92 眉を顰めた魔王は、感情を露わにする

「なんだ貴様は。気持ち悪いにも程があるぞ」

「気持ち悪い? いいや、これは執念だよ」


 俺はこれ見よがしに笑ってやる。魔王の威圧感が、一層増した。その様子に手ごたえを感じた俺は、さらに畳み掛ける。


「なあお前、孤児だった魔王。気味悪がられたから、拒否されたから、人間から逃げたのか?」

「違うな。私が、あいつらに失望したんだ。愚昧で見栄を張ることしか脳のない、あいつらに」


 嫌悪に満ちた答えは、俺の予想通りだ。


「だが、結局お前は逃げたじゃないか。孤児院から。人間社会から」

「違う。私は戻って来た。やつらを葬り去るために。愚かな人間たちに、貴様らは不要だと突き付けてやるために」

「詭弁だな。親に駄々をこねる子どもみたいだぞ」

「……良く回る口だな、人間」


 魔王はなんでもないように言うと、魔剣を体の前で大きく振った。一見平静そうに見えるが、どうやら挑発には成功したらしい。

 ……もう少し、時間稼ぎが必要だろうか。俺はチラと後方で倒れているオスカーの様子を確認する。カレンが付きっ切りで治癒をしてくれている。きっと回復してくるはずだ。


「貴様の不快な演説会は仕舞いだ。さっさと土に還れ」


 途端、爆音と共に魔王が突っ込んできた。


「『岩石よ、敵を潰したまえ』」


 オリヴィアの魔術が飛んでいき、魔王の体に直撃する。けれど、その体はいささかも怯んだ様子がなかった。


「フンッ!」


 横なぎの一撃を、辛うじて大剣で受け止める。けれど、油断はできない。魔王はいつの間にか剣から片手を離していた。再び、その手先から黒い光が迸る。


「二度も同じ手は食わん! ッ!」


 間一髪、上体を逸らすと、顔の横を黒い光が過ぎ去っていった。遅れて風が吹き、俺の髪が大きく揺れた。

 俺が上体を逸らしているうちに、魔王はまた新たな手を講じているようだった。


「『粘性の闇よ。荒れ狂い、破壊せよ』」


 大きく後ろに下がった魔王の手のひらから溢れ出した泥のような闇が、辺り一帯にまき散らされる。雨粒と接触した泥は、ジュッ、という燃え尽きる炎のような音を立てている。泥は、どうやら雨を吸収しているようだった。

 地面に落ちた黒い泥は、意思を持っているように蠢きだすと、俺とオリヴィアへと襲い掛かってきた。気味の悪い光景に、鳥肌が立つ。


「オリヴィア! こっちに!」

「はい! 『水よ、穢れを洗い流せ』……効果なし、ですの⁉」


 オリヴィアの打ち出した水が泥へと襲い掛かるが、それは雨粒と同様に吸収されているようだった。

 泥、土を扱う魔法には水をぶつける。魔法のセオリーがあっさりと裏切られた光景に、オリヴィアが悲鳴のような声をあげた。


 一度魔王から大きく距離を取る。オリヴィアと合流し、彼女を後ろに庇う。そうこうしている間にも、不気味な泥はこちらへとズルズルと近寄ってきていた。俺は大剣を振るって、なんとか泥を遠ざけた。

 オリヴィアを庇いながら俺は、あの泥の攻略法を必死に思い出していた。黒い泥。魔王しか使っているところを見たことのない、特異な魔法。決して使う頻度が高いわけではないが、厄介な魔法だった。あれに出会い、突破方法を見つけたのはいつだ。考えろ。思い出せ。


 ──そうだ、あの時だ。頭の中に古い記憶が浮かぶ。失敗した記憶。泥に窒息死させられた記憶。そして今、成功するため、勝つための記憶。


 豪雨に負けないように、俺は叫んだ。


「オリヴィア! 炎だ!」

「はい! 『炎よ、我が敵を燃やしたまえ』」


 オリヴィアの魔術によって生み出された炎は、蠢く泥に直撃すると、勢い良く燃えだした。雨中にあっても消えない炎はたちまち泥を燃やし尽くした。威勢よく動き回っていた泥は、炎に巻き込まれると一瞬で姿を消した。


「危なかった……」


 魔法のセオリーの外にある魔法。これも、叛逆神からの賜りものだろうか。魔王の様子を見ると、ようやく黒い泥を生み出すのを辞めたらしく、再び魔剣を構えていた。


「……これもダメ、か。では、剣で今一度語ることにするか」


 再び、魔王の体が躍動する。今度は、より早く、より強かった。

 瞬く間に飛び込んできた剣先に、自分の剣を差し込む。信じられない力。同時に、確かな技量に裏打ちされているそれは、簡単には押し返せない。


「クッ……さっきまでは手加減してたってか……?」

「準備が整ったまでだ。無粋な貴様が奇襲をしていなければ、もっと早く終わっていた」


 言葉の通り、先ほどまで以上の迫力が魔王から感じられる。先ほど俺たちが泥に対処している隙に自分の体を強化する魔法でも行使したのだろうか。俺も身体能力の魔術は使っているが、かなり劣勢だ。


「ッオオオ!」


 精一杯の力を籠めて、魔王の体を押し返す。お互いに剣の間合いから外れてにらみ合う。均衡状態、というには俺が不利すぎるだろうか。けれど、俺の後ろには頼れる仲間がいる。


「オリヴィア! 合わせてくれ!」

「お任せを!」


 その様子を見た魔王の顔には、侮蔑の笑みが浮かんでいた。身体能力の向上が完了し、余裕ができたらしい。

 滑りやすい、濡れた河原を踏みしめて、一歩。加速を得た俺の体が、疾風の如く魔王の目の前へと躍り出た。


「ハッ!」

「単調だな」


 幾度目か分からない衝突に、魔王は退屈そうですらあった。けれど、すぐにオリヴィアの援護が届くはずだ。そう思い待つが、一向にその気配はなかった。

 後ろに飛び退き、一瞬後ろを見る。──その先には、倒れ込んでピクリとも動かないオリヴィアの姿があった。


「オリヴィア⁉」


 彼女の傷ついた姿に、俺の心は激しく動揺する。過去の失敗がフラッシュバックして、胸が苦しくなる。魔王は、そんな俺の様子を見て楽しんでいるようだった。


「ハッハハハハ! 攻勢に転じている魔法使いほど無防備なものはない。小娘、まさか知らなかったとは言うまいな」


 ……その通りだ。魔法使いは、同時に二つの魔法を行使することが難しい。だから、攻撃する時が最も無防備になる。そんなこと、嫌と言うほど知っている。

 動じる俺のことを、魔王は心底面白い、といった様子で眺めていた。そして、嗜虐的な笑みを浮かべて、魔王は言い放つ。


「お前の稚拙な策が、薄っぺらい信頼という網が、あの娘を傷つけたくのだ。まさしく人間の愚かしさが敗北したと言えよう。私が何を言いたいか、分かるか、メメとやら」

「……なんだ」

「だからな。薄気味悪いお前。思い出せ。よく思い出すんだ。あの娘は、そして、最初に倒れた少年も、お前が殺したも同然なのではないか?」


 その言葉に、俺は一瞬頭が真っ白になった気がした。

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