第8話王城

 商店で賑わっていた街道を抜けて、門を潜ると貴族街に入る。先ほどまでの喧騒は一気に遠のき、自分たちが石畳を踏む音だけが響く。静謐な街は呼吸すら憚られるほどの独特の雰囲気だ。周囲の建物も先ほどまでと異なり規則正しく並んでいた。居心地の悪さを感じながら街の中央へと向かう。するとひと際目立つ煌びやかな建物が見えてきた。王城。この国で最も身分の高い者の居城だ。



 他国が強い権力を持つ議会の設置を進めるなど、民主化の道を辿っている女神暦千年に近い現代、王国は未だに世襲制の王が、強い権力を維持し続けていた。地方を治める貴族は各地に存在するが、王の権力は圧倒的だった。これは非常時、すなわち魔王が攻め込んできたときなどには、国が一丸となって戦争に向かわなければならない土地柄が影響している。かなりざっくりと言ってしまえば、この国の王とは、人類の中で最も富と権力を持つ個人だ。



 王城に入ると静けさは一段と増し、呼吸することすら憚られるほどだった。絢爛な内装はこの城の主の格を示している。オスカーは物珍しさに廊下をキョロキョロと見渡している。恥ずかしいから止めろ、と言うわけにもいかなかったので黙って歩く。


 案内役の騎士についていくと、ひと際大きな部屋に通される。この国の心臓部、政治の頂点の集まる玉座の間だ。入口から見上げるような位置、玉座には何度心で呪ったかわからない、王の姿があった。

 利発そうな顔立ちに立派な白いあごひげを蓄えている。豪華な装束に身を包み、こちらを冷徹な目で見据えている。対面する相手に威圧感を与えるような威風堂々とした姿。初めて対面した者は聡明な君主であるという印象を抱くだろう。その印象は間違いではないが、大事な点が抜けている。奴は己の保身のためなら国ごと売れるような冷血漢だ。俺が繰り返した歴史がそれを証明している。


「遠路はるばるよく来てくれたな、勇者殿」

「は、初めまして陛下。この度はご招待いただきありがとうございます」


 オスカーが形式的な挨拶をガチガチに緊張した声でする。聞いているこっちが恥ずかしくなりそうだ。


「それで、勇者殿の戦いの仲間は今のところその二人で良いのか?」

「えっいや……」


 まともな受け答えのできそうにないオスカーの代わりに返答する。これは気遣いというよりは俺の王に勇者パーティーの一人として認められたいという思惑ありきだった。


「その通りでございます、陛下。カレン殿は優秀な神聖魔法の使い手でございます。さらに、教会の影響を受けない稀有な聖職者です。勇者パーティーの一員として相応しいと言えるでしょう。そして私は剣の扱いには人並み以上の覚えがあります。先だってのロジャース盗賊団討伐の折にも感謝状を受け取っております。さらに魔王領付近の地理にも詳しく、サポートが可能でしょう」

「ふむ、少々若すぎるようにも見えるが……まあ良いだろう。勇者殿、官吏から後ほど必要なものを渡すから受け取ってくれたまえ」

「は、はい。ありがとうございます」


 あっさりと王との初邂逅は終わった。無駄を嫌い、効率を重視する王のことだ。平民を相手に体裁を気にする必要もないと考えているのだろう。俺が憎悪を抑えられているうちに退室できて良かった。もう少しあそこにいたら王の首を撥ねているところだった。そうなることが分かっていながら謁見まで着いていったのは考えあってのことだ。


「どうしてあんなこと言ったんだ?メメまで僕についてくることになったじゃないか!」


 城の外まで出るとすぐにオスカーが鼻息荒く俺を問い詰めてきた。


「そのつもりで言ったんだ。王の前で宣言したんだから、まさかおいていくわけにもいくまい?」

「君が戦いに出る必要なんてない。これは僕の戦いだ」


 冷たい表情を作ったオスカーが厳しい口調で断定する。隣にいるカレンがハラハラとした様子でこちらを見ているのが視界の端に映った。突き放すことで危険から遠ざけようとしているのだろう。浅ましい自己犠牲。その意図は、他でもない俺だからわかる。でもそれは違う。これは元々俺の戦いだったんだ。


