66 迸る激情
「『氷よ、我が敵を穿て!』」
「オスカー、治癒を!『女神よ、彼の者を癒したまえ』」
「ありがとうカレン!」
夜闇の中でも変わらず眩い光を放つ聖剣で拳を弾き、拙い魔術を放つ。首ほどの太さのある氷柱はワーウルフの顔面を直撃し、脳髄まで破壊しつくした。
僕はカレンの声に応えて少し下がる。すると負傷した足を温かい光が包み、やがて鈍痛が消え失せた。
狼たちに混ざってこちらに攻撃を仕掛けてくるワーウルフは難敵だった。目で追うことも困難な素早い動き。しなやかな体から繰り出される拳は、容易く甲冑をぶち抜いてきた。
さらに、こちらの剣を素手で受け流す不思議な技術を持ち合わせていた。その強さは、剣の腕に長けた熟練の騎士でも手を焼くほどだ。
しかし、弱点は存在した。光源を確保した魔法使いたちが攻撃を開始すると、ワーウルフたちはあっさりと倒れたのだ。魔法への耐性が低い。それが夜闇に紛れて鋭い攻撃を仕掛けてきていたワーウルフたちの決定的な弱点だった。
「結局、後方で何が起きたのか情報はないんですの!?」
「皆忙しくてそれどころじゃないみたいだね!」
オリヴィアはメメと彼女に付いていったジェーンの身を案じているようだ。彼らが向かった先では、先ほど凄まじい轟音が響いたのだ。何か大規模な魔法の行使があったに違いない。一向に戻ってくる気配のない二人がどうなったのか、戦い続けている僕らには分かりようもなかった。
思考を巡らしながら後方へと視線を一瞬向けると、光源の外からふらりと現れる影があった。燃えるような赤髪。メメだ。
「メメ!良かった、無事だったんだね!……メメ?」
しかし、彼女は僕の呼びかけに全く応えてはくれなかった。ただ未だ攻勢を仕掛けてきている狼とワーウルフたちの元に、静かに歩みを進める。
「──オオオオオオ!」
抜剣し、駆け出した彼女の瞳には、かつてないほどの憎悪が滾っていた。姿勢を低くし走る彼女は一瞬で魔物の群れの元に到達し、多勢に向けて果敢に突っ込んでいった。
「まずい、援護しないと。オリヴィア!」
「もちろんです。オスカーさんもメメさんの元に!」
メメの元に走る。今の彼女を一人にするわけにはいかなかった。以前までの彼女とは何か決定的に異なる雰囲気。今まで以上の危うさが、今の彼女からは感じ取れた。
「ハアアア!──メメ、それ以上は危ないよ!」
彼女は僕の言葉に全く耳を貸さなかった。その戦い方は、苛烈の一言に尽きた。まず、迫りくる攻撃を避ける気配がない。狼の牙を左腕で受け止め、噛みついてきている狼を大剣で両断する。ワーウルフの爪を腹に食らい、血反吐を吐きながら放ったクロスカウンターが敵を昏倒させる。
血潮に塗れながら、確実に敵の数を減らしている。その様は、魔物などよりもずっと獣じみていた。
「──オスカー!付いてこなくていい!」
「でも!」
「いいからお前は騎士たちを助けろ!」
「メメはどうするの!?」
「敵の頭脳を叩く!俺一人で十分だ!」
言ったっきり、彼女は脇目も振らずにどこかに駆け出してしまった。
「くっ……」
彼女の言葉を無視して付いていこうかとも考えたが、後ろを見ると騎士たちがワーウルフの混じった狼の群れに苦戦している様子が見えた。
メメの身は心配だが、それ以上に目の前で今まさに命の危機に立たされている騎士たちを見捨てるわけにもいかない。僕は踵を返すと、騎士たちの援護へと向かった。
◇
「オオオオオ!――どこだクヴァル!出てこい腰抜け!」
目の前に立ちふさがったワーウルフを腕ごと両断して、俺は叫んだ。挑発すればアイツは自分から出てくることはよく分かっている。
狼どもを三匹ほど斬り捨てると、目の前に濃厚な殺気を纏った獣が現れた。
「腰抜けとは、随分な挨拶ではないか、人間」
現れたのは、最強のワーウルフ。狼の王者、クヴァルだった。堂々たる足取りには、自分の力量への確固たる自信が見て取れる。記憶の通りの鋭い眼光と引き締まった筋肉に覆われた体。──その姿を最近見たような気がするのは、きっと気のせいなのだろう。
