第26話:宴の前


「クソッタレが!!」


 男の咆哮が事務所の一室を揺さぶる。

 主である牙噛の荒れように、待機していた部下たちは震え上がった。


「アッハッハッハッハ!!

 いやぁ、してやられちゃったねェ!

 予定してなかったろ、《魔宴》なんて!」


 怒り狂う男を、契約悪魔のベールだけが腹の底から嘲った。

 悪魔を視認できない常人とは異なり、牙噛は大金を払って肉体に改造している。

 ゲラゲラ笑う相棒を、男はギロリと睨んだ。


「そんなに面白いかよ、ベール」

「面白いねぇ、ああもしてやられる君を見るのは久しぶりだからね!」


 悪魔の語る言葉に、誤魔化しも偽りもない。

 嘲笑う声に、牙噛は無言で耳を傾ける。

 そんな主人を、ベールは眼球のない眼で見ていた。

 浮かべた笑みを三日月のように吊り上げて。


「キバガミはどうかな? 面白くないかな?」


 半ば挑発めいた悪魔の言葉に、牙噛は獣めいた笑みで応えた。

 面白い、あぁ面白いとも!

 ここまでコケにされて愉快でないはずがない!

 憤怒と敵意に偽りはなく、その上で牙噛は腹の底から笑い出す。

 笑え、笑え、こんなもんは笑わなければ損だ。

 相手を格下と侮ったが故に足元を掬われた己の滑稽さ。

 それを牙噛は全力で笑い飛ばした。


「スッキリしたかな?」

「いいや、まだまだだな。

 あのガキを――スモーカーと自分で名乗りやがったアイツを殺さなきゃな。腹の虫がおさまらねェよ」

「イイねイイね、調子出てきたねぇ」


 童女のように笑う悪魔とは逆に、牙噛は表情を引き締めた。


「あのガキは《魔宴》を受けた。条件も何も確認せずな」

「《魔宴》は参加する契約者間で合意が取れたらオッケーだからねぇ。

 そして戦う舞台とかは、宴の主催者オーナー側で設定できる」


 ニヤニヤとしながらベールは語る。

 牙噛が《魔宴》の舞台として設定した場所。

 それは街外れにある一棟の廃ビルだ。

 そのビルは牙噛が所有している物件で、過去にも《魔宴》を行なっていた。

 悪魔契約者テウルギスト同士が挑み合う闘争の宴。

 合意した以上は逃げる事は許されない。

 戦わずに逃げれば重いペナルティが下り、勝者は敗者から望むモノを奪い取る。

 それこそが《魔宴サバト》。

 本来は軽々しく挑めものでも受けるものでもない。


「あの子、多分だけど《魔宴》のルールを理解してないよね?」

「だろうな」


 カナデがまだテウルギアのルールに疎い事を、牙噛は見抜いていた。

 《魔宴》の条件を同意前に確認するのは、契約者なら当たり前の話だ。

 

「……あのガキは、敢えて確認しなかった」

「え?」

。あの時点で《魔宴》のルールを把握してねぇのはそうだろうけどな。

 有利な状況でない限り、オレはまともには戦わない。

 そう考えて丸呑みしたんだよ」


 ガキが舐めやがると、牙噛は笑って吐き捨てた。

 男にとって生きる事は戦う事。

 だが戦って死ぬ事に美徳を見出してはいなかった。

 勝つために手段を選ばない。

 どれだけみっともなかろうが、最後に立っているのが自分なら勝ちだ。

 牙噛の価値観は単純シンプルだった。

 ソフィアとの戦いは自分が不利だと理解し、罠に嵌める事に心血を注いだ。

 呪いで相手が宝石の塊に変わるまで逃げ回る。

 それで勝てるんだったら、誰だってそうするだろう。

 己の判断を牙噛は欠片も恥じてはいない。

 ……それでも、格下であるはずの相手に舐められるのは頂けない。


「ブッ殺してやる」


 呟く声に混ざる、ドス黒い響き。

 もう牙噛は怒り狂ってはいなかった。

 自分の内で激情を煮詰めに煮詰めて、底に残った純粋な殺意。

 悪魔ベールも、恍惚に蕩けた表情で舌舐めずりをする。

 主である牙噛が放つ狂気じみた殺意。

 ベールはその激情を、飴玉でも口にするみたいに楽しんでいた。


「素敵だよキバガミ。こんな激しい君を見られてワタシも嬉しいよ」

「ほざいてろよ、テメェは楽しけりゃ何でも良いんだろうが」

「何か問題がある?」


 クスクスと笑うベールに、牙噛は軽く舌打ちをする。

 それからギロリと、黙って控えていた部下たちを一瞥した。

 まるで恐竜にでも睨まるたような恐ろしさ。

 改めて震え上がる部下二人に、牙噛は無造作に近付いた。


「おい、散ってる雑魚どもを集めろ」

「ハッ! それで、人数はどの程度……」

「全員だ」


 ギョッとする部下に、牙噛は鋭い犬歯を見せる。


「二十人ぐらいだったか?

 外に出てる奴も含めて、紐付きの契約者どもを全員呼び戻せ」

「おやおや、悪い人奴だなぁ。決闘なんじゃないの?」

「決闘? 馬鹿言えよ、これは戦争だ」

「アハハハっ! 戦争かぁ、いいね戦争!

 死ぬか生きるか殺すか殺されるか!

 久々のお祭りになっちゃうねぇ。ワクワクしてくるよ」


 本当に祭りを前にした子供のように、ベールは声を弾ませてはしゃぐ。

 それを聞き流しながら、牙噛は自分が並べられる手札を数える。

 雑魚ではあるが、悪魔契約者の部下が二十前後。

 奴隷どもに契約させた下級悪魔は十五匹。

 合わせればそれなりの数だ。

 が、相手が連れているのも上級悪魔。

 位階は不明だが、上級の力がどれほど理不尽かは牙噛も良く心得ている。

 ――位階は、不明?


「? キバガミ? 急に黙り込んでどうかした?」

「……あの黒い女の悪魔。位階が分からねェ」

「どういうこと?

 ショップで改造した視覚なら、アプリと同じように星が見えるはずでしょ?」

「だから、それが見えなかったって話だよ」


 その事実に気が付いて、牙噛は少なからず動揺を覚えていた。

 テウルギアの悪魔は、その位階を星の数で確認できる。

 これはテウルギアの召喚術式の影響下にある悪魔なら全てに当てはまる。

 例外は運営サイドで参加している大悪魔ぐらいのはず。

 そちらはそちらで、悪魔固有の力以外に運営としての「特権」を有している。

 そのため彼らの力は単純な星の数では測れない。


「……あの女に、そんな規模の力を感じたか?」


 思い返して、牙噛は訝しんだ。

 彼が戦ったのはソフィアとオロバスの方。

 カナデとミサキとは僅かな接触を持ったに過ぎない。

 能力こそ不明でも、「どの程度の強さの悪魔」かは正確に見抜いていた。

 ――どれだけ多く見積もっても、ベールと互角程度のはず。

 星の数にして七つ、伯爵級に相当する上級悪魔。

 十分過ぎるぐらいの難敵だ。

 悪魔に対する戦力評価に関しては、牙噛も侮りは含まない。

 五階位以上の悪魔ならば必ず《異戒律》を持っている。

 その力次第で位階の差を覆す事も別に珍しくはない。

 牙噛の戦力分析は正しい。

 正しいからこそ、「星が見えなかった」という特異性が引っ掻かっていた。


「――随分と心配性じゃあないか、キバガミ」


 考え込んでいる間に距離を詰めていたのだろう。

 ベールは契約者の目の前に立つと、その顔を両手で挟む。

 そして黒い空洞である眼を見開いた。


「そんなにあの女の事が気になる? もっとワタシを見ろよ、傷付くじゃないか」

「なんだよ、妬いてんのか?」

「焼き殺したくなるぐらいには妬いてるとも」


 笑っているけど、笑っていない。

 単純な嫉妬とはまた異なる執着を、悪魔は一人の男に向ける。


「相手がなんだろうと、ワタシたちは勝つ。

 あの悪魔が何者であれ、ワタシが綺麗な宝石にしてやるから。

 カナデくんだっけ? 彼とか、きっと良い色合いの石になると思うんだよねェ」

「男はインテリアとして飾る趣味はねぇからな。

 ヤっちまったらお前が好きにしても良いぞ」

「ホントに? やったぁ!!」


 本気ではしゃぐベールに、牙噛は苦笑いをこぼす。

 悪魔の星を確認出来なかったという未知の事象。

 それに過度な警戒が重なって、少しばかり考えすぎてしまった。

 ベールの発言は楽観が過ぎるものではあるが、一理ある。

 《魔宴》は今夜。

 仮定を重ねるよりも、確実に勝利するための算段こそが必要だ。


「勝つのはオレ達の方、か。確かにお前の言う通りだな、ベール」

「だろう? 賢いのも過ぎると毒だ。

 難しく考えるより、頭空っぽにして暴力で片付けるのが早くない?」

「そりゃ時と場合によりけりだな」


 全肯定はせず、鼻先をくっつけている悪魔の頭をわしゃりと撫でる。


「あのガキも、あの黒い女も。

 どっちもブチ殺すぞ。手札の出し惜しみは無しだ。

 戦争だからな。戦争は勝たなきゃお話にならねェんだ」

「アハハハハ! 勝たないとねェ、楽しまないとねェ。

 今夜は《魔宴》、悪魔のためのお祭りなんだから!」


 祭りだ。戦争だ。

 悪魔たちによる、悪魔のための。

 牙噛は頭の中で自分の手札を確認し、逆に相手の持っているだろう札を予測する。

 その上で勝つのはこちらだと、牙噛は確信していた。


「――だが、それを覆してくれるんだろ?」


 そう呟いて、牙噛は笑う。

 日野カナデ。忌々しくも正面から喧嘩を売って来た相手。

 まだガキの分際で、随分と肝の据わった男だと。

 未だに侮りを持ちながらも、牙噛なりにカナデを「敵」として認めていた。

 ――全力で捻じ伏せて、必ず叩き殺してやる。

 戦意に燃える契約者の眼を、悪魔であるベールは覗き込む。


「宴の時間が楽しみだ。さぁ、急いで仕度をしないとね?」

「あぁ。わざわざ招待した客を退屈させちゃいけねェからな」


 悪魔と男は笑い合う。

 笑い合いながら、彼らは宴の準備を進める。

 

 今宵は星は逃げ去り、空にはただ月だけが浮かぶ。

 無慈悲に冷たく輝く夜の女王。

 その下で蠢き、余人には知られることなく集う悪魔たち。

 血に渇き、戦に乾いた彼らは供物を求める。

 捧げられるのは果たして誰の魂か。


 宴が始まる時まで、あと少し。

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