70 ゴブリンロード

 体内に侵入した毒に犯されたままに、俺はゴブリンたちを蹴散らしていた。毒の影響か、吐き気は止まらず、全身に力が入りづらい。刺された脇腹のあたりはずっと痛みを訴えかけてきていて、振るう剣はいつもよりも遅く、勢いがなかった。

 それでも、ゴブリンを蹴散らすだけならなんとかこなせた。相変わらず凄まじい数で俺を包囲してきたゴブリンたちだったが、精細を欠く体で、なんとか倒していく。気づけば、俺の周りは死屍累々で、濃厚な血の匂いが充満していた。


 しかし、普通のゴブリン相手に鎧袖一触とも言える俺に、危機が迫っていた。


 その襲来は、あまりにも突然だった。目の前にいる緑色の矮躯に大剣を振り下ろした、その瞬間だった。


「ッ!」


 尋常ならざる気配に、全身の毛が逆立つような感覚を覚える。直感に従って、素早くバックステップ。すると、先ほどまで俺の立っていた所に、巨大な何かが飛来した。

 大きな体が、俺を押し潰さんと空から落下してきていた。それは轟音と土煙と共に着地すると、地面をへこませ、ビリビリという衝撃が離れた俺にまで伝わってきた。


 やがて、その巨大な影は俺に向き直る。


「……ついに来たか、ゴブリンロード」


 通常のゴブリンとは比べようもないほどの、巨大な躰だった。俺の倍はありそうな高さに位置する目玉がぎょろりと俺を見る。殺気の籠った黄色い瞳。



「オデの家族を殺したのはお前かああああああああ!」


 滑舌の悪い叫び声を上げたかと思うと、太くて長い足が一瞬で地を駆ける。瞬く間に俺の元までたどり着いたゴブリンロードから、信じられない速度で棍棒が振り下ろされた。


「ッ!相変わらずの馬鹿力だな……!」


 素早く飛び退き、攻撃を避ける。棍棒が地を揺らし、衝撃に足を取られそうになる。地面を強く踏みして、なんとか攻撃の姿勢に移る。

 棍棒の着弾地点から飛んでくる土砂に向かって進んでいき、攻撃直後で隙だらけの巨躯に、大剣を突き刺す。

 ──確かな手ごたえ。脇腹から突き刺した剣先は、内臓まで届いたようだった。


「ガアアアアアア!」


 鼓膜をビリビリと揺らす悲鳴。しかし、生命力に長けたゴブリンロードは、これくらいでは倒れてくれないだろう。


「まだ!」

「──オデを、舐めるなああああ!」


 引き抜いた大剣を、今度は振りかぶる。対するゴブリンロードは、一撃もらったのにまだ元気そうだ。

 力強く振り下ろされる棍棒に、大剣を打ち合わせる。吹き飛ばされてしまいそうな衝撃だった。地面に踏ん張る足が、僅かに後退する。


 力比べは少し分が悪かったが、ゴブリンロードは駆け引きの類のできない脳筋だ。ここから崩せば──!


「オオオオオオ!オデの!家族の仇ィィ!」

「クッ……」


 その言葉に、全く動揺しなかったと言えば嘘になる。

 得物を打ち合わせている状態から、僅かに俺が押し込まれる。

 言ってしまえばそれは、気迫の差だったのかもしれない。


「カッ!」


 そして、最悪は重なる。俺の体を巡っていた毒の効果が、最悪のタイミングで体を蝕んだ。吐き気と共に、剣を支えていた両手の力がガクリと抜ける。

 ゴブリンロードが、そんな隙を逃すはずもなかった。


「グオオオオオ!」


 拮抗状態から解き放たれた棍棒が、大きく振り上げられる。落雷の如く勢いで振り下ろされたそれは、俺の脳天を直撃した。

 頭が潰れたかと思う程の衝撃と共に、視界に火花が散る。生温い鼻血が飛び出て、顔を濡らした。

 意識が朦朧とする。思考を巡らすことも、体を動かすこともできない。自分が立っているのか座っているのかすら分からなくなっていた俺には、追撃を防ぐ術などあるはずもなかった。


「これで!トドメだああああああ!」


 ゴブリンロードの叫びが、耳鳴りの奥でぼんやりと聞こえた。

 風切り音と共に迫ってきた棍棒が、俺の腹部を直撃する。横なぎからアッパースイングに変わった棍棒に、物干し竿にかけられたボロ布の如く張り付いた俺は、そのまま上空高々と打ち上げられた。


 錐揉みしながら浮き上がった俺は、空中でようやく意識がはっきりとした。重力に従い、凄まじい勢いで迫ってくる地面。

 落下地点では、ゴブリンロードが棍棒を構え、俺が落ちてくるのを今か今かと待ち受けていた。落下の勢いに合わせて棍棒でも打ち付けられれば、今度こそ耐えれる気がしなかった。


