65 彼の気づきと彼女の後悔

 北の大地、にポツンと存在する魔王城、その玉座の間には、魔族二体の姿があった。一つは、この城の主である魔王。もう一つの影は、褐色の肌を持つ人型の魔族だった。魔族が、魔王に向けて何事が報告する。魔王は、それを聞いて興味深げに聞き返した。


「つまり、貴様はあの隕石を落とす魔法を模倣できると?」

「はい。先日ダラム山で発見された敵が破棄したと思われる魔法陣の残骸、それから我が長い生涯で集めてきた魔石のストックを使い切れば可能でしょう」


 希少な種族、ダークエルフの長であるロゼッタは、内心戦々恐々としながら言葉を紡いだ。魔王の、女として敗北感を感じずにはいられない美貌が、ロゼッタの顔をじっと見つめている。

 視線から、心臓が竦みあがるような凄まじいプレッシャーを感じる。ロゼッタは自分の額から冷や汗が垂れないかとびくびくしていた。


「確かにそれが本当なら私の計画を変更するのもやぶさかでない。どのみち、勇者パーティーの殺害など、クヴァルの奴には荷の重い任務だしな。……しかし、その模倣魔法とやら、一度しか放てないとは随分ケチな事だな。連発すれば人間領を火の海にすることも可能ではないか?」


 こいつ、今から奪う土地を焼野原にするつもりか!?

 ロゼッタは魔王のとんでもない言葉に内心でツッコミを入れたが、絶対に口には出せなかった。どんな気まぐれで殺されるか分かったものではない。


「は、私の持つ魔力ではあの規模の魔法などとても放てず。魔石と魔法陣による補助を受けてようやく一発放てる程度でございます。それでも出せる威力はせいぜい元の十分の一程度。全く人間はどうやってあの魔法を発動したのか……」

「我らが神によれば、あれは神代の魔法に近いものらしいな。どうやったかは知らぬが、人間たちは失われた技術を取り戻したらしい。最も、完全に神代の魔法を取り戻していたのなら、我々は今頃やつらに絶滅させられているだろうがな」


 はは、と魔王は実に楽し気に笑った。この魔族の親玉、自分たちが絶滅する可能性を笑い飛ばしやがった!

 ロゼッタには魔王の笑いのツボがどこにあって、逆鱗がどこにあるのか全く分からなかった。余計な事は言わず、ただ頭を低くして、言葉を続ける。


「あの魔法の原理を解明することは叶いません。しかしながら、模倣は我が一生をかけて極めた極意。隕石を落とす奇跡、我らダークエルフの誇りにかけて実現してみせましょう」

「──貴様らの誇りなどどうでもいい」


 突如、魔王の雰囲気が変わった、先ほどまでの楽し気な雰囲気は一瞬にしてなくなり、そこにはただ冷徹な瞳があった。ロゼッタは息を飲む。


「問題は、標的を違わず殺せるかどうか、だ。貴様はその事実だけを、ただ端的に述べればよい」

「は、はい」


 一層頭を下げて、ロゼッタは震える声で返事をした。魔王が何に怒ったのか全く分からなかった。これだから怖いのだ。ロゼッタは心中で毒づく。


 何を考えているか分からない。それが魔族たち共通の魔王への印象だった。配下のなんでもないような言動に激怒し、かと思えば誰も思いつかなかったような奇策を生み出す。

 きっと常人とは思考の域が違うのだろう、と魔族たちは結論づけていた。


 逸れかけていた思考を戻して、ロゼッタはただ事実のみを述べる。その声は少し震えていた。


「隕石の魔法が優れていたのは、破壊力はもちろんですが、何よりもその飛距離です。現代の魔法の応酬のおよそ十倍にもおよぶロングレンジからの攻撃。魔力の高まりを感知することすら叶わない狙撃は脅威です」

「そうだな。だからこそ、魔王軍は未だに大規模な軍隊を編成しての攻撃ができていない」


 そもそも、どうして魔王軍があの日あの場所から攻撃を仕掛けるということが知られたのか未だに分かっていない。

 魔王の策が初めて敗北したという事実は、衝撃を持って魔族たちに受けいれられた。完璧な策だったはずだったのだ。王都で騒動を起こさせ、王国の戦力を王都へと戻させる。そのタイミングでの、魔王軍初の本格侵攻。

