第6話もう一人の自分 かつての幼馴染との出会い
戦いを終えて、俺は血を洗い流すため近くの川辺まで来ていた。人前ではあまり魔術を見せたくなかったので、身に付いた血を清めることができなかった。魔法、魔術を使える人間は大抵が貴族の血縁だ。騎士に身元を聞かれても、俺は答えるべき過去を持っていない。余計な詮索は勘弁だ。
水を汲めるようにずっと持っていたボトルに水を入れ、頭から被る。ひんやりした水が火照った体に心地よい。
「痛い……」
そして傷口にも染みた。痛みは消えずに撃たれた箇所を責め続ける。傷が勝手に治り、痛みも感じなかった勇者の頃とは違う。自分を責め続ける痛みが心地よい。あんなにも欲しかった、自分にも背負わせてほしいと願った痛みが、自分を救ってくれる気がした。そういえば今の俺は死ぬこともできるんだっけ。
「傷は大丈夫ですか?」
思考が遮られる。唐突に、懐かしい声に呼びかけられた。意識が外界に向けられる。振り返ると、幼馴染がいた。
カレンとは同じ村で育った姉弟のようなもの、だった。年は同じで家も隣。仲良くなっていくのも自然な流れだった。そして勇者になってからも彼女は共に戦う仲間でいてくれた。聖職者としての才能に恵まれていたために少数精鋭の勇者パーティーでも活躍してくれた。仲間内で一番心優しかったのも彼女だった。敵味方の区別なく人を助け、慈しむ。だからこそ俺が手段を選ばずに敵を殺すようになってから真っ先に離れていったのも彼女だった。
記憶の中の彼女の発言を思い出す。
「変わってしまったアンタとはもう一緒に歩けない」
初めて拒絶されたときの冷たい声色も瞳も忘れられない。自分の体感上50年以上、彼女とは絶縁していた。
「はい、問題ありません。お……私の身を案じて頂きありがとうございます」
言ってから自分の発言のらしくなさに鳥肌が立った。何が私だ。自分の一人称が気持ち悪い。
「本当ですか?少し見せてください」
「あ、ちょっとやめ……」
ズズッと近づいてきた彼女に服を捲られる。目の前に近づいた彼女の頭髪に動揺する。懐かしい彼女の匂いがする。しかし以前ほど、男だった時ほどの動揺はなかった。きっと以前ならあまり無防備に男に近寄るな、なんて照れ隠しをしていただろう。聖職者としての使命を果たしている時の彼女はいつもの天真爛漫な様子はなりをひそめ、ただ楚々と自分の役目を果たす。
「ひどい傷ですが塞がり始めてますね……。……『女神の祝福あれ』」
簡略化された治癒魔法がかかる。ほんのりと緑色の光が傷口に現れる。先ほどから続いていた痛みは消えてしまった。腹部の傷は一瞬で治っていた。身を蝕む痛みが温かい光に包まれて消えてゆく心地よい感覚。長らくしていなかった体験だ。
「ありがとうございます」
「苦しんでいる人を助けるのは聖職者として当然でしょ?」
朗らかな笑みを浮かべながら、模範のような答えを口にする。王都の中央教会にいる利権と金にしか興味のない聖職者たちに聞かせてやりたいセリフだった。
「カレン?その子は大丈夫だった?」
聞きなれたような、それでいて初めて聞く声が聞こえた。それは間違いなくかつての俺の声。凡庸な黒髪黒目の少年。その見た目に不釣り合いなほどに輝く、鞘に納められた聖剣を携えている。そこには15歳の俺がいた。
「傷はもう治りかけてるみたい。あ、オスカーはあんまり見ちゃダメよ。水に濡れてだいぶ色っぽい感じになってるから……ていうかこの子なんでこんな無防備なの……?」
カレンがブツブツ言っていたがその意図は良く分からなかった。
「重傷に見えたけど、随分丈夫な体だね」
「この子の体、アンタと同じ特別製みたい。傷がちょっとずつ塞がってきてた」
カレンは俺の体を勇者と同種のものと理解したようだが、その見解は概ね正しい。正確には勇者の劣化品だ。それでもこの身体の特異性がなくなったわけではない。
勇者を筆頭に人とは思えない力を持った人間が、神に選ばれたとしか思えない人間がこの世界に生まれてくることがある。頑丈な体や人外の膂力、常人の数十倍の魔力など特徴は様々である。実際これらの超常の力は女神が魔王軍に対抗できるように力を授けたものであり、神に選ばれたという認識は間違っていない。
「初めまして、先日勇者に選ばれたオスカーです。さっきは助けてくれてありがとう」
こちらに向き直って……そしてなぜか少し視線を逸らした彼が挨拶をしてくる。そんなことは知っている。多分俺が一番。
しかし自分と改めて対面するといよいよ別人になってしまったという実感が湧いてくる。彼は自分で口にした勇者という言葉にどこかくすぐったさを感じているようだ。ただの村人が急にそんな仰々しい名前を付けられたのだから当然か。そしてその様子から、彼は人生を繰り返した経験はないのだろうとなんとなく察する。
カレンがそんな様子を微笑まし気に眺めている。それを見ると自分まで恥ずかしくなってくる。彼女を姉のように慕っていたころをぼんやりと思い出した。俺はもうカレンの幼馴染でもなくなった。最後のほうは仲たがいしてばかりだったけれど、それでも故郷に帰れなかった自分にとって特別な存在だった。
