85 大嘘と本音と信頼と

 祭りは終わり、人々は日常に戻っていった。祭りの翌日、昨日の景色が嘘だったように、王都は今までの暮らしへと戻っていた。出店はすべて撤収していて、芸人たちも姿を消した。道端に落ちる酒の空き瓶だけが、辛うじて祭りがあったことを示していた。


 昨日無事カレンと気持ちが通じ合ったオスカーは、今頃どうしているだろうか。嬉しくて有頂天になっているだろうか。……いや、多分恥ずかしさに悶えている頃かな。告白の言葉を振り返り、自分はなんて恥ずかしいことを言っていたのだろう、などと考えていることだろう。俺には分かるぞ。


「……でも、これからは余計にあいつのことが分からなくなるかもな」


 カレンと結ばれ、幼い頃からの気持ちが報われたあいつは、もう俺と同じ思考回路をしていないだろう。でも、それでいい。あいつは俺みたいにならなくて、いい。


「……さて、浮かれ気分はおしまいにして、俺もやるべきをやらなくちゃな」


 待ち合わせ場所は、すぐそこだ。俺は人の目がないことを確認すると、素早く大通りから路地へと入り込んだ。華やかな王都の景色から一転、薄暗い裏通りには、人の気配がない。しかし、奥の方からはがっちりした体格の男が一人、こちらに歩いてきていた。


「……本当にいるとはな」


 その男、騎士団長のアストルは、鋭い視線で俺を観察していた。


「お前こそ、平の騎士の伝言を素直に飲んでこんなところまで来たんだな。騙し討ちにでもあったらどうするつもりだったんだ?」

「同じ人間相手に遅れはとらん。それで、わざわざあんな手を使って俺を呼び出したんだ。くだらない要件じゃないだろうな?」


 彼の鋭い視線が、俺を貫いた。噓をつけば、今すぐにでも斬り捨てられそうな迫力だ。


「呼び出しに応じたってことは、俺の言ってることに心当たりはあったんだろ?」


 俺が平の騎士を通じて彼に伝えたのは、昨日の事件の事だ。昨日の創世祭の裏で、もぬけの殻になった騎士団の兵舎には、不審者が侵入した。

 幸い、祭りの日まで生真面目に警備をしていたアストルが発見し、あっさりと撃退。情報を持ち出されることはなかった。

 しかし、不審者は捕まると、ためらいもなく口内に仕込んだ毒薬で自決。騎士団は不審者が何の目的で侵入したのか分かりかねていた。……と、ここまでが俺の過去の経験から得た知識だ。


「ああ。……貴様の情報源は興味深いな。是非とも兵舎で聞かせてくれないか?」

「そのまま地下牢で拷問か? 勇者パーティーと騎士団の決裂だな。魔王討伐が遠のくぞ」

「……そこまでは言っていない」


 アストルはわずかに顔を逸らした。近しいことは考えていたらしい。


「まあ、人間を切り捨てる手口から察するに、中央教会だろうな。あいつら、魔王討伐が近づくと、王国内の情報収集に勤しみ始めた。大方、少しでも討伐に貢献した実績が欲しいんだろうな」


 歴史的に見ても、人類の大義、魔王討伐に貢献したという実績にはかなり影響力がある。

 平民であれば爵位が授けられ、貴族であれば領土の拡大、王族の降嫁すらあり得る。歴史的に見ても、魔王討伐に貢献した人間はその後栄転を果たしている。

 王国内では既に盤石な権威を持つ中央教会だが、どうやらまだ権力が欲しいらしい。


「騎士団の情報を探っているところを見るに、間違いないだろうな。強欲な最高司祭様だろうよ。特に魔王が目の前に出てきた時に一番気を付けた方がいい。やつら、下手すれば騎士団の背中を刺すぞ」

「流石にそんなことは……いや、あの人でなしならやるかもな」


 考える様子を見せたアストルは、やがて納得したように頷いた。


「しかし、やはり解せんな」

「……なんだ?」

「貴様の情報量だよ。普通の平民なら、まず最高司祭の顔すら知らないはずだ。ましてや教会が騎士団を目の仇にしていることも」


 中央教会は一般の信徒には見せられない強欲な顔を持ち合わせている。それは、一般的な王国民は知らないことだ。

 ああ、ここに来て、やはりこいつが俺を信用できないことが足を引っ張るか。

 調べても素性の出てこない、正体不明の女。警戒するにも無理はない。

 だがしかし、こいつがそう言うのも予想済みだ。準備はしてある。


「……なあ、お前」

「なんだ?」


 俺は真面目な顔でアストルを見つめた。さあ、ここからだ。俺は、この男に今から大噓をつく。緊張を気取られないように取り繕いながら、俺は口を開いた。


「俺が貴族の影武者だったって言ったら、信じるか?」

「なに……?」


 衝撃を受けた顔のまま、固まるアストル。俺は、彼に考える余地を与えないようにたたみかける。


「俺は今は存在しない王国貴族、ヴィルノー家の出身だ。と言っても下働きだがな。だが当主様に目を付けられた俺は、奔放で自由なお嬢様の代わりに式典の類に出席させられていたんだよ。もっとも、お前も知っての通り、家は反乱で潰れたがな」


 ヴィルノー家は既に存在しない。かつてのヴィルノー家の悪政の噂は王都まで轟くほどだったらしい。高い税による搾取に、領内での奔放な振る舞い。子どもの我儘で平民の首が何度も飛んだらしい。

 困窮した領民たちは反乱を起こす。それを抑えられなかったヴィルノー家の人間は、一人残らず放火された屋敷の中で焼け死んだらしい。その後、王城は隣の領のバーネット領にヴィルノー領に併合させたようだ。


「つまりお前は、貴族令嬢としての教育を受けて育ったと?」

「そういうことだ。影武者だったから、当然名前は知られていなかった」


 できるだけ堂々と、俺は嘘を吐いた。けれどアストルは、まだ半信半疑のようだ。


「しかし、それではお前の戦闘力の説明がつかないぞ?」

「俺は身代わりだけじじゃなく、お嬢様の護衛も務めていたからな。時には敵をおびき出して撃退する役目も担っていた」

「貴族家に属していたにしても騎士団の内情に詳しすぎるようだが」


 アストルは畳みかけてくる。


「ヴィルノー家で諜報を担当していた奴らとは未だに交流がある。今は王都の闇市で情報を売りさばいている奴らだ。金と引き換えに情報を受け取っている」


 貴族家が情報屋を雇っているのは珍しくもないことだ。特にあくどいことをしていたヴィルノー家なら、情報には気を遣っていただろう。……いや、悪名高いヴィルノー家にそんな知能があったかは分からないが、少なくともアストルに嘘をつくぶんには問題ない。


「……筋は通るが、しかしな……」


 アストルは、何やら深く考えているようだった。

 その様子を見た俺は、彼が熟考しないうちに次の言葉を紡ぐ。正直、本当に信じさせたいのは、信じてほしいのは、先ほどの言葉ではない。


「──でも、重要なのはその事実じゃない。俺が、お前に誰にも言ってなかった事実を告げた、ということの方だ。これは信頼の証だ。俺はお前を信頼するから、お前も俺を信頼しろ」


 信頼の証、と言いつつ先ほど真っ赤な嘘を吐いた俺だが、実際のところ、アストルは信頼できる人間だと知っている。

 魔王討伐という俺の目的に、もっとも真摯に協力してくれる大人は、多分こいつだ。だから、こいつに接触した。


「嘘か本当か分からない身の上話を聞かされて、どう信頼しろと?」


 アストルはにべもない。ここまでは予想済み。問題は、ここからだ。この言葉をどう受け取られるかで、運命が大きく変わる。

 俺は緊張を覆い隠して、口を開いた。


「少なくとも、俺は魔王討伐という大義のためなら、騎士団の長であるお前と協力し、信頼合えると思っている。これだけは、信じてほしい」


 できるだけ素直な言葉を伝え、俺はアストルの鋭い視線を見つめ返した。今度の言葉は、紛れもなく本当の気持ちだった。そのことを、目に力を籠めて伝える。


 アストルは再び黙り込んでしまった。その鋭い目は、俺を観察し続けているようだった。俺の胸の緊張は、もはやピークを迎えていた。信じてもらえなければ、魔王討伐が遠のいてしまう。騎士団の協力がなければ、俺たちの作戦のリスクが跳ねあがる。


 たっぷり十数秒が経った頃、アストルはため息を吐きだした。


「分かった。お前を信じる。……それで、今度は俺に何をしてほしいんだ? 言っておくが、勇者殿の訓練はもう教えることが無いぞ」


 その返答に、俺の胸は歓喜と安堵でいっぱいになった。アストルに「信じる」と言われたのは、これが初めてだった。これもきっと、俺が人間をもう一度信じることができるようになったから、オリヴィアが俺の目を覚ましてくれたおかげだ。


 逸る気持ちを抑えて、俺は努めて冷静に彼に告げた。


「ああ、助かる。お前には、俺と一緒に王国が魔王討伐のために一致団結するための手助けをしてもらいたい。手始めに。中央教会の平和ボケした頭を殴り倒すぞ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る