43 憧れ

「随分っ!打ち合えるようになったじゃねえか!」

「僕だってっ!成長してるんだよっ!」


 ガツン、ガツンと木製の剣がぶつかり合う重たい音が、夏の平原に響く。王都外壁の周辺、少し前にジェーンと魔法戦をしたそこは、今ではすっかり背を伸ばした雑草に囲まれていた。風に揺られる瑞々しい緑が足元をくすぐっている。


 そして、俺と相対するオスカーもまた、酷暑に晒されながらも逞しく成長する雑草のように、見違えるほどに強くなっていた。以前のように俺の剣になすすべもなく翻弄される姿はそこにはない。剣の一振り一振りには気迫が乗っていて、相手の動きも良く見えている。もう並みの騎士などよりも技量はずっと上だ。未熟な勇者様、なんてもう呼べないかもしれない。それでも。


「まだ経験の少なさが出てるな!」

「ッア!」


 オスカーの木剣を掬い上げると、何時ぞやの彼のように肩口を叩く。衝撃に晒された彼はそれに耐えられず尻もちを着いた。


「また俺の勝ちだな。六十勝、一敗。最初の時から負けはなし、だ」

「メメ、あの時負けたこと未だに気にしてるの?」

「いーや、全然!──ほら、馬鹿な事言ってないで立て」


 手を差し伸べると、素直にそれを掴む俺よりも大きな手。彼の手のマメはすっかりタコになって、ゴツゴツとした手のひらを作っていた。





「フゥ……そういえば、メメはあの劇どうだった?面白かった?」


 訓練にも熱が入りお互いに呼吸が乱れてきた頃、俺たちは一休みすることにした。二人で草むらに腰を下ろし、夏風に揺られて体の熱を冷ましていると、唐突にオスカーが話しかけてきた。手に持っていた木剣で肩を叩きながら、なんと言うべきか少し考える。

 面白かったか、と問いかけておきながら、オスカーはそれへの答え以外を求めている気がした。あの劇について話したいこと。──勇者という名前、その重さについてだろうか。


「……おいオスカー、いらん感傷に浸るのは止めろよ?自分はあんな風になれない、とかな」


 自己分析と勘に従って言葉を紡ぐと、オスカーが気まずげに顔を逸らした。どうやら図星だったらしい。


「……メメはなんでもお見通しだね。それも魔術?」

「いいや、今回もお前が分かりやすかっただけだ」


 お前の考えることなど大抵俺の通った道だ。分かるに決まっている。だから、その悩みが無意味であると断言できる。


「──偶像と自分を比べることに意味なんてないぞ。理想に圧し潰されそうになるだけだ」

「……それは君の経験談?」


 俺もまた核心を突かれて、息が止まる。思い出すのは、無責任な期待の目線と、勝手な失望のため息。反射的に動揺を隠そうとして、しかし俺の心の揺れはこちらをじっと見つめるオスカーの黒曜石のような瞳に見抜かれていることに気づいた。


「……お前に読心の魔術教えたか?」

「なんとなく分かっただけだよ」

「……それは、なんだかムカつくなっ!」


 素早く立ち上がって剣を振り上げる。休憩していた彼の隙をつくように木剣を振るうと、一瞬で立ち上がった彼の力強い振り下ろしが返ってきた。


「チッ、もう騙し討ちは通じないか」

「流石にメメのやり口には慣れたよ」


 それはいい。きっと卑怯な人間のやり口に慣れることは、戦場でお前を助けるだろう。

 未熟だった彼の成長を喜ぶのと同時に、少しの恐れを覚える。勇者としての成長。魔物殺しの技能を高めること。人殺しの技術を修めること。それは彼が、俺のような穢れに塗れた人間に近づくということではないだろうか。

 立ち上がった彼の顔を見る。その目線は俺の目線よりもやや高い。俺が失った上背が少し妬ましい。


「しかしお前、勇者の力の使い方にも慣れてきたな。何かコツでも掴んだのか?」


 先ほどから何度も打ち合って改めて思ったが、ここ最近の彼の成長は著しい。剣術や魔術の上達もそうだが、勇者の力を活用した身体能力の強化も上達している。


「そ、そうかな?……まあ最近気づいたことなんだけど」


 そこで一度言葉を切ると、俺の方をチラと見る。


「仲間を、人を守るためなら僕はこの力を使いこなせる気がするんだ」


 かっこつけすぎかな、などと照れ笑いをするオスカー。その純朴ながらも真っ直ぐな姿は、今まで以上に勇者らしかった。

 正しい動機のために、正しく剣を振るえる。その精神性は、劇に描かれる初代勇者の高潔な精神のように、現実離れしていて理想的だ。俺の憧れた勇者の姿。俺のなれなかったもの。自分が無意識に歯ぎしりしていたことに気づき、それに自己嫌悪を覚える。


