EX 勇者は悩む

 自分にしか世界を救えない、と言われたら、多分誰だって頑張れると思う。


 大切な人が、思い出の場所が、蹂躙されるのを阻止することができるのが自分だけなら、剣を執るだろう。

 それは勇敢だからとか、自信があるとかじゃなく、仕方がないからだ。


 僕にとって勇者の役目とはそういうものだった。

 僕にしかやれないから。僕にしか聖剣は持てないから。僕にしか魔王を倒せないから。

 僕は剣を執った。魔物を殺した。人を殺した。


 でも、そんな日々を過ごしている時にひょっこりと代役が出てきたとして、しかも自分よりも強くて賢いとしたら、剣を手放そうと思うのは当然ではないだろうか? 


 ──僕がメメに全て託したいと思うのは、自然ではないか? 


 真っ暗な夜闇の中で、月だけが僕を照らしていた。虫の鳴き声すら聞こえない今夜は、不気味なほどに静まり返っていた。

 聖剣を振るう。虚空に振り下ろされた分厚い刃は、ぶおん、と重たい音を立てた。少し、剣先が乱れているだろうか。今日の素振りも二百回を越えたところだ。僕は一旦剣を下ろすと、一息ついた。

 すると、頭の中はただちに先ほどまで考えていたことでいっぱいになる。

 僕は、勇者であり続けるべきなのか。もっと相応しい人間に役目を明け渡すべきではないか。でも、聖剣に本当の意味で選ばれたのは僕で、でも、彼女はそんなこと関係ないほど強くて。でも、でも、でも。


「オスカー」


 僕が思考を断ち切れずにいると、突然女の子らしい高音に呼びかけられた。

 声の主に目をやる。夜闇の先に目を凝らすと、そこにはメメの姿があった。

 昼間に彼女の過去を洗いざらい聞いて以来の顔合わせだ。僕は彼女とどう接すればいいのか、少し迷った。


「ああ、メメ。……オスカーって呼んだ方がいい?」


 僕が問いかけると、メメは呆れたようにため息を吐いた。彼女は夜闇の中から抜け出すと、僕の目と鼻の先まで近づいて来た。


「オスカーはお前だろ。俺はもう、メメだ。お前はお前で、俺は俺。そんなこと考えているから太刀筋が鈍るんだ」

「……見てたんだ」

「少し前からな。俺の話を聞いて、お前がなにを思うのか少し気になった」


 メメの言葉は、自分が受け入れられないかもしれないという不安には聞こえなかった。彼女はどうやら、僕を案じているようだった。

 そんな彼女を見て、僕は素直に聞きたかったことを聞くことにした。


「そっか。……メメ」

「なんだ?」


 目を見て話しかける。彼女の黒々とした目は、あの時から光を良く反射するようになった気がする。ちょうど夜闇にぽつんと浮かぶ月が煌々と光を放つように、メメの瞳の中には確かな光があった。

 それを見ていると、僕の口は自然と動いていた。


「君から見て、僕は聖剣を預けるに足る人物だろ思うかい?」


 僕が問うと、メメは一瞬だけ僕を観察した。おそらく僕の事をもっとも理解する相手を視線に、わずかに緊張する。

 メメの黒い瞳が僕の目を捉える。夜闇と同じ色をしたそれは、僕のなにもかもを見通してしまいそうだった。


「──ああ、なるほど。つまりお前は、自分が本当に勇者オスカーに相応しいのか、疑っているわけだ。俺に聖剣を渡した方がいいんじゃないか、とかな」

「……鋭いね。流石僕。全部知ってるわけだ。本当に君は、勇者に必要なものはなんでも持っているんだね」

「別人だって言ってるだろ。まして俺は勇者じゃない」


 彼女は、頑として僕から勇者である資格を受け取る気はないようだった。でもそれは、億劫だったり臆病だったりとか、そんな理由でもない気がした。


「でも、きっとメメの方が聖剣を上手く扱えるよ。みんなを上手く導けるよ」

「お前も見ただろ? 今の俺は、もう勇者の資格をほとんど失っている。持つだけで大やけどする聖剣なんて持ちたくねえよ」

「じゃあ、僕が持ち運ぶだけで……」

「オスカー」


 弱い僕の言葉は、メメの強い言葉にピタリと止められてしまった。


「いつか俺は言ったな。お前の代わりは俺にも務まる。だから頑張れって」

「うん」


 あの時のことを思い出す。今よりもずっと未熟な僕に、重責に押し潰されそうだった僕に、救いの言葉をかけてくれてメメのかっこいい姿は、今でもよく覚えている。


「でも、今のお前にはもうあの言葉は必要ないと思ってる。だって、もうお前は自分の足で、その責務を背負うことができる。今まで戦ってこれたのが、その証拠だ」

「そう、かな……」


 断言されて尚、弱い心はふわふわと所在なさげに彷徨っているようだった。そんな僕に、メメは力強く語り掛けてくる。


「一度も失敗してないんだ。俺みたいに失敗を恐れ、引きずる必要なんてない。仲間がいるんだ。俺みたいに人を信じられなくなったわけじゃない。みんなを頼れ」

「メメ……」


 彼女の言葉は、僕に少なくない衝撃を与えた。君でも、失敗を恐れたり人を信じられなくなるのか。いや、なっていたのか。いつだって彼女は自信に溢れていると思っていた。いつだって彼女は人に頼る必要がないほど強いんだと思っていた。

 それは、僕が初めて触れた、メメの弱い面だった。

 思わず、メメの顔を見る。──見たこともないほどに、優しい顔だった。


「それに、お前は百年以上勇者やってた俺なんかよりもずっと優れたものを持っている」

「それは?」

「……知らん。自分で考えろ」


 急に口調を変えたメメは、優しそうだった顔をぷいと背けてしまった。僕はなんだかご馳走を目の前で取り上げられたような気分になった。


「えー! なんだよそれ! もうミステリアスぶる必要なんてないだろ!? 教えろよお!」


 肝心なことだけ教えてくれないメメの態度にイラついた僕は、彼女の肩を揺さぶってせがんだ。肩が想像よりずっと小さくて柔らかくて、思わずドキッとしてしまったのは、彼女には内緒だ。


「やかましい! お前だいぶ図々しくなったな!?」

「だって僕自身だからね。遠慮する必要なんてないだろ?」


 僕が今気づいた事実を自慢げに告げると、メメはなんだか怒りとむずがゆさが混ざったような表情になった。


「……それはそうだが、お前に舐められてるのは癪だな!」


 メメは理不尽なことを言うと、掴みっぱなしだった僕の手を乱暴に振り払った。そして、僅かに顔を逸らしてポツリと言った。


「それだけ元気なら、大丈夫だ。──お前が勇者だ、オスカー」

「……分かったよ」


 僕の信じる君がそう言うのなら、僕も僕自身を信じることにする。

 決意を新たにした僕は、なんとなく手に持ちっぱなしだった聖剣を見下ろす。いつ見ても見事な黄金色の輝きをした刃に、ゴツゴツとした持ち手。いつも重くて仕方ないと思っていたそれが、今は不思議と軽く感じた。


 いつの間にか、メメは僕に背中を向けて歩いていた。夜闇に消えていくその背中に、僕は心中で語り掛ける。


 ああ、やっぱり君は、僕であって僕じゃないんだね。改めて、納得した。

 きっと僕だけだったら、こんなに簡単に僕自身を納得させることなんてできなかった。

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