第二章 郡代見習い(2)

 

 さっきまでその郡代見習いを虚仮こけにして馬鹿笑いしていた奴が、よく言えたものだ。

 それに、十兵衛は腰抜けだ何だと悪し様に言うが、そもそも処刑の検視で初めから平然としていられる者などいるはずがない。

 他の検視役人だって、初回は皆似たような反応だったに違いなかった。

(まあさすがに、三度中三度とも逃げた奴は初めて見たけどね)

「ああ、それとなぁ」

 十兵衛はぱっと思い出した風に秋津を見やる。

「明日は鼻切りがあるそうだ。五ツにやるそうだからおめぇも六ツには来いよ」

 

     ***

 

 日暮れ近くまで十兵衛の縄張りを歩き、秋津は僅かな稼ぎと麦を手に入れた。

 粟や稗が日常の主食だったが、今日はついている。

 いつもなら非人頭に集めた屑を納め、代金の支払いはまた後日となるはずだったが、十兵衛の機転で直に紙屑問屋へ納めに行くことが出来たのだった。

 勿論、表沙汰になれば非人仲間から制裁を食らうであろう、際どい行動なのだが。

 自然と軽くなる足取りで不動へ戻ったが、境内へ踏み込んだところで秋津は思わず我が目を疑った。

 蜩が輪唱を奏でる薄暮の境内で、それはこちらに背を向けて立っていた。

(あいつ、何だってまたこんなところに)

 昨日の置き土産でも片付けに来たのか、それとも昼間に十兵衛と噂話をしたのがいけなかったのか。

 今日はついている、と思ったのは間違いだったと吐息した時、青年はこちらを振り返った。

 そして開口一番、秋津に懇願した。

「……助けてくれないか」

「はぁ?」

「私には出来ない。腑抜けと言われても、軟弱者と言われても、私には無理だ」

 随分と思い詰めた声で話しかけてくるのだが、秋津にはさっぱり話が見えなかった。

 仕方なく青年のほうへ歩み寄り、様子を見ようとした矢先。

「おまえは何故、処刑場に身を置いていられるんだ? どうすればおまえのように平然としていられるようになる?」

 郡代見習いだというその青年は、切羽詰まった形相で秋津の肩を鷲掴みにした。

 腰抜けだとか言われる割にその手は大きく、意外なほどに力もある。

 大事に抱えた小さな麻袋の口から、麦がほろほろと零れ落ちた。

「教えてくれ。あんな惨いものを目にして、どうして刑場の手伝いを続けていられる?」

 覗き込んでくる眼差しは、入相の翳りを受けて暗い光を帯びる。

 ねめつけるような険しさを含みながらも、薄らと濡れた色をしているのが分かる。

 秋津は咄嗟に何か言おうとしたが、青年のあまりに唐突な行動に、呆然と見返すことしか出来なかった。

 じっと見合うこと暫し。

 漸く青年の手が秋津の肩を放すと、思わずほうっと吐息が出た。

 どうやら、知らずに息を呑んでしまっていたらしい。

 それだけの気迫があったのだ。

「すまない。あまりに唐突過ぎたな」

「あ、ああ……別に」

 心成しか、返答も曖昧になって出てくる。

 だが、秋津を見るなり詰め寄って来た勢いは既に消え、青年は悄然と俯いてしまった。

「明日、鼻切りがある」

 たったそれだけ、消え入りそうな声で言い、青年はくるりと秋津に背を向けた。

 鼻切りとは刑罰の一種で、読んで字の如く、鼻を削ぎ切る処刑法を言う。

「へえ、それじゃあたしは手伝いに行かなきゃなりませんね」

 尤も刑が鼻切りでは、何の役得も期待出来ないだろうが。

 人足非人が罪人の物を手に入れられるのは、死罪を申し渡された罪人を処刑する時だけだ。

 鼻切りも重い刑罰だが、罪人を死に至らしめるまでのものではない。

「お役人さんも来なさるんですか、鼻切りの検視に」

 訊けば、青年は沈痛な面持ちで静かに頷いた。

 まるで青年自身が刑を受けるかのような暗い顔だ。

「…………」

「…………」

 暫く待っても、青年が何かを口にする気配はなく、かといってやはり立ち去ろうともしない。

「それで、あたしに何か?」

 痺れを切らして口を開くと、青年は申し訳なさそうに秋津の眼を見返してきた。

「……私は、郡代・元宮帯刀たてわきの嫡男で、恭太郎きょうたろうという」

 非人相手にも、ご丁寧に自ら名乗るあたりが、育ちの良さを物語る。

 郡代の子息だというのは十兵衛から聞き知っていたので特別驚きもしなかった。

 同時に馬鹿にした態度を取るなと釘を一本刺されていたような気もするが、それにしても思わず蹴り飛ばしたくなるような脆弱さを感じさせる青年だ。

「恥を忍んで頼むが、一つおまえに教えを請いたい」

 他の役人には頼めないので是非、と頭まで下げる恭太郎に、秋津はほとほと困り果てた。

 

 ***

 

 十兵衛は長屋の部屋へ帰る前に、一度非人頭である源太郎の許を訪ねていた。

 今日一日、秋津とともに縄張りへ出ていたことは一応報告すべきことだったからだ。

 非人頭とはいえ、身分は他の非人と何ら変わりない。長屋の中でも他の非人とは区別された、もう少し広い住まいを持っていた。

「おやっさん、いるかい」

 気軽に声をかけて戸口を開けた十兵衛を、源太郎は喜色満面の笑みで迎えた。

 日暮れ頃になると幾らか涼しくなってくる季節とはいうものの、羽織を着てどっかりと囲炉裏端に座り込んでいる。

「おう、十兵衛。良く来たな。まあ上がって行けや」

「おやっさんよう、いくらそいつが特権だからって、暑かぁねえのかい」

「ばぁか、俺からこいつを取ったら何も残らねぇだろ」

 非人は普通、木綿の衣服しか許されない。一般の庶民と区別するため、非人は散切り頭に木綿の着衣と定められているのだ。

 夏の酷暑でも冬の厳寒でも、笠を被ることは許可されず、手ぬぐい一本でそれを凌がねばならなかった。

 だが、非人頭には粗末ながら羽織の着用が認められているのだ。

 そのためか、源太郎は夏の暑い時期でも必ず手持ちの羽織を纏っていた。

「出初めの水菓子があるんだ。食って行けよ」


 

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