示されたメニューから選択する形のはず。
今のミサキの話を聞くと、本当に店の中に入るみたいな……。
「だけど、『盗み』に成功した奴は一人もいないらしい。
そして試みた上で失敗した者がどうなったのか、知る者は誰もいない。
中にはかなりの上級悪魔を従えた契約者もいたって噂だけどね」
「…………」
「――位階としてどの位置にいるのか、それはテウルギアを通しても分からない。
ただ間違いなく、殆どの契約悪魔よりも上位にある大悪魔だ。
強さも当然だけど、その在り方そのものが異質なんだ。
まだテウルギアに触れて間もない君では、惑わされる可能性が高い」
だから今はまだ、触らない方が良いと。ミサキは説明をそう締めくくった。
どうやら、本気で今の俺には触って欲しくないらしい。
ショップの運営を行う大悪魔。
貴金属を好むというと、財宝の類が好きなんだろうか。
悪魔らしいと言えば悪魔らしい特徴だ。
まぁ、残念ながらそれでご機嫌を窺える手持ちはないんだけど……。
「……なぁ、ミサキ。やっぱりそういうゲーム内の仕組みは、もっと詳しく……」
「待って」
本当に、何の前触れもなく。
足を止めたミサキが、片腕を上げて進路を遮る。
制止の言葉に従ってこちらも立ち止まった。
街灯の光が揺らめく暗い道。相変わらず人の気配は感じられないが。
「……悪魔? それとも、契約者が?」
「分からない。けど、誰かいる」
そう断言して、ミサキは暗闇を睨みつけた。
俺も良く見えないなりに、暗がりに対して目を凝らす。
静寂と沈黙が、夜風と共に数秒ほど流れて。
「…………えっ?」
白い明かりの向こうから、その人物は姿を現した。
見慣れた――いや、見慣れない恰好をした見知った相手だ。
人工の光に煌めく金色の髪も。
浮かび上がる白い肌の色も、人間離れした美貌も。
どれも見覚えのある少女の姿で。
「……ソフィア、さん?」
「カナデ、前には出ないで」
思わず名を呼ぶ俺に、ミサキが鋭く警告を発した。
分かっている――いや、本当に?
どうして、こんな夜中にソフィアと出くわしたのか。
その理由を、本当に俺は理解しているのか?
混乱する俺とは真逆に、ソフィアの眼は落ち着いていた。
冷たく鋭い、氷柱みたいな眼差し。
彼女は学校の制服とは違う、真っ黒い上下で身体をすっぽり隠していた。
袖から覗く指先には、服とは違う白い手袋で覆われていた。
手の甲辺りに見えるのは、赤い十字架っぽい紋章。
厚い袖のせいで半分程度しか確認できない。
「……その女が、貴方の契約悪魔?」
「えっ……」
問われた言葉に、俺はますます驚いてしまった。
ソフィアの眼はミサキに向いている。
テウルギアの入ったスマホを構えた様子もない。
彼女は間違いなく肉眼で、悪魔であるミサキを見ていた。
「……あぁ、そうか。何となく匂いに覚えがあると思ったら。
貴女、誠司の言っていた――」
「そちらの事情はどうでもいい。私は私の職務と責務を全うするだけ。
これから祓う悪魔相手に、無駄話をする気も無いわ」
何かを言いかけたミサキを、ソフィアは強い言葉で遮った。
……知らない。
こんなソフィア=アグリッピナは、これまで一度も見たことがない。
「出て来なさい、オロバス」
「――仰せの侭に、
ソフィアの傍らに現れたのは、昨夜見た馬耳の悪魔。
魔神オロバス――いや、それより、今。
あの悪魔は、彼女のことを何て呼んだんだ?
絶句する俺に向けて、ソフィアは淡々と。
「貴方の思っている通り。この魔神オロバスの契約者は私よ、日野くん。
……お前が昨日ドジしなければ、こんな面倒にはならなかったのに」
「いやはや面目ない」
契約悪魔を一度だけギロリと睨んで。
それから改めて、ソフィアは俺の方を見た。
冷たい、敵意に満ちた眼で。
「警告は一度だけしかしないわ。
そのテウルギアの契約アカウントを、大人しく私に寄越しなさい」
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