「君たちが受け入れてくれなくても私は勝手に戦う。私の人生の意義は魔王を倒すことだけだ」


 今更他の何かのために生きるなんてできない。繰り返し繰り返し、敵味方問わず多くの屍を積み上げてきた。

 彼らは今この瞬間には生きているのだろう。それでも俺が殺したことに変わりない。時間を遡ろうとも罪は俺の中に堆積し続け、本懐を果たせとささやき続けている。それは呪いであり、罪であり、俺のただ一つ残った生きる意味、もしくは今ここで死なないことの理由だった。


「それに、今のお前たちはあまりに未熟すぎる。そのままではきっと取り返しのつかない失敗をする」


 俺が何回も見てきたのだから間違いない。記憶の中の積み重ねた屍がそう語っている。数多の失敗の記憶は俺の魂にこびりついている。


「でも、メメが人生を捧げてまでするべきことじゃない!勇者に選ばれたのは僕だ!」

「……知ってるか?未熟な勇者様。弱い奴は戦いの場では何も語る資格はないんだ。死人に口なし。ただ速やかに屍に成り果てるか、その場からみっともなく逃げ出すかのどちらかだ。……俺はお前が止めようと魔王を殺しに行く」





 それが今日の最後の会話となった。気まずいままにオスカーと別れ、宿の部屋に入ると清潔に整えられたベッドが真っ先に目に飛び込んできた。物理的にいくらか軽くなった体を投げ込むとベッドは少しきしんだ音をたてる。王城からの推薦で泊まることになった宿はひどく快適だった。


「勇者殿に対してずいぶん当たりが強いのではないですか?精神年齢百歳オーバーの爺様とは思えないほどの情緒不安定っぷりですね」


 自分1人しかいないはずの部屋に唐突に他人の声が響く。女神像の形をしたジェーンが話しかけてきていた。


「あんなに苛立つ会話は初めてだ。あいつは未熟にすぎる。しかも俺には思考が読める分余計に腹が立つ。あんなのが勇者で本当に良かったのか?」

「最初は貴女もあんな感じだったのではないですか?」

「もちろんだとも!でもだからってあいつの未熟さを許せるわけじゃない。確実に人が死ぬんだ。たくさんだ。戦いに赴く勇敢な騎士たちも、何の罪もない無垢な子どもも、例外なんて一つとしてありやしない。止められるのは勇者だけだ。救えたのは俺だけだったんだ」


 瞼を閉じればすぐにでも浮かんでくる光景。救えなかった命、勇敢に立ち向かって消え去った命。俺が俺自身の未熟さを許して良いはずがなかった。


「あなたはもう勇者ではないのですが。……まあしかしどれだけ彼を嫌おうと、貴女にはもはや1人で魔王軍を打ち倒せるような力は残っていないのですから、協力するしかないのではないですか?」

「……ああ、そうだな」


 改めて突き付けられた、絶対零度の真実。何気ないような口調で紡がれた言葉は俺にとって受け入れがたい現実だった。もう本懐を俺一人で果たすことは不可能なのだ。睡眠も食事も、仲間と語り合うときも、あらゆる時間を打倒魔王のために使って、それでも届かなかった。今やただの人であるこの身では試すまでもない。


 灯りを消して、瞼を閉じる。体は久しく肉体的疲労を訴えてきている。数分もすれば眠りにつくだろう。暗闇の中で胸に去来した絶望は全く新しい種類のそれだった。届くはずの希望に手が届かないことに絶望し続けていた。今は、希望には自分の手が届くことがないという純然たる事実に絶望していた。それでも、諦めるわけにはいかないのだ。手が届かないからといって、手を伸ばさないわけにはいかない。



