第十章 告白(2)
──身分を盾に体良く拒んでいる。
またも脳裏を過る言葉が、恭太郎の心の臓を絞めつける。
「顔を、上げてくれ。そんなふうにされると、突き放されているようで……辛い」
思えば最初から秋津は遠慮がちだった。
叱咤されたのも、あの時以来一度もない。
贈り物を素直に受け取ってくれたことも、なかったように思う。
こちらから頼んで初めて、おずおずと意を汲んでくれる。
今も、頼んで漸く、ゆっくりとその上体を起こしてくれた。
それでもその顔は俯いたままだ。
考えれば考えるほど拒絶されているように思えて、胸に刺すような痛みを覚える。
「どうして、目を合わせてくれないんだ……?」
僅かに声が震えた。
「あたしは、この取調べが終わればすぐにもここを出ます。どうしても探さないといけない物が……」
「取調べではない、私はおまえが心配で……!」
「火の手が上がった時、あたしは河原にいたんです。煙が上がってるのを見て、町に知らせに走ったけど、短刀を置いたままにしていたから岩屋に戻った……それくらいしかお話しできることはないんです」
恭太郎の言葉を聞いてか聞かずか、秋津は淡々と当時のことを声に乗せる。
そこで漸く顔を上げた秋津は、力無く笑った。
「けど、こんなことがあったらもうあの場所で暮らすのも危ないだろうし、頭や十兵衛もきっと心配してる。だから、大人しく長屋に戻ろうかと──」
「駄目だ!!」
「えっ──」
思わず、その腕を掴んでいた。
気圧されるように目を見張った秋津の腕を、恭太郎は尚も強く捕らえる。
「で、でもあたしは元々長屋住まいで……」
「身体が癒えた後のことは、私に任せて貰えないか。元宮家の別邸に、おまえを迎えたいと思っている」
大身の家は、主から別邸を賜ることも多く、元宮家も例に漏れず郭外に別邸を構えていた。
だが当然、家督を継ぐ前の恭太郎に好き勝手出来るようなものでもない。
「表向きは使用人としてだが……暮らす上で必要なものはすべて揃えるし、作法も学べる。刑場で働くよりずっと良いはずだ」
「き、急にそんなことを言われても……、長屋に戻って頭や十兵衛に──」
「その十兵衛に、おまえを渡したくないから言っている!!」
思わず、声が大きくなった。
怒鳴るつもりはなかったが、捕まえたままの腕がまたびくりと震えた。
恭太郎の手から逃れようとでもするかのように、その身が後退る。
「だけど、あたしは──」
「暫くはこのままここで療養して欲しい。その間に、考えてくれ」
「…………」
「どうか、戻らないで欲しい」
拒絶に繋がる言葉を遮り、返答の無いことには堪えられず、更に念を押すように呟く。
「確かに私は、おまえに情けないところばかり見せてきた。おまえにとっては迷惑でしかないのかもしれないが、それでも私は──」
「……あ、あの、恭太郎様」
「私は、おまえが好きだ。私の身分ではなく、私自身を見ていて欲しいんだ。おまえに目を逸らされ、余所余所しくされると、悲しくなる……」
気まずい沈黙が流れることを恐れて、恭太郎は徐に懐から短刀を取り出すと、秋津の手に握らせた。
「! これ、あたしの……?」
渡された短刀と恭太郎の顔とを交互に見、秋津は何かを言い掛けて口を開く。
「抱き上げた時に、おまえの手に握られていた。大事な物なのだろうと思って持ち出して来たんだが、返すのが遅くなってすまない」
短刀さえ戻れば、秋津が無理に出歩く理由はなくなる。
無理を重ねて欲しくはなかったし、外へ出ればきっと長屋の者と会うだろう。
そのまま長屋へ戻ってしまうことが、怖かった。
「まだ火付けの犯人も捕縛出来ていない。またいつこんなことに巻き込まれるか、気が気でないんだ……ここで療養すると約束してくれ」
「けど、怪我は大したことは……」
「約束してくれ、決して勝手にここから出ないと」
驚きか困惑か、秋津はぽかんと口を開けて目を瞠ったまま、やっとのことで一つこくりと頷いたのだった。
***
「ちょっとちょっと先生!」
薬棚の前でその残量を確認していた孝庵に、波留は慌てて駆け寄った。
「何です、波留さん。ばたばたしないで、埃立つでしょ」
「大変大変! 元宮様が大変だよ!」
「えっ? 何かあったのか!?」
奥の一室に通しているはずの恭太郎に何か粗相があれば、ただでは済むまい。
すわ一大事かと身構えたが、波留の顔は意外にもにやにや緩んでいる。
「ちょっと波留さん、何笑ってんの。元宮様がどうしたの」
「いえね、人払いされるもんだから、きつーい尋問でもなさるのかと思ったら、それがねぇもう……」
「うん。……え?」
人払いした後の話を、どうして知っているのか。
孝庵が顰蹙すると同時に、波留は前のめりに声を潜めた。
「元宮の若様、あの娘に相当惚れ込んでるよ……!」
「はぁ……? って、いやいやいや波留さんあなた、盗み聞き? 良くないよ?!」
「だってお薬持って行こうと思ったら、聞こえちゃったんだもの。わざとじゃないですよ? 元宮様ったら懇願するようなお声で、そりゃもう悲痛なまでの口説きっぷりでね」
「もー、だからやめなさいよ、そういうのォ」
「いいねぇ、なんだかこっちがドキドキしちゃうよ!」
孝庵の腕を平手でばしばしと叩きながら、波留はにやけ顔で喜んでいる。
「あっ、ちょっ、痛っ、波留さん痛いから!」
「羨ましいわぁ、私ももうちょっと若かったらねぇ」
「えぇ……波留さんじゃ無理じゃないの」
「ハァ!? ひどいこと言うわね先生、これでも若い時は言い寄る男がたくさんいたんだからね!」
「んもー、そういうとこばっかりちゃんと聞くんだから……」
兎に角、と孝庵は語気を強める。
「盗み聞きはダメ! 元宮家が非人のおなごを嫁に迎えるわけないんだから、変な波風立てないように、黙って知らないフリしときなさいよ!?」
波留を咎めつつも、確かに昨日ここを訪れた時の倉皇ぶりや青褪めた表情、加えて人目に付かぬ最奥の部屋を指定して休ませるよう申し付けられたことなどから、何か事情がありそうだとは思っていた。
だが、それはあくまでも火事の参考人として重要だからだとばかり思っていたのだ。
それがどうも波留の話では様子が随分違う。
今の波留の話は聞かなかったことにしよう、と心に誓う孝庵であった。
***
約束を呑んだことで、恭太郎はまたすぐに奉行所へ戻り、秋津は漸く息をつくことができた。
(約束、してしまった……)
半ば強引に取り付けられたようにも思うが、恭太郎の必死の形相を前に、他に何と返事が出来ただろうか。
恭太郎から受け取った短刀をぼんやり眺め、秋津は微かに残る頭痛の波を感じる。
先日櫛を贈られた時からだろうか。
恭太郎の様子が変わったように思う。
勿論、火が出たことで要らぬ心配と負担を掛けてしまったことは承知の上だが、つい今しがたの恭太郎には、どこか鬼気迫るものを感じた。
時折声を荒らげる様に驚きが先に来てしまったが、言われた言葉をよくよく考えてみれば、単純に好意を寄せられているということだ。
今になってじわじわと気恥ずかしくなってくる。
あれほど真っ直ぐに好意を告げられるとは考えてもいなかっただけに、恭太郎が退室してからも暫く身動きすら出来なかった。
告げられた一つ一つが思い起こされ、頭の中を止め処なく巡ると、今更ながらに顔が熱くなる。
長引く頭痛と相俟って、何をどう受け止めれば良いのか皆目見当もつかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます