第10話:反撃と一夜の決着


 住宅地の付近にある小さな公園。

 街灯の光も離れたその場所に、馬耳の悪魔はいた。

 予想通り、完全に先回りされた形だ。

 相手を見失わぬよう、スマホのカメラを構える。

 ……しかしこれ、動き回るのを考えると凄く不便だな。


「鬼ごっこはボクの勝ちで良いのかな?」


 驚くほど優美な仕草を見せながら、馬耳の悪魔は余裕の笑みを浮かべる。


「別に、こちらは鬼ごっこをしていたつもりはないけどね」


 対するミサキも、怒りを呑み込んであえて微笑んでみせた。

 逆に眼差しには敵意を込めて、容赦なく目前の相手にぶつけていく。

 馬耳の悪魔は、むしろ心地良さそうに。


「ウン、さっきまでも悪くなかったけどね。

 冷静に怒り狂ってるその感じ、ボク好みだよ」


 先ほどまでと変わった様子はない。

 自分の力に対する自信と確信が、今も全身から滲み出ている。

 ミサキや俺を侮っているわけじゃない。

 ただごく自然な事として、勝つのは自分だと疑っていないのだ。

 ――うん、上等だ。

 こちらも負けないつもりで無い知恵を絞った。

 例えそれが、作戦と呼ぶのも憚られるものだとしてもだ。


「さて――その感じだと、何か策があるみたいだね?」

「それをわざわざ答えると思う?」


 戯言めいた馬耳の言葉に、ミサキは笑顔のまま冷たく応じる。

 冷静ではあるけど、これまでのアレコレで大分怒り心頭のようだ。

 だから、代わりに俺の方が。


?」

 

