第2話女神の使者との対話
「あの女神様俺の魂を他人に入れちまったのか?おいおい、この子の魂はどこ行ったんだよ。殺してないだろうなあ」
多少は落ち着いた俺は少しずつ状況を整理していた。
湖の水面に自分の姿を映して確認した結果、確かに自分の体は女性のものになっていた。
小柄で華奢な体。胸のあたりには無視できないおうとつが存在する。肩のあたりまで無造作に伸ばされた血のような赤髪。小さな顔は客観的に見て結構整っているように見える。
ただ一点残念なのは、黒い瞳は俺の魂の腐り具合を示すように暗く淀んでいた。
後ろ髪が邪魔に思えたので一つにまとめ、あの人の形見だったリボンで留める。首元がすっきりする。
リボンで髪を結んだ俺を改めて水面に映すと、やはりただの少女にしか見えなかった。
人生をやり直しつづけて早百年といったところだ。俺の魂は俺の体が死ぬ度に女神の手によって過去の自分の体に戻されていた。
今まで何度も繰り返してきたが、一度の例外もなく聖剣を抜いて勇者になった年、15歳の春に戻されていた。他人に、それも異性になっているなんて初めてだった。
「どうなってんだ……。女神の声も聞こえねえし……」
「今回のやり直しの不備については、私から説明させて下さい」
前触れもなくすぐ近くから声がした。
人気の無い森の中で突然見知らぬ人間の声が響くのは不気味な光景だったといえよう。
とはいえ、時間や場所には関係なく女神の言葉が聞こえていた―神託と言うらしい―俺にとってはあまり驚くに値しなかった。
しかし聞こえてきたのはどう考えても男の声で、いつもの女神の声ではなかった。声の元をたどり、服を探ると、ポケットから女神の姿をかたどった木製の像が出てきた。
教会が安値で大量に売り、庶民の間に一時期流行ったものだ。小さな手のひらよりも少し大きいくらいで、彫刻はあまり繊細とは言えない。女神を象った無機質な顔がこちらを見つめ返している。
「私好みの可憐な少女に見つめられると照れますね」
ふざけた声が聞こえる。やはり俺は女神像に話しかけられたらしい。
「私はあなたの知っている女神からの使者のようなものです。そうですね、ジェーンとでも名乗っておきましょうか」
女神像から落ち着いた男性の声が出る光景はシュールだった。
「……ジェーン?お前は女なのか?」
「男女ですか?どちらでもありません。そもそも人間ではありませんので。――まあ、そんなことはどうでもいいのです」
渋い男の声で話すジェーンは、一呼吸置くと話を続けた。
「貴女はもはや、夢の中だろうと死後だろうと、女神とは会えません。そのため私があなたと意思疎通するためにここに送られてきました」
女神と意思疎通できるのは勇者だけだ。祝福を受け、神に近い体に作り替えられた勇者だからこそ女神の意志を知ることができる。
その他に女神の意志を知る機会は、教会が時折神託を受け取る程度だ。それも一方的に女神の言葉を聞く程度しかできない。
人の身でありながら神に最も近いのが勇者という存在だ。だから唯一女神と言葉を交わすことができる。
「それで?どうして俺は他人の体になっちまってるんだ?」
「その私好みの美少女は間違いなくあなたの体です。結論から申し上げますと、女神はあなたを過去に戻すことに失敗しました」
「……詳しく聞かせろ」
話を聞いているうちにだんだんわかっていた。最後の死の時――あの王都のど真ん中で頭をかち割られ、首を撥ねられた時のことだろう――女神はいつも通り転生の儀を行おうとした。そこで叛逆神の妨害が入った。
叛逆神は魔王に力を与える存在であり、女神とは敵対関係にあるらしい。
転生の儀を妨害された女神はこれに失敗。代わりの策として急遽俺を死体ごと並行世界へ転送。その後このジェーンを名乗る使者を通じて蘇生を行ったらしい。
「蘇生は終わったばかりなのでまだ血が残っていますよ」
胸元や足元には致死量を超えるだろう血痕がぶちまけられていた。言われてみれば嗅ぎなれた血の匂いがした。
魔術を使って軽く血を落とす。体が違うせいか魔術の使用に違和感があった。
「普段とはやり直しの仕方が違うことはなんとなくわかった。ただそれなら、ここには十八歳の男の俺がいるはずじゃないか。他人の体になっている説明になっていない」
「最初にも言いましたが、それは間違いなくあなたの体です。同じ時代にあなたの体が二つある矛盾を起こすわけにはいきません。勇者適合者が二人もいるとなると力がうまく得られない危険があります。ですので、別人になっていただく必要がありました」
「同じ時間にもう一人俺がいるのか……。女神だって俺が二人いることは承知してるんだろ?それくらい融通きかないのか?」
