第16話:黄金の門


「くっ……!」

「ハハハ、思ったより余裕が無いじゃないか!」


 戦いは最初から苛烈なものとなっていた。

 現実は静かな暗い夜道。

 しかし画面に表示されているのは、光に満ちた荘厳な大聖堂。

 争いの場としてこれほど似つかわしくない場所もない。

 けど今、その中心で二人の悪魔が戦っている。

 ミサキとオロバス。

 昨夜の続きを演じるように、牙と剣が正面からぶつかり合う。


「調子に乗るなよ、馬耳女……!」


 ミサキが叫び、右手の牙を全力で振り抜く。

 それをオロバスの剣が受け流し――。


「ッ――!」


 砕けた。剣の方が、まるで脆いガラス細工みたいに。


「流石、そう来なくちゃね!!」


 しかし、武器を壊されてもオロバスは動揺すらしない。

 既に何度もやってみせた事だ。

 馬耳の悪魔は、折れた部分を素早く指でなぞる。

 たったそれだけの動作で、真新しい刃が瞬く間に生成された。

 隙らしい隙も殆ど無く、オロバスはミサキとの白兵戦を続行する。

 互角のようで、ミサキの方が圧されている。

 それ自体は昨夜の状況に近い……けど。


「――その罪は重く、お前には背負い切れない」


 大きな違いが一つ。オロバスの側に、契約者のソフィアがいる事。

 彼女の歌う声が聖堂に流れると、途端にミサキの動きが鈍った。

 いきなり見えない重しがのしかかって来たように。


「良い援護だよ、マスター!」

「遊んでないで早く仕留めなさい」


 悪魔の賛辞を、ソフィアは軽く受け流す。

 聖なる言葉で動きを縛られたミサキ。

 彼女の胸元を狙い、オロバスは鋭い突きを繰り出した。

 ――拙い、アレは防ぎようがない!

 俺は兎に角、ミサキを強化しようと画面に触れる。

 昨夜と同じく課金をしようとして。


「心配しなくて良いと、そう言っただろう?」


 ミサキは笑いながら、鈍った身体で左手を払う。

 瞬間、彼女の周りで何かが砕ける音が響く。

 その直後、ミサキの動きが加速する。

 右手の牙に触れて、オロバスの剣がまたへし折れた。


「おっと!」


 武器破壊をした勢いのまま、ミサキの右手が相手の首を狙う。

 しかしそれは「見えていた」ようで、あっさりと空振ってしまった。


「今のはなかなか危なかったな!」

「よく言う……!」


 復元した剣で、逆にオロバスがミサキの首元に刃を走らせる。

 その一刀は間合いを離す事で回避した。

 ……ギリギリだ。状況は昨日よりも悪い。

 オロバスの方に、契約者のソフィアがいる事も大きいけど。

 それ以上に、オロバス自身が強くなっている気がする。

 前と同じように課金でミサキに「価値」を捧げたとして、それで届くのか。

 後に続かない一時的なブーストをそう濫用は出来ない。

 勝機を持てないまま迷いだけが募る。


「君の力も、ちょっとずつ輪郭が見えてきたな」


 踊るように攻撃を捌きながら、オロバスはそんな言葉を口にした。

 それを無視して、ミサキは右手の牙でオロバスの手足を狙う。

 何度砕いても切りがない剣より、身体の末端から削ろうという狙いだ。


「ボクの剣を砕いたり、ボク自身を攻撃する時。君は確実に右手を使うね。

 少なくとも、牙で抉る意図があったのは右手だけ。

 左手にも同じように牙と口があるのにだ」


 まるで謎解きを楽しむみたいに。

 笑いながらオロバスは剣を振るってみせる。

 その刃をミサキは右手で受け止め、手のひらの牙で噛み砕く。

 多分、今の攻撃はわざとだ。

 仮説の正しさを証明するため、わざと右手で剣を壊させた。


「では左手は何なのか?

 昨夜は分からなかったけど、さっきの動きで何となく見えてきたね」

「ホント、無駄にお喋りだなお前はっ!」


 苛立たしげに叫び、ミサキは強く床を蹴る。

 悪魔のパワーで加速した上でのタックル。

 タイミング的に、普通なら避ける暇さえないはず。

 しかし未来が見えるオロバスに、タイミングなんて関係がなかった。


「君はさっき、左手でマスターの術式を砕いて見せたね?

 隠さなくて良いよ、正直ちょっと驚いたぐらいだ」


 応えず、ミサキは攻め手を緩めない。

 僅かにでも下がれば、そのまま反撃に呑まれてしまう。

 相手の未来視の予測、それが間に合わない勢いで攻め続ける。

 一時的に撃退まで成し遂げた作戦も、今は効果が薄い。

 今のオロバスを押し切るのに、どれだけの金額が必要になるか。

 俺の貧弱な頭では想像も付かないからだ。


「君の左手――多分だけど、『』とかかな?

 右手は対になってるとも考えたら、『形のあるモノ』は壊せる辺りかい?

 割と良い線行ってる予想だと思うんだけど」


 ミサキは何も言わない。

 敵の質問に答える必要はないと、態度で物語る。

 けれど、僅かに揺れた表情。

 それに気が付いたのは俺だけじゃなかった。


「当たらずとも遠からずか、はたまた図星だったか。

 流石にそこまでは分からないけど――っと!」


 右手の牙ではなく、死角から振り抜かれた上段蹴り。

 風を裂く爪先を、オロバスは紙一重で避ける。

 やっぱり、まともに攻撃が当たらない。

 油断は微塵もしていないが、オロバスは余裕の笑みを見せて。


「君の力がさっきの予想通りだとしたら、確かに脅威だ。

 恐ろしいと言っても良い。

 なにせ左右合わされば、如何なるモノもその牙で噛み砕ける」


 ミサキは応えない。

 オロバスの言う通りだとしたら、恐ろしい力なのは間違いない。

 間違いない――けど。


「その牙に当たらなければ、何の意味もない力だ。そうだろう?」

 

 オロバスは笑っている。

 ミサキは無言のまま、右手の牙を振り抜く。

 常人では視認も難しい速さでも、未来を視る眼には届かない。

 オロバスには、ミサキの牙は当たらない。


「これまでの戦いぶりからしても、その両手以外の攻撃手段に乏しい。

 当たれば必殺の武器も、闇雲に振り回すだけじゃ価値が減ってしまうよ」

「……本当にお喋りな悪魔だな、お前」


 黙っていたミサキが不機嫌そうに唸る。

 一方的にまくし立てられて、いい加減我慢ができなくなったか。

 オロバスの後方で、ソフィアも呆れ顔でため息を吐く。


「かまってちゃんなのは良いけど、敵には程々にしなさいよ」

「かまってちゃんとか、人聞きの悪い呼び方は止めて貰いたいなぁ!!」

「嫌なら口より手と足を動かす。

 相性が良かろうと、その悪魔は油断できる相手じゃないんだから」

「言われるまでもないとも!」


 ……態度はふざけているとしか思えないけど。

 オロバスは本気で、この場でミサキを仕留める気だ。

 マスターであるソフィアも。

 ミサキから意識を離さず、機を見てはオロバスを掩護している。

 非の打ち所がない、悪魔と契約者による連携。

 ミサキが強い悪魔なのは分かっている。

 相性が悪かろうと、オロバスにも決して引けは取らない。


「っ……鬱陶しい奴……!」

「ハハハハッ、褒め言葉として受け取っておくよ!」


 そんな彼女が、何故これほど苦戦を強いられているのか。

 決まっている。俺が無能だからだ。


「くそっ……!」


 悪態をつこうが事態は好転しない。

 昨日上手く行ったのは偶々だったと、嫌になるほど思い知らされる。

 考えろ、無能なら無能なりに頭を絞れ。

 また大金を突っ込んでの捨て身は、凌がれたら後がない。

 何故か強化されたオロバスと、ソフィアの言葉による支援。

 これを簡単に崩せるとは思えなかった。

 ……そもそも、どうしてオロバスはいきなり強くなったのか。


「《領界レルム》……」


 悪魔が有する偽物の世界。

 最低でも一つ以上の「ルール」が存在する。

 オロバスはそう言っていた。

 この大聖堂がオロバスの《領界》なら、その理はなんだ?

 突然の強化と無関係とは思えない。

 ならばこの《領界》の理は、主であるオロバスを強くする事?

 それは逆に単純過ぎないか?

