71 バッドエンドの記憶 ダークエルフとの邂逅

 今の俺にとっての仇、ダークエルフのロゼッタと初めて出会ったのは、ちょうど今と同じくらいの時期、同じヤカテ平原で戦っている時のことだった。





 平原に広がる見渡す限りの緑色。自然の緑よりもずっと毒々しいそれは、おびただしい数のゴブリンの群れだった。


「ま、まだあんなに敵がいるのか……? 無理だ! 無理に決まってる!」

「弱音を吐くな! これまでに散っていった勇士たちに顔が立たないだろうが!」


 ゴブリンを迎え撃つ騎士たちに間には、動揺が見られた。当然だろう。敵の数は全く減っている様子を見せず、反対に騎士の数は日を追うごとに減っているのだから。


 連日の平原での総力戦は、王国の騎士たちに少なくない損害を与えていた。息絶え、平原のシミとなった騎士。行方知れずとなった騎士。治癒魔法でも治せないほどの重傷を負い、前線を退く騎士。

 高い損耗の要因をあげるとすれば、やはり圧倒的な数で攻めてくるゴブリンたちの存在だろう。


 広々とした平原に展開されたゴブリンの数は、騎士たちの十倍にも及ぶ。死力を尽くしている騎士たちだったが、圧倒的な数の暴力に押されて、1人、また一人と命を落としていった。


 そんな苦しい現状を思い出しながら、俺は剣を携え、ゴブリンたちの襲来を待っていた。そんな時、後ろに控える騎士のひそひそ声が、風に乗って聞こえてきた。


「……なあ、やっぱりこっそり逃げださないか? 今ならまだ間に合うって!」

「馬鹿、そんなことしても、貴族様に殺されるだけだぞ!」

「あの薄汚いゴブリンに殺されるよりずっとましだ! それに、そっちの方が生き残る確率だってずっと高い!」


 ──まずいな。士気の低下もいよいよ無視できない段階になってきている。主に平民出の、新米の騎士を中心に、暗い雰囲気が漂っている。

 それも無理ないと思う戦況なのは確かだが、騎士の敵前逃亡を許してしまえば、いよいよ戦線が崩壊してしまう。


 やはりこういう時は、勇者の出番だろうか。深呼吸を一つして、覚悟を、他人を死地へと追いやる覚悟を決める。


 俺は整列した騎士たちの方へと向き直ると、黄金色の光を放つ聖剣を抜き放ち、天に向けて掲げた。

 そして息を大きく吸い込んで、最後列まで届くように叫びはじめた。勇者の規格外の肺活量から発せられる宣言が、大気をビリビリと揺らした。


「──恐れるな! 勇敢なる人類の守り人たちよ! 女神様の寵愛を受けたこの俺が、十代目の勇者たる俺がここにいる! 我らの戦いは女神様に見守られている! 勝利は約束されたも同然だ! そのことを、この俺が! 身をもって証明してみせよう! ──いくぞおおお!」

「……オ、ォオオオオオオ!」


 聖剣は天に掲げたまま、俺は雄たけびと共にゴブリンの群れの元へと突っ込む。すると後ろにいる騎士たちの方からも、気合の入った叫びが聞こえてきた。

 ああ、なんとかこの合戦までは騎士団は持ちそうだ。


 チラと後ろを見る。後ろにいる騎士に背中を押されるように前へと進む新米騎士と思われる影。──俺が殺すようなものだった。



「いけえええええ! 押し込めええええ!」

「劣等種どもが殺されるために来たぞ! 捻りつぶしてやれ! 我ら魔王軍の方が優れていることを、証明するぞ!」


 金属がぶつかり合う音がする。やや遅れて、魔物と人間の断末魔。やがて敵味方入り混じる混戦が始まり、戦場には濃厚な血の匂いが漂うようになった。俺は人類の最前線に立って、魔物たちの肉体を切り裂いていた。

 誰よりも多く魔物を殺し、後ろにいる騎士たちへと血塗れの背中で語り掛ける。まだ、人類は終わってない。魔王を殺して、死んでいった奴らに報いることはまだできる。


 しかし魔王軍は、圧倒的な力を持つ勇者を野放しにはしなかった。


 突如として、戦場中に高々と声が響き渡った。声は魔法で拡張されているように不自然に大きく、殺し合いのさなかにある俺の耳にもはっきりと聞こえた。俺は目の前の大柄なゴブリンの喉元を切り裂いてから、耳をすます。

