第9話穢れた俺と純真な彼の喧嘩

 嫌な夢を見た朝はいつも憂鬱だ。頭は重く、足を前に進めるのにも気力を要する。思えば睡眠欲をシャットダウンするようになったのは、時間を捻出するためだけでなく、悪夢を見たくなかったからだったのかもしれない。


 二人とは食堂で合流した。昨日の気まずい雰囲気のままでは良くないと思い、一応言葉の上ではオスカーに謝る。


「ああうん。メメさんの言ってたことも事実だったと思うし、気にしてないよ」


 彼の中でも一応納得はしたらしい。俺を戦いに巻き込むことを容認したようだ。どれだけ身を案じても最終的には本人の意思を尊重する。そういう人間、だった。でなければ大切な幼馴染と共に王都まで来ていない。それゆえに起こる悲劇を彼はまだ見ていない。


「でも僕は、メメさんが自分の幸せのために生きて欲しいと思っているよ」


 真剣な声音。言葉を返すことはできなかった。代わりに俺はオスカーにある提案を持ちかけた。





「本当に決闘なんてやるの?木剣とはいっても痛いものは痛いんだよ?」

「勇者殿の体は頑丈だし大丈夫だろ。どちらにせよお互いの実力を知っておくのは悪いことじゃない」


 王都の正門を出て少し歩くと人影は全く見えなくなる。周囲には穏やかな朝風に吹かれて揺れる背の低い雑草が広がっているだけだ。模擬戦、決闘をするには十分な環境だ。思い切り剣をぶつけ合っても、魔術をぶっ放しても誰にも見咎められない。

 木剣はオスカーが村から持ち出した物をそのまま使わせてもらう。鍛錬のためにわざわざ持ってきたらしい。


「本当にやるの?メメさん防具もつけてないけど」


 未だ女々しいことを言っているオスカーに少し苛立つ。やはり俺は彼との会話の相性があまりよくないようだ。

 とはいえ、この場には二人だけだ。ここならお互いに、言いたいことをぶつけられる。鬱屈した感情はさっさと吐き出すのが最善だ。だから、あえて神経を逆なでする言葉選びをする。


「なあお前、むかついただろう?初対面の女に未熟だと罵られて。腹が立つだろう?この俺に。表面上は和解して、遺恨を残している現状はあまりよろしくない。ここで解消しておこうじゃないか」

「そんなことは……」

「お前が腹を立てていることくらい俺には筒抜けなんだよ。そもそも、お前はこれから人類の希望たる勇者になるんだろ?勇者様がふがいなくてどうするんだ。舐められたら叩きふせるくらいの気概を見せてみろ」


 言葉で煽り続けるが、煮え切らない態度だ。彼の態度を見ているうちに本気で腹が立ってくる。


「……いいからかかってこいよ腰抜け野郎。女一人倒せないで何が勇者だ?」


 直接的な挑発をすると彼も少し表情を変えて剣を構えた。当然だろう。俺が言われて一番腹が立つだろう言葉をぶつけたのだから。


「行くぞ未熟な勇者様!」


 剣を下段に構えて駆ける。常人離れした脚力で一瞬で彼の目の前にたどり着く。だが目の前の彼もまた常人を逸した体の持ち主だ。下段から振り上げられた俺の剣を正確に切り返す。

 だがその後があまりに無防備だった。打ち合った剣先をすぐに相手に向けて突きを放つ。回避しきれなかった彼の肩先に剣先が突き刺さり、彼の体がよろめく。

 体勢を立て直す前に鳩尾に向かって回し蹴りを思いっきり放つ。体重を乗せた蹴りが直撃したオスカーの体は吹き飛び、地面を二転三転した。思ったよりもスッキリした。


「ゲホッゲホッ……。容赦ないね」

「当たり前だろ?俺のむしゃくしゃを全力で込めたんだから」

「君、結構僕のこと嫌いだよね」

「ようやく気付いたか?でもお前も俺のこと嫌いだろ?」


 オスカーに問いかける。俺には分かる。俺なら、自分の幸せを掴もうともせずに破滅に向かうやつなんて嫌いになるだろう。勇者の責務もないのに。何の義務もないのに。

 よろよろと立ち上がったオスカーの様子を伺う。先ほどまで咳き込んでいた彼の顔が急に笑みを作った。満面の、人を馬鹿にしたような笑み。


「……メメさんの俺っていう一人称、意外と可愛いよね」

「なんだとおまえええええ」


 許せない一言に思わず激昂しかけてすぐに彼の動きに気づく。体勢を低くして、喉笛を食いちぎらんと疾走する狼のような姿勢のままに彼は突進してきていた。危うく木剣で剣戟を受け止める。手がビリビリと痺れた。


「きたねえ手を使うじゃねえか勇者様!」

「僕だって君のつまらない冗談に腹が立っているからね!どんな手段を使ってもせめて一太刀は入れたいんだ!」


 声には苛立ちが乗っていたが、剣にブレはなかった。彼の一撃一撃を律儀に受け止める。朝の草原に木と木のぶつかり合うカツンという軽快な音が断続的に響く。

 素人にしては筋が良いと言えるだろう。彼の剣は重くて鋭い。常人であればさほど苦労なく打ち倒すだろう。でもそれでは足りない。今代の勇者に求められているのはその程度の強さではない。全人類の先頭で、過去最悪の魔王軍と対峙しなければならない。


 想いを乗せて、切りかかる。鍛錬の跡は見えるが、オスカーの剣技はやはり拙い。狙いが分かりやすくて、フェイントをかければあっさりと急所を晒す。打ち合えばオスカーが一方的に体に傷を増やしていった。どうせたいして痛くないのだ。構うものか。


 一撃、また一撃とオスカーの体に衝撃が走る。流石に堪えたようで、動きが鈍くなっている。俺の体重の乗った一撃を肩先に食らったオスカーは、膝を付いて乱れた呼吸を整えようとしている。


「もう体力の限界か?お前、俺に一太刀入れるんじゃなかったのか?口ほどにないな」

「君の方が強いことは良く分かったよ。僕が弱いことも。……次で終わりにしよう。勝っても、負けても」


 額の汗を拭いながら、彼は自分の限界を告げた。勇者の人外の腕力は勝手に与えられるものだが、持久力は案外鍛えなければ付かないものだ。呼吸の使い方や、プレッシャーをはねのける胆力が必要になる。


 言葉とは裏腹に彼が勝利を諦めた様子はない。瞳は真っ直ぐにこちらを見据えている。その奥には強い闘争心。俺の挑発はよっぽど彼の心に響いたらしい。

彼が剣を大上段に振りかぶる。素人らしい、型もなにもない未熟な立ち姿。よく見ればその両腕は疲労に小刻みに震えている。しかし不安定な立ち姿とは裏腹に、繰り出される一撃は人外の膂力を以て大きな破壊をもたらすだろう。


 刹那の硬直。次の瞬間には真剣な顔が目の前に迫ってきていた。脆い人間の体程度なら粉砕できそうな一撃が俺の頭部に迫る。殺す気か?生命の危機すら感じるほどの剛剣。通常であれば問題なく避けられるはずだった。

 しかし、その刹那に目に飛び込んできた予想外の存在が俺の算段を狂わす。剣の辿る軌道を見極めようと視線を上げる。すると、昇ってきたばかりの朝日に目が焼けて一瞬で視界が白に染まる。――まずい。


「ハアアア!」


 視界を失った俺は反射的に横に転がろうとした。しかし彼の一撃の方が早かった。豪快な風切り音。重たい一撃が左肩を直撃した。肩が爆発したのではないかというほどの衝撃。木剣といえども、その凄まじい威力に俺は思わず尻餅を付いた。座り込んだ俺をオスカーが見下ろしている。


「最終的には、僕の勝ち、でいいかな?」

「ハァァァ……そうだな。今回はお前の勝ちだよ、オスカー。でも負けたのはたまたま太陽が目に入ったせいだからな。実力では俺が勝ってた。精進しろよ?」


 みっともなく負け惜しみを吐く。


「うん、そうだね。最後の動きはおかしかった。でも僕はいつか実力で勝ってみせるよ。……ごめん。必要以上に力が入っちゃったんだ。立てる?」


 俺に剣だこだらけの右手を差し出してくる。見上げると先ほど俺の視界を焼いた朝日が彼の気づかわしげな顔を後ろから照らす。あんまりにも眩しいそれから目を背けた俺は、自分の剣を杖がわりにして立ち上がった。

 あるいは、目を逸らしたのは一点の曇りなき太陽のような、罪のない純真な彼への醜い嫉妬だったかもしれない。俺の魂は太陽のように明るいものではなく、汚点ばかりで穢れている。だから、俺はその手を取れない。


「やっぱり俺はお前のことが嫌いなのかもしれない」

「僕もそう思った。でも、分かり合えなくても手は取り合えると思ってるよ」


 



 手元の食卓に広がる料理の数々は出来立てで一番美味しい状態であることを示すように、白い湯気を立てている。野菜はみずみずしく、魚は丸々と太っていた。昨日の夕食を含めて二回目の都会の食事に満足げな二人に今後の予定について伝える。昨日の王都慣れした俺の姿を見て二人は一旦パーティーの主導権を俺に渡すことに決めたらしい。


「とりあえず王城から優秀な人材の推薦状をオスカーがもらっている。これを頼りにパーティーに加わってもらえるか打診していこう。まずは彼女からで良いだろう」


 テーブルの上に上質な羊皮紙を置く。推薦状には勇者パーティーの候補者の名前、それからその人物の簡単な経歴が載せられていた。推薦した相手へと勇者パーティーへの協力を要請する旨の書かれた、王城からの手紙も同封されている。


「オリヴィア・バーネット……16歳かあ。ずいぶん若い人を選んだね」

「年を重ねた優秀な人材なんてほとんど何らかの組織と切り離せない関係なんだよ。勇者パーティーに政治やら宗教やらの思惑が入り込むとロクなことにならないぞ」


 パンを飲み込みながら返答する。繰り返しの経験からも碌な事にならないことは分かっている。その点、村娘でありながらトップクラスの神聖魔法の使い手であるカレンは、腐った既得権益ナンバーワンである中央教会と関係のない聖職者という得難い人材だ。


「その点オリヴィアなら安心だ。貴族ではあるが、若いうえに頭が柔らかすぎて貴族社会に馴染んでいない。出る杭は打たれる、の典型だな」

「知り合いなの?」

「……いや、一方的に知っているだけだ」


 誤魔化すようにスープを飲み干した。俺にとっては知り合いどころかそれ以上の関係だったわけだが、彼女にとっては初対面だ。だから他人だ。俺の知る過去なんてどこにもない。

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