第9話:戦う覚悟


 静かな住宅街。そのど真ん中で、二人の悪魔がぶつかり合う。

 現実には何も起こっていないように見える。

 しかしスマートフォンのカメラを通じて、テウルギアの画面を見れば。


「ハハハハハハ――――!!」


 哄笑する男装の麗人。

 馬の耳と尻尾が特徴的な彼女の手には、一振りの直剣が握られている。

 街灯の光を受けてギラリと煌めく刃。

 その素早い突きや払いを受けるのは、もう一人の黒い少女。

 セーラー服の裾を風に靡かせ、人間離れした動きで刃を防ぎ続ける。

 彼女――ミサキの表情は、怒りと敵意で酷く険しい。

 そしてそれ以上に余裕がなかった。

 歯を噛む獣の形相。風を巻いて、右手の牙が相手の剣を狙う。


「おっと、そう何度も同じ手は食わない――」

「はぁッ!!」


 刀身を引いた馬耳の悪魔に、ミサキは上段蹴りを打ち込む。

 武器狙いはフェイント。女子の身など気にも止めない全力の蹴撃。

 高く上がった爪先は、確実に敵の顔面を……。


「女の子がこんなに足を上げて、はしたないよ?」


 外れた、いや外された。

 ほんの少しだけ、相手が後ろに下がった。

 結果として、ミサキの蹴りは馬耳の鼻先を掠めただけに終わる。

 ――やっぱり、何かがおかしい。

 俺は所詮、ただの人間の学生でしかない。

 だから悪魔二人の動きは殆ど目で追えてはいなかった。

 ただ集中すれば、どうにか目に映るぐらいには見る事ができる。

 残像でも残りそうなぐらいの高速戦闘。

 素人で人間の俺から見ても、その戦いには違和感があった。


「ほら! まだ一発もボクには当たっていないよ!」

「さっきから紙っぺらみたいにヒラヒラと……!」


 ミサキの攻撃は、馬耳の悪魔にまだまともに当たっていなかった。

 逆に馬耳の剣は、既に何度もミサキの身体を捉えている。

 幸い軽く服や肌が傷付いたぐらいで、大きな負傷はなかった。

 しかし、この調子で戦い続ければどうなるか。

 ミサキ自身が一番分かっているはずだ。

 だからこそ、目に見えて彼女の焦りは強まっていく。


「っ――この……!」


 苛立ちながら、ミサキは踵で強く地面を叩く。

 とんでもないパワーが込められていたようで、音を立てて道路が砕ける。

 その衝撃に、馬耳は僅かに足を止めた。

 一瞬、本当に一瞬だけど、その隙にミサキは俺の方へと――。


「残念、そういう手は無駄だよ」


 馬耳の悪魔が笑う。退こうとしたミサキの進路を塞ぎながら。

 まただ。明らかに相手の動きがおかしい。

 馬耳の悪魔とミサキ。

 この二人の間に、そこまで大きな差があるとは思えない。

 にも関わらず、現状はミサキが一方的にやられてしまっている。

 その理由は、今見ていた通り。

 ミサキが何かしようとする度に、相手がそれを先回りしているのだ。


「さぁ、まさか打つ手無しとは言わないだろう!」

「調子に乗って……!!」


 振り下ろされた刃を、ミサキは手のひらの牙で受けようとする。

 しかし剣は空中で軌道を変え、腕に浅い傷を刻む。

 反撃の蹴りや拳は掠りもしない。

 来る事が分かっているみたいに、回避に一切迷いがない。


