67 メメの傷
勇者パーティーの三人が集まれたのは、狼たちとの戦いがようやく終結した頃、朝日がそろそろ昇ろうかという早朝のことだった。
この頃の戦いの後いつも集まっていた宿の共用スペース、その暖炉の前に、オスカー、カレン、オリヴィアの三人が座っている。しかし、暖炉の火は消えていた。人気のなくがらんとした宿には、冬の夜の冷気が未だ漂っている。
「ようやく、勝てたね」
「うん」
オスカーの声に反応するカレンの声には覇気がない。オリヴィアも、ただ黙って首肯するだけだった。ただ疲労しているだけでないような、重い沈黙。
「──ジェーンさんは、助けられなかったよ」
「……そっか」
カレンが三人の一番の関心事に触れた。やはりか、とオスカーが小さく相槌を打つ。
「私が辿り着いた時には、もう息を引き取ってた。……神聖魔法は、死者に対しては何もできない」
カレンが悔いるように言葉を紡ぐ。
死んだ人も、助けられたら良かったのに。それは、多くの人の最期を見届けてきた治癒魔法術者である彼女の切なる願いだった。
「……僕にもっと力があれば、メメとジェーンさんのほうに、もっと人をよこすことができたのかな」
オスカーがぽつりとつぶやく。その顔には、深い苦悩が刻まれていた。勇者たる自分が。この中で最も才に恵まれた人間である僕がもっと戦線を上げられたなら、後方での戦闘に人を割けたかもしれない。メメはあんなに重症を負わなかったかもしれない。ジェーンも、死ななかったかもしれない。
再び重い沈黙が三人の間に降りる。そんな中、オリヴィアが口を開いた。
「……メメさんの容態は、どうなんですの?」
「命に関わるようなことはないと思う。治癒魔法はかけたけど、今回は簡単には治らないだろうね。全身の切り傷もそうだけど、何より上半身の火傷がひどい。しばらくは大人しくしてもらう必要があるね」
「そうですか……」
その言葉を聞いたオリヴィアは少し黙り込むと、やがて静かに言葉を発した。
「体の容態はもちろん心配ですが、それ以上にメメさんの精神面が心配ですわね。今回の状況を鑑みるに、変なところで真面目な彼女ならジェーンさんを守れなかったなどと気に病みそうです」
その言葉に顔を上げたのはオスカーだった。
「メメのことだからあり得るね。……最近ようやく精神的な不安定さが少しずつなくなってきたと思った矢先にこれだからね。……本当に、どうしてこんなことになっちゃったんだろう」
深々とため息を吐くオスカー。
再び沈黙が場を支配した。やがて、カレンが常の元気な様子とは違う暗い口調で話し始めた。
「アタシさ、ジェーンさんが死んじゃって、初めて身近な人が亡くなって、なんか改めて死が身近にあるんだなって思っちゃった。なんていうか、初めて会う騎士の人たちが目の前で亡くなっていくのとはまた違った、もっと違った怖さがあると思ったんだよね。……なんだか、今まで助けられなかった騎士の人たちに、申し訳ないっていうか、人が死ぬことって、こんな怖いことだったんだなって」
そう言って、カレンは少し体を震わせた。そんな彼女の様子に、オスカーが優しく語り掛ける。
「……カレンの言いたいことは僕も分かるよ。言葉を交わして、人となりをよく知った人が突然いなくなるって、こんなに虚しいことなんだね。──改めて、人間を守るっていう勇者の役割がどれだけ重い物なのか、分かった気がする」
「オスカー……」
目を合わせる幼馴染の二人は、何かを確かめ合ったようだった。その様子を確認したオリヴィアは、小さく頷く。
失ったモノは多かったが、少なくともこの二人は、きっと前へ進めるのだろう。今日の喪失を、死を、敗北を糧にして、前へと進む。これ以上失わないために。これ以上負けないために。
しかし、メメさんは、彼女はどうだろうか。この二人よりもずっと強いように見えて、その実壊れそうな心を必死に取り繕って戦い続けている彼女は、今日の喪失を糧に、前に進めるだろうか。
オリヴィアの懸念は、まさしくそれだった。何かに囚われたような、何かに追われるような、彼女の姿。彼女がもし、ずっと過去に囚われているのならば、きっと今日のことも大きな傷になる。
「彼のことを悼むのは良いことですが、それに囚われることは、きっと望まれていませんよ。メメさん」
オリヴィアの独り言は誰にも聞き咎められず、冷たい空気に溶けていった。
◇
喪失感と共に意識が浮上する。──ああ、また生き残ってしまった。
目を開けると、ぼやける視界に天井が映った。慌ただしく動きまわる人々の声と、ベッドに寝かされた怪我人の気配。周囲の状況から推測するに、ここは病室らしい。落胆と共に立ち上がろうとすると、途端に眩暈が襲ってきて、俺は再びベッドに倒れ込んだ。
「……じ……ゴホッゴホッ……」
喋ろうとすると喉に猛烈な痛みが走り、咳き込む。目が覚めても体が治っていない。いつになく不調の体に、俺は気絶する直前の光景を思い出した。
闇夜に燃え盛る炎。倒れたクヴァル。
そして。そして、ジェーンの穏やかな死に顔。
せめて、あの戦いの顛末を聞かないと。彼の生死を確認しないと。あり得ない可能性を夢想した俺は、仲間を探すために病室を飛び出した。
魔王軍との戦闘のあった直後の病院では、治癒魔法を扱う聖職者たちがせわしなく動き回っていた。誰もが自分の仕事に忙しいらしく、足を引きずりながら歩く俺に目もくれない。
