第十五章 次代へ(3)

 

   ***

 

 城下から南へ延びる街道には日陰となる場所も少なく、歩き通せば足は段々と重く、じわりと汗ばんでもくる。

 慣れぬ旅支度での徒歩のせいもあるが、今後の不安も大きかった。

 遠く見知らぬ土地の、血だけが近い従兄のもとへ行って、一体どんな扱いを受けるのか。

 嫁の来手がないような家だとも聞き、それもまた不安を煽る。

 話に聞いたものがすべて真実とは限らない。

 ましてや母の一件を鑑みれば秋津の存在は疎まれこそしても、歓迎されるようなものではないはずだった。

 主要な街道故に人の往来も多いが、皆速歩で軽快に見える。

 一歩毎に重くなる足を引き摺り、ようよう一里を超えたあたりだろうか。

 遠く山々を臨む街道の北の方で俄にざわついた気配がした。

 振り返ってみれば、今擦れ違ったばかりの道行く人々が足を止め、道端に寄る。

 その先に、こちらへ向かって疾駆する馬首が見えた。

「何ですかね、ありゃ」

 と、伴の者も訝るが、それに相槌を返すよりも早く、秋津はその馬上に跨る人の姿に目を瞠った。

 恭太郎だった。

 見慣れぬ旅装束だというのにすぐにそれと見抜いたのか、秋津の前で手綱を引き絞る。

 勢い付いた馬足は前後に踏み鳴らしたが、馬上から飛び降りるや否や、恭太郎は秋津の目の前に立ちはだかった。

 余程に急がせて来たのだろう、馬が何度も小さく嘶き興奮している。

 そして恭太郎はと言えば、小袖に袴、二本だけは差していたが、よく見れば足袋も付けず、裸足に下駄を引っ掛けただけの出で立ちだ。

「秋津!」

「恭太郎様……、なんでここに──」

「おまえの本心が知りたい。おまえが私を嫌っているというのなら諦める。だが、もしもそうでないなら──」

「落ち着いてください。こんな人目の多いところで……!」

 気が変わって見送りに来たのかと思えば、捲し立てるばかり。更には腕を掴まれ、秋津は思わず周囲を行き交う人々を見回した。

 案の定、昼日中から大声で旅の女に迫る武士をちらちらと気にして、人々は何度も振り返りつつ通り過ぎていく。

 が、恭太郎本人は一切気に留めることもなく、尚も真っ直ぐ秋津の顔を覗き込んだ。

「私は、おまえでなければ駄目だ!」

「で、ですから、それはもうお断りした話で──」

「何も考えず、私を好きか嫌いかで答えてくれ!」

「っそれは……、その──」

 出立の時に託した言伝を思い出し、秋津は思わず顔が熱くなるのを感じた。

「あ、安藤様から言付けて頂いた通り、です」

 気恥しさが勝り、目を泳がせつつ辛うじて答えるが、腕を鷲掴みにする力は殊更に強くなった。

「私の目を見て答えてくれ」

 こちらを間近から覗くその目をちらりと仰ぎ見て、また逸らす。

 が、逃す様子は一縷も見えず、秋津は意を決して恭太郎を見返した。

「あたしは、恭太郎様が好きです──」

 でも、と続けようとした途端、目の前が暗くなった。

 瞬時に何事かと慌てたが、耳元に降る恭太郎の声で胸にいだかれている事に気付く。

「ならば、もう迷うことはなにもない」

 

   ***

 

 刑場の片隅に、供養塔はひっそりと佇む。

 刑死者や餓死者、水死者を弔うものだ。

 大抵の庶民や賤民は墓を持つことが許されておらず、殆どが河川での水葬だ。

 飢饉で餓死が相次ぐような折には、毎日のように枯れ枝のような遺体が川上から流れて来る。

 刑死した罪人などは、執行の後に刑場脇のの河岸からぞんざいに打ち捨てられ、流されていく。

 小さな供養塔は、枯草の中に傾きながらも建っていた。

 鼻を突く香の煙が細く立ち昇り、冬へ向かう風が掻き消してゆく。

 石碑に向き合い合掌すると、秋津は静かに瞑目した。

 どれほどの間、そうしていただろうか。

 乾いた風が吹き抜け、下生えをかさかさと揺らしていく。

 その音で漸く顔を上げた。

「この供養塔も、手入れしてやらねばならんな」

 背後で同様に手を合わせていた恭太郎の声に、秋津は振り返る。

「こんな有り様では、死者も浮かばれないだろう」

「……最下層の人間なんて、こんなものだよ。死ねば跡形もなく消えてく。墓なんてもんはさ、当人にとったらあっても無くても一緒なんだ。残された人間のためのもんだよ」

 傾いた石碑の表面は風化し、刻まれた文字すら曖昧になっている。

 自分自身も、果てはただ消え去るのみと思っていた。

 風に乱れた結髪に手をやって、秋津は一撫でする。

 上等な衣を泥に汚さぬよう注意を払うのは、思いの外疲れるものだった。

「やはり、きちんと建て直そう」

 不意に恭太郎が背後から秋津の両肩を掴み、寄り添いながら言う。

「この刑場に消えた者たちの慰霊と、それから──、おまえのように、残された者のために」

「……ありがとう、ございます」

「まあ、未だに十兵衛には少し妬けてしまうんだがな」

 恭太郎が冗談めかして言い、軽く笑って視線を交わす。

 それから今一度揃って合掌すると、手を取り合って刑場を後にした。



【了】

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