 ──死が、眼前で手をこまねている。救いが、手の届く所に存在する。その状況に、俺の全身の細胞が騒ぎ始めた。

 やっと、終われる。救いが、目の前にある。


「──違う!まだだ!まだ、俺は生という償いを、全うできていない!」


 全て諦めて、この苦しいだけの生に終止符を打とうと囁きかけてくる本能に否を突き付けて、俺は考え続ける。この状況を打開する、最善策。

 長い間で蓄積した記憶を手繰る。頭から落下して死んだ記憶。受け身に失敗して足の骨が砕けた記憶。魔術を利用して宙を舞った記憶。空中から奇襲を仕掛けた記憶。──これだ。


「『風よ!』」


 なけなしの魔力で、風を発生させる。ただし、上に、ではなく、下に、だ。


「馬鹿な!死ぬ気か!?」


 落下する俺の体が、風に乗って加速する。無防備に落ちてくる俺を打ち付けるだけのはずだったゴブリンロードが、驚愕の声を上げる。

 目指すは、巨大な緑色の体躯の真上だ。俺は大剣を突き出して、自由落下に身を任せた。


 加速する。加速する。加速する。重力に囚われた体は、ゴブリンロードへ向けて進み続ける。──この攻撃が外れれば、きっと俺は地面のシミとなるだろう。


「ォオオオオオオ!」

「グッ……」


 やがて、ゴブリンロードの巨体が目の前に迫ってきた。空中からの突きを繰り出した剣先に、ゴブリンロードは器用に棍棒を合わせてきた。──しかし、その程度では止まらない。


 急降下した大剣の勢いは全く衰えず、突き刺した棍棒を真っ二つにした。


「クソッ!オデはまだ、子分たちの仇を取れていないのに……!あああああああ!」


 迫る死を目にしたゴブリンロードの最期の言葉はそれだった。

 大剣が顔面に勢いよく突き刺さり、そのまま体内深くへと侵入する。

 顔面から腹部まで深々と刺されたゴブリンロードは息を止め、地面へと倒れ込んだ。その呼吸は、もう止まっていた。


 ゴブリンロードの柔らかい体に剣を突き刺すことで勢いを殺した俺は、なんとか地面に降り立つことができた。

 巨体に深々と突き刺さった大剣を、渾身の力を籠めることでなんとか抜き出す。へばりついた血を払うために軽く振るうが、柄の付近までついた血痕は完全には取れなかった。



 今しがた殺したゴブリンロードの体を見下ろす。その顔は、死ぬことへの絶望と苦痛に染まっていた。

 復讐を志し、成し遂げることなく死んでいったゴブリンロード。その死にざまが他人事とは思えなかった俺は、その亡骸に近づき、見開かれた瞼をそっと閉じた。



 ◇



 俺がゴブリンロードを倒してすぐ、魔王軍は撤退を始めていた。その手際は見事なもので、きちんと固まって下がっていく魔王軍に、王国軍は追撃を諦めざるを得なかった。

 正直、満身創痍だった俺はなんとか助けられたと言っていいだろう。──助かってしまった、とも言える。


 毒は、どうやら俺の体に残った勇者の力の残滓が少しずつ分解してくれたらしい。拠点に戻る頃には、吐き気も倦怠感もめまいもすっかりなくなっていた。


 ゆっくりと歩いて帰ってきた俺を迎え入れたオスカーは、少し眉を下げて声をかけてきた。


「おかえり、メメ。……すごい血の跡だね」

「ああ。『水よ、身を清めよ』」


 湧きだした水が俺の体を洗い流すと、体中に刻まれた傷に沁みた。


「……魔術もいいけど、カレンたちとお風呂に入ってきたらどう?疲れてるでしょう」

「いや、いいよ」


 背を向けて断るが、オスカーは俺の肩を掴んできた。意外にも力強い右腕に、彼の方を振り返る。


「でもさ、メメ。君は最近ずっと戦い続きで、疲れているんじゃない?一度、みんなと話でもしながらゆっくり体を休めたらどうかな?」

「俺のことは気にしなくて大丈夫だ。お前らはしっかり体を休めろよ」


 オスカーの提案を断り、足早にその場を去る。その様子を遠くから見ていたカレンとオリヴィアが、何か言いたそうにしていた。



 自室まで帰ってくると、疲れ切った体をベッドに横たえる。陽はまだ沈み切っていなかったが、疲労とダメージの蓄積した体は、すぐにでも眠りにつけそうだった。

 今日くらいは、悪い夢を見ないかもしれない。

 そんな期待は、あっさりと裏切られることになった。

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