31 オスカーの逆襲

 吸血鬼を迎え撃つのであれば、戦いは夜だ。昼間は暇を持て余すことになる。そのため、俺はオスカーと剣の鍛錬をするために市街の外に出ていた。互いの手には、いつか喧嘩した時のように木剣。しかし、今日は彼だけがその剣を振るっていた。


「オスカー、構えるのは少し上だ。そう。肩の力抜け」

「ちゃんと勇者の力使えよ?違う、いらない力は入れるな」


 断続的に、小気味良い風切り音が鳴り響く。オスカーの素振りしている姿は、ちょっと前に比べると見違えるほど様になっていた。見ていないところでも鍛錬はしていたらしい。

 彼の素振りに逐一指摘していく。型通りの剣術が戦場で役に立つとは限らないが、覚えておいて損はない。どんな心理状態でも、繰り返して練習した動作は自然と出てくるものだ。


「そうそう、その調子だ。でもその単調な攻撃に頼りすぎるなよ?」

「散々練習させといてなんてこと言うの……」

「剣なんてそんなもんだ。日々地道な鍛錬あるのみ」


 俺が言うと、オスカーはガクッと肩を落として、座り込んだ。長い間素振りをしていたので休憩も必要だろう。鍛錬と言えば、と思い出して、オスカーに問いかける。


「……そういえば魔術の方は進展したか?オリヴィアが教えているのなら心配ないだろうが……」

「ああ、せっかくだから見てもらおうかな。『氷よ、我が身を守れ』」


 元気を取り戻したように立ち上がったオスカーの詠唱が終わると、彼の目の前に氷の壁が立ちはだかった。反り立つそれは、そこまでの大きさではない。せいぜい人ひとり隠せる程度。氷の厚さもそこまででもない。

 しかし、彼は魔術を本格的に習い初めてまだ二週間程度だったはずだ。基礎知識もほとんどない状態から、僅かな期間であっさり魔術を習得したのは驚くべきことだった。


「どうかな?これでも上達したと思うんだけど」


 氷の壁の向こうから出てきたオスカーが問いかけてくる。声は弾んでいるし、いつもよりも胸を張っている。顔全体がどうだ、と自慢げに語っていた。

 その調子に乗った顔を見るまでは素直に感心していたのだが。


「おお、やるじゃん。『炎よ、障壁を打ち砕け』」


 俺の魔術で作り出された火球が勢いよく飛び出して、あっさりと氷の壁の中心に大穴を作った。砕け散った氷の破片がキラキラと宙を舞う。


「ちょっと!?褒めたそばから壊すことないじゃん!」

「いや、すまん。お前のドヤ顔見てるとなんか苛立って、つい……」

「つい、じゃないよ!やっぱりメメは僕に当たり強くないかな!?」


 オスカーがあんまりな仕打ちに憤慨する。至極もっともな主張だった。


「ま、まあ使いこなせるようになったなら良かったじゃないか。オリヴィアに教わったんだよな?少しくらい距離は縮まったか?」


 無理やり話題を逸らす。憤慨する彼の様子を見ていると流石に俺が悪い気がしてきた。魔術の修練の様子について尋ねる。

 オリヴィアとオスカーを二人にするのは、関係の悪化に繋がるのではないかと少し懸念していたのだ。オリヴィアの自分にも他人にも厳しい態度は、人によってはあまり気持ちの良いものではないだろう。

 しかし、彼の魔術の上達を見る限り、どうやら上手くやれたようだ。


「ああ、うん。厳しい人だと思ってたけどちょっと印象が変わったよ」

「そうだろ?あれで努力している人間に対してはわりと快く力を貸してくれるからな」


 彼らの関係が良い方向に向かっているようで安心した。オリヴィアはあれで気に入った人間以外には冷たい所がある。俺に魔術を教えてくれていた頃のオリヴィアを思い出していると、だしぬけにオスカーが問いかけてくる。


「……ねえ、もしかしてメメから何かオリヴィアに伝えたの?魔術の教え方とか」

「な、なんのことだ?」

「いや、オリヴィアが『メメさんに感謝しなければ』なんて言ってたからさ。あの時は何のことだか分からなかったけど、もしかして君がオリヴィアに指導について何かアドバイスでもしたのかなと思ったんだ」


 図星を付かれて動揺する。まさかオスカー程度に見抜かれるとは思わなかった。オリヴィアには一応簡単なアドバイスをしていた。魔術について全く知らない人間に教える際には、なるべく本人の興味に沿った教え方をすること。既存の魔術体系にこだわらない指導をすること。