 声の主は、ゴブリンたちの肉壁の後ろにいるようだった。


「──聞け、愚かな人間ども! 私はこの醜いゴブリンどもの指揮を任された、魔王軍の幹部だ! 先ほど勇ましい声を上げていた勇者とやら! 強者同士、正々堂々と決着をつけようぞ!」


 その声に応じて、横に大きく展開していたゴブリンたちの壁に、突如として穴が開いた。ゴブリンの間を通り、敵の本陣まで来いということらしい。


「……罠、だろうな」


 しかし、先ほど騎士たちを鼓舞するために自信に満ちた宣言をした手前、逃げるわけにもいかなかった。ここで俺が逃げだしてしまえば、辛うじて保たれている騎士たちの士気が決壊してしまう恐れすらある。


 俺は挑発に乗って、危険だと分かっていながらもその道を進む。


「人間……?」


 血走った目で俺を眺めているゴブリンたちの傍を通り、やがて見えてきたその影は、一見人間の女であるようだった。

 最初に目を引いたのは、褐色の肌だった。引き締まった体には、余分な脂肪は少しもないようだった。

 やや切れ長の目と、現実離れした美貌には、見るものを圧倒する迫力がある。

 恐ろしいほどに整った顔だが、違和感が一つ。暗い青色をした瞳は、右目のだけ不自然なほどに光り輝いていた。

 褐色の肌とは対照的な純白の髪が、背中に流れている。


 そして、その身に纏う魔力は途方もなく、勇者である俺にも匹敵するほどだ。


 しかし注意深く眺めていると、決定的に人間と異なる点が見つかった。耳だ。両耳が、不自然に横に伸びている。

 ああ、これがエルフか。

 初めて見る姿だったが、そう理解できた。


「私を薄汚い人間と同じにするなんて、随分な挨拶だな。殺してやりたいくらいだ」


 その口調には、ありありと憎悪が籠っていた。それは俺個人に対するものというよりも、世界全てに対するものであるようだった。


「随分と人間が嫌いみたいだな。エルフは昔は人間と同じ暮らしをしていたと聞いたが」

「ああ。詳しいな勇者。我らエルフはかつて下等な貴様らと同じ場所に暮らし、時に助け合いをしていた。しかし! あの女神教なるものの宣言で、全て奪われた! 奴らはエルフは人間とは異なり、大神に創られた存在ではない、正しい存在ではないなどと言いだした! 薄汚い人間どもはこぞって我らを捕らえ、殺そうとしてきた! 平和に暮らし、人間に害を為すことなど一度もなかった我らをだ!」


 声高に、そして憎悪の籠った口調で、ダークエルフは自分たちの来歴を語り始めた。


「結果、我らは魔族領へと逃亡した。今代の魔王から、人間を根絶やしにする手伝いを頼まれた時、喜んで賛成したとも! ああ、これで我ら一族の四百年の恨みを晴らせるとな!」


 その瞳には、たしかに四百年の時で熟成された憎悪が沈殿しているようだった。


「だから、私たちは復讐するのだ! 浅ましい人間どもに! 偽りの正しさで人を扇動した女神教に! だから、お前をここに呼んだ」

「俺が、女神に祝福された者だからか」


 勇者とは、単に魔王を倒す存在というだけでなく、女神に最も近い存在とされ、女神教でも崇められる。

 しかしダークエルフは、俺の言葉を鼻で笑った。


「祝福! アッハハッ! 冗談だろ! 貴様の体にかけられたそれは、呪いと言う方が相応しいだろう! 私には貴様の魂の歪みが分かるぞ! 全てお見通しだとも! 貴様、時を遡り、何度も過去に戻り魔王討伐をやり直してきたのではないか!?」

