第3話人の優しさとリンゴ

 森を抜けると案外すぐそこに村が見えた。こじんまりとした村の中に、農作業をしているらしい人影が見える。

 ちょうどよいのでせめて現在地の確認だけでもしたい。勇者としての活動の際に各地を転々とした俺なら、だいたいの場所が分かれば旅の方針も固められる。


「村人に話しかける時には容姿相応の言動をしてくださいよ?一人称は私、語尾にハートマークを付けるような甘ったるい声を意識してください」

「なんでだよ。俺は心まで女になった気はないぞ」

「いえ、でも実際素性を探られたくないならできるだけ不審な点は無くした方が良くないですか?」

「素性を聞かれちゃまずいかよ」

「貴女の過去は今や他人のものですよ?今まで何をやってたのか喋れない、武器を持ってうろついている少女。私なら付近の騎士に報告しますよ」

「あー分かった分かった。不自然じゃない程度に女っぽい言動に寄せればいいんだろ?」





「こんにちは、おじいちゃん。今日はいい天気ですね。少し私とお話していただけませんか?」


 自分で言ってて背中がむずかゆくなってきた。村への到着前に使者から言われたように容姿相応の言動をするように心がけた。言葉は柔らかく、友好的な笑顔を浮かべて。

 しかし違和感がすごい。ポケットから使者の嘲笑が聞こえた気がした。やはりあいつはあそこで湖にでも投げ捨ててきた方が良かった。


 羞恥心に耐えながら、農作業をしていた老人に話を聞いて、自分の現在の状況を把握できた。

 ここは王国の中で、王都からほど近いらしい。王都は慣れ親しんだ場所だ。そこまで行ければ金も食事もなんとかなりそうだ。


 そんな想像をしていると体が勝手に反応した。クゥという、小さな虫が鳴いたような音が俺の腹から漏れ出た。目の前の老人に聞こえるか聞こえないか微妙な音量。その音や羞恥心を誤魔化すように急いで会話を終わらせようとする。


「教えてくださりありがとうございました。それでは、おれ……私は王都まで行きますので」

「王都まで1人で行くのかい?最近は盗賊団も出るらしいからあまりおすすめはできないよ」


 老人曰く、最近このあたりでは王都に向かう貴族の馬車や行商が襲われる事件が多発していて、かなり大規模な盗賊団の存在が仄めかされているらしい。比較的治安のよかった王都周辺も最近は少しピリピリとした緊張感があるという。


「大丈夫ですよ。私、腕には少し覚えがありますので」


 背中に背負うようにして携帯している大剣を見せる。身長が下がったせいで腰から下げることができなくなったため適当な蔦で体に括ってある。

 殺されたときに予備の武器として下げていたものをそのまま持っていたらしい。予備とはいえそれなりに使い込んでいる。お飾りには見えないだろう。

 肝心の聖剣は持っていなかったが。


「そうかい……?ああ少し待ってくれ」


 老人は自宅らしきところまで戻ると何かを持ってきた。


「昼食の残りだが、リンゴだ。さっきお腹鳴らしてただろう。王都はすぐ近くだから、気を付けてな」

「……あ、ありがとうございます。」


 聞かれていたのか。自分の顔が赤くなってきたのが分かる。羞恥で老人の顔を直視できなくなった俺は、足早にその場を後にした。





「聞こえましたよ、子犬の鳴き声のような、愛らしいお腹の鳴き声が!何事もなかったかのように話を続けようとする貴女を見つめる老人の目のなんと優しいことか!」

「あああ分かってんだから言うなよ恥ずかしい!」


 蒸し返されるので顔の暑さが全然消えない。

 気を紛らわすために先程もらったリンゴにかぶりついた。大きくて甘い。水気を十分に含んだそれに歯を立てるとシャクと気持ちの良い音を鳴らした。こんなに出来の良いリンゴを見ず知らずの人間にあげられるのか。



 魔王の侵攻が進んでくると、人はみんなこういうやさしさを見せなくなる。領地が減り、食料が減ってくると人類は互いにいがみ合い、奪い合いを始める。物質的な余裕の無さはそのまま精神的な余裕の無さに直結してくる。自分を守るので精一杯な庶民は屈強な魔王軍ではなく隣人から奪い始める。

 後方があんな状態では勝てる戦いも勝てなくなるだろう。


 だから俺はそのうち人がみせる優しさも嫌いになった。いざ余裕がなくなれば簡単に投げ捨てるそれが嘘にしか見えなくなった。

 酔っ払った同僚にやれやれなんて言いながら肩を貸して自宅まで送り届ける酒場の男たちも、腹を空かせている子どもにこっそりタダで食事を与える食堂の女も、全て偽善だと思っていた。


 でも今は違った。たかだかリンゴ1つ。周りの手を拒絶し続けていた俺が久しぶりに受け取った優しさ。それだけで自分の心が少し温かくなったのを感じた。

 それは数十年ぶりに感じる感情だった。俺はなんとなく今までの自分が間違っていたことを悟った。そして、それを分かっていても自分の生き方は簡単には変わらないことも。





 1人での野宿にももうすっかり慣れたものだ。晴れた日であれば焚火を炊けて、横になれる場所があればそれで十分だ。


 今日の夜空には雲はあまり見えない。三日月が遮るものなく堂々と輝いていた。少々風があったが、どうせこの体は風邪も引かないし危機が迫れば勝手に目覚めるのだ。少女の体になってからは試していないがさして変わらないだろう。いい加減な思考で寝床を決める。