「ここにいる女神はあなたと言葉を交わしたものとは別物です。そして私たちにはこの世界の女神と意思疎通を図る手段は最早持っていません」
今までのやり直しとはわけが違うのだ、とジェーンは言う。今までは過去に遡っても同じ女神が存在していた。同じ木から分かれた枝のようなものだ。可能性を探して様々な方向へ枝を伸ばしていたが、大本となる幹と根っこは同じだった。
しかし今は以前とは異なる全く違う木なのだ。前提となる幹や根っこから違う。世界が違えばそこに存在する女神も違う存在である、ということらしい。
「いや、違う。だとしても最大の疑問が解消されていない」
小難しい話はもはやどうでもいいのだ。それよりも最も重要な問題が解決していない。
俺としては一番気がかりな点について問いかけた。
「なぜ!俺は!女になってるんだ!?」
「私の趣味です。体を作り変える際に可憐な少女の方が面白いかなと」
「貴様アア!」
面白いかな、で自分のアイデンティティが揺らぐような大手術を勝手にされてしまった俺は激怒した。ジェーンと名乗った女神像を地面に叩きつけても、理不尽への憤りは晴れなかった。土まみれの女神像は先ほどまでと同じトーンで話を続ける。
「いや、貴女が決定的に勇者と異なる存在になるためにはこれくらいしなきゃならなかったんですよ。そも魂は勇者のものと全く同一ですから。その魂を歪めるくらいのことはしなければ」
「待て。俺の魂はお前にもてあそばれてるのか!?おい、俺に何をした!?」
「もてあそぶなんて大袈裟な。魂の在り方は肉体に引っ張られます。貴女もご存知でしょうが。結果的に貴女の精神が少女のものに近づくだけです」
「大問題じゃねえか馬鹿野郎!アイデンティティの危機だよ!」
「落ち着いてください。そんな顔真っ赤にしても少女の顔だから愛らしいだけですよ。いやあ、やっぱり私の造った顔の造形完璧ですね。どんな表情していても可愛い」
(無機物ゆえ当然ながら)表情一つ変えずこちらを挑発する使者に怒りを再び爆発させそうになるが、長年の経験からそれが無益なことを悟り、気持ちを落ち着かせる。
一度大きく息を吸い、吐き出して気持ちを切り替える。こういう人をおちょくることが好きな人種は冷静に対処するに限る。
それよりも今は聞くべきことがある。
「それで?俺は自分では何もしてくれない女神様の使命をまだ全うすることができるんだろうな?まだ魔王を殺せるのか?」
「不可能とは言いませんが、今までの繰り返しの時よりもずっと難しいでしょう。貴女は少し頑丈なだけの一般人でしかないのですから」
理解の追いつかない、否、理解を拒む俺の脳に決定的な言葉が飛び込んでくる。
「要するに、貴女はもう女神に選ばれた人類の希望たる勇者ではないのです。あれだけ嫌がっていた人類の救済もあなたの役目ではなくなりました。良かったですね。人類が魔王に滅ぼされるまでの5年ほど優雅な余生をお過ごしください。」
「……は?」
激しい動揺を覚えた。己の今までのあらゆる生が否定されたような感覚。それは要するに、俺の百年以上の人生が無価値だったという宣言だろうか。
ふざけるな。俺はまだあの魔王を名乗るクソを殺してはいない。あいつを殺すまで俺の人生が終われるはずがない。奪われ、壊されたものがあまりにも多すぎる。
焼け野原にされた国、奴隷にされた人間、俺を信じてついてきた兵たちの、仲間たちの死体。まだ贖えていない、救えなかったもの。
まだその犠牲に報いることができていない。責任を果たしていない。思い返すたびに胸中はグツグツと煮えたぎり、居ても立っても居られなくなる。
一度、深呼吸して高ぶった気持ちを静める。呼吸が落ち着くと言葉が自然に出てきた。
「俺が勇者かどうかなんて関係ない。俺の人生の目的は魔王を殺すことだけだ。別人になろうがそれは変わらない」
「まあ、そう言うだろうとは思いましたよ。貴女のそれはもはや義務とか責任とかじゃなくて、妄執とか復讐とかそういうものですね。
……貴女の体は厳密には一般人というわけではありません。魂と体は切っても切り離せないもの。勇者として百年を過ごした貴女の魂を持つその体は勇者の力を少しだけ引き継いでいます。まあせいぜい全盛期の半分以下といったところでしょうか。ついでに精神も年頃の少女の体に引っ張られます。以前よりも大幅に弱くなっているわけですが、何か方策があるわけで?」
「勇者は他にいるんだろう?仲間になってついていく。そして魔王のところについたら、聖剣を奪い取って魔王をバッサリだ」
「貴女、神算鬼謀の名軍師みたいな大袈裟な呼ばれ方をされたこともありましたよね?その日暮らしの山賊みたいな計画ですね。体に引っ張られて知能まで普通の少女になりましたか?」
「うるせえよ。お前女神と違っていやに人間臭いな。冗談吐くし」
