第2話:謎のゲームアプリ



「ただいまー」


 玄関からの呼びかけに、当然返事はない。

 空しさが胸の奥を掠めていく。

 分かっているのに、つい言ってしまう。

 思わずため息を吐いてしまうのも、仕方のない事なんだ。


「夕飯、どうするかな」


 一先ず、学校の鞄を階段近くに放り捨てる。

 後で部屋に持っていくだけなので、扱いは適当でいい。

 逆に右手に下げた買い物袋は丁重に。

 なんせ中には、まとめ買いした卵のパックが入ってるからだ。

 学校での日常は、普段通り何事もなく終わった。

 部活にも入っていない俺は、一人で早々に帰路についた。

 あの後、ソフィアとは一度も目は合っていない。

 アレは一日に一回だけの限定イベントなのだ。

 帰り道のスーパーで、セール品や足りなくなった物を適当に買い足して。

 家について玄関を上がったところで考える。さて、今日の夕飯はどうするか。

 これも大体いつもの恒例行事だ。

 食べさせる相手もいないし、自分だけとなるとどうしても適当になってしまう。

 三食カップ麺でも良い、とまでは言わないが……。


「確か野菜と豚肉はあったはず……なら、カレー辺りで良いか」


 鍋一杯分作れば、二日か三日は夕飯に頭を使う必要もなくなる。

 よし、それで決まりだ。俺は買い物袋を揺らしてキッチンに向かう。

 途中にあるリビングを通り抜け――ようとして。

 テーブルの隅。朝はテレビに目を向けて、意識しようとしなかったモノ。

 一つのスマートフォンが視界に入ってしまった。

 俺が使っている物とは違う。

 型は五年ぐらいは前で、使い込まれたようにあちこち擦り切れている。

 剥がれかけたハートのシールとか、ピンク色が褪せてきたカバーケースとか。

 まるで女の子が使っていたみたいな装飾が目立つ。

 けど、それの元の持ち主は女性じゃない。

 むしろ真逆の、ヤクザ顔負けな厳つい男なのを俺は知っていた。


「……誠司おじさん」


 俺は、母方の伯父に当たるその人の名を呟いた。

 ……恩人だった。間違いなく。

 まだ高校生のガキが、ちょっとバイトしたぐらいで一人で暮らせる理由。

 学費とか生活費とか。諸々の金を、誠司おじさんが出してくれているからだ。

 恩人で――だけど、ここ数年はまったく顔を合わせていない。

 ごくごく稀に電話が掛かって来て、「変わりはないか」とだけ聞いてくる。

 「大丈夫」と答えれば、「そうか」とだけ返して通話は切れる。

 それすらも数か月に一度あるかないかの頻度だった。

 昔は、もっと頻繁に遊びに来てくれてた覚えがあるのに。


「……まぁ、もう会っても仕方ないんだけどな」


 独り言にはため息が混じった。

 誠司おじさんが倒れた。

 そう連絡して来たのは、顔も名前も知らない親戚だった。

 ……出処も分からない噂話ではあるけど。

 暫く前から、おじさんは随分と荒れた生活をしていたらしい。

 元々は真面目な勤め人だったはずなのに。

 ある時期から、突然莫大な稼ぎを得るようになったとか。

 何をしてそれだけの収入を得ていたかは不明。

 ほぼ同時に、おじさんは昼夜の境なく方々を飛び回り出した。

 寝ているところも誰も見たことがない。

 けれど仕事をしてるとか、そんな気配もなかったそうだ。

 日を追う毎におじさんは痩せて行き、体調を崩すことも多くなった。

 周りがどれだけ諫めても聞く耳を持たない。


『オレのやる事に、お前ら二度と口を出すんじゃねぇよ!!

