第24話:ソフィアvs牙噛


 テウルギアで契約可能な悪魔は、契約者一人に付き一体だけ。

 それは原則で、基本的に例外はない。


「ソフィア、大丈夫かい!?」

「私の事は良いから、目の前に集中して!」


 私、ソフィア=アグリッピナの契約悪魔。

 テウルギアを経由していない、私自身の力で呼び出した魔神。

 オロバスの気遣う声に、殆ど叫ぶ形で応える。

 そう、私の事は良い。

 今大変なのは矢面で剣を振るっているオロバスの方だ。


「ハッハッハ! どうしたよ、随分と余裕がなさそうだなァ!」


 展開された《領界レルム》。

 それはオロバスのモノで、辺りの景色は大聖堂の姿に塗り替えられている。

 静謐な空気に似つかわしくない派手な恰好の男。

 キバガミは余裕の構えで私を――私たちを嘲っている。

 叶うならば、即座にその顔面をブチ殴りに行ってやりたい。

 けど、それに関しては不可能に近い。


「さぁさぁ、頑張って頑張って!

 こっちはまだまだ数が控えてるからねェ!」

 

 ケラケラと笑うのは、キバガミの契約悪魔。確かベールとか名乗っていたはず。

 オロバスが戦っている相手――では、ないのだ。

 ベールは未だにキバガミの傍にいる。

 まるで戦う気がないみたいに、適当に野次を飛ばしているだけ。

 代わりに襲って来るのは、

 何匹かは斬り殺しているけど、まだ十匹以上が蠢いていた。


「有象無象が……!」


 悪魔の殆どが、影に似た姿の怪物。

 階級としては低位で、さっき潰した獣どもよりはマシ程度。

 だけど流石に、二桁の数に囲まれるのは厳しい。

 群がる悪魔どもの爪や牙。

 或いは炎や風みたいな魔力に由来する攻撃。

 それらをオロバスは、剣と《異戒律》で捌いていく。

 反撃で刃が閃けば、影の一匹が片腕を斬り落とされた。


「おっ、やるなぁ。ちょっと旗色が悪いんじゃない?」

「だったらもうちょい追加するか?」


 ……あっちは完全に観客気取りか。

 腹立たしいけど、構ってはいられない。

 一人の悪魔契約者が繰り出したとは思えない数の悪魔。

 オロバスはかなり頑張って対処してくれている。

 けど、彼女が持つ力は支援や補助がメイン。

 正面から数で押し込まれるのはハッキリと不得手だ。

 だからこそ、私は自分の役目に徹する。


「こっちはまだまだ行けるから、貴女も遠慮は無用よ……!」


 半ば叫ぶ声に、オロバスは微かに頷く事で応えた。

 掲げた左手には、最初に自分で付けた傷が一文字に開いている。

 そこから流れ出す血は、全てオロバスへと捧げられていた。

 これが私たちの基本的な戦術。

 聖体拝領――指先サイズのパンと、小瓶に入れた赤ワイン。

 それらを口にした上で、神への祈りで我が身を「聖なるモノ」へ近付ける。

 古典的な悪魔であるオロバスにとって、聖性はこれ以上ない供物だ。

 私自身も流れる血は少々特別で、単純に「価値」が高い。

 これだけでも悪魔の強化には十分過ぎるぐらい。

 だけど私は、ここにオロバスが持つ《領界》の力も加えた。

 オロバスの有する《領界》。

 その力は「」というもの。

 私が「学生」という身分地位で違和感なく学校に潜り込めた事。

 これもオロバスの《領界》を一部利用しての事だ。

 ハッキリ言って戦闘向けの能力じゃない。

 だけど、どんな能力であれ使い方次第では大きく化ける。

 今も私は《領界》の魔力で、私自身に「聖人」の地位を与えていた。

 この血が持つ「価値」をより高めるために。

 捧げられた聖なる血で、オロバスは大幅に強化されていた。

 格下とはいえ、十体以上の悪魔の群れと正面から殴り合えるほどに。

 ……ただ、欠点はある。

 単純にして明快な、「私が出血し続ける必要がある」という欠点。

 強化されたオロバスなら、雑魚相手に遅れを取る事なんてあり得ないけど。

 このまま血を流せば、控えている本命と戦う余力が無くなってしまう。

 キバガミと契約悪魔のベールは、未だに動きさえ見せていない。

 せめて、せめて戦いの場に引っ張り出せれば……。


「……随分と、惜しみなく手札を突っ込んでるようだけど。

 良いの? テウルギアで契約できる悪魔は、本来なら一匹だけ。

 何か特別な方法を使ってるんじゃないの?」

「おっと、不利と見てお喋りで気を引こうって腹か?

 いいぜェ、付き合ってやってもよぉ」


 下品な笑い声が神経を逆撫でしてくる。

 挑発しようっていうのに、私が沸騰してどうするのか。

 頭を落ち着かせるためにこっそりと深呼吸する。

 一方、キバガミはあくまで余裕の構えで。


「――ま、オレは『』だからなぁ。

 雑魚とはいえ、この程度の悪魔を複数従えるなんてのは造作もないのさ」

「はぁ??」

 

 今、コイツは何を言ったの? ソロモン王の再来?

 世迷言にも程がある。

 私の反応に、キバガミは気分を害するどころか笑みを深めた。


「理解できねェんだろ? 理解できねェよなぁ。

 オレだからこそ悪魔が何匹いようが従えられる。

 今はまだ下級ばかりだが、いずれは上級悪魔も並べてやるのさ。

 目標としちゃあやっぱり七十二匹か?」

「戯言ばっかり……!」


 キバガミが語るところは、どれも意味があるとは思えない。

 事実、オロバスは真実を見抜いていた。


「……そもそも、?」

 

 悪魔の群れと戦いながら、オロバスが冷え切った声でそう言い放つ。

 その言葉に、キバガミは動揺を見せなかった。


「流石――と、褒めてやるところか?」

「生憎と自称ソロモンなんて痛い男に褒められてもね……!」


 近くの悪魔を斬り倒しながら、オロバスは嫌悪も露わに吐き捨てる。

 彼女もまた七十二柱に数えられる魔神。

 やはりソロモン王の名には、オロバスなりの思い入れがあるのだろう。

 契約者である私も、流石にそこまで踏み込んだ話はした事がない。

 意図せずオロバスの柔らかい部分を踏み抜いた事。

 キバガミは当然気付かず、愉快そうに笑いながら続ける。


「見抜かれたんなら仕方ねぇなぁ。

 嘘は良くない、嘘を吐くのは恥知らずのやる事だ。

 だから素直に答えてやるよ」

「いやぁ、我がマスター殿は正直者だねぇ!」


 ホント、言動の一つ一つが腹立たしい。

 ケラケラ笑う悪魔ベールの頭を撫でながら、キバガミが懐を探る。

 そこから出てきたモノは。


「スマートフォン……?」


 よく見かける、長方形の薄い板。

 テウルギアはゲームアプリだから、スマホが出てくるのはおかしくない。

 ただ、キバガミの手には五つのスマートフォンが握られていた。

 ……いや、そうか。


「お前、他人名義のスマートフォンで……!」

「ご明察! 先ずは金を貸した奴の名義でスマホを契約。

 そしたらテウルギアを入れて本契約まで育成させる。

 で、そこまで育ったところで俺がスマホを没収するわけだ。

 悪魔には『契約者から幾らでも搾って良い』って条件付けした上でな」


 本当に、心底得意げにキバガミは自らの手の内を語る。

 腹の底から湧き上がる怒り。

 「腸が煮えくり返る」なんて言うけれど、今の私はまさにその状態だ。

 恐らく――いいえ、ほぼ間違いなく。

 この悪魔どもと契約している人間は、何も分かっていないはず。

 テウルギアで悪魔と契約する意味を。

 そして半ば強制的に同意させられただろう条件付けの事も。

 悪魔が何かをするには、必ず「価値」を消費する必要がある。

 オロバスに群がる悪魔ども。

 コイツらはキバガミに従いながら、

 所有する金銭などの財産程度ならまだ良い。

 けどキバガミは、「金を貸した奴」と言っていた。

 悪魔が戦闘するのに必要なほど金の余裕があるとは思えない。

 そうなれば、供物となる「価値」は限られる。

 今、私が流れる血をオロバスに捧げているのと同じように。

 顔も名前も知らない「彼ら」は、その命を――。


「ハハハハハハハハハハッ!!」


 キバガミは笑っていた。

 面白くて仕方がないと、私を見ながら、腹を抱えて笑っていた。


「おいおいおいおい! お前だって悪魔契約者だろ!?

 まさかこの場にもいないような、有象無象のカスどもを心配してんのかよっ!

 甘ったるいなァ、オイ!!」


 すぐに言葉は出て来なかった。

 下種の畜生ではあるけど、キバガミの言い分も一部は同意できる。

 気にする必要などない。

 意に沿わず悪魔と契約したとしても、それもまたその人間の運命。

 哀れには思うけれど、私は何もかもは救えない。

 だから気にする必要などないのだ。

 この男さえここで仕留めれば、それ以上の犠牲者も出さずに済む。

 そう――だから、怒りを感じる必要もない。


「……臭い口を閉じなさい、外道」

「あん?」

「黙れと、そう言ったんだけど。猿に人間の言葉は難し過ぎましたか?」


 お前が笑うなら、私もお前を笑ってやる。

 そもそも、何がソロモン王の再来か。


「ヤクザらしいケチ臭いやり方を、賢いと勘違いしたんでしょうけど。

 こんな上級にもなり切れてない雑魚を何匹侍らしたところで。

 普通はソロモン王の再来だとか名乗れませんよ。恥ずかしくないんですか?」

「……テメェ」


 おや、癪に障ったようで。

 余裕の表情だったのが、少しばかり怒りに歪む。

 キバガミの傍らにある悪魔ベール。彼女は何も言わない。

 むしろ契約者が罵倒されてるのを楽しそうに聞いている。


「小娘が生意気な口を聞いてやがる。

 けどこの状況、吠えるほどの余裕があるか?

 言っとくが、出せる札はまだまだあるんだぜ?」

 

 笑って、キバガミは羽織っている上着の内側を見せてきた。

 そこにもまた、幾つものスマホがぶら下がっていた。

 ぱっと見ただけでも二十近い。

 少なくとも、今オロバスが戦っているのと同数。

 それだけの悪魔がまだ控えていると。

 ……確かに、私たちだけで戦うのは厳しいかもしれないけど。


「……そっちこそ、余裕ぶってて良いわけ?」

「はん、何が言いたい?」

「私一人も未だに仕留めきれず、既に手札の半分は晒してる。

 追い詰められてるのはどっち?」

「ほざくなよ。テメェはここで死ぬ。

 まさかあのひ弱そうなガキに期待してんじゃねぇだろ?」

「……ええ、彼は関係ないわ」

 

 関係ない。彼はまだ未熟で、戦いには不慣れだ。

 この状況で、彼に期待するべきことなど何もない。

 

「私は聖堂騎士、悪魔祓いを行う組織のメンバー。

 日野くんはあくまで現地の協力者だから、何も関係ないわ」

「悪魔祓いねぇ。それであのガキは他所に行かせて、一人でオレの相手かよ。

 自己犠牲の精神に涙が出るねぇ」

「勝手なこと言わないで貰える?

 お前は倒すけど、そのために殉教する気はないから」


 弱さは晒さない。

 流れる血は随分とオロバスに捧げて、正直身体はしんどい。

 でもそれは、群がる悪魔どもと戦い続けるオロバスも同じ。

 そして、この男以外を任せてしまった日野くんも。

 私だけ折れる弱さは見せられない。


「ハッ! どの道あんなガキじゃ役に立たねぇ。

 テメェはここで孤立無援、ただ惨めに死んでくだけだ!」

「ホント、数を頼みに隠れてるクセに随分と口は達者ね。

 ……悪いけど、仮に私から逃げられたって

 孤立無援はアンタの方よ」


 それは一部ハッタリではあった。

 聖堂騎士団は人員不足で、この街については騎士長の私に一任されている。

 他の騎士長にはそれぞれ担当があるし、そう簡単には――。

 

「っ……?」

 

 指先に、滲むような痛みが走った。

 攻撃を受けたわけでもないのに、何故。

 そう思いながら、私は痛む右手に視線を向けた。


「ッ、何、これは……!?」

「――いけねェなぁ、お嬢ちゃん。

 嘘は良くないって、オレは言ったんだけどなぁ?」


 嘲るキバガミ。けど、それに反論する余裕はない。

 右手の指先。まだ爪の半分程度だけど、何かキラキラした物に変化しつつある。

 

「マスターっ!?」

「私は大丈夫だから!」


 こちらに気を取られかけたオロバスを一喝。

 そしてすぐ、変化が拡がりつつある指先に集中する。

 悪魔による呪いだ。

 いつ施されたのか。直前の自分の言葉と、キバガミの吐いた戯言。

 考えられる可能性は。

 

「……嘘、か」

「ホント、察しが良いねぇ」

「……迂闊だった。呪いだけど、仕掛けられた感覚はなかった。

 そうなると、コレはアンタの《領界》ね」

「ふふっ、それも御名答」


 笑うのは、キバガミの契約悪魔ベール。

 その閉ざされていた両目が、今は開いている。

 瞳が――いや、そもそも眼球が存在しない。

 真っ黒い二つの穴が、私を見ていた。


「そっちの《領界》に、薄く重ねる形でね?

 出力抑え気味だから、割と簡単に抵抗レジストされちゃってるけど。

 いやホントに凄いね」

「あぁ、正直まともにやったら負けてたかもしれねぇ。

 上手いこと罠に嵌ってくれて助かったぜ」


 腹立たしい。反論したいけど、私が迂闊だったのは間違いない。

 キバガミが妙に饒舌で、アレコレとペラペラ喋っていた理由。

 それも全部、私から何かしら「嘘」の発言を引き出すためだった。

 右手に這い上る呪い。私の血肉を、何かの鉱物に変えようとしている。

 ベールの言う通り、抵抗は出来ていた。

 しかし出力が低いとはいえ、そこは上級悪魔の呪い。

 無理やり解呪するまでは至らず、せいぜい進行を遅らせるのが限度。

 本体である悪魔を討たない限り、呪いは消えない。


「さて、フィナーレと行きますか」


 そう言うと、キバガミの身に付けている指輪が割れた。

 悪魔に対して供物として捧げたんだ。

 開かれたベールの両目に魔力が高まっていく。


「そんな状態じゃあ、ワタシの《異戒律》は防ぎ切れないでしょ。

 大人しく綺麗な宝石に変わっちゃいなよ!」


 《異戒律》の方も、相手を別の「何か」に変える呪いか。

 逃げ場がないし、防ぎようがない。

 それを認めて――けど、私に焦りはなかった。

 正確には数秒前は焦っていた。

 殆ど詰みな状況、覆す手は何処にもない。

 情けないけど、縋る思いで悪魔の群れと戦うオロバスを見た。

 未来を見通す《異戒律》を持つ偉大な魔神。

 彼女は私の視線に気付くと、小さく微笑んだのだ。

 諦めではなく、希望を感じさせる笑み。

 何が起こるかは分からないけど、私はそれを信じた。

 それこそ天の父に祈る気持ちで。


「さぁ、死んだらオレの部屋のインテリアにしてやるよ!!」


 嘲りと共にキバガミは叫ぶ。

 ベールの両目から呪いが放たれる――その直前。

 オロバスが予め見ただろう、未来の光景。

 それは轟音を響かせて、現在の私の目にも映った。

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