 奇襲の強みを活かした魔王軍は少なくない損害を王国軍に与え初陣を勝利で飾る、はずだった。


 しかし、結果は完全な敗北。精鋭を集めた魔王軍先発隊は、たった一つの魔法によって壊滅させられてしまった。この報告を受けた魔王は、方針を変更。恐ろしい隕石の魔法の術者について調べさせていた。


 力押しするばかりだった歴代の魔王とは違い、今代の魔王は人間領へといくつもの目を放っている。人間に紛れることに長けた魔族や、空を飛ぶ魔物による偵察は順調だ。

 その調査の結果、隕石の魔法の術者は、勇者パーティーの一人らしい、ということが分かっていた。


「例の術者の名前はジェーン、というらしい。今代の勇者パーティーの内、素性が良く分かっていないのは、赤髪の女と長身の男だけだ。ジェーン、という女性名から、おそらく術者のジェーンとは赤髪の女のことだろう」


 聡明な魔王にも、まさかジェーンという名前が男女が曖昧だった人外の者が適当に名乗った名前だとは読み切れていなかった。


「だから、貴様がその魔法で殺すべきは赤髪の女だ。既に今、狼種に命じて人間領への攻撃をさせている。その混乱に乗じて、ジェーンとやらを殺せ」


 かくして、命令が下された。それが数日前のことである。





「──ここをこうして、と。良し、繋がった」


 魔王からの命令を受けたロゼッタは、人間領の端、ダラム山に来ていた。

 秋頃に魔王軍先遣隊を壊滅させた隕石の魔法は、この山の頂上から放たれたことは既に調査で判明していた。そして調査の中で、術者が使用したらしい魔法陣の残骸も発見されている。


 人類側では衰退して扱える者のほとんどいなくなった魔法陣だが、魔族、ダークエルフの間ではその技術は継承され続けていている。使用後の魔法陣を見れば、放たれたのがどんな魔法だったのか推察くらいはできる。


 そして、ダークエルフの長であるロゼッタが極めているのは、魔法の模倣、再現だ。長い時を生き研鑽を重ねたロゼッタの手にかかれば、およそどんな魔法も模倣することが可能となる。


 しかし魔法陣の復元にひどく時間が掛かってしまった。なんとか魔法を放つ準備が終わったのは、ちょうど満月に乗じて人狼種が本格侵攻を始めた夜だった。


「全く、あの頭空っぽの狼どもは、魔王の言うことに背いて侵攻なんてどうかしてるっての……よし、間に合った」


 準備を整えたロゼッタは、戦場へと向き直り、魔法の行使を始める。

 そして、神代の魔法は、ここに再び蘇る。使うのはダークエルフの秘奥。模倣の魔法だ。


「『我が一生を捧げし外道の魔法よ、今ここに発動し、ここより放たれた魔法を模倣せよ!』」


 詠唱を終えた瞬間、ロゼッタの体からは凄まじい魔力が流れ出た。遥か上空に隕石が出現したことを、感覚だけで把握する。


「クッ!劣化してこの魔力量、どんな人外の魔法だっての……!」


 あまりの魔力放出量から激痛に苛まれながらもなんとか意識を保ち、魔法の標準を付ける。既に発動していた千里眼の魔法で、ターゲットは補足していた。


 赤髪の少女の姿を確認。周囲には人狼の姿もあった。このまま魔法を発動すれば、人狼も巻き込まれるだろう。しかし、構わない。誇り高いダークエルフであるロゼッタには、人狼のような野蛮な種族を殺すことに躊躇いはなかった。


 しかし、嗚呼、憎い人間を殺すこの瞬間の全身を突き刺す興奮!何度やってもたまらない!ロゼッタは、興奮に震える声で、魔法の完成に向けて最後の言葉を放った。


「『堕ちろ!』」


 トリガーとなる一句を紡ぐ。そうして、勇者パーティーに死をもたらす超級魔法は、ついに放たれた。



 ◇



 その瞬間のことを、俺はいくら悔やんでも悔やみきれなかった。


「──メメさん!」


 切羽詰まった叫び声と共に、突然後ろから体を突き飛ばされる。直後、俺の背後で寒気がするほどの轟音が響き渡った。何か巨大な物が地面に墜落したような音と共に、爆風が俺の軽い体を吹き飛ばす。浮遊感が体をつつみ、その後重力に従って地面に激突。地を二度、三度と転がる。


 地面に打ち付けられた体のそこら中が痛みを訴えかけてきていた。しかし、今の俺にはそんなことは重要ではなかった。できるだけ早く立ち上がり、状況を確認する。ひどく嫌な予感がした。


「あ──」


 禍々しい巨大な隕石が、すぐそばに墜落してきていた。

 ──そしてその下には、下半身を無惨に潰されたジェーンの姿。一目見ただけで分かるほどの、致命傷。息が、詰まった。


「──ジェーン!?」


 戦場に突如現れた隕石は、この場で戦っていた騎士も人狼も区別なく殺し尽くしたようだった。隕石の直撃を食らった人狼の体毛に覆われた腕が隕石の下から出ている。爆風に吹き飛ばされた騎士は、木に叩きつけられて息絶えていた。


 辛うじて生き残ったのは、ジェーンに助けられた俺だけ。


 死につつある彼の体に必死に駆け寄る。近づいて、改めて分かる。隕石の下敷きとなった下半身は、完全に潰れていた。明らかな致命傷。きっと、どんな治癒魔法でも間に合わないだろう。

 投げ出されている彼の手を取る。冷たい。


「ジェーン!おいジェーン!なんでお前が俺なんかを庇ったんだ!」


 力なくうつ伏せに倒れる彼の顔は真っ青で、死が急速に近づいていることを示していた。取った手を、強く握る。彼は握り返してはくれなかった。


「はは……メメさんは焦った顔も魅力的ですね」

「冗談言ってる場合じゃねえだろ!?」


 無理に笑顔を作ろうとするジェーンの顔が、苦痛に歪んだ。それでも尚笑おうとする彼が、引きつった笑みを見せる。

 その態度が、かつて見送って来た仲間たちの死に顔に重なって、鼻の奥がツンとなる。


「……なんで……どうしてだよ……なんでお前まで俺を庇うんだよ。お前は俺の体が人より頑丈なことくらい知ってただろうがよ……」


 お前は俺の過去を知っていたはずだ。俺が庇う価値なんてない人間だってことも。俺の言葉を聞いて、またジェーンが緩い笑みを見せる。


「……それでも傷ついて欲しくない、と思うのが自然な人間の思考なのではありませんか?──まして今の魔法は、私の魔法の劣化コピーです。今の貴女では死んでしまうかもしれませんでした」

「それでも──それでも俺は、目の前で死んでいく仲間なんてもう見たくなかったんだよ……!」


 今度こそ全部上手くいくと思ったんだ。カレンと仲たがいしないで、オリヴィアもついてきてくれて、誰一人欠けずにここまで来れた。もうやり直しの効かない最後のチャンスで、俺は悲願を達成できると思ったんだ。


「貴女の仲間はまだ一人も死んでないですよ。コフッ……。人でなしが一人死んだだけです」

「ふざけるな!お前も仲間に決まってるだろ!」

「……それは、光栄ですね」


 どんどん血の気の引いてくる彼が、血反吐を吐いた。なんとか顔を上げた彼が、無理やり口角を上げる。


「でも、私は貴女たちのことを仲間だなんて思ってなかったですよ。だから、私のことはあまり気にしないでください」

「そんな見え透いた嘘で俺を騙せるとでも思ったのか!?」


 人の気持ちの分からない人でなしの癖に、今わの際に俺を気遣うのはやめろ……!


「……そうですか。では、率直に申し上げましょう。……私の死を、貴女の傷にしないでください。迷惑です」

「お前……」


 どうして、お前はそんなにも俺に気を遣うんだ。口には出さなかったはずだが、彼は俺の心中に答えるように口を動かす。


「前に伝えたはずですよ。私は貴女のことが好きなのです。だから、貴女に傷ついて欲しくない。──こういうのを、人間らしい感情、と言うのでしょうか」

「……ああ、そうだな。お前はもう、人でなしなんかじゃない」


 俺の言葉を聞いた彼が、自然に笑う。嬉しそうに。そして、その気づきが遅すぎたことを悔やむように。

 力なく目を閉じた彼が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「──さようならメメさん。楽しかったですよ」


 最期に自分の感情を吐露し、彼は呼吸を止めた。


「──ッ!クソッ……クソッ!」


 ようやく人間らしさを見つけた彼のこれからが絶たれたこと、それから己の不甲斐なさに、俺は地に拳を叩きつけた。

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