 バッドエンドの記憶 冷酷な合理主義



 後から考えるとそれは悪夢と呼ばれるものだったのだろう。眠った俺の脳内に浮かぶ回想。俺だけの脳内に、魂に残っている俺の罪、その一幕。



 王都はここ数日激しい雷雨に襲われていた。飛来する無数の雨粒が地面に突き刺さり、人影がなく喧騒の消えた王都を濡らす。戦況が悪化するにつれて王都からはどんどんと人がいなくなっていた。

 最初は戦地に向かう騎士や魔法使いたちが姿を消した。次に消えたのは王都に滞在していた貴族たち。戦局をいち早く耳にした彼らは我さきにと自分の領地に戻っていった。その次には人の流れを敏感に察知した商人たちが店を畳んで出ていく。そうなれば庶民たちもどこかに出ていかざるを得なかった。


 王都はおよそ一月ほどで人影のないひっそりとした場所になった。薄暗いこの場所で今も煌々と明かりが存在するのはこの王城くらいか。俺は目の前に聳え立つ何より高い城を見上げる。城の最も高いところ、その頂点に立てられた王国の国旗に雷が落ちてくる。轟音を響かせるその様は、人類に天罰を下しているようだった。見張りの兵は既に昏倒させた。玉座まではさほど苦労せずたどり着けるだろう。


「そこまでだぞ叛逆者!剣を手放し降伏しろ!」


 外に響く雷にも負けない声で王が玉座へと向かう俺に吠えた。玉座の上からの叫びは下座にいる俺の耳にもよく届いた。構うものか。あの愚王に、俺に全面的に協力することを確約させればよいだけだ。王の指の一つでも撥ねて脅迫すれば話は済むだろう。


 戦況は悪化の一途をたどっている。治癒魔法の使い手が多く所属する中央教会が内側から瓦解した。女神の使者を名乗る魔物の甘言に乗せられた最高司祭が魔物を手引きした。聖職者は今やほとんど生き残っていなかった。


 洗脳魔法の一つも自分で防げない世襲主義の生み出した無能が教会のトップであることの危うさは前から感じていた。しかしここまで最悪のタイミングでそれが裏目に出るとは思わなかった。斥候からの報告ですでに魔王軍主力が王都への侵攻を始めたことが分かっている。もはや打てる策は多くない。せめて十分な数の聖職者がそろわなければロクな抵抗もできないままに人類は敗北する。

 ごく一部の貴族のみに使用が許可されている転移陣。あれを使えば国中から聖職者を集められる。王権を使えば不可能ではない。掛かっているのは人類の命運だ。どんな手段を使ってでも成し遂げる。


「この女が殺されてもいいのか!?止まれ!」


 不穏な一言。慌てて声のした玉座の傍に目を向けると、衛兵に引きずられて少女が見えた。数日前に道をたがえ、中央教会に所属したはずのカレンが、死んだように目を閉じている。所々に傷の跡が見える体を乱雑に引きずられてこちらに来る。まるで罪人のような扱いだ。

 信じられなかった。中央教会の聖職者は一般には高い身分にあり、貴族といえどもぞんざいに扱えないはずだ。ありえない現実が受け入れられず、思考が停止する。悪い夢のようだった。衛兵は見せしめのように剣を高々と振り上げると、カレンの左腕を根本から切り裂いた。


「アアアアアッ!!」


 その叫び声が痛みに飛び起きたカレンのものだったのか、それとも自分のものだったのか今では覚えていない。ただ、王が保身のためならどんな手段をも用いるということだけは鮮明に記憶残っている。そして俺の勝手な行動のために、何より大切だった幼馴染を傷つけてしまったことはいつまでも覚えている。俺の生にはもはや彼女の左腕に値するような価値はないというのに。

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