「……まあ、仮にそうだったとしても、それは大して関係のないことだっただろうよ。オリヴィアは優しい奴だった、ってだけだ」

「そう?――メメのそういう不器用なところ、嫌いじゃないよ。でも、皆の仲を取り持ちたいなら、もっと堂々とやればいいのに」


 困った奴だ、とでも言いたげな顔。オスカーのくせに、生意気なアドバイスだった。


「うるさい。ほら、剣を持て。実戦の練習だ」

「そういう照れ隠しに斬りかかってくる物騒なところは嫌いだな!?いたっ!いつもより痛いんだけど!」



 当然だ。いつもより強めに木剣を叩き込んだ。訓練なのだから仕方があるまい?


「黙って俺に殴られろ」

「理不尽!」

「この前の件の分も一緒だ、忘れたとは言わせないぞ?オラッ!」

「あれは勝手に僕の頭を覗いた君が悪い……いたいいたい!」


 しばらくすると、体中に痣を作って倒れ伏したオスカーと、満足げに訓練を終える俺の姿があった。





 彼女は怒っていたが、この前の件、というのは別に僕は悪くないと思うのだ。王都でのとある一日を思い出す。



 勇者、という自分の輝かしい肩書きにはあまりいい印象は持っていない。それは御伽噺に聞く憧れの存在であって、平凡な自分がなりたいとは思えなかった。

 実際勇者なんて、なっても良いことなんてなかった。体は強くなった。でも戦えば痛い。心は強くならなかった。魔物の狂暴な容貌は、見ているだけで身が竦む。代わってもらえるなら誰かに代わってほしいとさえ思った。


 しかし今、僕は自分の置かれた状況を冷静に観察して気づいてしまったのだ。僕の現状、美少女たちと共に歩いている状況、これはひょっとして男のロマン、ハーレムというやつなのではないかと。



 前方を歩く、何やら楽し気に話している三人の女の子を見る。一番右にいるのがオリヴィア。田舎の村では一生お目にかかれないような本物の貴族様だ。

 手入れの行き届いた艶やかな金髪に、宝石のような蒼い瞳が完璧な美貌を引き立てている。立ち振る舞いはお淑やかで、貴族令嬢らしい奥ゆかしさを感じさせる。

 十人に聞けば十人が美少女だと答えるだろう。


 真ん中で一番楽し気に話しているのがカレン。僕の幼馴染だ。村では一番綺麗だと評判だった。王都で暮らしていても、その美貌が都会人たちに引けを取っているとは思えなかった。

 事あるごとにコロコロと表情が変わっていって、見ていて飽きない。いつも朗らかで、対面する者を明るい気持ちにさせる気持ちの良い少女だった。十人に聞けば十人が可愛いと答えるだろう。実際とても可愛い。


 左側、カレンのスキンシップにたじろいでいるのがメメ。僕たちを助けてくれた、謎めいた少女だ。カレンの手から逃れようと体を揺らすたびに深紅のポニーテールがゆらゆらと揺れている。よく見れば髪の纏め方はわりと乱雑だ。しかしそれはメメを良く知っている僕には、だらしなさではなく男らしい大胆さを想起させる。

 雄々しく戦う姿を見せれば十人に十人がカッコイイと答えるだろう。しかし思慮深くも男らしい大胆さを持つ性格に反して、容姿は可愛らしい少女そのものだ。

 隣に立つ少女たちよりも小さな背中。顔立ちは小ぶりな目鼻から愛らしさを感じる。でもたまに深く沈んだ光のない瞳をしている。


 三者三様の美少女たち。彼女らと共にいるこの状況は、実は世の男たちが血の涙を流して羨む光景なのかもしれない。

 試しに、三人に言い寄られている自分を妄想してみた。


 少年のそれは、思春期特有のかなり気持ち悪い妄想だった。



 僕は豪華な金ぴかの玉座にどっかりと座っていて、三人の美少女がそれぞれ蠱惑的な姿で言い寄ってきていた。


 右のひじ掛けの僕の手に白魚のような手を重ねて、しだれかかってきているオリヴィア。くびれた腰は、少し反られていることで、一層その細さを強調している。凛としたいつもの姿とは大きく異なる、媚びるような上目遣い。いつものお淑やかは鳴りを潜め、その様はひどく官能的だった。手の届かないはずだった高嶺の花を自分の物にできるという期待は、男の欲望を大いにそそるものだった。