 魔術を使って焚火に火を着ける。

 やはり魔術の発動には違和感がある。利き手ではない左手で文字を書いているような気持ちの悪い感覚。

 こちらも身体能力同様、前の体よりもかなり劣化しているようだ。一番悪化しているのは魔力の燃費だ。かつてのように魔術を考えなしに連発することはできないだろう。

 まあ、それでもただの人間に負けることはそうそうないだろう。


 火が強まってきた。名前も知らないきのこを枝に突き刺して、適当に炙る。薄茶色の傘が若干焦げていた。


「あっつ!」


 灼熱のきのこを食べて、俺は勇者になってから初めて口の中を火傷するという経験をした。口の中まで勇者の加護がなくなっているらしい。

 どうやら今まで通りとはいかないらしいということを実感しながらも、無防備な野営を改める気にはならなかった。


「王都に向かうのは良いですが、勇者殿に会うあてはあるのですか?」


 女神像の姿をしたジェーンが突然話しかけてくる。他人に興味のなさそうな無機質な声をしているわりに会話は好きなようだ。


「この時期なら一度王城に向かうはずだ。そうなれば王都でも噂になるはずだから勇者、というか俺に会う算段も付けられるだろう」


 勇者としての最初の役目は王城まで行って資金などの支援を受け取ることだった。ちょうどこれくらいの暖かな春のことだった。今の時期なら幼馴染のカレンと一緒にいるはずだ。


「王都で生活する算段はあるのですか?あ、その体を売るのは私が許しませんよ」

「しねえよ!考えただけでもおぞましい!王都なら冒険者向けの魔獣討伐依頼もあるだろう。それで金を稼げる」


 女の側で性行為など考えたくもない。

 俺の一番の稼ぎ口はやはり剣と魔術だろう。噂の盗賊団の討伐でも良い。弱くなったとはいえせいぜい数十年程度の鍛錬しかしていない人間に遅れを取るつもりはない。


「もういいか?俺は寝るぞ」

「ええ、おやすみなさい。明日の貴女に女神の加護があらんことを」


 そんな役に立たない加護はいらない。一度だって俺の宿願を叶えてくれはしなかったのだから。かがり火に水をかける。三日月だけが空から草原を照らしていた。





 幕間① 神話



 かなり昔、自分の体が勇者という名の人外のものに成り果てる前の話だ。俺は故郷の村の神父の話を聞いていた。目の前には文字を読めない平民にも神話が理解できるようにと描かれた絵画があった。


 現在の世界の歴史は大神暦が終わり、女神暦が始まるところから語られる。神話として語られる大神暦について、分かっていることは少ない。

 曰く、大神暦には、全知全能たる大神、デウスとその他多数の神々に庇護された人類は豊かで穏やかな生活を享受していた。人々はみな全てにおいて満ち足りていて、争いすら存在していなかった。


 しかし、そんな生活はある時終わりを迎える。大神が突然姿を消したのだ。それに呼応するように神々はそのほとんどが姿を消していった。



 今まで享受していた神からの恵みを享受できなくなった人々は混乱した。理想郷だった大神暦は唐突に終わりを告げた。

 飢餓、貧困、格差、戦争。愚かな人間によってこの世界は終わるかと思われた。

 終焉に向かう世界を救ったのは唯一最後に世界に残った神、審判と断罪を司る正義の女神、ユースティティアだった。


 女神は人々に善悪という価値観を与えた。人を殺すな。人から奪うな。富めるものは分け与えよ。正義の女神は人に罪、善悪の基準を与えた。大神という絶対の存在を失い迷走していた人々は女神の教えに縋りついた。

 その教えが広がるにつれて、世界は平穏を少しずつ取り戻していった。今の世界は女神のおかげで存在している。人間は女神と交信することはできなくなったが、世界中に広がった女神教は、彼女の教えを今に伝え続けている。


「こちらの一番大きい方が全知全能の大神、デウス様。人類が大きな危機に陥った時には再び姿を現して、我々に手を差し伸べてくれると言われているよ」


 そんなものは現れない。俺は人類の終焉を知っている。それはどこにも救いなんてないものだった。全てを救ってくれる神はいないのだ。

 何も知らない幼い俺は、純粋な気持ちで神父に問いかける。


「じゃあどうして猟師のおじさんは死んじゃったの?どうして神様が助けてくれなかったの?」

「今は大神様はこの世界にはいないんだ。全知全能に頼りきった人類に愛想を尽かせてしまったんだ。堕落した人類を今も見守ってくれているのは最後の女神様だけさ」


 そんなはずはない。猟師のおじさんは良い人だった。堕落なんてしていない。無知だった俺は純粋にそう思っていた。


 悩みも苦悩も葛藤も痛みも、そして人の世界を救ってくれる都合の良い神も奇跡も存在しない。そんなことは分かっている。

 それでも愚かな俺は願ってしまう。人類を、罪深くて愚かな俺を、救ってくれる神を、奇跡を。

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