第十四章 火刑(2)
「あたしは元宮様のほうがいいと思うけどねぇ。相当な御家だから苦労はあるだろうけど、あの方ならちゃあんと面倒見てくれそうじゃないか」
「………」
「明日、元宮様がお見えになるそうだよ。……処刑が済んだって話だから」
「──え?」
一瞬、何を聞いたか解らなかった。
心の臓が大きく脈打ち、頭を殴られたような気がした。
まじまじと波留の目を見返したが、波留は気まずそうにその目を逸らし、あらぬ方を見遣る。
「あんたに悪いとは思ったんだけど、これも元宮様のお達しでね。全部済むまでは、あんたには絶対に知らせるな、ってさ」
「そんな、それはいつ……!」
「昨日だった、って」
「……昨日」
茫洋とした声が出た。
刑場までの引き廻しも道順は予め決まっており、この診療所は全くその道程から外れていたのだ。
それでも訪れる患者から聞こえてきそうなものだが、昨日は確かに患者も殆どおらず、静かなものだった。
結局は嘆願書も功を奏さず、それ以降非人長屋の者が奉行所へ訪ねても門前払いという有様。
恭太郎の言う通りに、非人風情がいくら束になって願い出たとしても、何も変わらなかったということだ。
火刑に処された遺体は、三日間放っておく決まりになっている。
見張りを置き、弔われもせずに衆人に晒される。
そこまでが処刑のだ。
これもいつも通り非人が人足として駆り出され、火をつけたのだろう。
「明日、元宮様に頼んだら、亡骸には会えるんじゃないのかい? あんたも辛いだろうけど、今日のうちに答えを出しておおきよ」
波留はどこか同情めいた声音でそう言い付けると、またそそくさと踵を返した。
***
轟々と燃え盛った炎が下火になると、黒焦げの焼死体に変わり果てた罪囚が露わになる。
非人は更に火を付けた茅を手に、罪人の鼻を焼いてとどめを刺す。それが慣例だ。
火炙りの後に晒された遺体は、もはやそれが誰であるかも判らないほど、見るも無惨なものだった。
火炙りはそう度々目にするものではなく、群衆の目を引いたことだろう。
大勢が詰めかけたであろう刑場の周囲は下草が綺麗に踏み均され、雨の後にも関わらず泥濘に足を取られるようなことはない。
「……会わせてやれず、すまなかった」
磔よりも苦しみの度合いは高いだろうと思われ、処刑後に晒すのも見せしめの意味合いが強い。
火付けには火でもって罰する。
一日雨に打たれた消炭のような遺体は、十兵衛のものとは思えぬほど、ひどく小さく見えた。
「刑の執行を、どうしてもおまえに見せたくなかった」
竹を組んだ柵で囲われた向うにまで近付くことは許されず、秋津は思わず柵の縄目に手を掛けた。
あれが十兵衛だと言われても、似ても似つかないその姿に実感はない。
それでも、心で理解してしまっているのか、景色が滲み、声が出せなかった。
検視役の恭太郎が言うことに間違いはないのだろう。
処刑はいつも必ず、その本人に相違ないかを改める。名前と人相、罪状を充分に照らし合わせ、それから漸く執行に至る。
そのことを秋津も嫌というほど見てきた。
「十兵衛は、何か言ってましたか」
「……おまえを、月尾へ帰さぬように、と」
背後に少し下がったところから、恭太郎の声が答える。
「それが、最後の言葉だ」
「………」
あの時、必死になって連れ戻そうとしていた十兵衛の様子は気に掛かっていた。
結局、あれが最後だ。
あそこで長屋に帰っていたら、変わっていただろうかと、詮無いことが過ぎる。
秋津は静かに手を合わせ、瞑目した。
恭太郎が隣に立ち、同じ様に手を合わせる気配がした。
きっと返答を聞きに来たのだろうに、何も言わず刑場まで連れて来て、ただ隣に寄り添う。
秋津にはそれが有難かった。
***
雲が切れ、空はまたその高く青い色を覗かせた。
雨で濡れた地面は乾ききっておらず、枯れ草に覆われたところはまだ泥濘んでいた。
刑場を後にし、河沿いの道を歩く。
秋津は恭太郎の背を追いかけるように遅れて歩くが、前を行くその背は数歩ごとにこちらを振り返った。
そのたびに恭太郎の羽織の裾から覗く刀の鐺が僅かな光を弾く。
そこらの下級武士には手も出ないような、立派な刀なのだろう。
沈黙が続き、ただ歩く音と、河の水の流れゆく音だけが響く。
秋津は足を止め、その背中を見つめた。
一、二歩先に踏み出してから、重なる足音が消えたことに気付いたのだろう。
「……どうした?」
言いながら振り返り、訝るように首を傾げて立ち戻る。
その足がもうあと一歩で秋津の目の前に来る、というところで秋津は俯いたまま声を張った。
「──あたしは、月尾へ行こうと思います」
十兵衛が最後に願ったというそれを突っ撥ねるようで、胸が痛む。
恭太郎から想いを告げられ、別邸へと誘いを受けた時には、垣根を越えようとする姿勢に驚き、胸中に得も言われぬ淡い想いが芽生えたものだ。
確かにその
だが、初めから期待は抱いていない。
互いが望んだからといって、どうにかなるような身分差ではなかった。
「月尾の──、島崎の家に行っても、あたしが何かの罰を受けたりするわけじゃない。肩身の狭い思いくらいはするだろうけど、来いって言って下さるんなら、島崎様も悪いようにはしないはずだから」
手を伸ばせば触れるほど近くに、恭太郎が躙り寄る気配がする。
秋津は顔を下向け、眼前に迫る恭太郎の胸元を見つめた。
「明日、安藤様にお返事しに参ります。孝庵先生と波留さんにも、今までの御礼をしなきゃいけませんね」
恭太郎の手が上がりかけ、きつく握られるのが見えた。
「……やはり、私を恨んでいるのか」
自責の念を含んでいるかのように、昏く沈んだ声音だった。
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