第一章 刑場の娘(2)

 

 

 その喚き散らす様を目にして、秋津は眉を顰めた。

(やっぱり今日のは、直視しないほうが良さそうだな)

 見せ槍で気を失わないのは、当人にとっても執行する側にとっても不幸なものだった。

 気絶していれば苦痛も恐怖もないだろうに、意識があるばかりに囚人は苦しみ、叫び、耳を塞ぎたくなるような断末魔を上げることになる。

 だが、見せ槍で気絶していようがいまいが、すべては定めの通りに行わねばならない。

 右脇腹から左肩へ一突き、左脇腹から右肩へ一突き。それを左右交互に三十回ほど繰り返し、最後に止め槍として喉を下方から突き上げるのが定められた手順であった。

 大抵の場合は二、三回で絶命するが、意識があればそれだけ息絶えるまでの時間は長くなり、苦悶する分だけ噴き上げる血の量も勢いも増す。

 十兵衛も災難なことだ。

 今まさに二本槍の片方を掲げているのだから。

 同心などの役人が刑の執行を指図し、少し離れた桟敷でそれを見届けることになる。稀に郡代や郡奉行といった重役が検視に加わることもあるが、そういう場合は藩政と人心を揺るがせた重罪人を処刑する時だ。

 今日の磔もその域なのだろう。検視桟敷の上座に郡代の姿がある。

 秋津も郡代の顔は何度となく目にしていたので、すぐにそれと分かった。

 他の役人たちも皆、処刑の行われる度に目にする顔ばかりだが、近頃になってそこに見慣れぬ顔が新たに加わっていることに気が付いた。

(今日で三回目の検視かな、あいつ)

 壮年の連中に混じって、見たところまだ年若い青年が検視役の席に着いている。

 沈痛な面持ちも然ることながら、顔色も悪いようだ。

 その理由を秋津は知っていた。

 他でもない、此処が処刑場だからだ。

 過去に二度ほど処刑の検視に当たった彼は、必ず途中で席を外していた。

 処刑の惨たらしさに耐えかねたのだろう。

 初めて目の当たりにするなら、誰しも目を覆いたくなって当然の光景が此処にはある。

 その手伝いを生業とする秋津でさえ未だに慣れぬものを、一度や二度で平然と眺めることなど出来る道理がない。

 そう思うのだが、ところがそれが出来てしまう者も数多くいた。

 刑場の隅におざなりに建てられた人足小屋の壁に凭れて、秋津はふと辺りをぐるりと見回す。

 処刑は通常、見せしめの意味も込めて庶民へも公開される。

 高い柵で囲まれた刑場の周りには、城下ばかりか周辺の村々からも見物人が訪れるほどの盛況ぶりだ。

 好き好んで凄惨な処刑を見物しようなど、秋津には浅ましいとしか言いようがなかったが、庶民にとってはそれも数少ない娯楽の一つであるのが現実だった。

 外野は口汚く罵る声と刑の執行を急かす声、そして時折ひそひそと陰口を叩くかのような囁く声が混じり合う。

 そんな大勢のざわめきと、たった一人の苦悶が交錯する中で、刑は滞りなく執行されたのだった。

 

 ***

 

 処刑執行の日の暮方は、やけに赤い気がする。

 まだ夏も盛りだというのに、秋に見る夕焼けのようだった。

 生々しい鮮血と、おぞましい絶命の声が目と耳に張り付いて離れない。

 二、三度槍を受けて絶命しなかった者は柱に括られた状態のままでのたうち、そのせいで遺体の損傷は他よりも一層激しいものになる。

 罪人が苦痛に身を捩る度に槍の狙いが狂い、不必要な傷を創る。

 切り裂かれた傷口から気味の悪い臓物がずるりと垂れ下がることも間々あった。処刑の後にそれを始末するのも、当然仕事のうちだ。

 今日のそれも、血と脂と臓腑の臭いが鼻にこびり付く、惨憺たるものだった。

 腹の底から波打つように込み上げてくるものに幾度も喉を灼かれながら、それでも秋津は勤めを果たし、終われば川へ走ってその死臭を洗い落とした。

 夢中で洗っていたせいか、川原から目と鼻の先にある小高い丘陵の麓まで帰り着く頃には、日はすっかり傾いてしまっていたのだった。

 未だに胃の腑が痙攣するような感覚に襲われながら、秋津は更に丘陵の中腹にある朽ちかけた御堂を目指す。

 その境内の隅に穿たれた、自然の岩屋が秋津の住処だった。

 いくら非人とはいえ、通常は粗末ながらも長屋に住むのが一般的だが、秋津の場合は自ら望んでこの岩屋に移り住んでいる。

 元々、秋津も非人長屋に住んでいた。

 十兵衛の養い親でもある非人頭・源太郎の庇護もあり、はじめは仕事も反故紙拾いをする程度だった。

 幼い時分から、源太郎はよく面倒を見てくれていた。

 今では顔すらおぼろげな母親が非人頭に秋津を託したのは、もう十年も前のことだ。

 当時まだ六つを数えたばかりの秋津が、ここまで生き長らえて来られたのは、源太郎の存在があってこそだろう。

 七つ上の十兵衛は、その頃既に一人で町へ反故紙集めに出ており、自分の縄張りも持っていた。

 秋津も幼いながら、十兵衛を懸命に手伝っていたものだ。

 そして、そうしなければ自分が生きていけないということも、既にどこかで分かっていた。

 それでも、いつかこの地獄のような仕事から──、否、この身分から抜け出たいという望みは、その頃から少しも変わることはなかった。

 その望みが焦りを含むと、単なる反故紙回収だけでは足りないと思うようになったこともあった。

 他の非人たちのように自分の縄張りを掴みはしたが、これでは足りぬと仲間の縄張りにまで手を出したこともあった。

 結局それは非人頭の仲裁によって解決したのだが、今思い返せば秋津が長屋を出るに至ったのは、あの縄張り争いが発端だったかもしれない。

 秋津は御堂の傍らに根を張る桜の木陰までやってくると、そこで足を止めた。

 そこまで握り締めていた右手を開き、掌中の小銭に目を落とす。

 人の手を渡り歩き、手垢の染みた一文銭が五枚。

 子どもの小遣いにもなるかならぬかという銭だ。

「こんなもんで、どうしろってんだよ」

 あれだけ後味の悪い思いをして、たったこれだけの報酬しか与えられない。

 いや、報酬などいつも大抵この程度なのだ。今日の稼ぎが少ないのは、女囚が身に着けていた物が単以外に何もなかったせいだった。

「ついてないな、今日は」

 腹は立つが、あの凄惨な処刑を見た後では、憤る気力もなかった。

 まだぐるぐると胃の腑の中を掻き混ぜられているような感じを抱え、秋津はまたふらふらと境内の奥へ向かった。

 

 ***

 

 崩れかけた御堂の前に蹲る人影を見つけ、秋津は足を止めた。


 

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