一歩進むたびに胸のあたりに痛みが走る。断続的に訪れる眩暈に、その場にうずくまってしまいたい気分だ。
それでも、確認しなくては。思うように動かない足を必死に動かして、病院の中を歩く。
いた。オスカーだ。
「ォスカァ……ゴホッゴホッ!」
上手く発音ができない。言葉を発した途端に喉に激痛が走って咳き込む。
「メメ!?そんな状態で何やってるの!?早くベッドに……」
俺の肩を掴もうとするオスカーの手をがっちり掴む。力が入らず、指先がわずかに震える。
「ぉれはどうでもいい!ゴホッ……そ……も、ジェーンはっ!」
「……」
オスカーが黙って顔を逸らす。その気まずそうな態度は、答えを言っているようなものだった。それでも俺は、彼に詰め寄る。
「ジェーンは!?」
「……亡くなったよ」
ポツリと、でも確かに、彼は言った。
その言葉を聞き届けて、糸が切れたように全身の力が抜ける。辛うじて動いていた体が、崩れ落ちる。ジェーンは、死んだ。俺を庇って。俺のせいで。
「メメ!?」
暗くなっていく視界の中で、オスカーが慌てたように俺の体を支えようとしているのが最後に見えた。
◇
思い出す記憶はたくさんあったが、特に記憶に残っているのは、彼とのなんでもないような会話だった。
「そういえばジェーン、この女神像はもう必要ないのか?」
そう言って、古びた木製の女神像を取り出す。少し前まで低い男の声を出していたそれは、ジェーンが人間の体を得てから、うんともすんとも言わなくなった。
「要らないですね。捨ててしまって構いませんよ?」
「いや、少し前までお前だったものを捨てるのもなんか抵抗あるんだが……」
「出会った直後は湖に沈めようとしていなかったですか?……まあ、そういうことならお守り代わりに持っておいてください」
「信心のない俺が持っていてもいいことは無さそうだけどな。そもそもあの女神は俺を一度だって守ってはくれなかったぞ」
「では、女神の代わりに私が守る、ということで」
そう言って、ジェーンは口角を上げた。いつも表情のあまり出ない彼の、珍しい顔。それがやけに印象的で、俺はその時の会話をずっと覚えていた。
◇
木製の女神像の無機質な目を眺める。穴が開くほど見つめようとも、あの声は二度と聞こえてはこなかった。
「本当に俺を守るなんて、思いもしなかったな」
呟きは、曇天の墓場に消えていった。手元の女神像から目を離して、目の前の墓石を眺める。ジェーンの墓は質素だった。周囲に作られたものとほとんど変わらない、これといった個性のない墓石。刻まれるのも、名前と短く刻まれた彼の功績だけ。
唯一の身内とされた俺が望んだことだった。以前、ジェーンは人間の葬式や埋葬について、疑問を漏らしていた。曰く、「死ねば皆同じ屍なのに、なぜそんなにも死を装飾するのか分からない」とのことだ。──彼らしい。
だから俺は、ジェーンなら盛大な葬儀は好まないだろうと思い、ひっそりとした葬儀を望んだ。……彼がいなくなった今、それが正解だったのかは分からない。
手を合わせるわけでもなく、ただ墓石を眺める。女神像と同様、何か話してくれるようなことはない。
墓石に刻まれた文字を意味もなく目で追っていると、思考がここ数日ずっと考えていたことに回帰した。すなわち、俺の失敗、罪についてだ。
「そうだ、何をそんなに舞い上がっていたんだ」
たまたま全部が上手くいっていたから。みんなが死んでいなかったから。──勇者の重責が、俺のものではなかったから。理由を上げればキリはなかった。
「なぜ罪を、罰を、忘れることができたんだ」
緩んでいた。思い返せばそうとしか思えなかった。そうだ。前の俺ならば、あの魔法にだって気づけたんじゃないか。空中から飛来した隕石には、魔力の高まりのような前兆はなかった。あんな魔法、見たことがなかった。
それでも。それでも、常に周りの注意を払っていたかつての俺ならば。
やり場のない感情を持て余した俺は、拳を握りしめる。爪先が自分の手のひらに突き刺さった。
考える。自分の罪を、分析する。ジェーンが死んでしまった理由を、解析する。見た事もない魔法。初めての出来事。知らないとはいえ、推測くらいはできる。
空から隕石を突き落とす魔法は、確かジェーンが魔王軍を壊滅させた時に使ったと言っていた魔法だったはずだ。それが、敵から飛んできた。
思い当たる節が一つあった。魔法の模倣。それを極めることによって、多彩な魔法を放つことができるダークエルフがいた。ロゼッタ。そう名乗っていたはずだ。長かった繰り返しの中でも印象に残っている魔族だ。模倣を極めただけに多彩な魔法と、膨大な魔力量を上手く使い、こちらを翻弄してきた。
──そうか、あいつが。あいつが、俺の仇か。
「……待ってろジェーン。俺がすぐに仇を取ってくるからな」
墓石に語り掛けても、言葉など返ってくるはずもなかった。しかし、俺の脳内にジェーンの言葉が蘇った。
『──私の死を、貴女の傷にしないでください』
歯を食いしばる。そんなこと、できるわけがないじゃないか。
立ち尽くす俺の頭に、ぽつりと雨粒が落ちてきた。雨粒はその数をどんどんと増やしていき、やがて雨となった。見上げると、雨雲が俺を嘲笑っているような気がした。それから目を逸らすように下を向き、俺は墓石に背を向けて歩き始めた。
氷雨は、俺を濡らし続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます