46 狂人の襲来

 分厚い雲が太陽を覆い隠し、昼下がりの空から光を奪っていた。ここ数日の王都は不穏な騒がしさに包まれていた。抑えきれない興奮と、それに押し隠された不安。その原因は、最近王都を駆け巡ったある情報だろう。


 王都にいれば国外の情報もちらほらと入ってくる。まして他国の新しい宗教の誕生という一大事ともなれば、噂は一瞬で駆け巡る。危険な宗教団体の成立と、それに伴うテロの危険性を示唆する、共和国からの通達。


「共和国で新しい大神教の成立ですか……。これはまた一大事ですわね」

「大神教……えっと、共和国に女神教以外の宗教ができたってこと?」

「ええ、革命が起きたようで。……これは王国の女神教が黙っていないでしょうね」


 王国に深く根付いている最大宗教、女神教は異教を徹底的に弾圧して、現在人間領で最も力を持った宗教となっている。他国で新宗教が立ち上がったのなら、女神教の総本山、王都の中央教会が黙っていないだろう。

 女神教が人界最大の宗教として君臨し続けているのは、他の宗教を弾圧し続けてきたおかげだ。最後の女神、ユースティティア以外の神を崇めることを、女神教は、そしてその総本山たる中央教会は決して許さなかった。


 他の宗教の弾圧の際に戦力として動員されるのが、王国の騎士たちだ。

 歴史を辿ると、王国が他国に侵攻してまで宗教弾圧を行った例はそれなりに存在する。魔物との闘争に忙しい王国だが、女神教のためなら騎士を派遣することすら厭わない。


 それには王城と蜜月の関係にある、女神教の総本山、王都に存在する中央教会の力が及んでいる。中央教会によって地位を保証されている王と、王国によって厳重に保護されている女神教の関係は古くから強固だ。

 かつては南に行っては国に根付く土着信仰を叩き潰し、西に行っては女神信仰の在り方が歪んだ国教を解体した。そして多かれ少なかれ女神教の影響を受けている人間領の国々では、それを拒むことも難しい。今回の共和国の大神教との戦争も、その延長線上にあると言っていいだろう。


「大神信仰っていうと……歴史の話にも出てきたよね。確か、間違った宗教だったって書いてあった」

「大神信仰の名前自体は歴史に何度も出てきます。根強い信仰ですから。しかし全て女神教に潰されていますね」


 共和国で興った大神信仰、それ自体は昔から根強く存在するものだ。大神教が掲げる神は全知全能の大神、デウスだ。この神は女神教の神話にも出てくる創造神であり、そして今は存在しない、亡き神だ。

 女神教では現在、大神を信仰の第一対象とすることを厳しく禁じている。なぜなら大神は既にこの世界に存在しないからだ。人間のために最後まで世界に残ってくれている女神を差し置いて、いなくなったものを信仰することは不敬である、というのが女神教の言い分だ。


 そもそも女神教の伝える歴史において、大神がこの世を去ったのは、その全知全能に頼り切った人間の堕落を嫌ったからだと伝えられる。だから、女神教は大神の存在を肯定しながら、それに縋ることを厳しく禁じている。大神を信仰できるのは死んだあと。天国で大神と再会した人間のみだというのが女神教の主張だ。


 そういうわけで、大神教、大神信仰は女神教に厳しく禁じられている。その信仰には容赦なく制裁が加えられ、女神教へと改宗させられてきた。


「ということは……また女神教と戦争になっちゃうってこと?」

「うん、きっと今回もそうだね」


 オスカーに頷くカレンの表情は硬い。聖職者である彼女は、当然女神教の血生臭い歴史を知っているはずだ。栄華を誇り、孤児など弱者にも手を差し伸べてきた女神教だが、その歴史は他宗教の弾圧と併合の連続だ。今回も、そうなる。


 そして、まだ誰も知らないことだが、共和国に成立した大神教の背後には、魔物の存在がある。彼らを扇動しているのは、とある魔物だ。魔物の手先となった大神教信者たちは、やがて王都へ攻撃を仕掛けてくることになる。

 そしてその時に彼ら大神教信者たちと戦うことになるのが、勇者だ。魔物と人間の生存を賭けた戦いではない、人間同士の、無意味で愚かで醜い戦い。それに加担することは、きっと未だ潔白な心を持つオスカーに影響を及ぼす。そう、思った。





 数日前から、王都は他国との諍いの予感への熱に包まれていた。戦いの予感に隠し切れない興奮を声にのせる住人たち。

 大神教の信仰が一部から広がりつつある共和国。それに対して王国が黙っているわけがなかった。


「それで、どうしてオスカーが担ぎ上げられなきゃならないんだろうね!?」


 カレンが憤る。王都の噂話は専ら勇者の参戦を決定事項のように話していた。今も、遠くからそんな声が聞こえてくる。


「──最古の吸血鬼を倒した勇者様が王国のために戦ってくださるぞ」

「それなら王都も安泰だな」


 その話し声をかき消すように、彼女も承知しているだろう話を確認のようにする。


「女神教の象徴みたいなもんなんだよ、勇者っていうのは。存在そのものが女神教の正当性を表すようなものだ。特に聖剣なんかは神の奇跡そのものだからな」


 大神暦の遠い今、最も神に近い肉体を持つのが勇者だ。勇者は、敬虔な信徒なら一目で分かるほどの女神の加護を纏う。そして何より、勇者とセットで語り継がれている聖剣の神々しい光は、見る者を圧倒する。千年前から歴史上に存在する二つの奇跡は、女神教の正当性を主張するのにうってつけなのだ。中央教会に勇者の派遣を命令する権利はないが、きっと世論の高まりは勇者の働きを強制するだろう。


 あの最古の吸血鬼、ウラウス討伐の件からオスカーの名声はかなり上がっている。吟遊詩人は彼のために新たな詩を作り、女神教は熱心に彼の活躍を宣伝している。

 今ではオスカーは街を歩いていると声をかけられることすらあるくらいだ。俺も経験があるが、全くどうしてそんなに勇者という存在に好意を抱いて近づいてくるのか。



「あ、勇者様!勇者様だ!」


 そんなことを考えていると、また一目勇者を見てやろうという物好きが現れた。柔らかい表情で近づいてくる若い男は、握手を求めるように片手を前に突き出してきた。満面の笑みでこちらに近づいてくる。一見穏やかそうな様子で、人畜無害に見える好青年だ。

 対するオスカーは照れを含んだ苦笑いをしながらもそれに応じようとしていた。──ああ、相変わらず、未熟で純粋だ。


「──調子に乗るなよ邪教の走狗」

「カッ……」


 片手を突き出したままの若者の腹を、剣で一突きする。呻き声と男が崩れ落ちる音。先ほどまで平和な街の構成要素の一つだった彼は、鮮血を垂れ流しながらその場に倒れ伏した。

 王都の一角での突然の流血沙汰に、空気が、凍る。


「め、メメ!?」

「な、なにやってるのメメちゃん!」


 地べたに這いつくばる男を拘束する俺に、仲間からの信じられないという視線が突き刺さった。その目に、過去の経験を思い出した気がしたが、気にせずに今の話をする。


「共和国、大神教からの使い様だよ、見ろ」


 若者の先ほど見せなかった片手を掴むと、そこには小さなナイフが隠れていた。表面はてらてらと輝いていて、何らかの毒物が塗られていることが窺える。


「そ、そんな!?」


 オスカーの驚愕する声。


「大神教にとって勇者は邪魔者でしかないからな、これからは少し身の回りに気を付けろよ」

「で、でも、何もいきなり刺すことなかったんじゃない!?」

「ああ知らないのか。よく見てろ」


 俺が若者の拘束を解くと、彼は自分の右腕を天高くつき上げた。


「偽りの女神に天罰を!」


 それが破滅の魔法のトリガーだった。若者の体は眩い光に包まれると、轟音を立てて大爆発を起こした。


「ヒャッ!?」


 俺が魔術で展開したドーム状の氷が、爆風と四散する人肉を受け止める。

 内部で爆散した肉片が飛び散り、俺の作った氷の障壁に張り付く。薄く張られたそれは、障壁内部の惨状を余すことなく外部に伝えていた。

 信じられない量の血液が滴り、内臓も骨も無造作にまき散らされている。氷にめり込んだ眼球から、暗い瞳がこちらを見ていた。狂信者の末路。そしてそれは彼自身が望んだことだった。


 あまりにも突然のことにカレンは腰を抜かしたらしく、オスカーに支えられている。いつも毅然としているオリヴィアですらも、わずかに視線を逸らして少し気分が悪そうだ。


「分かったか?オスカー、ちゃんと対処しなければお前じゃなくて周りの人間が死ぬんだよ……この光景を良く覚えとけよ」


 騒ぎを聞きつけたらしく、騎士たちがぞろぞろとやってくる。無造作に散らされた人一人分の血液と肉片を見た彼らが顔色を変える。

 どうやら俺が事情を知っているとみたらしい。威圧感のある騎士が二人こちらに詰め寄ってきたので、大人しく同行することにした。

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