「……これが、あの悪魔の力……?」


 自然と呟くが、思考は鈍い。

 違和感はあるが、それを明確には出来ていない。

 そうするには頭の奥が鉛のように重たかった。

 改めて悪魔の強大さを目の当たりにして、恐怖が脳髄から滲み出す。

 あの、赤い夢の記憶が――。


「ッ……ダメだ、考えろ……!」


 このままではミサキが危ない。

 彼女とは出会ったばかりだし、関係なんてまだ数時間ほどだ。

 だけど、そんな事は関係なかった。

 悪魔の存在を知った。欠けた日常の真実も気付いてしまった。

 そうしたのは彼女で、俺も後戻りはできない。

 何も選ぶことなく、ただ全てに目を瞑って生きるなんて。

 そんなのは、真っ平ゴメンだ。


「……考えろ」


 そうだ、考えろ。戦えないなら、せめて無い知恵を絞れ。

 あの馬耳の力ついて、思いつく候補は二つ。

 どちらかはまだ不明だけど、そのどちらでも厄介だ。


「いいね、楽しくなって来たよ。ミサキちゃんで良かったかな?」

「気安く呼ばないで欲しいね!!」

 

 続く戦いを、俺はじっと観察する。

 チンピラ相手に学んだ事も、頭の中で確認する。

 悪魔は命令し、必要に応じた「価値」が無いと物理的には動けない。

 そして「価値」は、課金などテウルギアを通じて行える。

 幸いと言うべきか、ミサキはここまで特に補給無しで戦い続けていた。

 これも何か種がありそうだけど、今は……。


「……よし」


 覚悟を決めたというか、腹を括った。

 失敗したらヤバい。だけどこのままじゃ、状況は良くならない。

 馬耳の興味は、完全に目の前のミサキに注がれている。

 ――素人の学生なんて、警戒に値しない。

 言葉にしなくとも態度で伝わって来た。

 まぁ、事実だからそれは良い。肝心なのはタイミングだ。

 ミサキは強いし、馬耳も同じぐらいに強い。

 だから、俺は走った。向かう先は、激しくぶつかり合う二人の悪魔。

 丁度こちらに背中を向けた状態の馬耳の方へと。

 

「――少年!?」

 

 あと少しで激突するタイミング。

 そこで馬耳は俺の存在に気が付いたようだった。

 あわよくばこのままタックルでも……と思っていたけど。

 どうやら上手く行かないらしい。

 笑みを深めた馬耳の視線が突き刺さって来る。

 見られている――ただそれだけなのに、心臓が潰されそうだ。


「いや、それは蛮勇が過ぎるだろう!?

 だが、その気概だけは――」

「ミサキっ!!」


 叫ぶ。ギリギリだが、彼女の反応は早かった。

 「逃げる」、という命令は既に下してある。

 俺が馬耳の気を引いた瞬間、ミサキは加速した。


「カナデに触れるな――!!」


 怒声と共に振り下ろされた一撃。

 右手の牙は、再び馬耳の構える剣を噛み砕いた。

 破片が街灯に照らされキラキラと輝く。

 

「ハハッ、良い連携じゃないか!」


 武器を壊され、間合いを開けた馬耳には一瞥もくれずに。

 ミサキは俺の身体を抱えると、一気に空高く飛び上がった。

 凄い速度でちょっと酔いそうだ。


「カナデ、君はなんて無茶な真似を……!