 と、そう言っておいた。

 馬耳の悪魔は変わらない。その表情は余裕の笑みのまま。

 ただ、そこに僅かな変化が見えたのは俺の気のせいか。

 じわりと、空気にドス黒いものが混じり始める。


「――思った以上に面白い奴だね、少年。カナデだったかな?」

「気安く呼ばないで欲しいのだけどね」


 自分の名前以上に苛立たしげにミサキが唸る。

 今はどうか落ち着いて欲しい。こちらの作戦は、彼女が頼りなんだ。


「覚えて貰えて光栄だけど、いい加減にそっちも名乗って欲しいね。

 分からないからずっと仮称馬耳のままなんだけど」

「可愛いじゃないか、馬耳。

 まぁ言いたい事は分かるが、軽々しく名乗るとマスターに叱られてしまうからね」


 喉を鳴らすみたいに笑って、馬耳の悪魔は一歩進み出る。

 態度には微塵も変化はないのに、纏う空気はまるで違った。

 物理的に突き刺さるような敵意。

 テウルギアの画面の中で、ミサキが庇う形で前に出る。


「期待してるんだよ。同じダンスではお互い飽きてしまうだろう?」

「吠え面かかせてあげるよ。お前は私と彼を舐め過ぎてる」

「ハハハハ、別にそんなつもりは――」


 言い終わるより早く、ミサキの右腕が繰り出される。

 手のひらの牙でえぐり取る掌底。

 当然、馬耳はミサキが動くよりも早く回避していた。これは予想した通り。


「だからボクに不意打ちは――」

「効かないんだろう、分かってるよ!!」


 外れても構わず、避ける馬耳に更なる追撃を仕掛ける。

 右手だけでなく左の拳を打ち込み、間髪入れずに上段の回し蹴り。

 速度は上がり続けて、あっさりとこちらの動体視力を振り切ってしまった。

 しかし、クリーンヒットは未だに無い。

 未来が見えているだろう馬耳の悪魔は、軽いステップで躱し続ける。


「ハハハっ! なんだ、これじゃあさっきの焼き直しじゃないか!」


 笑う相手を無視して、ミサキはひたすら攻める。

 放たれたのが拳なのか蹴りなのか、こっちの目では何も見えない。

 馬耳はそれらを全て回避していた。

 避けて、避けて、避けて、避け続けて。


「ッ――?」


 余裕だったその顔に、ほんの少しだけ困惑がよぎる。


「どうかした? 笑顔が引き攣ったようだけど」


 相手が構えた剣を拳で叩き落として。

 ミサキは、馬耳の悪魔に鼻先を近付けて笑ってみせた。

 そして雪崩の如く攻撃は続く。

 速度にしろ力にしろ、前の攻防とは比較にならないはずだ。


「……生憎と、期待してるような策なんてないさ。

 そもそも予知能力相手に出し抜けるような奇策、ただの学生に思い付くかよ。

 だから、一番分かりやすい方法を選んだだけだ」


 仮にどんな馬鹿でも実行可能な作戦。

 古今東西、戦場では常に行われただろう事の焼き直し。

 それこそ即ち。


 幾ら未来が見えてたとしても、なら関係ないだろ?」

「っ……!?」

 

 驚く馬耳の悪魔に、俺は「ザマァ見ろ」と笑ってやる。

 相手も、まさかこの期に及んで単純な力押しとか。

 恐らくは逆に想定外だったのだろう。

 やはり見えてる未来は精々が数秒程度か。


「っ、理解できないな……!」


 紙一重で致死の掌底を回避しながら、馬耳の悪魔は呻いた。

 問答する気はないとばかりに、ミサキの攻撃は一層激しくなっていく。

 それでも、焦燥に駆られた笑みで馬耳は言葉を続けた。


「ボクと彼女の地力に、そこまで大きな差はない!

 フィジカルではやや劣るのは認めるが、ここまで押し込まれるような差は……!」

「無かった。あぁ、だからこっちが『増やした』んだ。

 悪魔は捧げた『価値』を力にできるんだろう?」

 

 こちらも敢えて笑みを作り、手元のスマホを操作する。


「テウルギアには課金機能がある。

 金銭は分かりやすい『価値』で、これならその場ですぐに追加できる」

「おいおい少年、君はまだ学生だろう? 課金するにしたってそんな――」

「一年分」

「……なんだって?」

 

 馬耳の悪魔は、すぐにその単語の意味を理解できなかったらしい。

 だからこっちも分かりやすく言い直してやった。


「俺の生活費一年分の資金を『価値』としてミサキに捧げた。

 おじさんが残してくれた、俺が大学出るぐらいは生活できるだけの金銭。

 その一部だ」

「正直、私は反対だったけどね……!」

 

 手っ取り早いとはいえ、一年間を生きるためのお金だ。

 何故か人間の俺より、悪魔の彼女が難色を示した。

 とはいえ奇策を打てる頭もない以上、手持ちの札で勝負するしかない。

 俺が一年生きるために必要な『価値』。

 その威力はこの瞬間、間違いなく劇的だった。

 

「お前の契約者は近くにはいない。 違うかな、馬耳っ!」

 

 鋭く叫び、ミサキの蹴りが相手の胴を捉える。

 武器破壊以外では、初めて敵の身体にこちらの攻撃が命中した。


「ぐっ……!?」


 相手に目に見える動揺はない。

 ただ、苦しげな表情からダメージを受けてるのは間違いなかった。

 ――悪魔が戦うには『価値』が必要となる。

 だから俺は、ミサキが形振りかまわず全力を出せるよう資金を突っ込んだ。

 対して、相手の馬耳はどうだろう。

 言動からして単独行動ではないか、と予想はしていた。

 ミサキにも確認はしたが、契約者不在なら『価値』を得る手段は限られる。

 少なくともテウルギアを介しての課金などは使えない。

 相手の力も「予知能力」と仮定した場合、どれぐらいの消耗があるか。

 使い続ければ決してそれも軽くないはず。

 俺たちはそう結論づけて、この作戦に踏み切った。


「まさか、消耗度外視の力任せとはね……!」

「それが通用するなら、ゴリ押しだって立派な作戦だ。

 必要ならあと数年分は突っ込んでもいいぞ」


 ホント、作戦と呼ぶにはあまりにお粗末だが、ここは堂々と言い切っておいた。

 

「ハハッ――!!」

 

