52 洞窟の激突
俺だって無意味に失敗を重ねてきたわけではない。魔王軍の主要な魔物の特徴は全て覚えている。彼らの取りうる戦術も、ほとんど分かっている。(思考の切れる魔王は、俺の百年近い経験を時に凌駕する戦術を取ることもある)当然、今回の大神教の本部がどこにあって、どうすれば攻略できるのかも分かっている。
正直敵の本陣への攻撃自体は、騎士団との兼ね合いを気にする必要のある王都防衛よりも簡単だ。
今問題なのは、俺自身の弱さだろう。大神教に強い人間はいないが、その裏にいるのは、正真正銘の魔物だ。名前はセレネレーン。人魚と人の特徴を併せ持つという、極めて珍しい半端者だ。しかしその実力は普通の魔物を遥かに凌駕する。
「本当にこんなところにその転移陣があるの?」
「ああ。忘れ去られたものだから管理もされていない。……あったぞここだ」
鬱蒼とした森の中で生い茂る雑草を掻き分けること数分、ようやく青白い薄明りを灯す転移陣を発見することができた。強力な魔力の籠められたそれは、長い時が経っても未だ光を放っている。放置されて数百年は経っているにも関わらずその役割を果たすことができるようだ。
王国内の転移陣──ある地点とある地点を結ぶテレポーターのようなもの──は全て王城に管理されていて、その許可なしには使用できない。
しかし、実際王城も全ての転移陣を把握できているわけではない。まだ管理が杜撰だった頃に貴族が勝手に設置したものなどは放置されているケースもある。今回俺が見つけたものもそんな未管理の転移陣の一つだ。
繋がる先は驚くことに、共和国。国同士の関係が今よりも良かった頃に設置されたのだろう。国同士の微妙な関係性から転移陣を直接繋げられない現代では考えられないほどの利便性だ。人気のない森の中にひっそりと存在しているそれは、百年近くを過ごした俺でもなければ発見することは困難だっただろう。
「メメはどうやってこの転移陣の存在を知ったの?」
オスカーが問いかけてくる。……当然の疑問だろう。しかし、それを説明するには、俺の過去を洗いざらい話す必要がある。
「……たまたま、古文書を漁って知っただけだよ」
視線を逸らし、曖昧な答えしか返せない。思えば、自分の過去について問われるたびにこんな返答をしている気がする。……いや、不誠実なんて今更だ。俺は最初から彼らを魔王討伐のために利用しているじゃないか。
「でも、本当に私たちだけで行くのですか?ジェーンさんもこの場にいないようですし……。騎士団に協力を仰いだ方が良いのではなくて?」
オリヴィアは流石に冷静だ。少人数で大神教の本陣を急襲するリスクを懸念している。実際、過去の俺は騎士団との協力を試みた。でも。
「大人数で押しかけると敵に逃げられるかもしれない。実際、今の敵陣の場所が分かっているのも奇跡なんだ」
加えて言えば、敵の首魁、セレネレーンはむしろ大人数で襲い掛かってもこちらが不利になるだけだ。奴の歌を使った洗脳は強力で、魔力を持ち魔法に耐性のある騎士ですら奴の虜になってしまう可能性が高い。
「……人を頼らない悪癖は変わりませんわね」
オリヴィアの呟きが耳に入ってきたが、意図的に無視する。違う。これは合理的な判断だ。
「とにかく、早く行こう。敵の位置が分かっている間に」
「……ねえメメ、少し焦りすぎじゃない?もう少し情報を集めてからでも……」
「ダメだ。それじゃ遅いんだ」
ああ、うるさい。どうしていつもいつも俺の言うことに従ってくれないんだ。誰も彼もそうだ。勝手に失望して、勝手に戦って、勝手に死ぬ。
焦る俺とは違って、オスカーは冷静に話しかけてくる。
「……メメがどうしてもっていうなら、僕は従うよ。でも、せめてどうしてそうしなければならないのか、理由を教えてくれないかな?きっと僕は君の役に立てると思うんだ」
君は一人で背負いすぎではないか。オスカーが気遣わし気に呟く。どうして?そんなのは簡単だ。
「──全ては魔王を殺すためだ。信じてくれるか?勇者様」
「……望んだ答えではなかったけど、いいよ。信じよう」
オスカーの黒い瞳を真っ直ぐに見つめ返して答えると、彼は少しの失意を滲ませながらも首を縦に振った。オスカーの後ろにいた二人もその答えに追従するように、頷いた。──ああ、信じる。なんて純粋で、無垢で、重い言葉なのだろう。俺がそれを裏切り続けた過去を。彼らは知らない。
転移陣の上に4人で乗る。
「『飛べ』」
起動のための詠唱を行うと、すぐに光に包まれる。転移陣から放たれる眩い光に一瞬視界を失う。目が見えるようになる頃には、俺たちの姿は遥か遠い地、共和国にあった。
「えっ、もう終わり?こんな一瞬で移動できちゃうなんて……」
