第十章 告白(3)

(元宮様の別邸──)

 使用人とは言え、身元の明らかでない者を安易に雇い入れることなど出来るものだろうか。

 第一、大きな邸の使用人など務まる自信もない。

 これまでの非人長屋の暮らしが身に染み付いてしまっている。

 刑場の手伝いなら慣れたものだが、自分が武家の使用人など想像もつかない。

 それも下級の武家などでなく、家中でも指折りの家格を誇る元宮家だ。

 考えて欲しいと言われても、世話になる理由もなければ、格式ある家の使用人に推挙されるような後ろ盾も実力もない。

 願ってもない話には違いないし、有り難いことではある。

 だが、元宮家の側にしてみれば、若君が気紛れで拾ってきた厄介者でしかない。

 けれど、と秋津は思う。

 先程のあの様子では、もし承諾したなら──いや、丁重に断ったとしても、この診療所から真っ直ぐに別邸へ連れて行かれるのではないか。

 それこそ、源太郎や十兵衛に一度も顔を見せないままに。

 一夜が明けて、源太郎や十兵衛がどうしているかも気に掛かる。

 長屋にも戻らず、焼け跡にもおらず、行方を晦ましたように思っているのではないか。

 無事であることだけでも伝えたかったが、勝手にここを出ないという約束を交わしてしまっている。

 次に恭太郎が訪れるのがいつになるのかも分からないが、それを待っていては失踪したと思われやしないか──。

「薬を持ってきたけど、具合はどう?」

 逡巡に暮れていると、廊下から波留の呼び掛ける声が聞こえた。

 静かに障子戸が滑り、にこにこと人の良い笑顔を浮かべた波留が盆を片手に現れる。

「頭が痛むんだろ? これを飲めば楽になるはずだから」

「あ、ありがとうございます」

 差し出された湯呑みと薬包を受け取る。

 断続的に続いていた痛みは幾分薄らいではいたが、秋津は有難くそれを服用することにした。

「この薬も、本当ならあたしなんか飲めやしないのに……」

「気にすることないんじゃないかい? 折角元宮の若様が面倒見て下さるって言うんだから、甘えりゃいいのよ」

 けろっと明るく言い放つ波留に、秋津は些か驚く。

 波留の視線が秋津の膝元に移ろい、おや、というように眉を上げた。

「短刀って、それかい?」

「あ、はい。さっき、恭太郎様が返してくれて……」

「ふぅん? 良かったじゃないの。わざわざ持って来て下さったんだね。元宮様もよっぽどあんたを外に出したくないんだねぇ」

 波留はそう言って、呵々と笑う。

「こんなにされちゃあ、あんたが恐縮するのも分かんなくもないわ」

「助けられて、その上こうしてお医者にまで掛からせてもらって……。あたしが返せるものなんて何もないのに」

「あんたが元気になることが、一番のお返しだよ。月並みな文句で悪いけど、あの御方にとったら本当にそれが一番の望みだろうからさ」

 そもそも何かを返してもらおうとは思っていないだろう、と波留は笑う。

「感謝してるんなら、元宮の若様の言う事を聞いて、大人しくしておくことだね」

 さっき交わしたばかりの約束事を思い出し、秋津はぐっと返答に詰まる。

「……でも、あたしがここにいることは、長屋の頭にだけでも伝えておかないと」

 町の人が非人の住む長屋を訪れることはまずない。

 恐らく波留もそうした界隈には近付きもしないだろう。

 町人街とは雰囲気も異なり、普段から遠巻きにされている一帯だ。

 伝言を頼もうにも、頼み辛い。

「一度だけ、長屋へ行って来たいんです。すぐに戻りますし、なんなら人目のない夜にでも」

 すると波留はぱちりと目をしばたたき、秋津の顔を覗き込む。

「それはー……ちょっと聞いてやれないよ。ついさっき、元宮様の許可なく出しちゃいけないって釘を刺されたばかりだから……」

「えっ、波留さんにもそんなことを……?」

「そうだよ。先生にも、くれぐれもあんたを人目に触れさせないようにって言い置いてからお出になったからね」

「そ、それなら、頼み難いんですが、あたしがここにいることを非人頭の源太郎という人に伝えてもらうことは……」

「悪いけどそれも出来ないよ。あんたを狙った可能性もあるから、ここにあんたがいることは隠したいってさ」

 今度は秋津が驚く番だった。

 まさかそこまで手を回しているとは。

 これでは療養を建前にした幽閉のようなものだ。

 いくら火付けの犯人が捕まっていないからと言っても、少々やり過ぎではないだろうか。

 思ったままを告げると、波留も困ったふうに笑う。

「火を付けた奴が早く捕まればいいんだけどねぇ」

「それじゃ、あたしはそれまでここを出られないってことになるじゃないか……」

「そうだねぇ、まああの様子じゃ元宮様もまたすぐに来られるだろうから、直接頼んでみたらどうだい?」

 終始明るく軽い口調の波留だが、一言断っておくと前置きして、声を硬くする。

「あんたに勝手をされると、孝庵先生に迷惑がかかるからね。それだけは忘れないでおくれよ」

 夜半にこっそり抜け出すことも、やってやれなくはないだろう。

 しかしそれが万一露見した時には、孝庵と波留にも累が及ぶ。

 それを見越してかどうかは定かでないが、波留の抜け目なさに秋津は愈々八方塞がりとなるのであった。



【第十一章へ続く】

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