 ミサキの方も、心底愉快そうに笑い声を上げる。

 今も「予知」を続けているのか。

 傍から見ても分からないが、ミサキの攻撃は馬耳を削っていく。

 「見えている」からその程度で済んでいるのかも。

 どうあれ、天秤は明らかにこっちに傾き始めていた。


「……いや」


 まだだ、まだ気は抜けない。

 相手の力とか出来る事とか、全部が分かったわけじゃないんだ。

 自分で戦う術を持たない以上、見守りながら祈るのみ。

 出来れば、このまま――。


「終わりだっ!!」


 幕引きの宣言と共に、ミサキは右手を叩き込む。

 悪魔さえも食い殺す手のひらの牙。

 追い詰められた馬耳は、明らかに体勢を崩している。

 幾ら未来が見えたとしても、回避できるタイミングではなかった。

 俺もミサキも、間違いなく勝利を確信していた。


「――失態だ、まったく失態だよ」


 必殺のはずの一撃は、完全には決まらなかった。

 ミサキの牙に対し、馬耳は咄嗟に左腕を割り込ませたのだ。

 悪魔の傷から赤い血は流れない。

 腕を半ば食い千切られるのを代償に。

 馬耳はミサキに蹴りを当て、更にその反動で大きく間合いを離した。


「しぶとい……!」

「ハハハ、まぁ流石にこのぐらいで喰われるわけにはね」


 仕留め切れなかった事実に、ミサキは心底悔しそうに唸る。

 馬耳は笑っているが、表情ほどに余裕はない。

 ……まぁ、左腕が比喩抜きで半分以上は抉れてる状態だ。

 血は流れてないし、断面も黒々としているのでグロさは少ないけど。

 軽い負傷でないのだけは間違いないはず。

 下がる馬耳に、ミサキは再び間合いを詰めようとする。


「――うん、これはボクが不利だな。

 すまないけど、此処は尻尾を巻いて逃げさせて貰うよ」


 そうする事は分かっていた。

 本音としては、このままぶちのめしたい。

 それはミサキも同じだろう――けど。

 

「……腹立たしい。

 仕留め切れなかった、自分の詰めの甘さを恨むよ」

「良い勝負だった。今夜はそうしないかい?」

「予知で逃げに徹されたら、こちらでは捕まえられない。

 そう確信してる顔を、思うさまに殴ってやりたいね」

「ミサキちゃんは怖いことを言うなぁ」


 和やかとは程遠い悪魔二人の会話。

 ミサキが言う通り、予知能力を逃走に使われたらどうしようもない。

 ここは痛み分けという形で納得するしかないだろう。

 ……うん、痛み分けだ。間違いない。

 あんな強い悪魔を相手に、引き分けには持ち込めた。


「――君のことは特に覚えておくよ、カナデ少年」

「っ……」


 見られた事で、また心臓が縮み上がった。

 すぐにミサキが庇ってくれたけど、悪魔の放つ圧力に鼓動が早まる。

 仕方がない事だけど、完全に目を付けられた気がする。


「恥知らずにも逃走を選ぶ敗残者として。

 今宵の勝者である君たちに、せめてもの敬意を示そうか。

 ――ボクの名はオロバス」

 

 軽い跳躍で公園の入り口辺りに降り立って。

 それから優雅に一礼をし、馬耳の悪魔は自ら名乗りを上げた。

 丁度頭上から照らす街灯の光が、まるでスポットライトのようで。

 何でもない夜の一場面を、歌劇みたいに演出する。


「かつて、偉大なるソロモン王に仕えた七十二柱の魔神が一柱。

 ゆえあってテウルギアの争いに参戦している。

 遠くない内に、また見える事になるだろう。

 その時は今夜の借りを返させて貰うから、そのつもりで」

 

 一方的な宣言。

 こちらが何か応える暇もなく、馬耳の悪魔――オロバスは姿を消した。

 普通に立ち去ったのか、何かしらの力を使ったのか。

 そのどちらかまでは分からない。

 もう何の痕跡も残らないその場所に、ただ冷たい夜風だけが吹き抜けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る