治癒魔法を含む、神聖魔法に優れていて、勇者パーティーを支えてくれた。明るく、快活な笑顔が魅力的な少女だ。それでいて聖職者としての自負があり、自分を曲げることはなかった。だから、どんな手段を用いてでも、どんな犠牲を出してでも魔王を殺そうとする俺とは、最後には決別する運命にあった。
「はあ、初めまして私は……」
名乗ろうとして気づく。オスカーはもう目の前にいる。新しい自分の名前。今の俺は何者か。人生のすべてだった勇者の使命はもうない。魔王討伐はただの俺の私怨と成り果てた。では俺に残ったものは何か。自分の失敗だらけの人生を思い返して、俺の人生が何によって構成されていたのか考えた。
答えはすぐに出る。それはきっと、背負ってきた罪だ。記憶が呼び起こされる。初めて自分が殺してしまった少女のことを。贖罪のためにまた罪を重ねて、他人の命ばかりを浪費する自業自得の地獄への一本道を歩む始まりになった、忘れてはならない彼女の名前は
「私は、メメと言います」
メメという少女は俺にとって自分の重ねてきた罪の象徴のような存在だ。俺が初めて勇者として先陣を切って戦闘に参加した時のことだった。強敵だった。突如王国内で発生した魔物の大量発生。それでも勝った、はずだった。魔物群はほとんどが死亡。こちらにも犠牲は出てしまったけれども、魔物の練度を鑑みれば快勝と言っていい戦果だった。問題はその戦いが終わった後だった。一部の知性ある魔物の人質となっていた子どもを村まで送り届けていた時、俺は過ちを犯した。
油断していたのだろう。疲れ切った体で子どもを村に送り返すと、みな口々に感謝を伝えてきた。それを見て戦いは終わったと思い込んでいた。最後の少女、メメを村に送り届けた、その瞬間だった。普段なら気づけただろう。後方から飛んできた一本の矢は寸分違わずメメの胸を貫いた。思考が真っ白になる。
「ハハハ!ざまあみろ勇者!父を殺した報いを受けろ!お前の生に呪いあれ!」
憎悪に塗れた咆哮を発した小さなゴブリンは騎士の放った魔法で絶命した。敵を倒しても失われた命は戻らない。子どもを目の前で殺された両親は激昂した。どうして守ってくれなかったのか。お前は勇者ではなかったのか。母親のヒステリックな泣き声も、父親の俺の胸元を掴んだ手が震えていたことも、今でも鮮明に思い出せる。
その時に俺は気づいた。俺はこれから罪を重ねていくのだと。子どもを持つ父親であったゴブリンも、平和な村で暮らしていた少女も、殺したのは俺だった。だから俺は、初めて自分の罪を理解したあの時のことをいつまでも忘れられない。俺は俺が関わった全ての死を忘れてはならない。
幕間② 神話、五戒と三禁
人の世界における法や規範は神の残した言葉を元に作られていることが多い。代表的なのが、各国の法律の元になっている「女神の五戒」。大神デウス亡き後の混乱期に女神ユースティティアが打ち出した善悪の基準だ。
人を無暗に傷つけるな、殺めるな
人から奪うな
人を尊重し、愛せよ
人を助けよ
人と幸福を分かち合え
大神のいなくなった後の混乱期にはこの五戒に背いたと見なされた人間には女神の使者が直々に断罪の剣を振るった、と伝えられている。この時の女神の使者が勇者のはじまりである、というのはまた別の話だ。またこの伝説から、今に伝えられる女神は、左手に審判を示す天秤を持ち、右手に断罪を示す剣を持った姿をしている。
混乱期は悪人を殺し尽くして一応の平穏を勝ち取った、らしい。女神が人の世に干渉しづらくなっている現在でも、各国が五戒に背く法を作らないかと、最大宗教である女神教が監視をしている。しかし女神教も動かしているのは人間だ。五戒が完璧に守られているとは言い難い。
五戒と比して極めて厳格に守られている禁忌が存在する。歴史上にしか存在しない理想郷、大神暦から続く、今は亡き大神が打ち出した三つの禁忌、「三禁」と呼ばれている。
大神以外のあらゆる存在が命を創ることを禁ず
あらゆる時間に干渉する試みを禁ず
神が直接世界に干渉することを禁ず
人のみならず神をも縛る強力な禁忌は、破ればあらゆる人間の侮蔑を免れない。大神はこの禁忌を、定命の者には持て余す権限として一切を禁じた。善人も悪人も例外なく、この禁忌を破ることを本能のように忌み嫌う。実際、かつて禁じられた蘇りの魔術を研究していた魔法使いは火炙りに処されている。蘇りの魔法は「命を創ること」に当たると判断される。
そして女神はこの禁忌を破っている、と言っていいだろう。俺という勇者を「時間に干渉」して蘇生するという「命を創る」行いをしている。女神も例外なく禁忌を厭う本能はあるはずだ。しかし大神暦から千年。女神はどこか壊れているのだろう。大神に会えた暁には私は彼の雷に打たれるのだ、と珍しく感情の乗った声で俺に語っていた。お前が勝手に罰を受けるなら勝手にしろ。それではこの俺は。女神によって時間に干渉して蘇生され続けている俺は、どれだけの罪に問われるのだろうか。
そして人が皆この常識の中で生きている以上、俺は自分が蘇り続ける存在であることを誰かに告げることはないのだろう。何度も繰り返して罪を犯して、それでも懲りずに魔王を殺すために愚直に突き進んでいることは誰にも言えない俺の一番の秘密だった。
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