第十三章 島崎家(3)


「すまんな、奴も苦心しているところなのだ」

「………」

「十兵衛とやらは残念だが、沙汰は覆らないと思ったほうが良い。役目柄、恨みを買いやすいのだが、あまり恨まないでやってほしい」

「わかってます。先日の嘆願書も、無駄になったようですから」

 晴天に似合わず気まずい雰囲気が漂い、虎之助は慌てて本題を切り出した。

「ああいかん、今日は御身元からの話を持ってきたんだ」

 身元、という言葉を鸚鵡返しに呟き、秋津は首を傾げる。

「御母堂の生家、月尾藩の島崎家からだ」

 守刀を持っているだろう、と問うと、秋津ははっとしたような顔で懐から件の刀を出した。

 以前恭太郎から見せられた物と全く同じ、立浪紋の刻印のされた短刀だった。

「江戸詰めの伯父が月尾の御家中と親交があったようでな。あまり詳しくは知らんが、島崎与十郎殿は二十八。家禄は低いが剣は強く、近頃御前試合で見事に勝ち抜き、加増を受けたと聞く」

 このままこの国に留まるより、月尾へ行くことも考えてみてはどうか。

 そう促すと、秋津は何も言わずその目を伏せてしまった。

 然もありなん。

 突然身内が現れたと言われても、戸惑うばかりなのだろう。

 身内同然だった者が処刑されようとしていて、恭太郎からは半ば身動きを封じられ、その挙句に島崎の話だ。

「御母堂のりよ殿については、立ち帰りの後に尼寺へ送られたそうだが……、既に鬼籍に入られたとのこと」

 畳み掛けるようで気は進まなかったが、秋津にとって何よりも気に掛かることだろう。

 しかし秋津も既に覚悟は出来ていたのか、はい、と、一つぽつりと返事をしただけだった。

「……与十郎殿は、温厚でよく笑う方だと聞いている。苦労も重ねているだろうが、その分人間も出来ているのではないか?」

 慰めにもならないだろうが、口数の少ない秋津に掛ける言葉がこのくらいしか見つからなかった。

「これは恭太郎にも話してあるが、この際あいつのことは気にせんで良い。……それとだな」

 と、十兵衛の火刑に触れようとして、虎之助は唇を引き結んだ。

 恭太郎に、くれぐれも火刑の行われる日を知らせぬよう、頼み込まれたことに思い至る。

 せめて最後に一目会わせてやりたいとは思うが、その焼かれていく様を見せたくないという恭太郎の思いも解る。

 ややあって、また日を改めて訪ねるとだけ伝えると、虎之助は笠を被り直した。

 

   ***

 

「有り難いお話ではありますが、お断り致したく存じます」

 きっぱりと告げた恭太郎を見る父は、眉を険しくした。

 一瞬訝り、口の端を下げて一つ咳払いする。

「成田殿のご息女の、何が不満か」

「不満などと、そのようなことは何も」

「では何故断る? 見目も良く、控え目で賢い娘御だ。穏やかな人柄で、お前をよく立ててくれるに違いないぞ」

 父帯刀の勧めにも、恭太郎は静かに首を横に振った。

「父上。成田家の姫君におかれては確かに素晴らしい方でしょう。しかしながら、私には他に想う娘があるのです」

 ほう、と帯刀が片眉を跳ね上げた。

「それはどの家の娘だ。お前がそこまで望む相手ならば、話を付けてやっても良い」

 近頃の恭太郎の評判が持ち直しているためか、帯刀も機嫌が良いのだろう。

 だが、その相手を言えば父の機嫌を奈落へ突き落すことになるのもわかっていた。

「今、私がこのように勤めを果たせているのも、その娘があってこそ……些か身分に開きはあれど、芯の強い良いおなごです」

「勿体振るな、それはどこの娘御だ? 番頭の黒田にもちょうど年頃の娘があったな、大目付の樋口の家にもいたはずだが……」

「いずれも違います」

「では何だ」

 脇息に肘を付き、帯刀は苛々としたように恭太郎を急かした。

「月尾藩の御家中、島崎彦之進殿の姪御です」

 予想の通り、帯刀の眉間に深い皺が寄る。

 それが誰を指しているのか瞬時に見抜いたのだろう。歳を取ったとはいえ、流石に長年郡代を勤めるだけはある。

「先頃、別邸に匿いたいと申しておった例の婢か」

「島崎家のおなごです。婢ではありません」

「月尾藩の島崎など、聞いたこともない。そんな訳のわからぬ家から嫁を取ることを、わしが許すと思ったのか」

 あきらかな剣を含んで、帯刀は睨めつける。

「近頃漸くそれらしくなったかと思えば、とんでもない」

 そんなことならば、やはり成田の娘を嫁に貰い受ける。

 と、帯刀は憤ったが、恭太郎も引かずに声を張った。

「私は相応の覚悟を持って申し上げております。これは私の唯一の望み。それをお聞き届け下さらぬのであれば、どうぞ廃嫡して頂きたい!」

 秋津に叱咤され激励されなければ、今も刑の執行の度に逃げ出し、藩からも処分を受けていたことだろう。

 石高は削られ、役替えとなった先でも侮られていたに違いなかった。

「何を馬鹿な! お前はそんな女のために家を捨てると言うのか!」

「元より捨てる覚悟で言っております!」

 父の拳が強かに脇息を打ち、怒りでわなわなと震えているのが分かる。

 婚姻は、藩へ届け出て許可される必要がある。

 藩は家格の釣り合わぬ家同士の婚姻を嫌うが、それは大身の家になればなるほど強まる傾向があった。

 自分が廃嫡されれば、跡目を継ぐ者はいなくなり、元宮家は他家から養子を迎える他ない。

「城勤めも叶わなくなるばかりか、二度とこの地に踏み込めぬようになるのだぞ! 逆上のぼせおって、頭を冷やせ、馬鹿者が」

 唾棄するように言い捨てて、帯刀は席を立った。

 

 

 【第十四章へ続く】 

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