84 祭りの夜、想いの行方
飲食店を冷やかし、大通りの見世物を楽しみ、人混みに流される。
そんなことをしているうちに、気づけば日が傾きつつあった。祭りの今日は、夕暮れを見た時の感慨も、ひとしおだ。
日が暮れる頃になったら、待ち合わせをしよう。オリヴィアとそう約束していた俺たちは、集合場所である通りの端っこに集まって、彼女が来るのを待っていた。
「皆さん! ようやく合流できました……!」
オリヴィアは、珍しく焦った様子でこちらに走り寄って来た。
「おお、よく来た……ッ!」
彼女の装いに、俺は思わず息を飲んでしまった。普段のオリヴィアの、上品さを保ちつつ動きやすさを確保する服装ではない。今の彼女は、ドレス姿だった。
赤を基調とした、派手なデザインをしたドレスだ。足元まで覆うスカートは、ふんわりと広がっている。コルセットを巻いているのだろうか。細い腰は、触れれば折れてしまいそうだ。袖の部分からは、白くて小さい肩が出ている。
今日は化粧をしっかりとしているのだろう。いつもより血色がよく見えるし、唇は瑞々しい赤色だ。
今までが比較的質素な格好をしていたから、違いがよく分かる。今のオリヴィアは、気安く話しかけることすら躊躇われるほどに美しかった。
初めて見る艶姿。それは、俺の恋人だったオリヴィアすらも見せてくれなかった顔だった。
「はあ……申し訳ありません。この靴では走りづらく……思ったより時間が……!」
確かに、今の彼女は踵の高いヒールを履いていた。
近づいて来た彼女に最初に反応したのは、カレンだった。
「すごい! めちゃくちゃ綺麗だね! なんか、正にお嬢様、って感じ! 普段のイメージと違うのがすごい特別感がある! 靴からドレスまで全部高そうだけど、こんなところまで来てよかったの?」
「いえ、良くはないですね。制止する家の者は振り切ってきましたので」
晴れ晴れとした表情で、オリヴィアはとんでもないことを言い始めた。
「振り切ってきた⁉ それは後々大丈夫なの⁉」
「まずいかもしれませんが、この一夜に比べれば、大した問題ではありませんよ」
ふんわりと笑う彼女は、装いが違うこともあり、大人びて見えた。
「……静かですね、メメさん」
いつの間にか近づいて来ていたオリヴィアが、俺の顔を下から覗き込んだ。嗅ぎなれない香水の匂いが鼻に届き、俺の心臓が大きな音を立て始めた。
視界いっぱいに広がる彼女の顔が、いたずらな笑みを作った。──それは、過去一度も見たことのないオリヴィアの表情だった。
「いや、少し驚いたんだ」
まだ、俺の見たことのないオリヴィアがいたことに、驚いた。
「ふふ、やはりこの格好は一度も見たことがなかったようですね」
オリヴィアは得意げにほほ笑んだ。そんな何気ない動作にすら、目を奪われてしまう。
「どうせ私のことですから、いくら男女の仲になったとしても、いや、むしろ男女の仲になったからこそ、貴族としての自分は隠すでしょう。身分差なんて心の距離が離れるでしょうからね。だからこそ、私が貴族令嬢としての姿でここに来ることに意味があったのです」
「……何の話だ?」
「私のライバルの話です」
それ以上何かを語る気はないらしい。いつもより綺麗になったオリヴィアは、俺の顔を観察するのをやめると、楽しそうに宣言した。
「さあ、行きましょう。庶民の皆さんの最大の楽しみであるという、キャンプファイヤーへ!」
夜の帳が下りようと、祭りが終わることはない。いやむしろ、あたりが暗くなってからが祭りの本番だろう。
祭りに集った王都の住民は、まるで光に群がる虫のように、夜闇に煌々と聳え立つ炎の元へと集まりだす。
王都の創世祭におけるメインイベント、キャンプファイヤーのはじまりだ。広場のど真ん中に設置されたかがり火を囲むように、人々が集っている。
人が集まると、そこら中からアルコールの匂いが漂ってくる。どうやら昼間散々飲んだのにまだ飲んでいるらしい。
酒に脳を犯された馬鹿どもは気づいていないかもしれないが、キャンプファイヤーの炎にも意味がある。
創世祭の起源に関わる話だ。世界創造の時、大神は人間を泥から作ると同時に、火を与えたと言われている。
大神は、人間に火の扱い方を教えた。そのエネルギーをさまざまなことに活かせることを教え、同時に扱いを間違えば自らを傷つけることも伝えた。火は単に便利なものではなく、危険なものであることを、人類は大神直々に教えられていた。
けれど数千年が経ち、大神の去った地上で人間たちはしばしば火の扱いを誤ってきた。料理、焚火など生活する上で、どうしても間違い、失敗は生じる。
さらに言えば、人間同士の野蛮な殺し合いにすら、火は利用されてきた。
だから、この人間が火を授かった日に、改めて火の起源、大神の言葉を思いだそう、というのがコンセプトだ。……もっとも、火を囲みバカ騒ぎする彼らがそんな話を覚えているのか甚だ疑問だが。
火の周囲には、秩序のない会話ばかりが重なり喧騒を作っていた。けれど、彼らの話し声は一瞬で止むことになる。
管楽器の美しい音色があたりに響き渡る。不思議と人の心を奪うその音色は、人々の注意を集めた。音は、やがて音楽へと変わっていく。穏やかで、ローテンポな音楽だった。それを聞いた民衆は、一人、また一人と踊り始めた。
庶民には踊りの文化など存在しないので、みんな適当にステップを踏み、がむしゃらに手を振るっているだけだ。
けれど、中央の火の周りには、男女ペアがたくさん存在した。社交ダンスの真似事のような不格好な踊りばかりだったが、篝火に照らされる彼らは、キラキラと輝いて見えた。
「オスカー」
分かっているよな、と促すと、彼は覚悟を決めたらしく小さく頷いた。彼は踊り出す人々に見惚れているカレンの視界を遮るように前へと踊り出ると、膝を付いて片手を差し出した。
「僕と、踊ってくれませんか?」
「……喜んで」
後ろからではカレンの表情は見えなかったが、声には静かな歓喜があった。
「どうしたのですかあの二人、なんだかいつもと違いますね」
「ああ、なんかオスカーが告白して、カレンはその答えを今日出すんだってよ」
「え⁉ まあまあまあ!」
オリヴィアは珍しい興奮した声をあげた。
「あの二人、ちょっと見ないうちにそんなことになっていたのですね! 私も空気を読んで、今夜に二人には近づかないでおきましょう。でもメメさん、感動の瞬間はしっかり目に納めましょうね!」
「すごい嬉しそうだな……」
「だって、ずっと見ていたあの二人が幸せになるのですから、当然でしょう!」
「……まあ、そうだな」
別に幸せになると決まったわけではないが、あの二人なら悪い結果にはならないだろう。
「ところで、オリヴィアは踊らないのか?」
「あらあらメメさん、台詞が違いましてよ」
いつになく上機嫌なオリヴィアが、弾むように言う。見れば、彼女の白い手が俺へと差し伸べられていた。
「メメさん。私と、踊ってくれませんか?」
「……どうしたオリヴィア、相手を間違ってるぞ」
「もう! メメさん!」
オリヴィアは可愛らしく頬を膨らませた。なかなか見ない表情だ。
でも、俺の指摘は別に間違っていないと思う。
「オリヴィアは知らないかもしれないが、庶民の間でやるダンスっていうのは、男女ペアでやるもんなんだよ。だから、オリヴィアがどうしても踊りたいっていうなら俺が粗相しない程度の良識ある男を連れてくるから、ちょっと待って……」
「いいえ、メメさん。私はこの日のためにちゃんと下調べしてきております。はじまりの炎を表すキャンプファイヤーの周りで踊るのは、愛の契り。告白の場でしょう。今は形骸化していますが、庶民の中にはそういうロマンチックなものに期待してここに訪れている人も少なくないはず。だから、私の言葉は間違っていません」
「え?」
「メメさんは、男の人だったのでしょう。たとえ今は少女の姿をしていようとも」
「……オリヴィアは、そう思ってくれるのか」
俺の来歴をどういう風に取るのかなんて人によって違うだろう。俺は俺で、過去なんて関係ないと肯定してくれたカレン。もう一人の自分、なんて気持ち悪く感じてもおかしくないはずなのに、あっさりと納得してくれたオスカー。
そして、オリヴィアは俺はかつてオスカーという男だった俺を、認めてくれるのだろうか。
「……それでも、俺は中途半端な人間だよ」
男であることはもうできず、かといって女になりきることもできない。宙ぶらりんのまま、はっきりしないままだ。
「けれども、あなたの魂は何一つ変わっていないのではありませんか?」
「魂、か……」
それは、姿形の変わった俺にとってただ一つ変わらなかったものだ。
「女神教の聖典によれば、死後、人の魂は天へと昇り大神様の元へと向かうとされています。それが正しい死であり、決して変えてはいけない、と。けれど、貴女だけはそうではなかった。貴女の世界の女神が、その摂理を捻じ曲げた」
オリヴィアの口調には、少しばかりの憎悪が乗っているようだった。それはおそらく、俺の世界の女神に対するものだったのだろう。いつも冷静沈着な彼女らしからぬ口調に、俺はまた驚かされる。
「貴女がそのこと自体に、負い目のようなものを感じていることはよく分かりました。それに、百年も繰り返しの時間の中を生きていれば今を生きている実感というものも薄れて当然でしょう。けれど、メメさん」
「……なんだ」
オリヴィアの穏やかな語り口には、不思議な重さがあった。
「私は、今を生きているあなたに幸せになってほしい。──手始めに、私と踊ってくださりませんか?」
真剣に語り続けていた口調が、最後の最後で砕けた。冗談めかして差し伸べられた手は、俺の全部を包んでしまいそうなほどに大きく見えた。だから俺は、精一杯の見栄を張った。
「そこまで言われて断ったら、男が廃るよ」
手を、取る。温かくて、小さくて、綺麗な手を。オリヴィアは控えめに笑ったかと思うと、すぐに俺の手を引いて煌々と燃える炎の方へと歩き始めた。
「メメさん、随分社交経験を積んでいるようでしたが、ダンスの経験はありますの?」
「いや、さっぱりだ。俺のあくまで貴族相手にも交渉事ができるように身に着けた付け焼き刃だ。教養だとか芸事を嗜むだとかは、オリヴィアに遠く及ばないよ」
付け焼き刃も数十年続けていれば様になってくるもので、今では貴族相手でも舐められない程度の立ち振る舞いは身に付いた。けれど、俺は未だに16の少女であるオリヴィアに遠く及ばない。
「よかった。そこまで完璧だったら、私の立つ瀬がないところでした」
嬉しそうに笑ったオリヴィアが、急に俺の手を振り回した。不意打ちに、俺はなすすべもなくオリヴィアを中心に半円を描くように振り回される。そんな俺の動きにピタリと追従してきたオリヴィアが、俺のもう片方の手も取る。するとすぐに、音楽に合わせて軽快なステップが始まった。
「お……うおっ……オリヴィア! 無理無理! 俺こういうの苦手なんだよ!」
「そんなこと言いながらお上手ですよ。ほら、そこです」
オリヴィアの手足が、俺の手足の動きを指示するように動く。しばらくの間それを続けていると、ようやくこれがリードされている、ということなのだと気づいた。
慣れない動きに四苦八苦する俺は、なんとかオリヴィアに問いかける。
「お、オリヴィア。男役は俺の役目じゃないか?」
「いいえ。先導なんて、優れた人間がすればいいのです。メメさんだって、ずっと勇者パーティーを引っ張ってきたじゃないですか」
楽しげにステップを刻むオリヴィアは、俺の言葉を聞き入れる気なんて全くないようだった。その洗練されたダンスは、身に纏う真っ赤なドレスも相まってとても美しかった。
「おっと。うおっ! オリヴィア! 踏むって! そろそろ足踏むから!」
「あらあら、まだまだこれからではありませんか。……おや」
止まる様子のなかったオリヴィアが、突然足を止めた。何かと思い彼女の視線の先を追うと、その先にはオスカーとカレンの姿があった。篝火の先にいる二人は、明るい中心から逃げるようにして茂みの方へと向かっていった。
「告白でしょうか⁉ 追いましょう、メメさん」
「オリヴィア、行儀悪いぞ」
一番オリヴィアに効くであろう言葉で制止したが、彼女は聞く耳を持たなかった。
「これは覗きではありません。応援です。それに、メメさんも見たいでしょう?」
それは、もちろん見たい。好奇心という意味ではもちろん、何よりも、かつてオスカーだった俺は、彼の告白の先を見届けなければならない気がする。
もし成功したなら、過ぎた日の俺の想いが、少しだけ報われた気がするだろう。
「……行くか」
結局、俺はオスカーの告白を見届けることにした。
騒がしい炎の周りから一転、茂みの先は、祭りの王都とは思えないほどの静けさだった。喧騒が、音楽が、どこか他人事のように聞こえてくる。何よりも、この空間には簡単には言い表せないような緊張感があった。
茂みに隠れる俺たちの視線の先で、オスカーとカレンは静かに見つめあっていた。最初に口を開いたのは、カレンだった。
「オスカー」
「うん」
二人の言葉には、言いようのない迫力があった。覚悟を決めたような、決意を固めたような、強い意志の籠った口調だ。
「あの時の答えを、ここで出したい」
「……待ってたよ」
カレンの言葉に、オスカーはもう動揺を見せなかった。その顔は、凪の湖面のような穏やかさがあった。ああ、どうやら彼は腹を括ったらしい。
「アタシは、オスカーの感情に、言われるまで気づかなかった。いや、気づこうとしなかったと言ってもいいかもしれない」
カレンは、静かな独白を始めた。
「ずっと一緒だったから、ずっとこのまま、このままで関係が進むんだと思ってた。そうやって、都合のいい方に逃げて、居心地のいい関係のままでいようとした」
言葉には、隠し切れない自己嫌悪があった。
「でも、オスカーに改めて気持ちを言葉にして伝えられて、それで、アタシはそんな考えが間違っていたことに気づいた。関係は、どうやっても変わる。年齢が変わって、居場所が変わって、属する社会が変わって、幼馴染は、幼馴染のままではいれなくなる」
──それは、俺がオスカーだった時にも寂しさと共に考えていたことだった。だから、今目の前にいるオスカーも、きっと同じことを考えていたのだろう。
「メメちゃんと初めて会った時、アタシはきっと嫉妬していた。村には、アタシと同年代の女の子なんていなかった。あんなにも簡単にオスカーと仲良くなる女の子なんていなかった。それで、アタシは初めて幼馴染じゃダメなんだっていう焦りを覚えた」
そこまで言うと、カレンは自虐的な笑みを浮かべた。
「他の女の子がいないと自分の気持ちすら理解できないなんて、馬鹿だよね。それでも、アタシは今の関係が壊れるのが怖くて、勇者パーティーの一人、っていう立場に甘んじていた」
カレンの様子に、オスカーは思わず、といった様子で詰め寄った。
「──それは、僕だって同じだよ。カレンとの居心地の良い関係に甘んじて、勇者っていう立場を利用してカレンとずっと一緒にいようとした」
「……じゃあ、オスカーはどうしてアタシとの関係を変えようとしたの?」
カレンの目には、涙が浮かんでいるようにすら見えた。けれど、オスカーに動揺はなかった。
「僕がいつ死ぬのか分からないって、改めて思ったからだよ」
「え?」
「メメの話を聞いて、僕はそれを他人事とは思えなかった」
オスカーは、その時の感情を思い出すように目を瞑った。
「敗北と、死と、別れが、僕らの日常の傍らで常に大口を開いて待ち構えている。そう思ったら、僕はこの胸の感情をこのままにしておけないって思った」
オスカーは、また一歩、カレンに近づいた。
「だから、僕はカレンとの、この先の関係を望んだ。幼馴染じゃなく、勇者パーティーの仲間じゃなく、恋人として、カレンと一緒にいたいと思った。ずっと同じ時を刻みたいと思った。……返事を、聞かせてほしい」
いつの間にか、カレンの頬には透明の涙が流れていた。
「でもアタシ、メメちゃんみたいに賢くも、強くもないよ」
「カレンは、カレンのままがいいよ」
「オリヴィアみたいに、優雅でも美しくもないよ」
「カレンにはカレンの良さがあるよ」
一つ一つ、確かめるようにして二人は言葉を交わし合っていた。
「……オスカー!」
震える唇で、彼女は言葉を紡ぐ。愛おしそうに、涙を決壊させて。
「何かな?」
「アタシも、オスカーが好き! 多分ずっと好きだったし、これからもずっと好きだと思う! もう、幼馴染じゃ嫌! アタシは……アタシは、オスカーの一番でありたい!」
「カレン……!」
オスカーは、今まで見た中で一番嬉しそうな顔を見せた。つられてカレンも笑顔を見せた。
やがて、夜闇の中で、二人の顔は重なり合った。
「……オリヴィア、行こう」
これ以上見ているのは野暮だろう。俺が声をかけると、オリヴィアは小さく頷いた。
「──良かったな、オスカー」
自分の口から出た言葉が、彼に向けた言葉だったのか自分にかけた言葉だったのか、俺には分からなかった。
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