第十四章 火刑(3)
「………」
「嘆願を通してやることが出来なかった」
すまない、と今にも消え入りそうなほどに恭太郎は小さく詫びる。
「恨んじゃいません。火を付けたのは十兵衛だし、恭太郎様は役目を果たしただけだ」
恨むべくは、自分自身だ。
「あの時、あたしが素直に長屋へ帰ってりゃ良かったんだ」
「それは違う。おまえのせいではない。……もし、おまえが長屋へ戻っていたとしても、私はおまえを諦めはしなかっただろう」
「………」
「私の妻になってほしい。生涯、おまえを守り通すと誓う」
ぎょっとして恭太郎の顔を振り仰ぐと、真っ直ぐに向けられた双眸とかち合う。
「家を捨てる覚悟だ。父にもそう話した」
口を引き結び、些か緊張の色が滲んでいた。
そもそもは、別邸に奉公するか否かの話だったものが、突拍子もない話に飛躍していた。
「別邸に奉公するかって話だったのに、それがなんで……」
「島崎与十郎殿は、おまえを引き取ればそのまま自分の妻にするつもりだ。勿論、それも本当かどうかは分からない」
行ってしまえば最後、月尾でどんな扱いを受けるかは誰にも予測のしようもない。
「けど、どうしたってあたしは恭太郎様の妻にはなれませんよ。身分が──」
「だから家を捨てる覚悟だと言ったんだ」
何処か他へ流れて行って、他国に仕官の口を探してもいい。それが叶わなければ、何処かに学問所を開いてもいいだろう。
そう話す熱の入った口調の中に、僅かに焦燥が混じったように聞こえる。
「ま、待って下さいよ、元宮様の後を継ぐのは恭太郎様しかいないって、ご自分でそう言ってたんですよ」
「養子でも何でも迎えればいい。おまえに会わなければ、どの道私は役目を放棄したとして処分を受けていた」
検視から逃げることを続けていれば、相応の処分は免れない。
武家の事情はわからないが、それでも家名も禄も全て失うほどではないだろう。
恭太郎なりの結論なのだろうが、秋津には到底受け入れられるものではなかった。
「……弁えなきゃ駄目ですよ。恭太郎様は、あたしに構っていて良いような方じゃないんですから」
「身分を捨てたとしても、か? それでも、私では駄目だと……そういうことなのか……」
「……駄目です」
今の大身の身分を捨てたとして、その後の境遇をどう生き、切り開いていこうと言うのか。
何もない暮らしをして来たからこそ、捨てさせるわけにはいかないと強く思った。
「恭太郎様では、駄目です」
「……そう、か」
恭太郎の声が揺らぎ、一瞬、今にも泣き出しそうに見えた。
***
食事を取る帯刀の様子を、美代はじっと見守っていた。
膳に載る品数はそう多くもなく、食材も贅沢な物はない。
鮭の塩焼きにしたものと、他には芋がらの煮物や大根の古漬けぐらいなものだ。
質素倹約は藩の方針として上士にも浸透している。
給仕は概ね女中に任せてあるが、美代は必ず帯刀の傍に控え、その世話を焼くのが常だった。
が、今日はいつにも増して帯刀の口数が少ない。
あきらかに機嫌が悪いのが、その挙措からも伝わってくる。
「そのように掻き込んでは、喉を詰まらせますよ」
穏やかに言えば、帯刀はじろりと美代を見て咀嚼しながら鼻で溜息を吐く。
「恭太郎はどうしておる」
仏頂面で尋ねた帯刀に、美代は一つ目を伏せた。
「今日も戻ってから、ずっと部屋を閉ざしたきり。食事も取らずにおりますよ」
機嫌の悪いのは、やはり息子のことが原因だった。
「近頃漸く分別がつくようになったと思えば、家を捨てる覚悟だなどと」
帯刀は乱暴に箸を置くと、美代が差し出す茶を啜る。
「それもすべて女一人のためとは、何と愚かな事か!」
苦々しく口元を歪める帯刀に、美代は心中秘かに嘆息した。
「……
「なに?」
ぴたりと手を止め、帯刀が美代を見張る。
「たかだか七十石取りの代官の娘を、あの手この手で結局妻にしてしまったのはどなたです」
お蔭で随分と苦労を致しました、と美代は素っ気なく言ってのけた。
「………」
「亡き義母上からの躾は、それはもう厳しいものでしたから」
昔を懐かしむように微笑むと、帯刀はばつが悪そうに咳払いをする。
「し、しかしだな。恭太郎の場合は賤民相手の話なのだぞ。おまえの時とは全く話が違うであろう」
「あら? 変ですね。わたくしは月尾の御家中と伺っておりますけれど」
「おっ、おまえ……」
滅多に見られぬ帯刀の面食らった顔を尻目に、美代は口許に手をやって笑いを堪えるのであった。
【第十五章へ続く】
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