第四章 次期非人頭(1)

 

 

 それからというもの、恭太郎はよく秋津の住む御堂を訪れるようになった。

 郡代見習いとして登城する一方で、黄昏時になると手土産を携えて秋津を訪ねてくるのだ。

 握り飯だったり、菓子であったり、野菜であったり。

 秋津が御堂に帰ってくると、いつものように階や濡縁に座って待つ恭太郎がいる。

 今日も秋津が帰ると、竹の皮の包みを抱えて待つ恭太郎の姿があった。

「はぁ、参ったな……。有り難いけど、今日で三日目ですよ? こんなに何度も受け取るわけにいきませんよ」

 検視における助言をした礼は、既にあの日のうちに受け取っている。

 その上、一応は仕事にもありつけているし、恭太郎から施しを受ける理由もない。

 街の往来で物乞いをする非人もいるにはいるが、そうした者たちは殆どが無宿むしゅく者だ。

 秋津は幸いにも今も長屋の世話になっているため、物乞いをすることもなく済んでいる。

「気にしないでくれ。私が勝手にしていることだ。おまえが受け取ってくれれば私も嬉しい」

 いつも通りに、恭太郎は包みをそのまま秋津へ手渡す。

 憐れまれているのだろうか。

 非人だから?

 それとも、こんな辺鄙な岩屋を住処にしているから?

 身分の高い者の考えそうなことだ。

 憐れみ、施し、それで何か満たせるものがあるらしい。

「恭太郎様」

 秋津は、やや声を落としてその名を呼ぶ。

「今日は有難く頂戴しますが、もう今後はやめてください。お礼以上のものを受け取る理由もないですから」

 きっぱり言い切ると、秋津はすっと恭太郎の横を通り、岩屋のほうへと足を向ける。

 瞬間、恭太郎の手が秋津の腕を掴んだ。

「何です」

「あ、いや……すまん。迷惑になるなら、食い物を持ってくるのはやめようと思う。だがその……」

 実に言い難そうに目を伏せ泳がせているところを見ると、秋津の考えた通りで間違いないないようだ。

「あたしは物乞いとは違うんですよ。無宿者のように見えるかもしれませんが、ちゃんと仕事もある。満足に食えてるかって言ったら腹一杯は食えないけど、生きていくのに困るほどじゃない」

 心配されるような間柄でもないし、と秋津はやんわり恭太郎の手を退ける。

「すまない、そういうつもりで持参していたわけではないのだ。たが、矜持きょうじを傷付けたのなら申し訳なかった」

 秋津の言葉尻から意図を酌み取ってか、恭太郎は深々と頭を下げた。

 他の役人とは、こうしたところが少し違うなと思う。

 頭を下げたり、こちらの言い分をしっかり受け止めようとしたり。

「……こんなところに足繁く通っていなさるんじゃ、恭太郎様の名誉に傷が付きますから」

 だからこそ、秋津も冷たく突き放す事が出来なかった。まったく質が悪い。

「なんだ、そんなことか。それこそ気に掛けることはない」

 これから郡代を継ごうという立場であればこそ、現場に働く人足たちとは懇意にしておかねばなるまい。とか何とか、尤もらしいことを言う。

「それに、私も話し相手が欲しくてな。おまえといると素のままでいられるからか、気が楽なんだ。情けない話だとは思うが……」

 おまえにはもう既に格好の悪いところを見られてしまっているからな、と恭太郎は自嘲気味に力無く笑う。

 処刑の検視が怖いなどと腑抜けたことを言っていては、確かに他の者からも笑いものにされるだろう。

 してやこれが次の郡代ともなれば、先々皆の上に立つ存在となるのだ。頼りない姿を晒し続ければ、恭太郎自身の今後に大きく響いてくるはずだ。

 武士というのもなかなかに面倒臭いものらしい。

「おまえさえ迷惑でなければ、たまにここを訪れても良いだろうか……?」

 恭太郎はすっと顔を上げ、今にも崩れそうな御堂の軒を見上げる。

 釣られて仰ぎ見た軒は、あちこち腐り落ちて黒ずみ、裏側にやや苔も生していた。

「この朽ちて寂れた御堂も、慣れれば隠れ家のようで落ち着く」

「……そうですか? もうぼろぼろで、それこそ幽霊でも出そうなのに」

 実際そう囁かれていて、人の行き来はまったくないのだ。

 見たままの、暗くて不気味な堂宇だ。

「そこまで仰るんなら、まあ、お好きになさったらいいんじゃないですか」

 立派な身なりの侍が訪れるには不似合いな場所には違いないが、ここに勝手に棲み着いているだけの秋津が、恭太郎に来るなと強く言えるものでもない。

「ただ、あたしがここの岩屋に住んでるってことは、秘密にしておいて貰えると助かるんですが」

「そうか! それは有難い。勿論、この場所におまえが住んでいることは誰にも明かさぬと約束する。それは安心してほしい」

 恭太郎はぱっと表情を明るくし、実に嬉しそうに笑った。

 

 ***

 

 その日、十兵衛は源太郎に付いて問屋筋を回り歩いた。

 長屋の非人がそれぞれの持ち場から掻き集めてきたものを纏めて、買い取ってもらうためだ。

 集めた髪はかもじに、古傘は油紙を剥がして張り直し、灯明皿に流れた蝋も集めてまた蝋燭にする。

 刑場で得られた古着や小間物も、再び市場に回すことになるのである。

「いいか十兵衛、下手に出るばかりじゃあ、頭は務まらねえ。特に刑場からは上等なもんが手に入るだろう? そういう代物については特に気を付けるこった」

 最後に回った古着屋を出ると、羽織姿の源太郎は悠然と腕を組み、歩きながらの講釈を始めた。

「金や銀は兎に角混ぜ物が多いもんだ、物を見る目を養わなきゃあならねえ。古着の類も同じでなぁ、問屋に出す前にゃ必ず品定めせにゃあならん」

 疵や汚れの無いものは、特に高く売れる。擦り切れた古着と十把一絡げにしてはいけないとか、問屋とは粘り強く交渉しなきゃならないとか、源太郎は滔々と語り聞かせる。

 が、十兵衛にとっては今までも幾度となく供をした問屋廻りだ。今更何を、という内容ばかりの話に、一応の相槌を打ちながら往来を行く。

「これまでは長屋の奴らも仲間だったろうが、おめぇが頭になりゃ奴らは手下だ。うまく使って、なるべく喧嘩しねえように目を配ってやらなきゃならねえぞ」

 

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