「ハッ!こっすい狙撃なんぞしやがって。魔法で仲間を殺させておいて自分は後方で呑気に待機してるやつが腰抜けじゃなくて何だっていうんだ!」
「……なんのことだ?」
「話もまともに通じないのか、けだもの。──もういい。ここでお前を殺して、俺はちっぽけな達成感を得るとするよ」
魔物と話すなんて、やっぱり無駄だった。剣を構えるとクヴァルも身構える。人間と変わらない、されど体毛に覆われた体躯で、筋肉が隆起する。
俺はよく知っている。その膂力は勇者にも匹敵し、その戦闘におけるセンスと直感は百年戦っている俺をも凌駕する。
それでも、俺は俺自身の手でこいつを殺さなければ気が済みそうになかった。
「『炎よ!』」
最短の詠唱で、魔術を発動した。炎が中空を迸り、クヴァルの元へと走った。
「フッ!」
しかし、俊敏な動きで振るわれた右腕が、炎を弾いた。あまりにも速く振り抜かれた右腕には、火傷の一つもない。
「狂人の娘よ、何をそんなに苛立っている?」
「仲間を殺すような気狂いに言われたくはない」
「先ほどから何を言っているのだ。我らワーウルフは、仲間を見殺しにしたりしない。純粋な戦いの中で倒れたのであれば、それは我らの本望だ」
話が嚙み合わない。しかし、俺には関係のないことだ。
「ハアアア!」
激情に任せ、俺は持てる力全部を使って、大剣を縦に振り下ろした。しかし剣は右腕に防がれる。いつかのやり直しのように、剣は暖簾にでも打ち付けたように手ごたえがなかった。衝撃の受け流し。体格や腕力では他の魔物に劣るクヴァルが強敵たり得る、決定的な理由。俺には百年経ってもできなかった芸当だ。
「猛々しい娘よ、悪くない太刀筋だ。しかし、何をそんなにも焦っている?せっかくの綺麗な剣が台無しだぞ」
「戯言を……!」
ああ、いつ会っても、こいつとだけは仲良くなれる気がしない。どうして戦いを、殺し合いをそんなにも好むことができるのだ。痛くて、怖くて、苦しいだけだというのに。
乱れた呼吸を整えるために一呼吸置くと、少しだけ冷静になれた。ダメだ。焦っては、過去の失敗と一緒だ。冷静に状況を観察して、勝機を探れ。
観察する。クヴァルの目は、俺の一挙手一投足を見逃すまいと夜闇に爛々と輝いている。
「『光よ!』」
「──なっ!?」
詠唱と共に、光弾が最短で走り、クヴァルの目の前で爆発した。目つぶし。最も手軽で効果的な戦法。
しかし、クヴァルには通用しなかった。
フラッシュと同時にクヴァルに駆け寄った俺を出迎えたのは、右足による猛烈な蹴りだった。
「ゴホッ!くっ……」
脇腹に直撃した右足が俺を吹き飛ばす。身を捻らせ、なんとか受け身を取る。仰向けに倒れた体に鈍痛が響く。咳き込みながらも視線を前に戻すと、もうクヴァルがこちらに突っ込んできているところだった。
「くっ……くそっ!」
四足歩行にも似た前傾姿勢で突っ込んできたクヴァルが、こちらに全身でのしかかろうと跳躍した。拘束されれば最後、死ぬまで体を切り刻まれるだろう。
「終わりだ卑怯者!」
「『炎よ!』」
「──!」
辛うじて発動が間に合った炎球が、中空のクヴァルに直撃し、その体を吹き飛ばす。僅かに黒煙を立てるクヴァルは、素早く立ち上がった。即興の魔術ゆえ、十分な魔力は籠められなかったらしい。俺も痛む体をなんとか動かし、立ち上がる。
クヴァルが吠える。その言葉には、激しい憤りが籠められていた。
「なぜだ!お前のその太刀筋、長い年月を経て洗練されたもののはず。その激情と冷徹の入り混じった精緻な剣、生半可な訓練で得られる物ではない!それなのになぜ、魔法などという軟弱な手段に頼るのだ!どうして純粋な闘争を楽しもうとしない!純粋な武と武のぶつかり合い!それこそが戦いであるべきだとは思わんのか!?」
「黙れ!俺にとって武とは勝利のための手段であって目的ではない!貴様のように戦いを楽しむ奇癖は持ち合わせていない!」
いつ聞いても、クヴァルの理屈は全く理解できなかった。