 遺産の取り分を無くされたくないんだったらなぁ!!』


 そんな罵声を浴びせられたら、誰も何も言えなくなる。

 ……奥さんを早い時期に亡くして、それからおじさんはずっと独り身だった。

 遠い昔に俺を可愛がってくれた記憶からは、荒れた姿は想像もつかない。

 寂しさと孤独が、あの強面だが優しい人を変えてしまったのか。

 ……まぁ、何を思ったところでもう意味はない。

 おじさんが倒れた理由は、脳梗塞だった。

 脳へのダメージは深刻で。恐らく、二度と意識は戻らない。

 幸い――そう、幸いと言う他ないが。

 おじさんは予め、俺が当分生きるに困らないだけの資金を用意してくれていた。

 だから今も、こうして暢気に夕飯の献立なんて考えられていられる。

 恩人だ、間違いなく。

 俺は、そんな恩人の病室に一度も行っていない。

 行ってはいけない――何故か、そんな気がしたから。


「……酷い言い訳だな、臆病者」


 我が事ながら情けなくて涙が出そうだ。

 ガキが一人で生きるために、金の面倒を見てくれていた人を。

 自分に万一があった場合の備えまでしていてくれた人を。

 俺は未だに、見舞いにすら行かずに捨て置いてる。

 現実を見るのがそんなに嫌なのか。

 こんな卑怯で臆病な話が、他にあるものかよ。


「……やめよう」


 不毛だ。おじさんは二度と目覚めず、俺は大学を卒業までは何も困らない。

 変わることなく日々は続く。

 いや一つだけ、変わったというかおかしなモノがある。


「おじさん、なんでこんなもんまで俺に残したんだ……?」


 型落ちのスマートフォン。

 改めて手に取って、まじまじと観察してみる。

 誠司おじさんが俺に残した財産。

 一つは、俺が大学を出るぐらいまでは十分過ぎる額の金銭。

 そしてもう一つがこのスマートフォンだった。

 おじさんの遺言にも、きちんとその旨が記載されている。


『甥のカナデに対する相続は、一つの誤りもなく行う事。

 それが守られない場合、他の遺産の分配も例外なく全て無効とする』


 ……と、物凄く厳しく条件付けされていた。

 俺が受け取ったのも大金だけど、他の親戚が金額だけならそれ以上だった。

 だから横槍もなく、贈与は滞りなく行われたようだった。


「ふーむ」


 受け取ったは良いが、スマートフォンは手つかずのまま。

 というか、他人の使っていたスマホとか扱いに困る。

 見ず知らずの相手ならまだしも、おじさんのスマホとかどうしろと。

 しかも何故か、古い以外は見た目の女子力は高めだし。


「……よし」


 いつまでも腫れ物扱いしても仕方がない。

 おじさんがわざわざ俺に残したんだ、何か意味があるのかもしれない。

 とりあえず、真っ暗な画面を指先でタッチする。

 充電はしてあるので、壊れてなければこれで立ち上がるはず……?


「なんだこれ」


 いきなり予想外なモノを見る事になった。

 問題なく、スマートフォンの画面は表示された。

 真っ黒い状態から、真っ白い状態へ。

 一瞬、やっぱり壊れてるのかと思ったけど――違う。

 壁紙の設定もなく、中に入ってるアプリを示すアイコンも無い。

 電話やメールのアイコンすらない。

 起動したはずのスマホの画面には、ただ真っ白い背景だけが表示されている。

 ……いや、一つだけ。

 画面の真ん中に、古い巻物みたいなアイコンが浮かんでいる事に気付く。

 アイコンの下に表示されている文字は……。


「テウル、ギア?」


 聞き覚えのある言葉だった。

 ええと、確か……。


「ソシャゲ、だよな。確か」


 テウルギア。大人気っ――ってワケではないけど、サービスは終了していない。

 巷で密かに人気のある隠れた良ゲー……みたいな。

 確か五年ぐらい前から稼働してるソシャゲのはずだ。クラスメイトが話しているのを聞いた覚えがある。

 逆に言えば、俺が「テウルギア」について知ってるのはその程度だ。

 ソシャゲ自体は人並み程度に触ってるけど、これはプレイした事もない。

 他に知っている事と言えば……。


「何か、悪魔を育成するゲームだったっけ」


 ゲームジャンルとしては珍しくもない。

 似たような育成系なら。他に幾らでもビッグタイトルが存在する。

 ……しかし、悪魔ね。


「育てるにしても、もう少し可愛げのあるモノが良いと思うけどな。

 ……で、何でそんなソシャゲのアプリしか入ってないんだ?」


 意味が分からない。

 というか、電話やメールのアイコンもない画面とか初めて見た。

 他にも画面を弄ってみるが、結果は変わらない。

 このスマートフォンには、本当にこの「テウルギア」のアプリしか入ってない。

 ……怪しい。滅茶苦茶怪しい。

 五年前の機種だから、本体容量は大してデカくはない。

 それを差し引いてもゲームアプリ一つで殆どいっぱいとか。


「起動、してみるか?」


 この時点で十分過ぎるぐらい意味が分からなかった。

 しかしこのまま、真っ白い画面を睨んでても埒が明かない。

 嫌な予感はする。コレに触ると、何か取り返しが付かないような。

 根拠のない勘が背筋を冷たくしている。

 同時に、酷く心を惹かれる感覚も存在していた。


「…………よし」


 覚悟は決まった。

 軽薄な好奇心か、無謀な勇気か。

 定かでないまま、俺は指を白い画面に近付ける。

 夕飯のカレーの事なんて、頭の中から吹っ飛んでいた。


「――――」


 指先が巻物のアイコンに触れた。

 軽快な音楽と共に画面の表示が切り替わる。

 ゲームアプリ「テウルギア」は、何事もなく起動した。

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