カレンの呟きを聞きながら周辺の気配を探るが、人の気配はなかった。こちら側の転移陣の移動先もまた、鬱蒼とした森の中だった。風に揺られる葉の擦れ合う音に混じって、潮騒が僅かに耳に届く。海岸に出るのに苦労はないだろう。
「これから向かうのは敵陣のど真ん中だ。気を引き締めて行こう」
促すと、3人は少し表情を引き締めて頷いた。……心配はいらなそうだ。
息を潜めて森を歩く。虫や鳥の鳴き声がよく聞こえるほどの沈黙のままに、森を抜けて砂浜へ。
森を抜けた途端に視界いっぱいに広がる海。水平線を初めて見ただろうオスカーとカレンが僅かに息を飲んだのが分かった。しかし驚いている暇はない。大神教の本陣、海辺の洞窟はすぐそこだ。
砂浜を進む。左側からの穏やかな波の音を聞きながら、右側に聳える崖を注視して歩くと、突如としてぽっかりと穴が開いている部分を発見した。
「──ここだな」
「……見張りの一人もいないけど、本当にここにあの人たちが?」
「まさかもう拠点がバレてるなんて思ってもないんだろうよ。呑気なことだ」
陽光に照らされ暑かった砂浜とは打って変わって、洞窟内部の空気はひんやりとしていた。記憶にある通りに、洞窟の暗闇を進む。
道中には時折黒ローブの姿があったが、俺とオリヴィアの魔術によってあっさりと無力化できた。やはり、ただの平民に過ぎない彼らには魔法での攻撃が有効だった。
そうして、俺はあの人魚モドキと何度目か分からない再会をすることになる。
暗い洞窟を、息を潜めて歩き続ける。しばらくすると、俺たちの足音以外の音が僅かに聞こえてきた。うっすらと聞こえていたそれは、足を進めていくとはっきりと聞こえるようになる。それは、美しい歌だった。暗くて殺風景な洞窟には不釣り合いなほどに華やかな旋律は、しかし俺にとっては自分の失敗した過去を連想する歌だ。
記憶の通り、洞窟の最奥、小部屋のようになっているそこには、多数の信者たちが集っていた。皆一様に呆然とした表情で、同じ影を見ているようだった。
「気持ちよく歌ってたのに闖入者だなんて、あんまりにも無粋じゃない?」
中央に立つその影は、一見人間の女であるようだった。服の上からでもはっきりと体のラインが分かるほどの、発育の良いしなやかな肢体。そしてその美しい顔は、見る者全てを魅了するような不思議な魅力があった。ぷっくりとした桜色の唇。垂れ下がった瞳は、見つめていると吸い込まれるような錯覚を覚える。何も知らない人間が彼女を見れば、きっと庇護欲を抱くのだろう。
彼女、人魚モドキのセレネレーンの周囲には、黒ローブを羽織り、ぼんやりとした顔をした男女が数十名いた。彼女の声に反応した信者たちが、一斉にこちらを向く。人形じみたその動作は不気味で、同じ人間とは思えなかった。
彼女が信者たちに何事か語り掛ける。途端、信者たちは操り人形のように、こちらに一斉に飛び掛かってきた。
「剣に絶対に触れるな!猛毒が塗ってある!」
仲間たちに大きく叫ぶのと同時に、一人目を斬り捨てる。魔物でも生霊でもないその女は、悲痛な断末魔を上げて、倒れ伏す。その顔は恐怖に固まっていて、その瞳は涙でいっぱいだった。体の奥が冷え切ってしまうような、罪悪感。何度斬り捨てようとも体を苛むそれは、しかし俺の動きを阻害することはなかった。
「我らが正義の邪魔をする不届き者めが!」
好き勝手叫びながらこちらに突っ込んでくる信者たち。その剣先は決して鋭くはない。回避して、貫く。剣を交えて力を籠めれば、あっさりと吹き飛んでいった。
「出すぎるなよオスカー!囲まれたら後ろが危ない!」
「分かった!」
オスカーの剣先は鈍る様子もなく信者たちを切り裂いているようだった。聖剣の重たい一撃は、脆い人間の肉体をあっさりと破壊していった。
信者たちが一人、また一人と倒れていく。しかしそれを黙ってみているセレネレーンではなかった。
「LaLa──」
旋律が洞窟に響き渡る。徐々に女に近づいてきていた俺とオスカーには、その音色がはっきりと聞こえてきた。
「魔力を耳に集中させろ!歌を聞くな!」
彼女の、というより人魚の歌は、その効果を最初から知っている者に対しては効果が薄い。そのことはかつて訪れたアルパという地の漁師たちが教えてくれた。魔力も持たずに魔物と渡り合っていた彼らの積み上げていた知識は、俺にとって貴重なものになった。
「歌が……効かない……?」
俺たちに歌の効き目がないことにセレネレーンが驚きの声を漏らす。しかし、歌を聞いた信者たちの動きは明らかに変わった。ただの暴徒だった一団が、統率の取れた集団になっていく。一人を切り裂けばもう一人が槍を突き出してくる。死体の影から新しい影が飛び出してくる。その場にいる全員が同じ意思を共有しているような、恐ろしいまでの連携。