 僕の正面に跪いてこちらを見上げるのはカレンだ。上目遣いにこちらを見上げる様子は庇護欲を掻き立てる。いつもの明るい表情ではなく、何かを乞うように上目遣い。いつも元気な彼女の蠱惑的な姿は、僕の心を大きく揺らした。そして僕は彼女を見下ろしているので、衣服から年の割に豊満な胸部が見え隠れする。村にいる頃からついつい目がいってしまっていた双丘は、見れば見るほど男のロマンが詰まっていると思えた。


 最後にメメ。右の肘掛けにその小ぶりな尻を乗せて、こちらに顔をぐっと近づけてきている。彼女の小さな手が僕のおとがいにそっと触れている。目を細めた彼女にキスでもされそうな距離。

 普段男勝りな彼女の行動としては違和感を覚える。しかし彼女の様子を伺うと、その顔は熟れたリンゴのように真っ赤だ。自分のために、慣れない女らしい仕草を恥ずかしがりながらしてくれているらしかった。

 可愛らしい顔立ちよりも、折れてしまいそうな細い腰つきよりも、その羞恥に顔を赤らめる様子に最も胸が高鳴る。



「おい、何やってんだオスカー。早く入るぞ」


 メメに話しかけられて、ようやく意識が返ってくる。素晴らしい白昼夢を見ていると、いつの間にか目的の店に着いたらしかった。

 こちらをジトッと見つめるメメの黒い瞳が痛い。なぜだろうか。僕の恥ずかしい妄想が見透かされているような不思議な感覚を覚える。


 しかし!今日の僕はいつもと違う!いつも木剣でメメにボコボコにされている僕とは違うのだ。僕にやたらと厳しい彼女に反撃する。脳内で彼女を恥ずかしい目に合わせてやろう!


 今日の少年は無意味にテンションが高かった。



 シチュエーションは話に聞く学校、その教室だ。

 メメに突然呼び出された僕は、放課後人のいなくなった教室で彼女を待っていた。西日の暖かな光が教室を赤く染めていた。カラ、と音を立て、教室の後ろの扉が控えめに開く。そこにいたのは、今日も夕陽のように赤いポニーテールをゆらゆら揺らすメメだ。

 しかしいつもの大胆さは息を潜め、その様子は何やらしおらしい。誰かに見られるのを警戒するように廊下を見渡してから静かに扉を閉めると、メメはそそくさと僕の前までやってきた。


「どうしたのさ、急に呼び出したりなんかして」


 こんな風に呼び出されたのは初めてだった。いつもなら、要件があれば人目があろうが構わず伝えてくるはずだが。

 問いかけても答えず、彼女は制服のリボンを指で弄っていた。自然開け放たれた第二ボタンの隙間から覗く微かな膨らみに目がいく。慌てて目を逸らしていると、彼女がおずおずと切り出した。


「いや、その……こんなこと言うのは、俺には似合わないっていうのは分かっているんだけどな……」


 もじもじと髪をいじりながら話す彼女。努めて冷静そうな声で相槌を打つ。


「うん」

「その、俺……いや、私、は、ずっと――お前のことが!」


 差し込む西日の赤よりも紅いその顔に、僕の期待が膨らむ。いつも真っ直ぐに見据えてくる黒曜石のような瞳が僕の顔を見て、すぐまた逸らす。次の言葉を言うことにためらうように唇がもにょもにょと動く。そして彼女は、僕に愛の告白を――



「何妄想してやがる!バカ!気狂い!」

「イタタタタタ!」


 盛り上がりも最高潮という時、僕の耳が勢いよく引っ張られた。横を見ると、僕の妄想にも負けず劣らず顔を真っ赤にしたメメの顔があった。


「ま、魔術で心の中を見たの!?それは反則だって!仲間内で……イタイイタイ!」

「俺だって普段はこんなことしねえよ!お前が気持ち悪い顔で突っ立ってるのが悪いんだろうが!」


 メメの怒鳴り声が耳元でキンキン鳴っている。引きちぎれるのではないかというほど強く耳が引っ張られる。僕が痛みに本気で悲鳴を上げ始めてから、ようやく彼女は手を放してくれた。その顔は、多分僕の耳と同じくらい赤かった。


「いいか!二度とその気持ち悪い妄想するなよ!女なら勇者パーティーには二人もいるだろうが!」


 良く分からない主張をして、メメはずんずんと向こうへ行ってしまった。羞恥に震え、赤面した様子が可愛かったので、またやろうと思った。

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