 あのチンピラが連れていた雑魚とはワケが……!」

「多分、!」

「……なんだって?」

「あの馬耳の力! 幾ら何でもミサキの動きを先読みし過ぎてた……!」


 その推論を聞いて、ミサキは驚いたようだった。

 しかし、肉眼だと見えない何かに掴まれて空を飛んでる状態だ。

 正確には飛行ではなく跳躍なので、上下運動がヤバい。


「予知能力……なるほど、だからずっと先回りされるような……」

「読心か予知かで迷ったけど、タックルへの反応が少し遅かった。

 思考を読んで対応してるなら、もっと簡単に対処したはず。

 だから多分、予知能力で間違いないと思う」

「微妙に断言しないんだね」


 イマイチ曖昧な結論で、ミサキに笑われてしまった。

 あくまで推測した上での話だから、そこは勘弁して欲しい。

 そう外れてはないと思いたいけど……。


「他には?」

「えっ?」

「それだけ?」

「……後は、予知のタイプ的には『未来の光景が見える』とかだと思う」

「その根拠は?」

「背後からのタックルに対して、若干反応が遅かった。

 一秒か二秒、見えてる『未来の距離』はそれぐらいじゃないかな」


 加えて、見える視野についても普通と視覚と同じなのだろう。

 背後への対応が遅れたのも、多分それが原因だ。

 無い知恵を絞れるだけ絞って、出せるのはこれぐらいだった。

 正直、どれ一つ取っても確たる根拠はない。


「――十分だよ、カナデ。

 良く見ていたし、良く考えてる」


 見えない何かが、髪に触れる感触。

 どうやらミサキが、俺の頭を撫でているらしい。

 ……流石にちょっと、こう。

 子供扱いされてるみたいで、やや気恥ずかしかった。


「私は大概力任せだから、そういうのは苦手なんだよ」

「それは短い間で十分理解できたよ」

「嬉しいことを言ってくれるね」


 さっきまでの激怒っぷりが嘘のように、ミサキは笑っている。

 まぁ、まだ和やかに談笑してられる状況じゃないけど。

 ミサキに抱えられた状態で、ちらりと後ろを見る。

 残念ながら、生身の目では夜に突かれた街並みが映るばかり。

 そもそも悪魔の姿は、テウルギアを使わない限りは確認できない。


「適当に逃げ回ってる感じか?」

「あぁ。真っ直ぐ自宅に戻って、拠点がバレるのは避けたい」

「その辺はちゃんと考えてるんだな」

「脳筋扱いにも限度があるからね?」


 これは失礼しました。

 実際、ミサキの判断は正しいと思う。

 あの馬耳はきっと、まだ完全には振り切れていない。

 相手が根負けするまで鬼ごっこを続けるか。

 それとも――。

 

「どうする、カナデ?」


 考え始めたタイミングで耳に入り込む、ミサキの囁く声。

 カメラのレンズを向ければ、彼女の顔が映り込む。

 何かを期待しているような。

 それこそ、幼い少女みたいな顔でミサキは笑っていた。


「逃げると命令されてるから、今は逃げてる。

 けど、このままだと夜明けまで鬼ごっこになるかもしれない」

「……それは、困るな」


 明日はまだ平日で、学校だ。

 寝坊で遅刻も仮病で欠席も、出来れば回避したい。


「……ミサキ」

「なんだい、カナデ」

「戦おう。その前に、確認しておきたい事もあるんだ」

「良いとも。私に答えられる事なら幾らでも」


 お互い、語る言葉に迷いはなかった。

 逃げ回るのではなく、あの馬耳の悪魔と戦う。

 勝算は薄い。けど、決めたのならやるしかない。

 一先ずはこの夜を乗り越えるために。


「……ふふ」

「? なに?」

「いや、追い詰められると肝が据わるタイプだね。カナデは」

「……かもしれない」


 別に冷静でも何でもないけど。

 恐怖は未だに胸の奥にこびりついて離れない。

 馬耳に見られた時は、本気で心臓が潰れるかと思った。

 その感覚だって、まだ抜け切ってはいないけど。

 

「今夜だけで、悪魔のことで散々脅かされて。

 もうギリギリ限界ってとこで、逆に落ち着いた感はあるかも。

 ……けど、ウン」

「けど?」

「……一人では、ないから」


 多分、それが一番大きい気がする。

 言っておいてなんだけど、気恥ずかしさが凄い。

 案の定、スマホからはミサキの意地悪そうな笑い声が漏れてくる。


「で、真面目な話しても良いか?

 相手がいつ追いついて来るかも分からんし」

「あぁ、良いとも。良いとも。

 私もいい加減、あの澄ました顔を歪ませてやりたいしね」


 ぶり返した怒気が混ざった声は、完全に本気のソレだ。

 対象が自分でなくとも思わず身震いしてしまう。


「さ――そのためにも、先ずは作戦会議かな?」

「話すんだったら、ちょっと地面に下ろして欲しいんだけど……!」

「敵がいつ追いついて来るかも分からないんだ。

 さ、このまま手短に済ませようか」


 冗談っぽく笑うミサキに、俺はため息を一つ。

 上手く行くかも分からない。

 確認すべき事を先ず確認しながら。

 俺たちは、あの見知らぬ馬耳悪魔と戦う算段をし始めた。

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