第五章 墨刑の日(3)

 商人たちはそれを疎んじて、水を掛け追い払う。

 そんな光景すら目にしたことがあった。

 これでは、罪人など増える事はあっても減りはしない。

 つらつらと考えながら歩むと、一軒の小間物屋が目に入った。

 桃割髪の小奇麗な町娘が暖簾を出てゆくのを見て、何となく足を止める。

(そういえば、秋津はいつも長い髪を垂らしているな)

 非人故に結髪は許されず、雨や雪でも笠を被ることも許されない。

 一目で他の平民と区別出来るように定められたものだが、秋津も今見た町娘とそう変わらぬ年の頃だ。

 話を聞いた分には、生れ落ちた時点で既に非人の身の上だったのだろう。

 生まれながらの非人──、非人素性というやつだ。

(……そうだ)

 恭太郎はふと思い立ち、小間物屋の暖簾を潜った。

「いらっしゃい──、って、郡代様のとこの。ウチへいらっしゃるなんてお珍しい。何かあったんですか?」

 番頭が声を掛けてきたが、客ではなく職務として訪ねたと思ったのだろう。

 やや声を潜めながら小走りに近付く。

「ああいや、特に何があったというわけではないんだ。櫛をいくつか見せて貰いたいのだが……」

「櫛、ですか」

 きょとんと目を丸くしてから、ははあとしたり顔をする。

「承知しました、元宮様の御用ならそりゃ勿論ウチの取って置きをお見せ致しますよ!」

 さあさあと上がりに腰を掛けるよう勧め、店子は女中に言い付けて店の奥から品を持って来させる。

「ああいや、それほど高価なものでなくて良いのだが」

 多分、あまりに高価なものでは秋津も受け取ってはくれない気がする。ただでも堅いところがある娘だ。

 それに、困らせたいわけではない。

「年頃のおなごが喜びそうなものがあれば、それで……」

「またまた、お相手はいずれ奥方にお迎えするんでございましょう? だったら元宮様の御名に相応しい立派なものをお贈りになるのが一番ですよ」

 奥方、という店主の言葉に、恭太郎はほんの少し呆気にとられたあと、丁重に断った。

「いや……、悪いがそういう相手ではないのだ。とても良くして貰っている礼というか……」

「そうなんですか? まあ色々とございますんでね。お気に召す品がきっとあるはずですとも」

 聞いてか聞かずか、番頭自ら美しい紗を敷いた上に次々と櫛を並べていく。

 頼んでもいない簪まで出し始めたあたりで、恭太郎は一点に目を留めた。

 花や文様の精緻な彫りや抜きがされた飾り櫛の中から、一つ簡素な梳き櫛を手に取る。

「おや、梳き櫛ですか。そちらも柘植の良い品ですよ。ただねぇ、おなごへ贈るにはやっぱり飾り櫛のほうが見栄えもしますんでね。ほらこちらなんかは漆塗りで──」

「これがいい。これを貰えるだろうか」

 次から次へと飾り櫛を見せては勧める番頭を遮り、恭太郎はやや語気を強めて言った。

「え、はぁ……。でもよろしいんですか? もっと華やかさがあったほうが良いかと思いますが……」

「あまり飾り立てる人ではないんだ。こうした物のほうが喜ぶと思う」

 この櫛で髪を梳いてやったら、きっと笑顔になる。

 次に秋津を訪ねた時に渡そう。

 そう決めるまでに、さして時間はかからなかった。

 

 

 【第六章へ続く】

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