「悪態ついても罵倒しても可愛らしい少女の声なので微笑ましく映るだけですよ。」
「本当にうるせえな!今度は湖に投げ入れてやろうか!」
悪態をつきながら森を出るために歩き始める。ひとまずはここがどこなのか知りたい。
見渡せど見渡せど生い茂る木々しか見えない。枝と葉が日光を遮り、森の中は不気味にほの暗い。近くに村でもあればいいが。
歩く、歩く、歩く。景色は一向に変わらず、似たような木々が並んでいる。変化と言えば時折聞こえる鳥の鳴き声くらいのものだ。時折見つけられる虫の観察にも飽きてきた頃、ついに俺は地べたに這いつくばった。
「ああクソ、疲れた!どんだけ貧弱なんだよ、俺の体!」
あまりの疲労にたまらず草の上に座り込んだ。足の裏はじんじんと痛みを訴えかけている。森の中を歩き始めて早1時間といったところか。
勇者の体であれば例え一日中歩き続けていようとも平気だった。それなのにこのざまはなんだ。まだ体の出来上がっていない少女のようだった。
「当然です。あなたの体はもうただの人なんですから。まあ一時間もハイペースで歩き続けられるのですから、常人よりは丈夫な体と言えるでしょう。少なくともどこかの馬鹿のように飲み食いなしで3日間歩き続けて魔王城に突入するような無茶は無理ですね」
「……あの時はそうするしかなかったんだ。直接魔王の首取ってくるしか道はなかった。馬鹿だったわけじゃなく、あれしか方法がなかったってだけだ」
あの時は考えうる最悪の状況だったと言える。早々に内側の権力争いで自壊する王国軍。呼応するように次々と突破される砦。我さきにと逃げ出す特権階級。
あの状況で人を救うとすれば、もはや敵首魁の撃破による敵軍の崩壊を狙うしかなかった。
正直なところ諦めようかと思ったほどだ。それでも、襲われる民衆の大半は罪なき一般人だった。だからこそ、俺は魔王城への強行を決めたのだ。
「いやあそれもそもそも貴女が無駄に孤立を選んだ結果だと思いますけどね。一人で無茶しなければならなくなったのは、貴女が差し伸べられた手を取らなかったせいじゃなかったですか?」
俺の思いなど知らないように、冷静にかつての状況を淡々と述べるその声に俺の怒りがグツグツと沸騰する。その手の話題については、俺は自分の感情の高ぶりを抑えることが困難になっていた。
感情のままに立ち上がる。手に女神像を持ち自分の視線に合わせる。無機質な彫り物の目の部分は当然なんの感情も映してはいない。
「俺のやり方に文句を付けるっていうのか?傍観するだけで何もしない女神の一派のお前が?どうして!どいつもこいつも俺のやり方にケチをつける!?協力しよう、手を取ろう、頼ってくれ。その言葉に従った時の俺の手元には何も残らなかった!誰も彼もが俺よりも先に死んでいく!俺が殺したようなものじゃないか!それなのにどうしてまた死地に向かうように頼むことができるっていうんだ!?それなのにお前は!お前らは!……違う、悪いのは俺だ。俺がいつまでもいつまでもいつまでも魔王を殺せないばっかりに皆を殺して殺して殺して……」
言葉が俺の意志に反して漏れ続ける。なんと醜いことか。おぞましい感情を垂れ流し続ける俺の口は止まらない。
昂った感情の制御が効かない。口から出続ける自分の本心を聞くたびにどうしようもなく自分が許せなくなる。
息継ぎのタイミングでポツリとつぶやいた使者の声が奇跡的に頭に入ってくる。
「……少し落ち着いたらどうですか?」
「ハアッ……『狂乱よ、静まり給え』」
乱れた呼吸でなんとか詠唱すると魔術が自分の頭に効き始める。本来洗脳魔法や暗示魔術を解くときなどに使う魔術だ。昂った感情を打ち消し、強制的に平静な精神状態に戻される感覚は何度味わっても気持ちが悪い。
「不躾でしたか、申し訳ありません」
相変わらず変わらない声音でジェーンが謝罪した。もはやそれに対して俺は何の感情も浮かべることができなかった。心の揺れは魔術で抑えられていた。文字通りの人でなしは、唐突に話題を転換した。
「そういえば食べるものすらないですね。どうするんですか?」
「ああ、金も何も無かったな。雑草でも食べるか?」
「普通の人間は雑草食べ続けてたらお腹壊しますよ」
「めんどくさいなあ普通の人間」
何だか全部が馬鹿馬鹿しくなってきて、背中から地面に倒れこむ。
勇者だったときは気にも留めなかったが煩わしい。以前なら、食事も休息も魔王打倒の悲願のために切り捨てられたのに。鎮静化させられた心ではその苛立ちすら長続きしない。
枝の隙間から覗く青空を眺める。大空を眺めていれば、大きいことも小さいこともどうでもよい、そんな気分になれた。
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