「オリヴィア!壁を!」
「はい!『氷よ、我が敵を拒め』」
地面から急速に氷の壁が盛り上がり、俺たちの視界を埋め尽くした。俺たちに迫りくる信者たちが道を塞がれ立ち止まる。
しかし、すぐさま響く、オリヴィアとはまた違った詠唱の声。それは先ほどまで美しい旋律を響かせていた女のものだった。
「『亡き炎の神に、お願い奉る。願うは炎の槍──』」
「魔法使いが敵に!?」
「大丈夫だ、オリヴィアの援護を信じろ」
オリヴィアに慌てる様子はない。彼女なら大丈夫だ。
飛来する炎が、着弾し、轟音を立てながら氷の壁を食い破った。穴が開いた部分から、信者たちがなだれ込んでくる。
死を一切恐れていない様子で突貫してくる信者たちを切り裂く。時折魔法がこちらに飛んできたが、オリヴィアの魔術はそれらすべてをかき消し、打ち壊し、弾き飛ばした。
仲間たちに歌に惑わされる様子はない。皆出立前に話した人魚の歌対策をちゃんと実行できている。順調に事を運べている。
しかし、このまま終わってくれる相手でもなかった。
小部屋の入り口、現在オリヴィアとカレンのいる場所に、突如として巨大な気配が現れる。背後から迫ってきていたのは、王都にも姿を現した巨人のような肉体をした改造人間だった。
「──オスカー、前を任せた!」
「また一人で……ああもう、分かった!」
跳躍する。目標は、オリヴィアへと振りかぶられた、巨大な拳だ。
「オオオ!」
鋼鉄のような拳に大剣を打ち合わせると、凄まじい衝撃が両手に伝わってきた。あまりの勢いに吹き飛ばされそうになるのを、なんとかこらえる。
「メメさん!」
「オリヴィア、オスカーの援護を……」
「──こっちは大丈夫!メメのことを援護して!」
「承りました!『炎よ、我が敵を穿て』」
オリヴィアの撃ち出した炎が、巨人の胸に突き刺さる。呻き声を上げるが、致命傷には遠い。
「オリヴィア、こいつに魔術の効き目は薄い。オスカーの援護を……」
「──そうやって一人で戦って死にかけて帰ってきたんでしょ!黙って皆に助けてもらってよ!」
オリヴィアに言いかけると、オスカーから叫び声が飛んできた。彼らしからぬ、少し怒ったような語調。反射的に言い返しそうになる。喉元まで言葉が出かけて、辛うじて思い直す。道理はどう考えても彼にあった。
冷静さを取り戻すために一つ深呼吸する。俺は意識を前に向けると、再び巨人に飛び掛かった。
「『氷よ、地を進む者の足を止めよ』」
「グオオオ……」
「ハッ!」
地面が急激に凍っていき、巨人の足を封じ込めた。すかさず俺の剣先が巨体に傷をつける。オリヴィアの援護は的確だった。効き目が薄い攻撃魔術を撃つのは止め、代わりに足止めを中心とした搦め手で俺を支援してくれている。
そして、既に何度も攻撃を受けて大量の血を流している巨人の動きは、明らかに鈍ってきていた。そろそろ、とどめを刺してやるべきだろう。
「『硬化せよ』」
まずは魔術で大剣の強化を行う。これなら、あの分厚い脂肪を貫くことができるだろう。爆破の魔術は無しだ。洞窟が崩落して全員仲良く下敷きになる可能性がある。
「オリヴィア、これで最後だ!足止めを頼む!」
「お任せを!」
地面を蹴っ飛ばして、改造人間へと突撃する。オリヴィアの魔力が高まっているのを感じながら、俺はその太い首筋に向けて跳躍した。
「『稲妻よ、我が敵を貫け』」
雷が背後から飛んできて、目にもとまらぬ速さで俺を追い越していった。そして、巨体に直撃する。電流を食らった巨人の動きが一瞬だけ止まる。決定的な隙。
「ハアアアア!」
真っ直ぐに突き出した剣先は、狙い通り巨人の喉元に直撃する。痛みに悶え、しかし声を出すことすらできなくなった巨人は、その場に倒れ伏し、二度と動かなかった。
難敵を倒してしまえば、後は魔力も持たない平民を蹴散らすだけだ。オスカーと共に剣を振るい、信者たちを斬り捨てる。
時折、女から魔法が飛んできたが、それは全てオリヴィアによって防がれていた。そしてついに最後の信者が倒れ、道が開ける。最奥にいたセレネレーンの顔は、憤怒に歪んでいた。
「なんて使えない下僕なのかしら」
その言葉に、オスカーが顔を顰める。
「そんな言い方はないんじゃないですか?皆必死に戦ってましたよ」
「ハハッ、必死?それは当たり前よ。皆もう思考する能力なんて残ってないんだから。命令を全身全霊で実行する人形たちなの。そのうえでここまで使えないのだから、全く救えない」
女は心底呆れたといった様子で吐き捨てた。オスカーが顔を引き締め、剣を構える。
「……ここで、斬らないといけない人みたいですね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます