第二章 郡代見習い(3)
深い皺を幾つも刻んだ顔を更にくしゃくしゃにして、源太郎は梨を手に取る。
梨もどうやら屑梨のようだが、出始めの果物なども源太郎だから手に入る品だ。
十兵衛は招かれるままに上がり込むと、源太郎の傍らにどっかりと腰を下ろした。
源太郎はそれを見届けてから、やおら小刀を手に取ると器用に梨の皮を剥き始める。
「なあ、おやっさん」
「うーん?」
「おれ今日、秋津と縄張りに出たんだよ。それで、その集めた屑なんだけど……」
源太郎はしゃりしゃり音を立てながら、うんとかああとか、おざなりに返答する。
「事後報告になっちまって、本当申し訳ねぇんだけどさ」
「なあに、気にするな。たまのことだし目ェ瞑ってやらぁ」
まだ何も言っていないのに、と十兵衛が少々目を丸くすると、源太郎は梨を剥く手は止めずににんまりと笑った。
「但し、他の連中には口外するんじゃねえぞ?」
そうして八等分にした梨を差出す。
「おめぇと秋津だから大目に見るんだからな。得物全部懐に入れちまうなんざ、他の奴なら追放してるとこだ」
「まいったな。お見通しってわけかい」
「誰がおめぇと秋津をそこまで育てたと思ってやがる。おれの眼を誤魔化そうなんざ、百年早ぇってもんだ」
「ははは、そいつは道理だ」
源太郎にはやはり敵わない。
十兵衛は内心でそうぼやいて梨を一口に頬張った。
***
「あたしに話がおありだってんなら伺いますがね、初めに言っときますよ? 処刑なんてもんは、結局慣れるしかないんです」
御堂の正面、僅か数段しかない朽ちかけた
粗末な着物は裾も短く、放り出した足がちらりと覗けたが、秋津は気に留めなかった。
正面に立ったままの恭太郎を見上げ、その肩の向こうに見える空を眺めた。
残照が空を薄い藍色に染め、遠くにほの白い半月が浮かぶ。
迫る宵闇が、真正面の恭太郎の表情さえ隠し始めていた。
心持ち肩を落としたか、恭太郎は伏し目がちになる。
「慣れる、か……」
「あたしらだって、まるで平気なわけじゃない。幾らか慣れるまでには何度も吐いたし、何度も魘されたもんです」
「そうなのか? おまえでも怖いと思うのか? 私などに比べれば、おまえは随分平然としているように見えたのだが──」
処刑を手伝う者にも、実際に罪人の身体に刃を突き立てる者にだって恐怖心はある。
非人だから、刑場での仕事を生業にしているから、刑死を見ても当然平気だろうなどと、何故そう思えるのか。
恭太郎は戸惑ったように秋津の顔を窺っているが、心許なげなその態度は到底役人のそれとは思えない。
罪人を相手にする役人というのは、もっと泰然自若としてどっしりと落ち着いた威厳を持つ者か、或いは尊大で横柄で、言動も一々鼻につくような者が多い。
だが恭太郎に限っては、良くも悪くも役人らしさが微塵も感じられなかった。
馬鹿馬鹿しいほど頼りない。
その腰に佩いた二本は、ただの飾りにしか見えなかった。
「あたしはもう、大分慣れましたからね。平然としてるようにも見えるんでしょう」
げんなりしつつも投げやりに答えてやると、恭太郎は大仰に嘆息し、その場にしゃがみ込んだ。
「それでは私は、一体どうすれば良いんだ……。明日の検視は、私が筆頭だというのに」
「えーと……恭太郎様、でしたっけ? こう言っちゃ何ですけど、それが恭太郎様の仕事なんでしょう? どんなに嫌でも、慣れるか耐えるか、二つに一つじゃあないんですか」
残酷な処刑を見て尚、平然としていられる方法なんて、そんな便利なものがあるわけがない。
恭太郎は大袈裟なほど項垂れ、それきり押し黙ってしまった。
だが、秋津も決していい加減なことを言っているつもりはない。
慣れるか、耐えるか。
そのどちらかしか、乗りきる方法がないのは事実だ。
「……どうしても無理だってんなら、検視役なんてさっさと辞めて、他の役目に就いたらどうです? 郡代様の御子息なら、役替えを願い出ることもできるでしょうし」
良かれと思って言ったのだが、当の恭太郎は依然として顔を伏せたまま。
「私はいずれ、父の跡を継いで郡代にならねばならないんだ。他に代わりはいない。私が辞めれば、誰が父上の跡を継ぐというんだ」
「……」
うじうじと頭を抱えて悩みあぐねる恭太郎に、秋津は苛立ちを募らせる。
呆れた役人だとは思っていたが、これだけ発破をかけられてもまだ、立ち上がろうとさえしないとは。
「私は、あんな仕事をしたくはないんだ。人を死に追いやるような、そんな職務は──」
恭太郎は苦吟の表情を浮かべ、幾度も「嫌だ」と呟く。
それがすらりと上背のある青年の姿なだけに、駄々を捏ねる幼子を見るよりも辟易させられる。
残照は既に西の空の際に一筋。この調子では、夜の帳が降りてもまだ続きそうに思えた。
「あんたなぁ、いい加減にしろよ!」
堪りかねて秋津が一喝すると、恭太郎は大きな肩をぴくりと震わせた。夜陰のせいでくっきりと目に見ることは出来ないが、間近に漂う気配で分かる。
「嫌だ嫌だって愚痴を溢してりゃ何とかなるわけ? 大体、あんたがそれだけ嫌ってるこの仕事はね、あたしらにとっちゃ生きるための手段なんだよ! 好きも嫌いもあるもんか、生きるか死ぬかに比べれば、そんなもん何でもないんだよっ!」
突如牙を剥いた秋津の顔を、恭太郎はぽかんと呆けたように見返す。
暫し声も出ない様子で呆然としていたが、恭太郎はやがて視線を泳がせ、思い出したように狼狽する。
「いや、その、すまない。そんなに怒らせるようなことを言ったつもりはなかったんだが……、悪かった。別におまえの仕事を侮辱しているわけではないんだ」
「なに? あたしの仕事を侮辱? そんなことどうだっていいんだよ。あたしはね、要するに仕事を選り好みすんなって言ってんだ」
「……そうか。すまない」
恭太郎がいつまでも煮え切らないことに立腹しているわけだが、肝心の恭太郎は少々違った方向で秋津を怒らせたと思ったらしい。
悄然と肩を落として、申し訳なさそうに俯いている。
苛立ちに任せてつい、歯に衣着せぬ物言いで返した秋津だったが、言った後で少々後悔もしていた。
何と言っても、相手は稀代の名郡代と謳われる元宮帯刀の嫡子である。本来なら秋津のような者が口を利くことなど許されない人物だ。
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