「──なっ!?」


 初めて見破られた。数多の魔物と出会い戦ってきたが、俺が何度もやり直していることを指摘されたのは初めてだった。──それだけは、誰にも知られたくなかった。

 動揺する俺の様子を見て、ダークエルフの女はさらに言い募る。


「アッハハハハ! これは傑作だ! 勇者なんて大層な名前を付けられて、その実悪辣な女神の玩具にされているだけではないか! ──おい、聞いたか、連れの女!」


 俺の後ろの方を見て、女は言い放った。その言葉に、俺は心臓を直接掴まれたような恐怖を覚えた。

 恐る恐る、後ろを振り返ると、そこには遥か遠くで戦っていたはずのオリヴィアの姿があった。


「……そんな耳障りな大声を出さずとも、聞こえております」

「オリヴィア、どうしてここに!?」

「あなたを一人にするのは不安だったので」


 彼女の表情は、硬かった。


「オスカーさん、先ほどの話は本当ですの?」

「……ああ」


 恐る恐る返した俺の答えを聞いた瞬間、彼女の表情が見た事もない形相になった。拒絶、失望、嫌悪、その他あらゆる悪感情の籠った声で、彼女は俺を否定した。


「信じられません! あなたがそんな神の道に背くものだったなんて! そんな呪われた体で、よく人類の希望を名乗れたものですね! ──恥知らず!」


 初めて聞くオリヴィアの拒絶は、俺の胸にズシリと響いた。自分が勇者として為してきた全てが否定されたような感覚。それは、俺そのものの否定に他ならなかった。


「アッハハハ、おいおい、醜い人間同士で諍いか?」


 ダークエルフの女の声が、遠くで聞こえた。しかし、俺の頭ではずっとオリヴィアの言葉が反響していた。普段よりもずっと、心が動いてしまう。

 ──今思えば、それは不自然なまでの心の動きだった。魔法の干渉を疑うほどの。


「あ、ああああああああ!」


 やがて、直視できない現実に直面した俺は、半ば無意識に魔術を放った。

 火球の魔術。ひどい精神状態から放たれたその炎はひどく不安定だった。しかしオリヴィアならば軽々と防げたはずのそれは、あっさりと彼女に直撃し、その腹をぶち抜いた。血を吐いた彼女が、地面に倒れ込む。その瞳は、光を失うまでずっと俺を睨みつけていた。


「──え……なんで」

「ぷっ……あっははははははは! なんで!? なんでだろうなあ! おい勇者様! お前の連れの女はなんで死んだんだろうなあ! おいおいおい!」


 おかしくってたまらない、とでも言いたげに。女は喚く。

 それがあんまりにも不愉快だった俺は、ありったけの殺意を籠めて魔術を放った。


「『氷よ! 我が敵を穿て!』」


 高笑いする女の胸のあたりに氷柱は飛んでいった。命中、したように見えた。しかし、氷はその肉体を貫くことはなく、女の体を貫通していったようだった。


「あっははは! なんだ、その児戯みたいな魔法は! 勇者の名が聞いて呆れるな!」

「ッ! クソッ! 何故だ!?」


 哄笑していた女は、突如俺の目の前から姿を消した。──見えなかった。勇者の目を以てしても。

 俺の後ろに姿を現したダークエルフの女は、俺と全く同じ詠唱をした。


「『氷よ、我が敵を穿て』」

「くっ……」


 飛来した氷柱を、なんとか聖剣で弾き飛ばす。

 重たい手ごたえだった。両手にビリビリという感覚が残っている。おそらく、俺の同じ魔術よりも威力が高い。

 俺がなんとか魔術を防ぐ様子を見ていたダークエルフの女は、ふたたび嘲るような口調で語り始めた。


「アッハハ! 分かるか、人間! 私の使う魔法はお前ら人間の模倣、再現だ! 貴様らのような愚かな生き物には、自分たちの作り上げた技術で死に絶えるのが最もふさわしい! ……死に絶えろ!」


 今度は詠唱はなかった。女の後ろに、竜の形をした炎が顕現する。……見たことのある魔法だ。しかしかつて見たそれには、あれほどの大きさも迫力もなかった。離れた場所からでも伝わってくる熱量。明らかに、威力が高い。