「そうか。……じゃあ、もっと強くならないとな!」


 もやもやとした感情を振り払うように木剣を叩きつけると、オスカーの力強い剣先に受け止められた。力の押し付け合いになる鍔迫り合いを嫌って一歩下がると、ついつい想いが口をついて出てきた。


「──お前は、俺みたいになるなよ」

「それはどういう──うわっ!」


 その口を塞ぐように、再び剣をぶつける。しかし俺の意図とは裏腹に、剣を交えながらもオスカーの口は止まらなかった。


「でも、僕だってメメみたいに強くなりたいんだよ!僕はまだ弱い!君みたいにいつも最適解を選べるわけじゃない!何にも知らないから失敗だってする!だから、強い君に憧れたんだ!」


 熱の籠った、もう一人の自分の正直な気持ち。俺の頭がカッと熱くなる。揺さぶられやすい俺の、少女の体の精神は、その言葉に過剰に反応して、怒りを生み出してしまう。その言葉を否定したい気持ちと自己嫌悪が結びついて、どうにかなってしまいそうだった。


「……フゥー」


 少し上がってしまった息を整える。心も体も仕切り直して、木剣を構え直す。俺の雰囲気が変わったことを悟ったらしく、木剣を構えるオスカーの雰囲気も変わる。交錯する瞳にはお互いに強い感情が込められている。模擬戦とは思えないほどの気迫と緊張感が漂った。


 彼の強い意志の籠った瞳を眺めながら、想う。その憧れは、決して許容できない。お前は俺みたいになってはだめだ。それでは、それでは、俺の辿った間違った道が俺の唯一の可能性であったことを証明してしまうようではないか。だから、許容できない。認めない。


 己の内から湧き出る醜い感情を叩きつけるように、俺は剣を振りかぶる。呼応して、オスカーの両腕が唸りを上げる。強風を生みながら振りぬかれた横なぎの一閃を防いだ俺は、それに応えるように、力を籠めて、負けず劣らずの勢いで剣を振るう。


「失敗するのは、お前がまだ失敗してないからだ!──それでいいんだよ!未熟なままでいい!少しずつ成長すればいい!細かいことを、下らないことを考えるのは俺に任せればいい!」

「でもそれじゃあ君が間違った時に、誰が止められるの!?誰が助けられるの!」

「俺を助ける!──生意気だぞ未熟者!」


 頭が一瞬で怒りに支配される。ここ最近で一番の怒りを込めた木剣は、彼の体を勢い良く吹き飛ばした。草原を転がる彼の体が土と草まみれになる。それでも、俺の憤りは収まらない。


「俺を助けるのは俺だけだ!今までも!これからも!お前なんかに心配される俺じゃない!」


 痛むはずの体を引きずって、オスカーは立ち上がり剣を取った。俺の言葉を受け止めるように、震える体で必死に構えを取る。


「メメは僕たちを助けてくれた!僕たちが君を助けたいと思うのが自然なことだよ!それに!──それに、君は放っておくといつか消えてしまいそうだ!治るからってどうして躊躇なく傷を負えるの!?僕にはその怖さが良く分かる!どうして幸せを感じると苦しそうな顔をするの!?──そんなに自分を許せないの!?」


 オスカーの言葉に体中の水分が沸騰するような熱い憤怒が湧きたってくる。


「許せないに決まっている!お前は俺の何も知らないだろうが!」


 今日一番の鋭い突きが、防御をかいくぐってオスカーの鳩尾に突き刺さった。呻きながらうずくまる彼の体。


「余計なこと考えるなって言っただろう。……お前は前だけを向いて理想の勇者でいてくれ。……俺のためにも」


 俺の身勝手な言葉に、オスカーの答えはなかった。しかし苦痛に呻く彼は、這いつくばりながらもその黒い瞳だけをこちらに真っすぐに見つめてきていた。まるで、醜い俺を全て見透かすように。

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