 とはいえ、その内側にいる俺やミサキにこれと言った変化はない。

 影響を受けているのはオロバスと――もう一人。

 この空間には、オロバスの契約者であるソフィアがいる。

 悪魔たちの戦いに集中する彼女の手からは、赤い血が滴り落ちていた。

 手のひらに突き刺さった一本の釘。

 ソフィアは痛がる様子もなく、血は流れるまま……。


「……あれ」


 そこで、気が付いた。

 ぽたり、ぽたりとソフィアの手から血は滴っている。

 にも関わらず、彼女の足下には血が落ちた痕跡が殆どない事に。

 流れた血は何処に消えたのか?

 考えられる可能性は一つしかない。


「……オロバスに、捧げてるのか?」


 悪魔は契約者の捧げる『価値』を力にする。

 同時に、彼らが何をするにしても『価値』を消費する必要がある。

 最初っから考え付くべきだった。

 自分も一年分の生活費を捧げる事で、ミサキを一気に強化したんだ。

 恐らくソフィアも、形は違えど同じ事をしているはず。

 「好きなだけ使いなさい」と、戦う直前にも口にしていた。

 彼女の血には、オロバスを大幅に強化するだけの『価値』があるんだ。

 それが《領界》の理とどう関係があるのか。

 流石にそこまでは分からないけど。


「それなら、ソフィアの方をどうにかすれば……」


 戦いを終わらせるなら、契約者を狙うのが一番手っ取り早い。

 仮に、ソフィアの行動を妨害できればオロバスを弱体化させられるかもしれない。

 もっと単純に、悪魔を引っ込めさせて降伏させるのも良い。

 ……何故それを、ソフィアが俺に対してやらないのか。


「大人しくしていなさい、日野くん」


 冷たい声が、思考に割り込んできた。

 意識は戦いに集中させ、視線もそちらに向けたまま。

 その状態でもソフィアは、俺の動きを把握しているようだった。


「私もね、クラスメイトに手荒な真似はしたくないから。

 あの悪魔を制圧し終わるまで、貴方はそこで見ていれば良い」


 こちらの考えなど、手に取るように分かっていると。

 そう言わんばかりのソフィアに、俺は何も返せなかった。

 慈悲をかけられている。

 この状況なら、ソフィアが直接俺を叩きのめせばそれで終わりだ。

 彼女には、それを簡単に実行できるだけの力がある。

 しないのは、「そうするまでもなく勝てる」と確信しているから。

 ――どうする、どうすれば良い?

 ミサキは頑張っているけど、明らかにジリ貧だ。

 空回りするばかりの思考を抱えて、テウルギアの画面を睨む。

 どうする、どうする、どうする――?


「…………」


 目に付いたのは、一つのアイコン。

 金ぴかの扉を象ったソレが、何故かギラギラと輝いて見える。

 ミサキには触れないように言われていた「ショップ」。

 藁にも縋る思いとは、まさにこの事だ。

 ソフィアの方も、指で画面を操作する事までは咎めない。

 無駄な足掻きと切り捨てられてるだけだろう。

 その通りとは思いながら、指先は金色のアイコンに触れて――。


「……えっ?」


 触れた瞬間、世界が裏返った。

 現実の住宅地も、画面越しに見ていた大聖堂も。

 何もかもが無くなって、俺一人だけが真っ黒い空間に取り残されていた。


「何だ、コレ……?」


 そんな俺の目の前に、聳え立つのは一つの門。

 テウルギアに表示されていたアイコンを、そのまま巨大化したみたいな。

 門は黄金で造られているのか、目に痛いぐらいに金ぴかに光っている。

 事態が呑み込めず、混乱していると……。


「――いらっしゃいませ。ようこそ、初めてのお客様」


 音を立てて、閉ざされていた門が開く。

 その内側から聞こえてくるのは、少ししゃがれた女性の声。

 開いた隙間から、細い手が伸びてくる。

 ……正直、ホラー映画とかで見ればベタな演出なんだろうけど。

 それを現実にやられると、言葉も出て来ないぐらいに怖い。

 ビビッて絶句する俺には構わず、声は更に続ける。


「モンちゃんの欲張りショップ、年中無休で営業中でございまぁす。

 ささ、遠慮せずにお入り下さいね……?」

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