 巨大な炎の竜が、俺の頭上から迫る。

 あの大きな顎に飲み込まれれば、全身を炎で包まれた焼け死ぬことになるだろう。


「『氷で形作られた龍殺しの剣よ、敵を打ち砕け』」


 いつかの決闘で使った、氷の剣を創り出す。あの魔法が相手ならば、これが一番有効なはずだ。


「──ハッ!」


 聖剣と同じくらいの大きさにした氷の剣を、巨大な炎の竜に突き出す。

 突き出された剣先が、そのまま竜を顎から切り裂ける、はずだった。


「なっ……くあっ!」


 氷の剣と接触したはずの炎の竜は、全く減速することなく、俺の体を包み込んだ。

 一瞬で俺の体に着火した炎は、速やかに体中を蹂躙しだした。


「ああああああああ! 熱い熱い熱い熱い! ゲホッ! ゲホッ!」


 熱さに絶叫すると、口内に煙が入ってきて咳き込んだ。

 全身が耐えがたい熱さに包まれる。煙が目に入り、痛みに涙が勝手に溢れ出した。

 ──そうだ、魔術で消火を! 


「『水よ……』ゲホッゲホッ! ァ……喉、が……」


 詠唱のために再び口を開けると一瞬で煙が入って来て、喉を焼いた。

 詠唱が中断され、魔術は不発となった。

 そこまできてようやく、俺は悟った。体を焼かれ煙に包まれた今の俺には、魔術を発動することすら叶わない。



 そうして、もはや頑丈な体と役立たずな聖剣しか持たない俺は、ただ炎の責め苦に地面をのたうち回ることしかできなくなった。全身が熱い。痛い。のたうち回っても全く楽にならない。

 炎で直接焼かれたのはこれが初めてだった。地獄のよう、という表現は、この瞬間のためにあったとさえ思えた。


 そして、何よりも、水が飲みたい! 喉が痛い、喉が痒い。全身が熱い、体中の水分が奪われているようだ、──ああ、水が欲しい! 


「ァァ……」


 なかなか死なない勇者の体が灼熱に晒されてどれほど経っただろうか。もはや体のどこにも力が入らなくなった。

 辛うじて生き残った聴覚が、ツカツカと歩み寄ってくる存在がいることを知らせてくれた。


「み、ずを……」

「……ふんっ」


 返答は、顔面への足蹴りだった。抵抗する気力も体力もなかった俺は、されるがままに地面を転がった。

 そして、乱暴に体を揺らされたことで、辛うじて生きながらえていた俺は限界を迎えたようだった。遠のいていく意識。最期の視界に映ったのは、俺を見下ろし、嘲笑するダークエルフの女の姿だった。





「ああああ! 水が欲しい水が欲しい水が欲しい水が欲しい!」


 飛び上がるようにベッドから起き上がり向かった先は、井戸だった。春先の早朝の井戸の水は、良く冷えている。それでも、夢の中の感覚が体にこびりついた気持ちの悪さを感じていた俺は、それを頭から被った。


「……夢だ。あれは、夢だ」


 自分に言い聞かせると、少し気が楽になってきた。もう一度水を掬い、口の中に大きく含む。冷たい水が喉を通過すると、夢から覚めてからずっと続いていた喉の疼きは治まっていた。


「……でも、あれは実際にあったことだ」


 オリヴィアに拒絶されたこと。オリヴィアを殺したこと。

 ……いいや、分かっているのだ。あのあまりにも不自然な状況。オリヴィアらしからぬ顔と、言葉。

 きっとあれはダークエルフお得意の幻術や精神干渉系の魔法の生み出した幻影だったのだろう。

 魔術について一層理解を深めた今なら、そんな推測は簡単にできる。


 しかし、だ。もう、俺にはあれが現実だったのか幻影だったのか、確認しようがないのだ。

 オリヴィアに拒絶されたのか、拒絶されていないのか。オリヴィアを殺したのか、殺していないのか。もう分からない。

 ──だから俺は、時間遡行によるやり直しを、誰にも口外できない。あの優しいオリヴィアにすら拒絶されてしまうのならば、誰にも話せない。


 ……前なら、こんな気持ちになった時にはジェーンと話をしていたっけ。思えば、俺の事ならほとんどなんでも知っているアイツは、俺にとってもっとも遠慮のいらない話し相手だったのだ。


 ……ああ、失ってからこんなことに気づくなんて、俺は馬鹿だな。

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