第十二章 自白(1)
「あんた、そうしていると何だか非人には見えないね」
寝間着のまま背筋を伸ばして正座する秋津の耳に、波留の声が届いた。
薄汚れた白木の鞘に納められた短刀を握ったままぼんやりしていて、波留の気配に気が付かなかった。
何となく、姿勢や立居振舞が整っている。
と、波留は笑った。
「姿勢が良いのは多分、母の躾のせいですよ」
まだほんの小さい頃に何度も叱られた記憶がある。襤褸を纏って、汚い長屋に住み、時には往来の地べたに座り込んで物乞いの真似すらしながら、そうした躾には厳しかった。
顔も朧げなのに、どうしてだか叱られた記憶は残っていた。
今にして思えば滑稽だが、母の最後まで捨て切れなかった矜持の顕れだったのかもしれない。
「へぇ? 良い母ちゃんじゃないか。そういうのはね、小さい時から教えなきゃなかなか身につかないもんだよ」
ところで、と続けて、波留は秋津のそばへ寄る。
「火付けが捕縛されたって話だよ」
やや声を小さく搾った波留の言葉を、危うく聞き漏らしそうになった。
「え? 犯人が……?」
「今日の患者はみんなその話さ。まさかこんなに早く片付くだなんてね」
やはり放火だったのかと思うとぞっとする。
秋津がそこに住んでいることを知ってか否かで話は変わってくるが、それでも犯人が縄を打たれれば、ひとまず恭太郎が心配していたような身の危険は去ったのだろう。
「それで、誰なんですか? その犯人は」
「ああ、確か十兵衛とかいう、非人だって話だね」
「──は?」
秋津は耳を疑った。
このあたりの非人で十兵衛と呼ばれているのは、一人しか知らない。
「非人頭まで連れて行かれたそうだから、非人同士の揉め事かねぇ? あんた何も知らないのかい?」
訊かれても、二人が揃って捕われる理由には特に思い当たらない。
──いや、一つだけあった。
必死なほど執拗に長屋へ連れ帰ろうとしていた姿が念頭に浮かぶ。
恭太郎の介入でそれは阻まれたが、説得に応じなかったことが悪かったのだろうか。
(でも、そんなことで十兵衛が──?)
火付けに下される刑罰は、火炙りだ。
刑場で幾つもの処刑に携わってきた十兵衛が、それを想像出来ないはずはない。
「十兵衛が、火なんか付けるわけないじゃないか」
「おや、あんたの知り合いかい?」
「波留さん、あたしは奉行所に行きます。もし入れ違いで恭太郎様が来たら、そう伝えてください」
波留の問には答えず、秋津は枕元に畳まれた着物を引っ掴み、短刀と櫛を揃えて帯に挟む。
「えっ、え?! ちょっとあんた、そりゃ困るよ! まだ元宮様からお許し出てないだろ?!」
その手早さに、波留の手が制止しようと宙空を泳いだ。
「そんなもの待ってたら十兵衛は火炙りだ!」
「で、でもほら! あと少しの辛抱だろうし、こっちから奉行所に使いを出してもいいから……」
と、波留は慌てて立ち上がるも、着物の裾を踏んで前へまろぶ。
「十兵衛や頭は、あたしを食わせて育ててくれた人なんだ。そんな事をするような人じゃない」
「だから、あくまで聞いた話なんだよ! ああもう、ちょっと先生、先生! 来てくださいよ!」
自分では止めきれないと思ったか、波留は孝庵を呼ぶ。
が、秋津は構わず部屋を飛び出した。
背後で波留と孝庵の声が聞こえたが、秋津がそれに振り向くことはなかった。
***
砂利の敷かれた中庭に待たされていた源太郎は、恭太郎が縁側に現れるとすぐさま平伏した。
奉行所での調べにも従順に応じ、当日の源太郎が御堂を訪れていないことを裏付ける証言と一致していたために、既に疑いは晴れていた。
「非人頭の源太郎か」
恭太郎は問うと、濡れ縁にまで進み出てじっと源太郎を窺う。
「お前には秋津という娘のことで訊ねたい」
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