平和な時代であればそういう考え方をする武芸者もいただろう。しかし、今俺たちは殺し合いをしているのだ。人類と魔物の生存競争の真っ只中にあって、こいつはいつもこんな妄言を吐いている。全くもって、相容れない。
苛立ちを籠めて、再び魔術を構成する。今の俺では、搦め手を抜きにはこいつに勝てそうにない。何と言われようと、俺は俺の持つ全てを使ってこいつを殺す。
「『燃え盛る炎よ、分かち、我が意に従い敵を穿て!』」
体からごっそり魔力が抜けていく感覚。虚脱感に、少しの眩暈を覚える。
生み出した火球の数は6。その全てに、耐久力に劣る魔物であれば一撃で燃やしつくほどの火力が籠められている。
この体の貧弱な魔力量では、二度も放つことはできないだろう。──この魔術で、決める。
クヴァルに殺到する火球は、全て狙い通りに飛んでいった。3つを彼の体の中心に。もう3つは逃げ場を塞ぐように右、左、上に飛ばす。
「ハアアアアア!」
さらに、俺自身もクヴァルに向けて突貫する。完璧に隙のない攻勢のはずだ。しかし、クヴァルがこれだけで倒れてくれるとは思えなかった。
「アオオオオン!」
狼らしい遠吠え。それで気合を入れたらしいクヴァルは、俊敏な動きで火球に対処し始めた。
まずクヴァルは、体毛に覆われた右腕を一閃。腹部に真っ先に迫っていた火球を拳で打ち付けると、火球はあらぬ方向へと飛んでいった。
続く火球は、身を翻し避ける。しかし、避けた先には既に別の火球が迫っている。クヴァルは目にも止まらぬ足を振り上げると、火球を蹴り飛ばした。
しかし俺にもその程度予想できていた。クヴァルが身を翻して避けた2つの火球。それに意識を集中させると、火球はUターンを決めてクヴァルの背後から迫った。放った魔術をもう一度制御する。魔術を六十年近く研究して会得した技術だ。やつも初見のはず。──獲ったか!?
「──フッ!」
しかし、数十年戦って尚未だ見た事のない動きを、この魔族一の武芸者は見せてきた。クヴァルは後ろを見もせずに背後から迫る火球の1つを身を捩じり躱すと、もう一つに裏拳を叩き込んで俺の方へと飛ばしてきた。
「なっ!?」
制御を失い、猛スピードで俺に迫る火球。俺の慌てた様子を見たクヴァルが、犬歯をむき出しにして獰猛に笑い、突っ込んでくる。回避するために態勢を崩せば、クヴァルに身を引き裂かれるだろう。絶妙なタイミングでの反撃だった。
必死で思考を回す。目に映る景色がスローに映り始めた。膨大な経験の中から打開策を探る。魔術、剣術、体術、小細工。俺が習得した全てから可能性を見出す。そして、極限の集中の中で、俺の出した結論は愚かとも言えるものだった。
「うおおおおお!」
「ッ!?──莫迦者が!」
直撃。回避もせずに突っ込んだ俺の体に、火球が突き刺さる。凄まじい衝撃と灼熱が腹部に走った。しかし、止まらない。俺の背負ってきた罪は、つい先ほど背負った罪は、この程度で立ち止まれるほど軽くはない!
身を焦がす炎を纏ったままに、俺は渾身の一太刀をクヴァルの体に叩き込む。虚を突かれたクヴァルの防御は間に合わず、その身に深い傷を刻んだ。
「ハアアアアア!」
トドメに、胸を一突き。全身の体重を乗せた攻撃をするとともに、血反吐を吐く。
「ぐっ……貴様の愚かさを見誤った俺の負けか……」
血を吐きながら、クヴァルが囁く。しかし俺にはそれに応じれるような体力は残っていなかった。体に力が入らない。仰向けに倒れる俺の腹部で、炎が煌々と燃え続けていた。
ああ、身を焦がし、痛みを与え続ける炎が、今は心地よい。立ち昇る黒煙を見て俺が思い出すのは、ついさきほど見送ったジェーンの死に顔だ。
「……ああ、俺は、学ばないな」
どうしてまた、仲間を殺してしまったのだろう。どうして俺は、こんなにも愚かなのだろうか。
また、罪を重ねた。身を蝕む罪悪感はここしばらく感じていなかったもので、とびきり不愉快だった。
身を焦がす炎に身を任せる。目が覚めたら、あの黒煙のように天にでも昇っていたならいいのに。そう願い、俺は目を閉じた。
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